紫原耐性

とある高校のとある寮。
その一室、そろそろ受験を控えようかという頃の3年生の部屋を2年の留学生が訪れている。
部内最高記録ではないものの、街中では十分と目を引くであろうその長身曰く、

「福井ー。今夜来たアル。」

ただし、福井に言わせればその表現は正しくない。








今夜という点については誤りはないが、助詞がないため意味は異なる。
助詞なしに“今夜”と言いきってしまうと、”今夜は”という意味合いの方が強くなるのだから。
正確に言えば、”今夜”ではなく”今夜も”だ。

「助詞抜けてんぞ。この確信犯。」

そうは言いつつ招き入れてしまうあたり、福井は自分を甘いなと思う。
…思いつつ、ここ数日この状況が続いているのだ。

特に勉強面で問題があるとは思えないこの後輩が、勉強道具一式を持ってこうして毎夜毎夜自分の部屋を訪れるようになったのはいつからだったか。
少なくともWC後にすぐ引退して、それからしばらく後だったことは覚えている。
が、正確な日にちはもう福井も劉も覚えていない。
それほど毎夜続くこの時間。特に何もなく、ひたすら自分のすることに専念する。
福井はもう大学への推薦入学が決まっていたが、成績がぎりぎりで規定ラインに達していたためスポーツ推薦枠ではなく指定校推薦扱いになった。
(週7日のような日々の厳しい練習、学業との両立など不可能とも思える状況で本当によくやったものだと自分でも思う。記憶の彼方だけれど、1年生だった自分、2年生だった自分…そして最終学年ただでさえプレッシャーのかかる副主将になって、4月からあの気難しい幼児を引き抱えることになり、さらに2年に編入後すぐレギュラー入りを果たした、何かと妬まれがちな立場の後輩(彼と元々の部員との間の小競り合いは、少しでも放っておくといつも流血沙汰になった。…必ず氷室が勝ったが)を気遣い、IH、WC、受験とここまで乗り切った今年の自分、お疲れさん。)
…ということは、学業も最後まで疎かには出来ないということだ。
元より部を引退した身、他に特段の趣味があるわけでもない自分、特にそんなつもりもなかったけれど。
きっと大学に入ればまた忙しくなるだろう。それを考えると今の時間のあるうちに免許でも取った方が有意義なのかもしれないけれど、良いことにか悪いことにか陽泉では生徒の免許取得は認められていない。
となればいよいよすることなどないに等しく、残されたわずかな高校生活だが普段と変わらない毎日を送っている。
その自分の元を、毎夜飽きもせず訪ねてくる後輩。


「助詞は難しいアル。」


(嘘つけこの万年四月馬鹿。)


(んー?いや本当難しいアルよ。…さっきのはわざとだが。)


(ほら、)


その目に、陽泉擁する駄々っ子以上に際立った切れ長の目に何度心を射抜かれた事か。


「たまには本性見せやがれよ、」


と言えば、顔色一つ変えずに返す、


「福井愛は本当アル。」


が、本当に心臓に悪い。


(後輩のくせに、)


(年下のくせに、)


助詞抜きで福井愛などと言うものだから少し現実感から離れてしまうけれど、むしろここで”福井への愛”などと言われてしまったら間違いなくこちらの身がもたない。
きっとその年下の前で真っ赤になって、恥ずかしい姿を晒してしまうに違いない。
もしかしたらそれを気遣ってわざとそう言っているのかもしれないけれど、


(福井愛…って、愛、って、)


その漢字一文字だけだって、福井にとってはとんでもない破壊力を持っている。








今夜も変わりなく明日の予習と小テスト用の勉強道具を抱え訪れた後輩を背に、福井は壁向けに備え付けられた勉強机へと向かっている。
劉は厭うことなくローテーブルを使用している。これが最近の2人の常だ。
別に特に何か質問があってきているわけではない(そもそも劉は頭が良い。元々の能力も高いし、勉学に対する姿勢はのほんと暮らす日本人のそれに比べてはるかに真面目で、意欲高い)ため、足の長い彼には一人でこちらを利用する方が良いし、何よりお互い顔を合わせずに済むので福井はほっとしている。
こたつ仕様ではない机のため、その長躯に見合ったすらっと伸びた足とそれを覆うピンクのひざ掛けとのギャップが何ともメルヘンで可愛らしい。
もう耐性がついて久しいが、紫原が入学してしばらくの間感じていた感覚、あの長身でお菓子お菓子と子供のように強請る(あるいはいつも食べている)彼に感じたあのムズムズした違和感、それに似ている。


持ち込みの中国茶を水筒から整った口元へ運びながらすらすらとノートに何か記していく、およそバスケなどやっているようには見えない、美しい陶器のような指先。
紙の上に記されるのは自身も使うただの文字なのに記号なのに、それにすらドキッとしてしまうような、習字の手本のようなきれいな字だ。
暗記をするときなど集中しているときなどちらりと窺う横顔は、


(こいつ、多分人間じゃない…、)


