NOVEL | ナノ

 12月1日の赤司征十郎へ

結局赤司が家に帰り着いたのは、日を跨ぎもう12月1日となった深夜のことだった。
紫原と二人で暮らすこのマンションは、気密性が高く夏は暑いのだけれどその代わり冬はとても暖かい。外気に晒され体温を奪われた肌を、真冬とはいえ不思議なほど生温さを保った部屋の空気が包み込む。

(…敦が、良い…、)

本当は。…都合の良い頭でそう思った。
彼が良い、彼に暖められたい。彼に包み込んでもらって、すりすりと頭に頬を寄せてもらって、…こちらからも抱きついて返したらきっと、"赤ちん積極的〜"とか何とか。
そうして二人溶け合って微睡んで、眠って、起きて。
寝坊しちゃったねと笑い合いたい。

玄関のライトを手探りでつけ、ブーツを脱ぐ。心逸り紐も緩めず脱ごうとしたら返って時間がかかってしまい、どうにか脱げたそれを三和土に放り出して赤司は部屋へとなだれ込む。
家庭用充電型のそれより置き忘れたポータブルの充電器を先に見つけ、スマートフォンに繋いだところで初めて、ダイニングテーブルの上の大きな箱に赤司は気付いた。

(…?)

朝家を出たときはなかったはずだ。
中々の大きさの箱だから、あれば必ず心当たりがあるのだけれど。
怪訝に思いまずは外観を注視する…何分赤司家の跡取り息子、出自はこの上なく良いときている。もしかしたら時限爆弾…はさすがに荒唐無稽かもしれないが、例えば開けた瞬間催眠ガスが噴出するなどは無きにしも非ずだ。

見たところ、縦×横30 cm×20 cm、奥行き10 cm程度のワインレッド色の箱だった。よく見ると引き出しがついていて、1〜20の番号が振ってある。どうやらその数字は元々のものではないようで、後で数字のシールを貼ったのだろう、その順番も位置もランダムだった(加えて、貼り方も雑ではないのだろうが相当に不慣れで不器用な者がやったのだろうと察しがついた)。

「…」

(とりあえず、何か仕込まれては…いないようだが)

そうするには、引き出しなどあまりにもあからさますぎる。

ただ妙な既視感を覚え、赤司は必死に記憶を辿る。
紫原に早く連絡をという当初の目的は頭を離れていないが、少しの間だけ。良く働かない頭脳を叱咤し回転させ、何とか記憶の中からそれを引っ張り出した。
…確かに、良く似たものを目にした覚えがある…

アドベントカレンダー

瞬間、赤司の脳裏にあるイメージが浮かぶ。
クリスマスの前、子供たちが一日一つずつ箱を開ける、引き出しを開ける。するとその中にはお菓子が入っていて、それを毎日一つずつ食べながらクリスマスまでの期間をわくわくしながら過ごしていく…部屋に置き去りにされていた箱はそれに極めて酷似していた。
一つだけ異なっていたのは、その日付―――で果たしていいのだろうか、赤司にはそれ以外の選択肢が思いつかないのだが―――が20までしかないこと。
そして今一つ釈然としないのは、赤司にはその箱に心当たりもなければ、何かを楽しみにする、わくわくする、といった心持ちには全くならないという点にある。
今はただ、敦に逢いたい。その思いだけでいっぱいであったから…、

しばしの逡巡の後、赤司はある結論へ行き当たる。
部屋の鍵を持っているのは、自分と紫原、そして万一の場合に備えてきょうだいのうち紫原と一番仲のいい彼の長兄の三人だけだ。お兄さんが訪ねてくるという話は聞いていないし、だとしてもメモのようなものを残してくれても良いはずである…と、そこまで考え、赤司は弾かれるようにして前の箱を、そして机の上のメモパッドを見た。そこには、何も書かれてはいなかった。だが、薄っすら筆跡が残っている…

赤司はそれを三度指で愛おしそうになぞり、一番近くのゴミ箱から紙を浚った。
くしゃくしゃに丸めたそれは紫原が捨てた証拠だ。赤司にはその癖はない。きれいに折りたたむか、個人情報の混じる場合はシュレッダーにかける。彼が出て行ってから丸一週間、燃えるごみの日は二回あった。無論忘れることなく出したのだから、これは今一番新しい、彼から自分へのメッセージ。
そして、照れ屋の彼が結局は伝えることの出来なかったものだ。

『赤ちん、ごめん、コレ、毎朝』

『ごめんね、赤ちん。ロ』

『赤ちんへ。お帰りー。コレ毎日明け』

『お帰りなさい。赤ちん、一つずつ毎日コレ開けて、中のお菓子開』

くしゃくしゃに丸まったメモ書きは、どれも途中で止まっていた。文面の途中で漢字を間違ったり、文章を変えようとして必死で何度も書き直したのだろう。決して美しいとは言えない、だが独特の雰囲気のある懐かしい彼の筆跡で、丁寧に丁寧に書いてある。

