NOVEL | ナノ

 11月30日

「…で…」

「…ん?」

「…その流れの一体どこに問題があるのかさっぱり分からないのだよ…」

11月の終わりの日のことだった。
誰もかれも翌日には月が明けるのだということは頭にないのだろう、年の瀬差し迫る霜月、その月末の速度は緩やかだ。
ハロウィンを過ぎてから久しい、街の装いは白に赤と緑が映えるいわゆるクリスマスカラーの一択で、三色あるいは色とりどりにちりばめられ飾られたイルミネーションが今や遅しと点灯の時刻を待ち侘びる昼下がり。
緑間真太郎は赤司征十郎に呼び出された。
精確には、会わないかと久しぶりのメールが赤司から届き、そういえばこのところろくに連絡も取り合わずにいた無沙汰を詫びつつ緑間が応じた形である。

このところ、というのも、互いに置かれた状況の忙しさに慣れながら手探りながらのこの年度であったことに起因する。
互いに浪人や留年という期間をもたなかったことは大いに幸運と言えよう(あるいは、尽くした人事のなせる業か)、進学した仲間たちは皆揃って学部生として今春無事卒業し、それぞれ思い思いの道を進んでいた。

赤司は父の仕事を手伝い、今や立派に家業の一端を担っていた。これまでの十数年間、数々の軋轢はあったにせよ既に和解した彼の父と彼との関係は概ね良好のようで、周囲の人間は皆揃ってさざめく胸を撫で下ろした。話に聞いた限りではあるけれど、父子間の信頼もまた昔以上に厚くなったように思う。
社会人企業戦士として活躍の場を広げる傍ら、赤司はさらなる学問の道を志し大学院へ進学した。
大学こそ緑間とは違え、しかし大学院はやりたいことがこちらのゼミ当大学の研究室にあったのだと彼は言い、去る本年の早春の折、大学院受験合格の知らせを持ってきた。医学部とは同じキャンパス内にある学院棟の研究室に通うことになった赤司は、仕事の合間合間を抜い、また閑期には集中的にゼミに足を運んでは、知的好奇心の赴くまま学業にも精を出している。
こうして二つの道を選択しつつどちらにも手を抜かず完璧にこなすところがまさしく赤司征十郎たる所以であると緑間は常々思っている。
どれほど優れた人間でも、同等に平行し立っているような二つの事象を求めれば必ず無理が生じるというものだ。悪くすればその両方についてどっちつかずで共倒れになりかねないものを、赤司征十郎という男はいとも容易く"もの"にする。
もちろん、容易くというのは周囲の目から見た印象だ。実際には彼持ち前のスペックをフルに活用し、その両方を自身の努力でこなしていくのが今も昔も変わらぬ彼の常である。

…代わって、緑間真太郎にしてみてもこの一年は怒涛のような日々だった。
六年制である医学部の今年は五年目に至り、この二年臨床研修を積みんで初めて国家試験を受け得る資格を得るのだ。その後はインターンとして研修に臨み自身の専科を極めていくことになる。
覚える知識も莫大で、さらに日進月歩の職業だ。心から、その尊さへの敬意と憧憬でいっぱいになる。かの職業を生業にし、自身もその聖職へと身を投じようという幼少からの決意は年々強さを増していたが、最高学府へ身を投じた今もまたその思いを更にしていた。
昨年度、四年生でしっかりと試験をパスし臨床に進んでもう九か月ほどが経つ。議論討議ともなれば主義主張をきちんとし、自分の意見を披露することも吝かではないが、何分コミュ障じみたところがあるとは緑間本人も自覚しているところだ。ごく小さな事象についても事細かなディスカッションを必要とされる今の環境に身を窶し、4月の頭頃はそれこそストレスで髪が大量に抜けた(そして枕に、あるいは寝オチしてしまった座イスのトップに残るそれを、笑い上戸の同居人は藻や苔が生えたようだと笑った)。

