NOVEL | ナノ

 大切なものを大切に

目が見えなくなる。
僕を良くも煩わしくも様々な境地へと導いてくれたその目が利かなくなる。
そんなアクシデントに、本当は心の奥底では動揺していたのかもしれない。
本当に、記憶をよく飛ばす日だった。

あの後、二つ三つほど何か尋ねられ、それにほとんど知覚せずに頷いていたような気がする。
相手が真太郎なら、…奴の言うことは大抵間違いがないから(たまに元々の軸がずれていることがあるけれど、それ自体にはブレのない、掛け値なしに良い奴だ)、躊躇なく彼の提案に乗って良かっただろう。
しかし、僕がしきりに頷いて額を擦りつけるようにして甘えた相手は敦だ。
奥底にあるものはとても穏やかなのだけれど、表面上の気性は荒くて容易にカッとなって、すぐに投げ出してだが構って欲しくて色々と些細な駄々を捏ねる、体格には見合わぬ幼稚さを持った末っ子の敦。
本来なら、その彼の言うこと全てに頷いてしまうというのは非常に危険だったかもしれない(突拍子のない、実現不可能なことを言いだして周りを困らせたりしなかっただろうか)。
けれどそんなことを考える余裕もなく、僕はただ、何も考えず敦に包まれていたかった。

しばらくすると、敦は庇うように僕の体を再度覆い隠し、苛立った声を上げていた。

「もーごちゃごちゃうっせーし!!!赤ちんはしばらく俺んとこ来んの!分かった!!??」

とても、大手を振って応援出来よう提案ではなかったはずだと今では思う。
けれど、僕もそんな状態で、監督も他チームメイトも不在の中、玲央は最終的にその提案を呑んでくれたのだ。





それから、驚いて驚かれてあっという間に過ぎた2日。

…結論から言おう。

僕の目はあっさりと光を取り戻した。

解決してしまえばあまりにも拍子抜けで気恥ずかしい。
精神的な問題とされていた目の不調。それがこうもあっさり解消されようとは。
つまりそれはもしかしたら、僕の身に起こった今回の出来事は、深く絶望したからでも、現実を受け入れられなかったわけでも、ましてや心が折れたわけでもなく…何てことはない、深刻な敦不足だったんじゃないだろうか、とか…。

(委細玲央の方から連絡は行っていたらしい)新旧チームメイトは皆僕の快癒の連絡に喜んでくれたが、さつきとテツヤと涼太からは一言ずつ余分に祝いの言葉をもらった。
決して”余計”ではない。
嫌味でも皮肉でも不快でもない、そんな”余分な一言”を。

「本っ当に…、良かったーっ赤司くんっ…!」

(きっと、むっくんに看病してもらったからだね!)

「ホッとしました…赤司くん、…良かったです…本当に…ええ、ええ、もう本当に、大丈夫なんですね…?
いえ、嘘なんて思ってませんけど、でも…ほら、君は平気な顔をして色々と無理をする人ですから。」

(…きっと、紫原くんが傍にいてくれたのが、功を奏したんでしょうね)
(彼、甲斐甲斐しくお世話をしたんじゃないですか?)
(いつから、か…ずっと離れていた分、思うところもあるんだと思います。)
(…もっとも、それは2人とも…、みたいですけどね。)

「マジっスか!!??ゎーんっっっ赤司っち〜〜〜良かったよ〜〜〜っっっ!!!」

(それにしてもすぐ戻って良かったっス。何なんスかも〜、赤司っちってばよっぽど紫原っちの傍にいたかったんスね!!!)

さつき、テツヤときてさすがに3人目になると僕も何か言うべきな気がして、「どうしてだ?」と言葉を引き継ぐと、楽しげに電話口のモデルは笑った。

「えーと…、だからそれって〜、紫原っち不足だったんじゃないっスか?だって赤司っち、試合の後すごい清々しい顔してたっスもん!!!何か憑きもん落ちた〜みたいな。だから俺ね、赤司っちのそれ、試合とか負けちゃったとか、そういうことじゃないような気がしてたんスよ〜。」

否定するには的を射ていて、なるほどと返すには恥ずかし過ぎて。
しばらく何も言えずにいると、敦が僕の手からスマートフォンを奪い取り、二言三言言い含めて強引に通話を切った。

「もー皆してまったく…元気になったんだからいーじゃん!」

俺の赤ちん取らないでよね!