赤司は改めて箱の傍をよく見る。するとそこには、先程は気付かなかったがメモが一枚挟まっていた。引き出しみると、「赤ちんへ」とある。
恐らく、『お帰りなさい、赤ちん。コレ、毎日一つずつ開けてね。』書き損じや推敲を経た結果として、「赤ちんへ」とだけしか残すことが出来なかった紫原の姿を想像すると胸がきゅううと締め付けられる。
赤司は箱を抱きその場へとへたり込んだ。
重さも大きさも、赤司の体格からすればそれほどのものでもなかったはずだ。だが、予想以上にずしりとくる質量と抱え込んだ腕に感じた余るほどの体積が、きっとこれが紫原からの想いなのだと思わせてくれた。
抱えきれずに、一度は手放してしまった大きさ。
そして今再び、手放しそうになっていた、もう少しで失いかけていた暖かさ。
もう二度と、離すものかと深く深く誓う。

「赤ちん」

何度となく聞き慣れた名前。幾度となく画面に表示された、たったの三文字。
だが、実際その名が彼の字で書かれるのを見るのはこれで何度目なのだろう。もしかしたら、両手に余る回数しかないのかもしれない。
あの筆圧の薄い丸みを帯びた文字で綴られる「自分」は、こんなにも柔らかく映るのだと思うと、不思議と胸が熱くなり無意識に頬が熱を持つ。それは同時に日頃彼から見た自分の姿の具現の様で、恥ずかしいようなむず痒い感情がさざ波のように押し寄せた。
熱くなった目頭を耐え切れず擦ると、赤司は二十の箱の中から1の数字を探した。

1の引き出しは左上の分かり易い位置にあった。
開けると、中から手作りのクッキーが三枚、可愛らしいラッピングをされて入れてある…そしてその横に便箋が一枚、きれいに折りたたまれていた。
震える手でそれを開け、赤司は手の甲で二度涙を拭った。

「赤ちんへ。おはよう。…ん、朝開けてくれたかとかわかんねーけど〜…おはよ。今日も一日元気にね。」

赤司への恨みごとでもなく出て行ったことへの言い分でもなく、そこにあったのはごく日常の一言だ。紫原がもし共にいてくれたら、自分へとかけてくれたはずの何気ない一言。
それが油断していた心にじわっと沁み込んで、せっかく擦って抑えた涙が一筋頬を伝う。
一度箍が外れてしまえば、後はダムが決壊したよう、なし崩しに涙が次から次から溢れ出した。

愈々ぼーっとしてきた頭で、指先は2の数字を求めていた。
視覚も、理性も感情も、全てがその結論を求めるのだから仕方ない。アドベントカレンダーは一日一つを開けるものという意識はどこかには残っていたのだろうけれど、今の赤司の中でその選択肢はavailableなものではなかった。

2の引き出し。12月2日の赤司征十郎へ。

「赤ちん、お帰り〜(月曜日は朝早い日だったでしょ?もしかして朝開けちゃった???)お疲れさま。早くおこたつけて、暖まりなよ?」

続いて3の引き出しを。12月3日の赤司征十郎へ。

「多分寒くなってきただろうから〜さ、温かくしてね。あ、こたつの中で寝ちゃだめだよ?風邪引いちゃうって、いっつも言うのに赤ちん寝ちゃうんだから〜!」

12月4日の、12月5日、の・・・

一つ、一つ、…引き出しを開けるたび新しく懐かしい紫原がそこにいる。
今は空気にしか触れていない頬に、肩に背に、大きく逞しい温もりを感じた。ごつごつした指先の、筋肉のついた引き締まった体の感覚、体温さえ錯覚するほどに紫原を求めていた。だが、その温もりは現実世界にはない。どれほど思いどれほど錯覚しても、今赤司の横に紫原はいない。この身を抱きしめてはくれない。

心ばかりが先をと急くので、赤司は半ば乱暴に引き出しを開け中の便箋を探した。
その度に共に零れ落ちるキャンディーや色とりどりのラッピングを施されたチョコレートが蛍光灯の光を反射してキラキラ光る。
こればかりは市販のもののようだったが、稀に混じるクッキーやメレンゲは間違いなく紫原の手製のもので、製菓学校に通い始めて一年、見習いとして一ヶ月、パティスリーで働き始めて九か月となる彼の手練を感じさせる見事なものだ。
16日を過ぎてようやく少し落ち着いた赤司の目に、ようやくチョコチップのクッキーが認識される。

「…ぁつし、」

大麦やオーツ麦を使ったそれは、焼菓子の中では彼の最も自慢の逸品だ。思わず呟いて、手に取った一枚を口に持っていってしまうと、もう駄目だった。
一筋二筋なんていうきれいなものではない、下瞼に溜まっては溢れ溢れてはまた溜まるそれを伝わらせる頬はもう涙でぐしゃぐしゃになった。嗚咽が零れそうで必死で引き結んだ口元は歪んで、それでも何とか保っていたのにもう無理だった。
穀物をふんだんに使ったざくざくとした食感の生地を噛みしめているうち、抑えることの出来なかった感情のまま喘ぐように咽び泣いていた。