実に八カ月ぶりの再会となる。
赤司と会うのにと考えた場所は、学内のカフェスペースだ。
窓側奥の席に座ってしまえば、外の喧噪は全くの風景と化す。こちらからはあちらが窺え、だが外から見上げられることはほぼないと言っていい。一席一席の間隔も広く、窮屈を好まない赤司にはこのくらいの広さがちょうどいいだろう。
某有名コーヒーチェーン店がキャンパス内で展開している店だが広く談話出来るスペースを持っており、医学部の棟に近いこともあり医学生がよく利用するスタイリッシュな店内だ。持ち込みもOKだという点は、経済状態の様々である大学生には嬉しいところである。
緑間一人のときはティー・ラテを頼むことが多いが、今日は赤司との席だ。さて良くも悪くも世間ずれしていない彼は何を選んで来るものかと巡らせつつ空席を探していると、馴染んだ赤色が視界に飛び込んできた。その手には、温かく湯気を立てている、一見したところストロベリーホワイトチョコモカ。
随分と俗物なものを選ぶのだなと思った頭に一瞬、甘い物好き菓子好きの紫色が頭を過ぎる。

(…それほどまで、あいつに浸食されているということか…)

かつての同級生だ、不快ではないにしろ何故か癪に思え、浮かんだイメージを振り払いつつ緑間はカウンターへと向かった。広い店内で席を見失わないように気を払いつつ、自分はホットティー・ラテとホットココアをオーダーする(何をかいわんや、ココアは本日のラッキーアイテムである)。
ドリンクを手にもう一度その姿を求め振り返ると、変わらず在る、その他大勢とは一線を画す高貴なオーラ。間近に立っていた頃は気付かなかったが、こうして見知らぬ誰かに取り囲まれている姿を見ると改めてその背負った強烈な何かを思い知らされる。まるで彼以外の全てがハイライトの強すぎる白黒加工をされてしまったかのような、不思議な錯覚に囚われる。
ギリギリまで近づいてから声をかけようと思っていたが、ひとたびカフェスペースに入った瞬間に気付かれ手を振られた。
相変わらずも、聡く鋭く全てを俯瞰しているようだった。

その双眸で世界を精緻詳細に捉える大きな目の際立った幼顔。
半年以上も会っていなかった級友の顔は年齢に沿うほどには少し大人びた風格を纏ってはいたけれど、緑間の目には今も少しも変わるところはなかった。

(久しぶりだな、)

(挨拶は良いのだよ、)

どうせ次に会うまでにはまた、それなりの期間を経ることだろう。きっと"久しぶり"になるのはいつものことになる。
そしてそのときもまた、友の顔を見、ああ、彼だ、と変わらぬ互いを思うことになるのだろう。

二、三当たり触りのない会話をした後、緑間は「ところで赤司、何かあったのか?」と切り出した。ストレートな物言いに暫時赤司は驚いた表情を浮かべていたが、すぐに「真太郎はすごいな、何でも分かってしまうのか、」と薄く苦笑いのようなものを浮かべて見せる。
それに緑間も苦笑いで返した。一瞬、「お前のところの駄犬の次にな、」と言いかけ、だがやはりどこか癪に思い、口には出さずにおいた。

会ったときから、どこか赤司は浮かない表情をしていた。とはいえ感情を隠すのが得意な男だ、傍目には悟られぬほど、だが付き合いの長い緑間には分かる、その程度の変化。
加えて今日こうして呼び出されたということもあれば、意識的にせよ無意識的にせよ抱え込んでしまった悩み事の一つでもあるのだろう。

「すまない、…急に、呼び出したりして」

「…何を水くさいことを、…、」

言っているのだよ。その言葉は続かなかった。

目の前の赤司征十郎、ともすれば百獣すら支配たらしめることも出来そうな眼力の持ち主の彼が、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべていたからだった。





