NOVEL | ナノ

 11月22日と11月23日

「怒るなよ?…、」

そう前おいて、赤司は話のきっかけを得ようとしていた。赤司からの連絡はいつだって突然だ。
少し驚いたけれど、さすがに今日はかけてくるかもしれないと思っていた。ただ、そのタイミングが少し早かっただけだ(まさか深夜0時過ぎにかかってくるとは思わなかった)。
しばらく意図的に紫原が黙っていると、電話越しに伝わってくる戸惑ったような息遣い。こちらのことをあちらから息遣いで察そうとしてはそれを制し、やめようとしてはどうしよう、やはり、いやしかし…、と考え込んでいるのだ。
今日ばかりではない、それに関しては、いつも赤司は戸惑いそして困惑している。
彼の特異な眼の能力は、対象範囲を視覚に囚われない。というより、これまでずっと慣れ親しんできた”人を視る”感覚の延長線上にすべての感覚が帰結してある。感情の浮き沈みや隠し事の有無などを、それによる言葉遣いの細かい差異や話の齟齬、あるいはちょっとした動作や行動の僅かな変化から、ある程度察することが出来るようになったのだろうとは彼自身で察しをつけていたところだ。今となっては毎時毎分接する人間の内心を、そして先を読むこの状態が定常化しつつある。
戸惑いの理由は、それを赤司が苦く思っていたことに加え、それ以上の不安要因が彼の心を支配していたからに他ならない。

そもそも、その能力は普段決して紫原相手に使うことはなかったものだ。
どうにかして努力して、…それは赤司にとって決して容易とは言い難いことだったが、それでも彼に対してだけは後ろ暗い思いもせずに日々クリアでいられるようにと心がけている。
それが愛する者へのせめてもの誠実さだと赤司は思っているし、第一にそんな煩悶は全く必要がないくらい、紫原という男は平素から全面的にオープンだ。秘めたものがまるでないというわけではないが、こと赤司に対して隠し事など滅多にしない。
だからいつも紫原の前だけでは赤司は自然体でいることが出来たし、嬉しい、楽しいという感情を初めて臆せず表すことが出来た。辛い、苦しいという思いもおずおずとながら伝えることが出来た、寂しい悲しいと思うことも、共に想い、感じそして共有することが出来た。
一頃の赤司征十郎からすればこれは驚異的な変化と言える。
世界を遮断し、必死に我が"道"に縋りしがみついて歩んできた幼少の自分からはおよそ考え付かないほどの依存を今、電話越しの男にしている。
異な性格ゆえ望み求めることだけは苦手で、まだまだ手を延ばすことに躊躇い困惑はするけれど…(赤司自身はそれを”歪んでいる”と認識しているが、紫原は、”ちょっと変わった”程度に捉えていた。紫原に言わせれば、この上なく天邪鬼にそして無遠慮に出来ている自分の方こそ大いに歪んでいる。…ということらしい)、
しかしそれは、徐々にだが解決されつつあった。それも偏に紫原の、およそ彼には似つかわしくない忍耐と努力の結果であるのだけれど、かの大男は実際のところ苦など全く感じてはいないようだった。

毎度ゆっくりと躊躇いがちに延ばされる赤司の手の指の、その先に真っ先に触れる者が自分であるという事実それだけで。
またそれに気付かされる度、どうしようもない幸福感で満たされていた。





12月19日の回答はいつまでも待ちます





綻びは、年の瀬を次月に控えた霜月に突然やってきた。

満たし、満たされて、傍目にはこの上ないように見えた関係だった。
だがしかし、そこは愛する者同士である。不安にもなればつい感情的にもなるというもの。…故、今年末を目前とした諍いの原因は偏に二人のすれ違いにあった。
引き金を引いたのは赤司と紫原の二人だけのLINEである。
構図としては単純明快としか言いようがない。常時変わらず会いたい会いたい早く会いたいと連投してくる紫原と、その真意を全く理解できない赤司というそれ。
互いの感覚はどうやら空間的に遠い位置にあるようで、すれ違いを生じるどころかすれ違うことすらないという正に危機的状況に瀕していた。