「んっ、んぅ、…」

紫原得意の配合だ。ブランの素朴な甘さが赤司の口に沿い、何度となく焼いてもらった。
噛み締めるたびふわっと薫る穀物の香り、次第に溶け出してくるチョコの甘さが紫原を余計に想わせる。
何とか必死に飲み込んで、もう何mLもの涙で潤んだ目を擦る。ぼやけた視界は中々世界を映してくれない。
しかし赤司の指先は、それ自身が目の働きをするようかのに意思をもった何かのように、残りの5日分の箱を求めていた。

12月17日
「お帰りなさい、赤ちん。今日は、ごめんなさいを言うね。
今まで、酷いことをいっぱいしてきてごめんなさい。

何度も何度も、赤ちんに辛く当たってきた。本当、最低だと思う。最悪。ごめんなさい。
あの日のことも、俺は一生忘れることはないと思う。俺、あのときの俺、訳も分からないで赤ちんに反抗して、あんなことになった。」

あの日のこと、あんなこと。
伏せる意図はなかったのだろう。彼の中であの日のことは恐らく未だに、"あんなこと"なのだろうと思った。
あの日の彼は、彼自身の言うようにちょっとした、何かの拍子で赤司征十郎を力のまま捻じ伏せてみたかっただけ。…あるいは、我が儘を言ってみたかっただけ。
それは反抗期に類するものだ、と赤司の一部である(と本人は言う)、征はいつか言っていた。
…ほんの少しの反抗心それが予期せぬ結果を招いてしまった。そのことに対し紫原が抱え込んだ狂わんばかりの後悔の念は、赤司にも、そして今は再び潜ってしまって久しい彼の中の"征"という人格にも、痛いほど伝わっていた。

未だぼーっとした頭で確かに思う。
ごめんと謝って止まない彼に、卑下しないでと伝えたい。
通らなくてよかった道を通ったことも確かにあった。紫原の言うところ彼のせい、紫原のせいで思わぬ落とし穴にも嵌った、真っ暗闇の中手探りで歩いて、回り道をしなければならなかったこともなかったと言えば嘘になる。
だが、それだけではない。
赤司征十郎という名から目を背け現実から身を引いて、征の庇護下で沈み浮かびを繰り返しながら、いつの頃からか"赤司征十郎"という名を背負うことに疲れすり減っていた心は次第に癒され、回復していった。
何より、もうそろそろ良いだろうと征の言葉に導かれ、意識の深淵から水面(みなも)に浮かびあがったとき、"赤ちん、"と切なく優しい声で懐かしい名で赤司を呼んで、温い羊水の中から引き揚げてくれたのは間違いなく紫原その人だ。
紡がれる"ごめんなさい"を全てそのまま受け入れて良いほど、彼の罪は重くない。

「考えて思い返してみたら、もう数えきれないほどのごめんなさいがあったよ。今の状況だってそうだし。ごめんね、赤ちん。帰ったら、ちゃんと、言うね。

今更許されるとは思ってない。これからの時間で、十分に贖えるかも分からない。でも、言えるだけ、書けるだけ、謝らせて。ごめんね。
出来るだけ努力はするよ、でも、これから先も、"ごめんなさい"って言わなきゃいけない日がきっとくると思う。でも、でも、これだけは約束させてください。
これからは、赤ちんを泣かせるようなことだけはしない。

俺が精一杯、赤ちんを守る。」

(だから、泣かないで…)

今ここに紫原がいるような感覚、錯覚。空想の知覚をそのままに、彼のような手つきで涙を拭う。
18の数字を探す手に、力強さと温かさが添えられる。

(…?)

「でもばっかでごめん…。」

便箋の一番下の行の追記に、赤司は思わず笑っていた。細められた目元に、滲む程度にしか残っていなかった涙がつつと落ちる。
最後の露は頬を伝いきることはなく、途中で止まって渇いていった。






12月18日
「おはよう赤ちん。今日は、ありがとうを言わせて。
今まで、これまで、酷いことばっかしてきたよね、俺。…そんなどうしようもない俺だったけど、ずっと見捨てずに、傍にいてくれて、ありがとう。
ごめんなさいよりいっぱい、ありがとうの数があるよ。大きさもすごく大きいよ。」

そんなことは、赤司とて同じ。

「でもね、不思議なんだ、赤ちん。
赤ちんへのありがとう、って、いっぱいあるはずなのに、今一つも浮かんでこない。だから、多分、そういうことなんだって、思う。

赤ちんへのありがとうは毎日毎日感じてるんだ。でもきっと、それで伝えることを忘れちゃう。例えば、おはようって言ってくれて、ありがとうって、俺のお隣で寝て起きて、幸せそうに体丸めたまま伸びなんかしてくれちゃって、ありがとうって、俺の傍で安心してくれてありがとうって。この前の俺の誕生日、忙しかったのに、朝からずっと、一緒にいてくれてありがとうって、赤ちんの手作りごはんと手作りケーキ、死にそうなくらい嬉しかった…って、あ、これは言ったっけ、ありがとう。

うん、だから、さ、そんな大きいこともだけど、さ、小さいことも。ありがとうなんだって、思えるんだ。

一番最近のありがとうはさ、今日、夢に出て来てくれてありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった。」