赤司が何事か相談相手として選ぶのは、往々にしていつも彼の隣を後ろを譲らないあの大男なのだから、今日この日に自分が選ばれたのなら、その内容は紫原関係のことだろうと緑間は検討をつけた。
…まあ、もしそれが例えば菓子の食べすぎが目に余るとか帰りが不規則で寝顔しか見ていないだとかそういう不謹慎極まりない(本人たち以外には正直どうでもいい)内容だったら何と返してやろうかと思いながらの質問だったが、思いの外沈んだ赤司の表情に緑間は戸惑う。
それほど深刻な何かにぶち当たっているのだろうか。
そもそも、数か月音沙汰のなかった状況でいきなり呼び出されるとなれば、よくよく考えれば何か相当な事態になっているのかもしれない…突如やってきた懸念に思わず乱暴に置いてしまったティー・ラテが軽く零れたが、それは既に向ける注意の対象にはない。

「赤司?」

「敦が、」

呼びかければ、弱弱しく響く声。
祝日ということもあり学生はまばらだが、それでも周りの雑音にかき消されそうなほどの大きさで返事をされ、いよいよ焦りを見せた緑間に、赤司はことの詳細を告げた。

「敦が、帰ってこなくなってしまったんだ…」





…の。

詳細を伝えた上、…の。その上での発言が、先程のこれである(「その流れの一体どこに問題があるのかさっぱり分からないのだよ…」)。
どこに問題があるというのか、それを知りたいのは誰を置いてもまず赤司なのだけれど、言葉を飲み込み緑間の言葉を一先ず反復していた。

(「さっぱり分からないのだよ…」)

意図を計りかねるのだが、とおずおずその顔を覗き込めば、彼と同じくかつての同級生によく似たジト目で返される。
緑間の内心は、今や凡人のそれと等しく困惑した頭の赤司には届かない。

「…?」

今この状況は赤司にもあまり面白いものではない。
一方的に呼び出してしまったのも勝手な相談事をしているのも、全面的に自分の方に非があるとは理解しているけれど、それでも赤司の考えの追い付かないところで議論が進行しているのには納得がいかないものだ。緑間が何に嘆息し何に対して分からないと言っているのか、具に理解しないと気が済まない。
つい不満が顔に浮かぶと、今度はお手上げのポーズをした緑間が目を閉じる。次は首でも横に振るのかと思えば全くその通りだったことに、少しばかりのショックを禁じえなかった。

「…真太郎、俺には何が何だか分からないんだ…もし良ければ教えてくれないか、詳 細 に」

少し語気を強めて言えば再び目を開いた緑間と視線が合う。その目は際立った下睫毛のお陰で独特の印象を彼に与えているが、よく見ると切れ長の美人の目で、流し目の似合う紫原と少し似ていた。
紫原と似ている、それだけでドキリとし少し心のざわつく様子は手に取るように悟られているらしく、目前の緑髪はもう一度ため息を吐く。そこでいよいよ我慢ならなくなり、赤司の恥ずかしさはメーターを振りきった。「おい、」と思わず声を荒らげたが、代わりに鋭い瞳でいなされる。

「…ぅ、ぐ…、」

「…お前、多忙すぎて少し馬鹿になったのではないか?」

瞬時、頬がカァァと一気に熱を持った。恐らく、傍目にも分かるほど赤くなり興奮しているのはありありと見て取れるだろう。
こんなに、こんなに苦しんでいるのに何故伝わらないのかと駄々を捏ねる厄介な子供の様には振る舞いたくなかったが、しかしも…。
だが、これ以上も呆れたという趣旨の発言が続くと思われた緑間はそれきり神妙な顔をして黙り込んだ。つられて赤司も押し黙ると、不思議と脳が冷静さを取り戻していく。
未だ彼の真意は掴めないまでも、頬の赤みは引いていくのが分かる。