…紫原は、普段何事にも興味関心が希薄で、だが一度これという情を抱いた者にはとことん執着する。一言で表現するならば束縛の人だ。対して、赤司は周りから猫と称されるほどの自由の人である。何事に関しても常に自分の領域があり、その中には選んだ者しか立ち入らせない。一度門戸を開き招き入れた者には彼なりの持成しをするけれど、普段はそのテリトリーの中で放し飼いにしておくのが常だ。
紫原は、いつも何かあると赤司と繋がりを持ちたがる。赤司はそうではない。そもそも朝夜は必ず顔を合わせ共に早め・遅めの食事をとっているのだから、話したいならそこで話せばいい、スキンシップだって不足している自覚はないのに、と思う。
だからこそ日中、仕事の合間を縫っては送り付けてくるLINE上の攻撃に赤司は全く理解がいかないのだ。

彼らの感情の立体交差は、各自が生まれ育った環境に端を発していた。
一方は五人兄弟の四男坊、兄姉父母も入れれば総勢七名に及ぶ大家族の中、きょうだいだけでも五人という近年では脅威的な環境で暮らしてきた紫原敦。末っ子の彼は生まれた頃から雑多な環境に慣れ、自己主張を早くから覚えた。そして、手に入れたい物、あるいは願望として得たい接触があるとき…例えば、母親に構って欲しい、姉と買い物に行きたい、一番上の兄にだけ秘密を打ち明けたい…などは、その状況に際して都度自分から、他に出し抜かれないよう必死で奪いに行かなければならなかった。
過酷なきょうだい内サバイバルを常行動として覚えた紫原は、少しの接触でも逃すまいとする。つまり、常に通話ないしメールないしLINEで繋がっていたいと思う、反応を欲しいと思う心の根源(赤ちんを独占したい・離したくない/「ねえねえ、こっち見てよ!!!」)は、大家族多きょうだい故に獲得した攻戦一択、攻めの愛情表現にあるのだ。
対してもう一方の、赤司征十郎という青年は所謂財閥の御曹司にあたる。父一人子一人、世間一般の家庭から見れば箱入りもいいところというお坊ちゃまだ。
母を亡くしてよりはこの方、束縛心は強いながらも多忙で留守がちだった父に代わって家を預かった長男坊。小学校から私立通い、送迎までされていたとあれば当然近所に友もなく、することといえば勉学あるいは運動だった。教養程度の芸術分野は一通り浚い、望めば全てに講師がついて望めば全てを一人でこなせた。娯楽には本にテレビと不自由しない、言うなれば「ザ・一人っ子」。傍に父の目のない限りはとことん自由でいられた赤司の思考は、紫原とは全く異なる。
許される範囲内でのこととはいえ、その内での自由は潤沢に保障されていたわけだ。当然一人での行動に慣れていて、傍に誰もいない状況が、一人が全く苦ではない。
確かに、彼の左を支え彼に右を支えられる日々、最愛の存在と共に暮らす生活はこの上ない幸せだ。だが一人の時間に慣れ過ごした赤司の感覚に、四六時中彼を求めては半ば縛ろうとする紫原の行動は相容れない。
一日のうち、ある程度の自由度もない愛情表現は、少しの窮屈さを感じさせるものなのだ。

果たして、そんなちぐはぐな二人である。
赤司にとって紫原の攻一種の愛情、渇望はさながら、一昔前のメール爆弾に等しかった。このままではあと少しで赤司の容量がオーバーになり、"赤司征十郎"という名のサーバー自体がダウンしてしまうことだろう。押し寄せる感情の波、危機回避のため時にはLINEを一日全く見なかったり、こちらが手隙でないからと黙殺したりするのだが、これが紫原の機嫌をさらにさらに損ねていく。
所謂既読機能というやつだ。何で見てないの、何で返してくれないのと食卓での話題は確実にそれになる。…そんな無駄な機能を作り出してくれた運営側には、赤司は一言以上も言いたいことでいっぱいだ。
何より赤司には、紫原がぐちぐちと赤司に訴えかけるその時間こそが無駄なもののように思える。限られた時間なのだから今こそ有効に使うべき、とは常々思うところでありもう何度も伝えようとしているところなのだが、中々どうして恋人の耳には届かない。
それに対して赤司が腹を立てることはあまりなかったが、謝り宥めある程度聞き入れ、それでも不満を態度に表され…を繰り返してくるとさすがに赤司にも険が出る。ごめん次は気を付けると毎度こちらから平身謝るばかりでは、赤司自身納得のいかないところもある。
そして昨日の帰りしな。いつにも増して辛辣な紫原にとうとう赤司が反駁し、見事口喧嘩へと発展した。