十数分拮抗が続いている、涙との格闘技がまた始まりそうで首を必死に振るのだけれど、どうにも勝てる気がしない。
いつか弱く儚い"人"として落ち着いた征十郎は、涙にすら敵わないことが増えた。何物にも依存せず何者にも負けずただただ薄氷の上にある頂点だけを歩んでいた頃に比べれば格段と弱くなった。
だがそれはこの我が身、脆くなった訳では決してない。

己(おの)が弱さを知って、また強くもなった。
負けて初めて知った強さもある。
矜持もその鋭さをいっそう増し、普段はどこか柔らかくなったけれど試合の際の切っ先の鋭さは以前にも増して凶暴だと評されるようにもなった(ラフプレーの一つも仕掛けていないのに、凶暴だとは失礼な)。
…ただし、こと日常生活に置いては、最終的にいつも紫原が勝つ。
二日続いた下段の追記は、一度渇いた涙壺を再び溢れさせるのには十分だった。

「でも、やっぱりほんとの赤ちんに早く会いたいなー…なんて。ハズいし。
…でも、あいたいよ。」





12月19日
次々と開けた引出は抜きだしたままにしてあるから、必然的にもうマスは二つしかない。
その一方を真ん中右下に捉えながら、赤司は最終日からひとつ前のボックスを引いた。
もう、カレンダーを探す手に迷いもなければ躊躇もなかった。

「赤ちん、今日は大事なお話があります。」

思わず、身構える。

「俺は、この前喧嘩して、出て行ってから今日まで、赤ちんのことばかり考えていました。
いつものようにLINEを開いて、メールを開いて、赤ちんにメッセージを送りたくなりました。でも、やめました。やめて、ゆっくり考えることにしました。

俺は、赤ちんが、好きです。」

望んでも望んでも、彼に触れ得ることの出来なかったこの一週間が赤司の脳裏に浮かぶ。
その間、彼は赤司に怒りそして赤司のことを放り出したのだとばかり思っていた。しばらく放っておけばそのうち赤司が紫原の感じた寂しさに気付くかと、そのときを待って。
…もしかしたら、単純に付き合っていられないと思ったのかもしれない、分からず屋の自分などには愛想を付かせ、他の誰かとせわしくLINEでもしているのかもしれない、などとは、実際欠片も思わなかった。
今思えば大した余裕だと言うより他ないが。それほどに赤司は紫原という男を知っているつもりで、また彼との繋がりが強固なものであると自覚していた。

だがしかし、この切り口は想定していない。文字通り距離を置き、精神的距離をぶち切って繋がりをもたせてくれるウェブツールすら全て排除した上で考えた内容が、赤司のことを好きだという告白であるなどと。

もう何度となく彼の口から聞いた言葉だ、画面に映る一文も何度となくこの目にしてきた。
だが今こうして精神的にも紫原が不在の状況では、その文字列が何と空虚に映ることか。
いたたまれずついその文字に唇を寄せて離すが、冬の空気に乾燥した唇では紙を湿らせることもなく、リップ音一つ響かない。
上質紙のさらりとした感触を何度も確かめてから紙を離すが、惜しく、至近距離で続きを探した。

「好きなんだ、大好きなんだよ。愛してるっていうのはちょっと恥ずかしいけど、大丈夫、赤ちんになら俺言えるし。
きっと、世界中の好きを足して二で割ったくらい、好き。それくらい、大好きなんです。」

世界と紫原は言う。
色々な人の、色々な愛の形がきっとそこにはあって、とても一つ一つは比べられるようなものではないと思う、けれど彼はそれを足そうと言った。
重み付き配点ではないから結局のところ対比は出来ない、平均値だって算出できない。だが足してしまえば全体で一つの事象とみなせるのだろう。では、二つで割る意味は何か。
赤司の疑問をまるで想定していたように、そこには続きが書いてある。

「…もう半分は、俺がもらうの。もう半分が、赤ちんからの、好き、だったら、俺は嬉しい」





(不意打ちだ…)

紫原はいつもこうだ。
いつだって、のびやかに育った身長と同じように、赤司の遥か上を行く。赤司が考えもしなかったことをさらりと言い、戸惑わせて仕方がない。
…その戸惑いすら、いつしか心地良くなって、甘えきっていたのも事実だ。
安穏の湯船に浸かっていた自分だから、きっとあんなことが言えたのだし、口をついて出たのだろう。

「敦は俺に構い過ぎだ。少しは放っておいてくれ、そうでないと息が詰まって仕方がない!」

「四六時中俺を縛ろうとするな。一人で歩んでいたい時もあるんだ!…これじゃ、」

「まるでストーカーみたいじゃないか…!」

紫原が出て行く前の、自分の最後の言葉。
彼に「出てくし」と言わしめた、引き金となった言葉だ。

今まで一週間ずっと忘れていた…精確には考えないように目を背け続けた表情をそのときの紫原の悲痛な面持ちを、今なら精査に思い出せる。
目の前の現実に絶望したような、その先の未来が全く見えなくなったような。
まるでいつかの自身の面持ちを再現したかのようだった。
紫原に突き放され、"赤司征十郎"の足元を脅かされ、彼の行為で引き金を引かれたあのとき、