…と思うほどきれいだ。きっと間違ってこの世に降りてしまった天使か何かに違いない。
人外の者として、妖精と称される駄々っ子ももちろん福井の傍にはいるけれど、それとはまた異質。
あれが砂糖とスパイスと素敵なものいっぱいで出来ているのだとしたら、劉の方は100%純粋な美しさだけで出来ているはずだ。
そんなことを考えてしまい、首を横に振って必死に考えないようにしたのは一度や二度ではない。
その度劉は不思議そうに首を傾げていた。


だが不思議なのは福井も同じだった。
何故、彼が自分と付き合っているのか。
この天上の美しさを持つ真っ白な天使が、特に何も持ち合わせていない自分などに興味を抱くのか。あまつさえ、


(好き、だなんて、)


好いてくれて、いるのかと。








「なぁ、何でお前俺なんか好きなんだよ…。」


言い寄ってくる女子もいんだろ。二外で中国語選択してる奴もいっし。


何で、俺なんだよ…。


気付くと、振り返り長い間彼のことを眺めていた。
福井の言葉に気付いた劉がシャーペンを置くと、その動きだけで洗練された儀式のように福井の心を疼かせる。
しばし、その言葉を頭の中で反芻していた劉は顔を上げ、ニコリと笑った。


(う、わ、)


反則だ。
こんな表情、滅多にしないのに。


その滅多にない面を見せているのも、自分にだけと福井は知っている。
前に氷室に聞いたからだ。


(劉があんな顔するのも、福井さんがいるからですよ。元がポーカーフェイスに出来てるから、よっぽど何か嬉しいこととか好きなものを前にしないと、感情が顔には出ないんですよね。)


と、こちらは元が穏やかな笑顔で出来ているあのイケメンはそう言ったのだ。
その時はふーんと聞き流してはいたが、何と恥ずかしいことを言われていたことか(それも、あの端整な顔に満面の笑みを浮かべて)。


ごちゃごちゃ思い出していると、劉は微笑みを浮かべたまま言う。
その言葉に、福井はしばし言葉を失った。








「何でって…俺は元々こっちの趣向の人アルよ。」


しばらく、呆けたように目を瞬かせていた福井。
だが未だニコニコとした相好を崩した笑みを湛えている劉を前にはっと我に返ると、椅子から降りテーブルに身を乗り出し、え、え、と無意識に劉に顔を近づける。


(福井、…これは…、)


福井としては特に意図はなく、初めてそうと意識したマイノリティーをより近くで見ようとしただけなのだが。
劉にとって今の彼の行動は、据え膳以外の何物でもない。
据え膳、だなんて日本語の素敵な表現に感謝して、気付かれる前に頭の後ろに手を回し隙を与えず口付ける。
唇を食み啄むことはせず、直接舌で器用に彼の口内に侵入する。
全く力の入っていない福井を蹂躙するのは容易くて、逃げる舌に自分のそれを絡め、歯列を裏から触り上蓋を刺激すると彼の喉元から何度も高い悲鳴のような音が鳴る。
しばらくそんな福井の可愛らしい反応を楽しみ、ようやく口を離す頃には彼の目元は赤く目は潤んでいて、頬は上気していた。
肩を上下に必死に息をするその姿がたまらなく可愛らしい。
また、唇を離すときしっかり彼の唇を舐め清めたから唾液が糸を引くようなことはないだろうに(劉はいつもそうしている)、それでもなお手の甲で口元を押さえる姿が扇情的だ。
前々から思ってはいたが、潜在的な彼のこの無意識のエロさ。どうにかしてほしい。
そうでないと身がもたない。そうでないと、自分は…、


その視線の先、ようやく呼吸を落ち着けつつあった福井は、だがその驚きは隠さない。
自分のことを好き、とは言ってくれていたけれど、いわゆる付きあいをしてきたけれど、まさかこんなに身近に真正のマイノリティーがいるとは思ってもみなかったのだ。
当然、自分と同じように元々は女の子が好きなのだと思っていた。


「…まじで?」


「そもそもこっち来ることなたのもそれが原因。俺がそういう嗜好だったカラ、心配した親が日本留学出させたアル。どしてか分からないが、日本なら無事思ったようアル。」


助詞もなければ発音もめっちゃめちゃ。
いつも留学生とは思えないほど流暢に話す劉がこうなるのは珍しい。
…ということは、珍しく彼が動揺しているということか。
マイノリティーであることを認め、だがそれをパートナーに受容されないとでもほんの少しでも危惧しているのだろうか。


(そんなこと、)


あるわけない。
少なくとも、自身を苛む心配事の一つはあっさり解決されてしまい(…元々男好きなのであれば、氷室への人気には劣るが彼の姿にきゃあきゃあと騒ぐ女子生徒への嫉妬や羨望、そんな杞憂はいらないというものだ)、今福井を包み込むのは拍子抜けにも似た感覚。
そんな福井の思いを知らず、淡々と劉は言う。