昨日は特に忙しい日だったのだ、と赤司は思い返した。
今日が提出期日というボスの論文の校正を手伝っていたのだが、気がつくと昼も過ぎ夕刻も過ぎ、とうに日が暮れた頃にようやくその作業から解放された。文面の確認からフォントや体裁のチェック、文章に矛盾がないか引用文献参考文献に漏れはないかなど、"校正"と言ってしまえば簡単だがその実果てのない作業だ。場合によっては一日二日籠りきりというのは当たり前で、今回学会への出張が期日前に重なってしまった彼のため、研究室の学士院生達は皆急ピッチでのその作業に追われていた。
昼食には宅配のピザを頼む始末、そんな状況下でLINEを開くメールを開くなどという選択肢は当然赤司の中には存在せず、ましてや鞄の奥底にすやすやと眠るスマートフォンのことすら頭にはなかった。
ただ一度、デリバリーされた大量のピザを前に、敦ならこのくらい一人で食べてしまうのだろうなと思い、彼と一緒にピザを食べたいなと不在の愛し人を想った。

かくして11月22日のLINE・メール・着信全てを(不可抗力ながら)黙殺した結果、よたよたと帰り着き何とか玄関の扉を開けた瞬間に満面の不機嫌面で出迎えられることになった。
赤司自身に余裕がもし残っていたのなら、その顔に浮かぶ拙い嫉妬心に可愛らしいと微笑みの一つも浮かべたところだろう。しかし、さすがに身に負った疲労は大きく、ナイーブな作業に精神的にも疲れ切っていたところだ。それは少々キツい出迎えであり、つい険呑な返しをしてしまって以降口喧嘩へともつれ込んだ。
二言三言ならず投げた暴言の詳細は忘れたが、結果として「俺出てくし!」と啖呵を切った紫原に赤司は「そうか、勝手にしろ」と返し、絵に描いたような口論の末紫原は文字通り家を出て行った。
赤司もそれを追わなかった。





それから一日を、赤司は恙なく過ごした。

季節はすっかりと冬めき気温は早くも12月下旬の平均気温を記録した、そんな寒風吹きすさぶ土曜日のこと。日付にして、11月23日のことである。
そうか、何もかもをスルーしてしまった昨日は"良い夫婦の日"とやらだったのかと今更ながらに気付く。ならば…意外にもイベントごと好きな紫原のことである、きっと昨日はそのネタをたっぷりと仕込んでいたはずだ。何かにつけて"夫婦(めおと)"を意識した愛情たっぷりの内容を送り続けてくれていたことだろうに、と、ふと冷静になった意識の中で赤司は思う。

「…」

可哀想なことをしてしまったかと思えば思うほど中々そのログを追う気にもなれず、五分ほどの時間しばらく逡巡していたが、結果として赤司はスマートフォンから目を逸らすという選択をした。

昨日の今日で、さすがに研究室は慰労休暇となっていた。
久々に何物にも縛られずに自身の時間を過ごした。スマートフォンの電源はオフにし、学内の図書館で読書に耽る。自身の論文の参考になる資料も集めなくてはならなかったが、それは明日でも十分に間に合うだろう。貴重な一人の時間を逃す術を赤司は全てシャットダウンした。
もちろん、今頃紫原はどうしているだろう、との懸念は何度も頭を過ぎった。昨日出て行ったときコートは羽織っていったように思うけれど、財布と鍵それにスマホは持って出ただろうか。…言えばいつも「お母さんか!!??」と突っ込まれるのでなるべく言わないようにしているが、それほど気になるのも紫原を想った末のこと。
…まさかとは思うが寒空の下一人凍えていやしないか…思う度、子供ではないのだから一人で何とかするだろう、と頭の中のもやもやを打ち消すのだけれど、ただ一つの懸念事項だけはいつまでも消えなかった。

(敦がこれきり、もう戻ってこなかったらどうしよう…)

こればかりは明確な答えが出ることもなく、一人の時間を過ごすことでようやく取り戻したはずの赤司の基底状態を揺るがし恒常性をつき崩そうとしていた。
また、それは驚くべきことに、その後実に一週間もの間彼を苛み続けることとなる。

…つまり、

その日を境に丸一週の間、紫原はついぞその姿を見せることはなかったのである。





 


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