(きっと俺も、あんな顔をしていたのだろう)

それからしばらくの間、まだ弱く脆かった自分は自身に縋り、征の陰に逃げ隠れ、襲い来る恐怖をやり過ごそうとした。
だが、紫原は違った。突き放され絶望しても、赤司を愛することを止めなかった。

何と芯の強い男だろうと思う。





その昔は、彼もまた、年相応には弱かったはずだ。

(だから〜、明日からもちゃんと来ればいいんでしょ練習〜)

練習には参加したくないと言い放ち、一度は赤司に牙をむいて立ちはだかってまでした主張をあっさりと手放そうとするすような幼さがあった。
あの頃は互いに子どもで、未成熟で、互いを傷つけてもそれを触れあい舐めあうことでしか修復する術をもたなかった。だから舐めるだけではどうにもならないほどの深い切り傷を負わせたとき、どうすることもできずにただ流れる血から手をひっこめ、全力で見ないふりをするしか出来なかった。
その傷は未だ赤司の心にぱっくりと傷口を開いたままで固まっている。
今共に歩み触れあいながら生きる内々で、紫原は慈しむような手つきで赤司の傷に膏薬を塗ってくれるが、一生癒えることのないだろうことは紫原にも赤司にも分かっている。
その癒えることのない傷口は、紫原が触れる度彼の心にもまた小さい切り傷を残した。傷に触れるたび、小さく、けれど確実に彼も傷ついていった。
だが、そうと分かっていながら、それでも赤司を癒そうとすることを紫原は止めなかった。
反復し、毎日心をそうっと傷つけていく紫原の姿から、赤司はいつの頃からかそこはかとない強さを感じ取るようになっていた。
アドベントカレンダーから、想い綴られた便箋から感じ取ったそれは、その強さに相違ない。

今この瞬間、その強さを至上に、大きくそして近くに感じている。

別離の三年を経て再びの邂逅から数年が経つ中で、紫原は一度も赤司征十郎という人間を諦めなかった。折に不安定になる弱さも、冷徹さも暖かさも全て赤司を形作ってきた要素として大事に抱え込み受け入れた。
そして今に至っても、彼の体を以てさえ到底追いつかないほど大きく、絶体的な愛情で、赤司を許そうとしている。
こんなにも面倒くさくてこんなにも厄介で、口を開けば可愛げのない自分を包み込んでしまおうとしている。

甘さを見せるのに人を選ぶのが悪い癖だけれど、甘くて柔らかくて、本当は誰からも好かれるはずの大福みたいな彼であるのに、

「このままぐだぐだ書いちゃうと、逃げてそのままで終わっちゃいそうだから…言うね?

赤ちん、愛してるよ。

世界中で一番大好きだよ。

これからもずっと、俺と一緒にいてください。

ずっとずっとずっと、一緒にいてください。



結婚しよう。」

それをわざわざ好みの二分する苺大福になってまで、赤司を愛してやまない和菓子。

当然の如アドベントカレンダーは海の外の文化のものだから、和菓子は入っていなかった。
12月19日の抽斗に潜まされていたそれは、彼の色、淡い菫色に着色されたホワイトチョコレート。
それを口にする前から赤司には分かっていた。

菫色のボールひとつの中には、フリーズドライのいちごがひとつ忍ばされているのだ。





『結婚しよう』

赤司はしばらく抽斗を引く手を止め、その言葉を抱いて推敲する。

自分は、この申し出を受けても良いものだろうか。

結婚という言葉にその二文字に何も感じるものがないないわけではない。
けれど、今は何も考えられない、判断できないのだ。
ましてやその甘くまばゆい睦言を紡いだはずの彼の姿は今ここになく、思考も決断も赤司一人に任されてしまっている。きっと、紡いで尚ふぅわりと笑ったことだろう、幼い柔らかさを残す笑顔は傍にない。
今の赤司は支えもなく、心置くことないパートナーもいなくなった猫の子だ。食料にと二十個の菓子と共に、既に満身創痍の状態で箱に入れ捨てられたようなもの。
救いの手がいくら伸ばされたところで、赤司にはその手に触れる気力もない勇気もない。孤高に一人立っていたあの頃とは違う、雨風に晒されて、憔悴した上汚らしく汚らわしく思える毛並みの自分。

こんな自分が、彼の手を取って良いはずも、

辛抱堪らなくなって、残りの20の抽斗が入ったままのそれを赤司は壁へと投げつけた。冷えて思うように動かなくなった手から離れた直方体は、思った軌道からは少し逸れ冷蔵庫に当たる。

「…」

よろよろと、起き抜けの未だ覚醒していない状態の頭で再び赤司は箱に近づいた。頑丈な作りは壊れるどころか少しの凹みすら作らなかった。まだ抽斗も入ったままだ。
躊躇いを隠さず、ドアノブの静電気を恐れるように恐々とそれに触れた。
紙の箱からバチッとしたあの刺激を感じることはないけれど、触れた瞬間指先が痺れる。甘く痺れ、力が中々入らないのを叱咤してようやく開けた箱の中。入っていたのは透明のフィルムに包まれた、一粒の飴玉だった。
今までずっと、飴やチョコなら二、三粒、クッキーなら三、四枚が入っていたカレンダー。
恐らく最終日である日付の菓子は、食紅であるいは天然色素で着色された、たった一ひとつの丸い飴玉。

