奈落の底へ…

【said ゆきみ】


「あ、動いてる。引っ張ってるよ北ちゃん!」
「あ、マジか。ここ回して、ゆっくりね?」
「う、うん。ムム、引っ張られる〜!」
「堪えて、堪えて。」


キュっと北ちゃんがわたしの上から手を重ねてグルグル回している。間近に北ちゃんがいてこんな時なのにドキドキする。あともうちょっと…って所で北ちゃんがわたしをチラリと見た。ド至近距離で目が合って思わず釣竿を手放した。勿論ながら魚にも逃げられて、なんなら後ろに尻もちついて転がったわたし。


「大丈夫!?」
「…う、うん。」


北ちゃんはわたしが傍にいてドキドキしないの?わたしだけが熱くてドキドキしていて、この温度差に悲しくなるよ。


「惜しかったね、ゆきみ。次、次!もう一回ガンバロ?」
「うん…。」


北ちゃんが自分の竿の方に戻るのを見て小さく溜息。隣に壱馬が座ったんだ。


「なんやねん今の…。」


プって笑う壱馬をジロっと睨む。


「なんやってなによ。壱馬みたいなイケメンにわたしの気持ちなんて分からないもん。モテ男の壱馬には、」
「アホぬかせ。俺かて最悪やねんけど…。」


…―――え?そうなの?いつも余裕に見える壱馬が、今日は本当に沈んで見えた。全く気付かなかったけど…。え、てことはマイコとなんかあったの?


「壱馬、マイコとなんかあったの?」
「…なんもあらへんわ。なんもないねんマイコと…。」
「…え?どういう…、」
「キスしてたの、壱馬も見てたの?」


急に反対側、北ちゃんが座ってそう言う。でもまさか北ちゃんの口からキスなんて単語が出てくるなんて想像もしてなくって…。


「は?なんやそれ。」


ちょっとキレ気味の壱馬に向かって北ちゃんがその口を開いた。


「マイコとまこっちゃん。百物語した後、車の中で隠れてキス、してたの見たよ俺。」


悪気もなく、それを口にした北ちゃんは罪になるのだろうか?



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