結果としてあっという間にいなされてしまったことに不思議と不満や怒りは感じなかった。
それも当然だと、赤司は再び緑間の姿を見、思った。
本格的に医学の道を志してからもテーピングを止めない、紫原よりは細く赤司よりは長い美しい指。手元の飲み物が二つなのは、恐らくどちらか一つが今日のラッキーアイテムなのだろう(想像するに、未だ口をつけようとしないマイボトルの中身の方だ)。
いつまでもブレのない、嘘のつけない、どこまでも誠実な男だ。
彼と同窓であれたこと、バスケという競技で共に切磋琢磨する仲で、誰よりの親友であれたことを赤司は確かな幸福と認識する。
中学の頃から、誰よりも近かった仲間の一人だ。誰よりも自分と紫原とのことを知っている…

その彼の見識に、不安があろうはずもなかった。

「…もう、答えは出ているのだろう、それは。」

「答え…と…?」

赤司は尋ねた。

「…お前、本当に頭が弱くなったのだ『真太郎!』、よ、…」

言を被せればこちらの焦れを感じ取ってくれる。真剣な瞳に、何度救われたか分からない。

「…紫原が出て行って、…帰ってこなくなって、不安なのだろう。赤司お前は。」

「…ああ…」

悔しいが…なんて、思わない。悔しくない。
ただただ、彼を想い彼に思うばかりだ。

(お願いだ、早く、…早く、)

「だが、元はと言えば俺が…、」

束縛されたくないと。自由と幸せとを天秤にかけて、意地を張って見ようとしなかった。
紫原の寂しさも、愛情も。

「もう一度言う。」

広い空間に、緑間の声が低く響く。例えるなら、柔らかで優しい鐘の音だ(…生来の和風っぽさから、教会より寺の梵鐘の方が似合う)。
体中に響き沁みる優しいその音色で、赤司の昂ぶりを鎮めていく。

「いきさつは問わないし、それは問題じゃない。…要は今お前が、どうしたいかだ。」

俺は、俺、は…

確かに口に出したはずの言葉は空を切ることもなく、ただ赤司の胸に去就するばかりだ。

骨伝導より深く体内に響き渡るそれは、何よりの真実のことば。

「紫原、」

何とかその二文字だけを呟いて、赤司は手元のドリンクを強く握った。ストロベリー・ティー・ラテ。いつかこの冬の新作だとニュースで特集されていたのを、二人で見た。
あの日は、こたつに並んで入って、

確かに二人で、手を繋いで、

「何コレ可愛い。赤ちんみたい。」

俺はそんなか弱いピンクの飲み物じゃないのに。あいつはたまにさらりと失礼なことを言うんだ。
それも、とても幸せそうに微笑みながら。

「決めた〜コレ発売されたら赤ちんと飲みに行く!」

「…俺の前で俺を飲むの?」

「うんうん、そーやって、赤ちんのこと嫉妬させんの〜」

確かに二人、幸せだった。

「…真太郎、」

声音にじわり焦りと余裕が滲む。
早く、と思う気持ちの逸りと、大丈夫、きっと大丈夫だと思う安堵の気持ち。
どちらも等しく彼を求め、その存在を感じたいと願った。

「…手遅れになるのは、きっと数億年後なのだよ…」

呆れた口調が赤司を励ますためだったと、今更気付いた不甲斐なさに眉が下がる。申し訳なさの表現だったのだが、それを見た緑間もまた困惑気に眉を提げた。

「…そんな顔は止めるのだよ。…後々あらぬ誤解を受けて(俺が)酷い目に遭うだろう…」

「真太郎、」

もう一度、彼ではない人の名を呼んだ。

「もう分かった、もう、…」

「赤司、」

そして誓う。次に呼ぶのは、

「ありがとう」

いつもその大きな手のひらいっぱいで愛してくれる、愛されてくれる、この世界で唯の一人。

敦、その名だ。





 


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