(赤ちん、)

器用に赤と紫、そして黄金色の混じったそれは、赤司の全てを受け入れるよという、彼の決意の表れだった。

「ただいま」

便箋に書かれたたった四文字を目にするや。
赤司は即座に自身のスマートフォンを手に取った。

通話など数える相手としかしたことのない自分、当然履歴の上に残るのは恋しい彼の名で、響くのは今や懐かしい彼の言葉だ。いや、具体的な単語ではなく、精確に言うならば彼の声だ。軽い口調を、だが軽薄だとは思わせない、落ち着いて響く低めのテノール。
今はもう、彼の声を聞きたいと、それだけに突き動かされ赤司は画面をタップした。

思えば、至極簡単なことだった。

一日、二日のインターバル、高地で息を大きく吸い込むように自由を謳歌したその後で、帰るタイミング、謝るタイミングを見失ったままの意地っ張りな恋人へ、赤司の方から連絡を取れば良かったのだ。
その頃にはすっかり頭も冷えていたことだろう、さすがに「ごめん、」の一言でとは言わないが、真摯に謝り続ければ紫原はすぐに帰って来てくれたのかもしれない。こんな風に、何日も捨て猫のような精神でこの部屋に打ち捨てられていずに済んだはずだ。
こんな風に、電話越しに震えずに、





「…怒るなよ?」

言葉とは裏腹に、赤司の声は震えている。通話の先、どこにいるか分からないが恐らく都内だろう。
繋がってから数秒、未だ紫原は無言のまま。だが確かにこの瞬間、赤司と彼は繋がっている。
何kmか越しに感じる彼の息遣いが、今は酷く恋しく響いて仕方ない。

「…怒る、なよ…」

段々と語尾が小さくなる。自分の声から自信がなくなっていくのが手に取るようにわかる。
しかし、抑える気など毛頭ない。
偽らなくて良い。隠さなくて良い。
ありのままの自分で在ればいい、心のまま伝えればいい。

「ごめん…」

ぁつし、敦、敦。

彼に愛されたことは、どれほどに幸福なことであったか。

…腹を立てたのは赤司の方だけれど、一人の時間を束縛されぬ時を過ごさせてくれと訴えたのは自分なのだけれど。
それでも、久々にやってきた孤独の夜に、心の奥底に言い知れぬ冷たさを感じた。

当然の如く傍に在ることの出来た中学の頃を過ぎ進学先を異にしてからは、数少ない会える機会の中で二秒一秒、瞬きの息継ぎのその一瞬でさえ惜しかった。会えない時間よりも、とにかく二人物理的に隔たれてしまったその距離が何より寂しかった。だからこそ、せめて時間だけはと惜しまず会えばもっと、もっとと共に過ごす時間を求めたものなのに。
…大学生となり再び東京に生活の拠点を同じくし、同棲を始めてから、いつかその頃の寂しさを忘れてしまっていた。
これには赤司の方に非がある。紫原はいつでも、彼に今の生活に飽くことなく赤司を求め大切に扱ってくれていたというのに。愛しい、離すことの出来ない存在として愛情表現を見せてくれていたというのに。
それをないがしろにして、都合の良い、心地よい程度の"ひとり"を欲したのは自分だ。
底冷えのする孤独を知らなかった訳でもあるまい。我が身一人離れの自室の真ん中で膝を抱えていた頃は、身体刺し心刺す凍てつきもがらんとした室内に響く家鳴りの音も全て全て知っていた。けれど、もうそんな独りの夜のことは忘れてしまった。
いつの間にだろう、きっと、紫原という男にどろどろに溶かされて。
とうに孤独を貪れない体になっていたことに愕然とする気持ちの裏側で、不思議と心地良ささえ感じている。

暖まる準備はもう出来た。今想うのは早く紫原と共に居たいとだけ。
彼のこころと自分のこころがくっついたら、きっと化学反応が起きて発熱する。彼がその熱を逃さぬように抱きしめてくれて、自分はその温もりを保持しよう。
君からもらった暖かさを絶やさぬように、卵のように大事に大事に抱えるのだ。

「帰ってきて、くれないか…?」

お前の顔が見たい。声が聞きたい。
その手に触れたい、触れられて眠りたい。

彼の名を呼ぼうと思った。
姓は紫原、名を敦という。
赤司が一生の恋をしたのは、いつでもその長躯を難なく傾け頬を寄せ、嬉しそうに笑う男だ。

「あつ、『赤ちん、』」

スマートフォンの繋ぐ先、微弱な電波が結んだ向こうから小さな声が赤司を遮る。
数日振りの彼の声だ、そう思うと思考が止まる。ましてや自身の呼びかけが途切れたことなど箸にもかからない。
目は潤み口内は湿り気を増し心臓はどきりと弾んだ。呼吸は浅く速くなり、脈拍もまたそれを追う。寒さから身を守るため本当は閉じていなければいけない汗腺が開き、冷や汗とも脂汗ともつかない汗が出る。
全て精神的不安からくる生理現象だと思った。思ったところで抑える術のないそれは、ややもすれば持て余すもパニックを起こすほどではない。今はただ浅い息遣いが、受話器越しに漏れないかだけを心に留めて。