「どうなることか思ったケド…とてもいい出会い出来て俺は嬉しいアル。」

淡々ととは簡単に言うようだが、実は福井にどう思われているのか分からず、必死で。取り繕いも込めて。
意識してはいないけれど、自然と”俺は”に力が入る。
福井は。福井は、自分との出会いをこうなった経緯を今の2人の関係をどう思っているのだろう。

心なしか目を泳がせる劉の前で、ああ、うん、そうか、そうなのかと途切れつつ何とか言葉を羅列し、よろよろと再び勉強机に向かう福井。
その横顔にその頬にその耳に、見紛うことない赤みが差しているのを劉は見逃さなかった。








「福井〜?」


「んぁ?」


それから数十分。
もうすぐ既定の消灯時間(守るものは僅かだが。寮全体を見渡したって、うちのWエースくらいではないだろうか…食うこと寝ることが至上の基礎代謝な奴と、極めて健康的な生活を送る帰国子女)というときになって、劉は勉強机に向かう福井に後ろから抱きついた。
劉に比べれば小柄で華奢な体が腕の中でびくっと揺れる。


(可愛)


気付かれないように首筋の髪の匂いを吸い込む。擽ったそうに身を捩る彼の耳に、小さくつぶやく。


(くーあい?)


たどたどしい発音、聞かなかったふりをして。


「一緒に寝るアル。」


「…ぁ、あーぁ、うん、」


消灯時間を過ぎると廊下を歩いているのを見られるのはまずい。
ここ数日そう言えばいつも結局はぎりぎりで劉を部屋に帰していたのだけれど。
確信犯なのか、今日はあいにくその時間をあと少しで過ぎてしまう。
これでは居を同じにする寮生としてあるいは先輩として、彼を無下に追い返すわけにはいかない。
そういった意味で福井は頷いた。
ベッドは十分な長さがある、劉が使っても平気だろう。
日頃練習で疲れている彼には少しでもいい環境で眠ってもらって、自分は床ででも寝ればいい。
ありがたいことに部屋に一つ備え付けの電気カーペット、寝心地は悪くないのは実証済みだ。


…が。


(…あれ、)


そこではたと福井は止まる。


劉の要望に対し、今自分はナチュラルにOKを出したけれど。
数秒前の劉の言葉を思い出してみる。彼はここに泊まって良いかという表現をしていない。
一緒に寝る、と言ったのではなかろうか。


(ん?ん?…ん?)


相手が紫原なら。
今の会話に何の問題もない。寝ると言ったら奴は寝るし(言わなくても寝るし。寝るなと言っても寝るし)、例えもし彼と”そういう関係”にあったところでやはりそれは変わらないだろう。
もうすぐ、紫原が入学してきて一年が経とうとしている。
不愉快なこと衝突したこと可愛く思ったこと、色々あったし乗り越えてきた。
そのため今ではどうやらバスケ部全員彼への耐性がついているようなのだ。
他の部の寮生には時々変な顔をされるが、基本的に紫原の見せる一動作、彼の一家言にすっかり自分たちは慣れきってしまっている。


だから、今も気付かなかった。
普通に応じてしまったが、それにそもそも、


(ちょ、ちょっと待て、この状況もおかしいだろ!…)


今自分の後ろにいるのは、可愛い後輩には違いないが紫原ではない。
その紫原ではない誰か(今は劉だ)が、こんな風に後ろから抱きついてくること自体おかしい。


福井が何かはっと気づいたように振り向こうとするのを許さず、劉は彼を抱きしめる力を強くする。
腕の中では未だ整理のつかない頭でえ?え?と疑問符を浮かべている福井が力の篭らない両手で抵抗を繰り返す。


「紫原耐性アル…。いやーバスケ部皆紫原バカばっかで助かったアル。」


「んなっ!!!」


「一応これで合意の上アル!」


「なっ、っ、っっっ///」


今度こそ少し力を入れ劉から逃れようとする福井の耳元で、耳蓋に息を吹きかけるように彼の名を呼ぶと、彼の身が一瞬びくっと跳ねる。
その反応に一瞬怖がらせてしまったかと思ったが、密着した体から伝わるその震えに意外にも怯えはなくて。
こちらを向かせると、福井の顔全体を支配する赤みと、恥じらいに竦んで震える彼の姿が劉の目の前にある。
先ほど彼の口内を貪ったとき同様、据え膳とはまさにこのこと。


「福井、」


もう一度名を呼ぶと、弾かれたように見上げてくる一つ年上の、だが幼顔。


目を見開いて潤ませて、顔を耳を真っ赤にして。








何も言葉を紡がないけれど、薄く開かれた唇を肯定と受け取った。


end.

まさかの劉福!!!初めて書いたのに、いきなりキスされるR18(しかも初ってこのもどかしいドキドキ感)匂わせて終わる。
ノン気じゃない人の話を書いてみたかったんです。
福井さん可愛い。劉ちん可愛い。
陽泉は皆むっくんクラスタ。室ちんも劉ちんも岡村さんも福井さんも雅子ちんも基本紫原愛のバスケ部。


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