ほおっておけない
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動くことも、拒否することもできなかったのは、壱馬くんが泣きそうな顔で、思い詰めたような表情で、優しく触れたから、かもしれない。
雨に濡れたまま、壁を背にして繰り返されるキスに私はただ目を閉じていたんだ。
「マイコさん、」
頬に手を添えて何度となく私の名前を呼んではまた唇を小さく重ねる壱馬くん。
しばらくするとそっと私から離れた。
その頬には雨なのか、涙なのか、水滴がツーっと滴り落ちていて。
「慎のこと苦しめたない。けど理屈ちゃうねん。寝ても醒めてもマイコさんのことしかないねん、俺ん頭。...もっと触れたい、もっとマイコさんに触れたいねん、」
真っ赤な目の壱馬くんの瞳からはまた透明の雫が滴り落ちる。
胸がギューッと締めつけられるような気分で。
心の中では慎くんだって決めたはずなのに、今目の前の壱馬くんを一人にさせちゃいけない気がした。
無言で壱馬くんの腕を掴むとそのまま私の住むアパートまで歩く。
鍵を開けて玄関に入った瞬間、私を抱きしめる壱馬くんに、後ろ手でガチャリと鍵を閉めた。
抑えきれず私の頬に手を添えて顔を寄せる壱馬くんのキスに、その舌に自分のを絡めると「ハアッ、」って甘い吐息の後、壱馬くんのキスが激しくなった。
「一回でええ。抱かせて、マイコ...。」
それが私も壱馬くんも慎くんを裏切る行為だって分かってる。
だけど、こんなにも切羽詰まった壱馬くんをどうしてもほおっておけない、そう思ってしまうんだ。
どうしたらいいの?頭の中で続いている葛藤なんて、壱馬くんの視線一つで奪われてしまう。
恋愛に正解なんてものはきっとない。
でもこれが正解ではないということだけは分かる。
慎くんを裏切ってまで壱馬くんの想いに答えるなんて、ゆきみさんや朝海ちゃんに知れたら幻滅されるかもしれない。
でもやっぱりほおっておけない。
捨てられた仔犬みたいに私に縋る壱馬くんを、今夜は一人にさせたくなかったんだ。
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「どうしたの?」
「え?」
「ずーっとココが痛そう。」
慎くんが自分の眉間を指差して視線を私に移した。
なんとなく真っ直ぐ顔が見れないのは昨日の一夜のせい。
「具合、大丈夫?やっぱりまだ熱あるんじゃないの?」
スっと慎くんの大きな手が私のおでこに触れて、ビクッと身体を竦めてしまう。
無意識で。だけどその一瞬すら慎くんは見逃してくれない。
ジッと私を見つめた後、小さく息を吐き出した。
「マイコさん、香水なんてつけてんだね。」
「...え?」
「俺その匂い、知ってる。」
「慎くん?」
「壱馬さんとなんかあった?」
「ないよ、ない。なにもないよ。」
「そんな必死で否定されると余計に疑っちゃう。」
困ったように眉毛を下げた後、「僕、あがりますね。」時計を見ると慎くんのあがり時間の15時だった。
追いかけたいのに足が動かなくて。
待って!と言いたいのに声も出ない。
馬鹿みたいに涙だけが溢れて止まらなくて。
「マイコ、どうしたの?」
慎くんと入れ替わりでシフトインした遅番の隆二くんが私を見て吃驚している。
ポンって頭に手を乗せて顔を覗き込まれる。
「マイコ、大丈夫?」
「隆二くん、お願い...ゆきみさんと朝海ちゃん連れて来て。」
縋るようにそう言うと、「すぐ連れてくるから。」優しく頭を撫でてくれた。
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