「…俺も、ごめんね…」

余りに小さい声だから、抑揚から意を悟ることは難しい。それでも、赤司の耳は繊細なそれを確かに拾った。

(俺も会えなくて、寂しかったし、…赤ちん一人置いてくとか、…ごめん)





もちろん、紫原とて張った虚勢の半分以上は嘘だ。

既に一週間が経過していたが、出て行った次の日でさえ既に心折れそうになり帰路へ着こうとしたか知れない。
深夜の口論、自分のことをストーカーとまで言い罵った赤司に憤りを感じたのは事実だ。しかし家を飛び出した時点で怒りの気持ちなどあっという間に消えてしまって、後に残ったのは奥底に澱溜まった苦々しさだけだ。後味は頗る悪い。
苦味の主成分は時に発作のように駄々を捏ねだす自身の執着でありそれへの失望。そこに今は、家に帰りつくなり辛辣な目で睨まれ喧嘩をふっかけられ、ろくに暖すらとれていない赤司を一人取り残してしまったことへの後悔が添加されている。そういえばあの日は朝から論文のチェックで忙しいと言っていた、疲れていただろうに(それは帰宅した彼を一目見れば分かった。いつでも身形正しくパリッとした印象の居姿が、着古されたワイシャツのようによれよれとしていた)、それが帰り着いてのあの仕打ちだ。加えて寒がりの身には相当堪えたのではないだろうか。

「ねぇ、俺のことバカにしてんの?一日中放置プレイとかありえないんですけど?」

「LINE見てくんないしメールも返してくれないってどういうこと?どっかで倒れてるんじゃないかとか連れ去られてるんじゃないかとか。俺マジで心配だったんだけど?…どーでもいーと思ってんの?」

赤司は口結び黙っていた。その少しの気まずさの浮かんだ表情に、どこか幼子を嗜める素振りを感じ取って無性に悲しくなった。「どうしてそういうことを言うんだ?」そう責められているような心持ちになったのだ。
…もちろん、それは紫原の一方的な思い込みだ。赤司にしてみれば、言いがかり以外の何物でもなかったことだろう。
疲労をおして何とか反駁してくれたから良いものの、あのまま赤司が黙っていればきっともっと酷いことを言っていたかもしれないのだ。考えただけで背筋がぞわり泡立った。
この残酷な気持ちが鎮まるまで、と、数日の間帰ることもコンタクトを取る勇気も起きなかった。

結果帰るタイミングも謝る術も見事見失った紫原が選択出来たのは、密やかにメッセージを残すことだけだった。





スマートフォン越し、会えずにいた期間中抱いていた気持ちを想い出せば思い出すほどに、紫原は口籠った。体つきに見合った頑丈さのあるはずの声帯が脆くも震える。役に立たない声の代わりに耳はよく音を拾うので、赤司の呼吸に耳を欹てた。

「…」

先程から、やけに逸っている呼吸音に急に不安が襲ってくる。

(赤ちん?)

声をかけようとするが、言えば震えた声が出そうでとどまった。
何も発さない紫原に対して赤司の呼吸は早くなり、やがてそこに嗚咽が混じるようになった。それが喘息か何かの発作(彼は喘息もちではなかったはずだ)でなければ、彼はとうに泣き濡れ崩れ落ちていることだろう。
…彼が声を上げるのは、涙を以てすら表しきれなかった感情が閾値を越えたときだから。

涙を堪え、耐え切れずに尚嗚咽を漏らすまいとする姿に、美しい人だ、と。こんなときでも思ってしまう。群を抜いた彼の気高さはときに危うさを孕むけれど、秀麗で絶世の美しさを持っている。今も昔もそれは同じだ。
だからこそ、紫原は誓った。この美しさを崩そうと。
こんな人間離れした美しさを、誰かに頼ることに不慣れで手を延ばすことすら出来ず、一人で歩むことしか知らなかった彼が身に纏っていいはずがない。孤高の気高さ、そんなものがなくたって、彼は十分美しい。

彼がその身に纏うべきは、他者の温もりと愛情であるべきだ。

「赤ちん…?」

震えながら、紫原がようやく出せた声に呼応するように赤司は何度も敦と名を呼んだ。

「あつし、敦、あつし、」

時折混じる嗚咽にもう何度目か、胸が締め付けられる。
彼が得るべき温もりは、最も傍に在るべき体温は今ここにある。従って彼の元にはそれがない。馬鹿なことをしたと働かない頭で紫原は何度も何度も繰り返した。
お願い、戻ってきて、と涙混じりに訴える赤司の声は鋭く紫原の胸を刺す。ガラスの切っ先を持ったそれは、だが深々と刺さった瞬間霧の如くに消え去った。

底に淀んだ澱もまた、不思議と共に消えていた。





「…敦、が、」

「う、ん、?」

「いけないっ、だ、」

(はい?)

善でなく悪でもなく、リセットされたばかりの清い心に唐突に入り込んだ否定の言葉にしばし止まる。

「え?…うん、え?」

未だ清らの心では愛も憎も感じるでもなく単純に浮かぶ疑問符は赤司に届いているだろうか。
浅く弱い声音で時折しゃくりあげながら、必死で伝えようとしてくれている恋人を急かすことすら出来ず紫原は待った。抱え込んだ赤司のフラストレーション、日頃溜まった不平不満全て受け止めようと思う。今ならできる、そのつもりだ。

「赤ち、『あつしがっ、』」

遮られて尚、苦く思うこともない。

「敦が、帰って、来ないから…」

「うん…」

「おかえり、って、言った、、、に、」

しばらく聞き役に徹そうと目を閉じていた紫原は、その言葉に一秒置いて目を見開く。
かみ合わない会話というのはいつどんな状況においても生じるものだが、さて、これは。
しばし逡巡の後、紫原の脳裏につい先日の記憶が戻ってくる。
字を書き間違え漢字を間違え、誤字脱字の度に紙を替えた。めくっては丸め書いては丸め、生憎練磨とはなれなかったにしろ百戦はこなしたと分かる便箋(精確にはくしゃり丸まった紙の球)に、万感の想い込め綴ったそれ、だ・・・

「赤ちん、それ…!…え、えっ?何???ちょ、赤ちん、もしかして最後まで全部開けちゃったの???」

さすがに紫原にもこの展開は予想外だ。
聡い赤司のことだから、込められたアドベントの意味すぐ悟り一日一つを開けてくれるとばかり思ったのだけれど。
…いや、意味は精緻に把握してくれたのかもしれない、紫原は思った。
だとしたら、それは、彼がそれほど自分を恋しんでいたからに他ならない。

「ばかっ、ぉ、、、かえりって、言った、に、」

「赤ち、『かえるって!!!』」

二度目。何も感じなかった一度目、今度は不安の影がつく。

赤司にも当然、2日から今握りしめている便箋の在った20日までの抽斗は全て、その日が来るまで開けてはいけないとはものだとは分かっていた。初め2の抽斗を引いたとき、どこかに罪悪感が、背徳感めいた何かがあった。
けれど、堪えられなかったのだ。会いたいと希った気持ちは実らず、だが確かに彼と繋げてくれるものがそこにあったから。

(もしこれを最後まで開けたら、敦は帰って来てくれる…)

このマスを開けたら、この箱を開けたら…それだけ早く、彼が帰って来てくれるような気がした。
1から20の意味も薄ら、そして確かに気付いていた。
それを全て開けたとき、その日が来る。

そしてそれは、クリスマスではなくて、

「赤ちん…」

隔てた空間をものともせずに伝えてくる紫原の優しい声が、11月第四週から固まったままの赤司の心を溶かす。
解ける赤司の心の傍で、紫原もまた、伝えきれなかった赤司への想いを噛みしめていた。

「赤ちん、帰る…俺、今すぐ、帰る…!!!」

待ってて!言おうとして閊え、「待てて」になった。
それほどだ、今は、早く、速くと心が急く、体中から湧き上がる。
赤司に会わなければ。会って、伝えなければ。

…いや待てよ?…二週間以上早いんじゃあ…、早い分には、まあ、いいか。

「お誕生日が来たら、おめでとう。」

「きっとそのときも、…俺の傍にいてくれて、ありがとう、赤ちん。」





強い、強い、赤司征十郎。
手を延ばすことの苦手な、求めることの苦手な赤司。

その彼に大丈夫、大丈夫だよといつも言って聞かせ、ほら、とこちらから手を差し伸べてきた。ようやく彼から手を延ばすことを覚え始めたのはまだほんの数年前、それは彼が悩みぶつかりながらも歩んできた人生に比べればほんの僅かな時間だ、ちょっとでも何かにぶつかれば、また元に戻りそうな未だ不安定なそれだ。
だから、赤司が再びそれを出来なくなったら…。強がって、強がって、一人歩む道に戻ってしまったら、もう一度、何度でも、求めることを覚えさせなければならない。
その覚悟は決めていた。

だが、心配はいらなかった。
何も心配いらないほど、赤司征十郎は…弱くなった。

でもそれでいいと思う

弱くなって、だからこそ、一緒に歩いて、強くなっていこう。

そうして支え合わないと生きていけなくなって、でもそれを依存と呼ぶのは止めよう。

そうだね、それは…

(怖いからまだ、19日の返事は取っておいてね)

そう口の中で呟いて、紫原はコートを羽織って駆け出した。





12月19日の回答はいつまでも待ちます

だから俺の心を折らないでね?

次の日には、最高の笑顔で、精一杯のおめでとうを伝えさせて。





end.
13.12.30.

赤ちん生誕祭聖誕祭まさかの10日遅れ…!
素敵皆さまの"大遅刻〜"は嬉しいですが、自分は…(・ω・)<ナニヤッテンダ?
よかった、ねんないできてほんとよかった。
次は相互記念の例のネタだ!目指す年度内←

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