ぶつくさと聞こえる子供っぽい響きが、可愛らしくて。
そして、その言葉の意味を何度も何度も頭の中で繰り返し想像して。
僕は、心底幸せだと、確かに思ったはずだった。





治ったからといって、すぐに帰すわけにいかないと力強く言い切ったのは敦だ。
元々親御さんもごきょうだいも同意見だったらしく、暇を強く申し出たのは僕だけだという何とも奇妙な状況ではあったが、また数日の御厄介になることになった。
幸いにも敦の学校は冬季休業に入ったそうで、元より里帰りするつもりだったらしい(冬は始まったばかりだというのに、秋田の冬はそれはもう大変なのだと、毎夜毎夜怪談話のようなトーンで彼は繰り返した)。
二学期制なので成績表を受け取る必要もなく、二、三年生のように進路のことでの面談の予定も組まれていないのだという。

(…冬休みの宿題の内容は果たして聞いてあるのだろうか…?)

そんな心配を知らず、だが君はその毎日輝く笑顔で僕の傍にいるものだから。

「敦、」

「なぁに?」

「…何にも。」

(ただ、幸せだと。)

「っ何も−!!!」

つい甘やかして、飽きもせず、呼んで(応えて)、話して(聞いて)、そしてふとしたタイミングに不意打ちで(それと、毎晩儀式のように)キスをした。
それに応じてくれる君もまた、(自分から仕掛けてくれる君もまた)、同じくらい、僕を甘やかしてくれているんだろうと思う。

そうして数日間。
紫原家で暮らすうち、一つ気付いたことがある。
それは、紫原は意外にも、物を大事に使うらしいということだ。

ただし、それは物持ちが良いとか扱いに配慮したりとかいう訳ではない(彼がその真逆の人間であることは、いつも近くで見ていた僕にはよく分かる)。
そうではなくて、…例えば食べこぼしをした、あるいは寮での洗濯で失敗して、色移りしてしまったのだというシャツ、Tシャツ、その数々を、彼は捨てずに部屋着として活用しているのである。

「トマト…いや、染みの色がしっかりしてるから、ケチャップかな?」

「当ったり〜!」

「これは、…しょうゆ?」

「それも正解〜って言いたいとこだけど、もう忘れちゃったし。」

茶色の染みってさー、ムズいよね?見た目同じだし何で汚したか忘れちゃう〜。

「確かに、匂いも抜けるとな。」

圧倒的に多い茶色の汚れは、しょうゆなのかソースなのか。コーヒーなのか紅茶なのか、あるいはココアなのか、全くその判別はつかない(コーラは元々それほど好いて飲む方ではないから、一番可能性としては低いだろう)。
本人も忘れてしまったのだというハーフパンツに残るそれを指でなぞると、床に座った君が擽ったそうに膝を立てた。

「本当に、敦は物を大切にするんだな。」

何の気なしに出た言葉だが、僕の驚きは言葉では言い表し切れていない。
これはどうしようもない、育った環境の差異なのかもしれないけれど、染みの残った衣料を使うというのは、僕にはない感覚だった。

「別にそんなことないと思うけどー…。あー、それにさ、俺サイズあんま無いし?」

(染みついたからってばんばん捨ててらんないのもあるんじゃないかなー。お下がりったって、兄貴たちのでもたまに小っさいし?)

「…確かに。それもあるだろうけどね。」

(それを差し引いても、敦は物を大切にしているよ?)

自分は元々それほど食べこぼしが目立つような子供ではなかったというのもあるし(…それを思うと紫原の、染みの残った服の数は少し度を越しているような気もするが)、汚してしまったものはすぐに処分してきた、されてきたからだ。
部屋着であっても汚れた服を着るなど赤司家の者のすることではないと父は思うのだろうし、手伝いにしてもそう思うのだろう。あるいは、そう言い含められているのか。
彼女たちはそつなく洗濯を施し、アイロンをかけ、ボタンつけなど修復不可能なものはして、そうでないものは処分していた。僕自身で頼み込んだことはなかったけれど、気に入りの服であればいつの間にか、同じものを用意してくれていた。
そういった経緯からかまたは生来の性格からか、僕には”もの”に対する執着や愛着というものがあまりなく、汚れたら捨てる、という考え方が当たり前だったから。

だからこそ、外へ着て行けなくなった服でも部屋着として利用している紫原は、とても慈愛深く映るのだ。

愛着あるものへの愛情を、敦は隠さない。
逆もまた然りなのが彼の短所ではあるけれど、とにかく愛おしく思ったものへの愛情表現はストレートで、迷いがない。
それも、汚れたもの、着るのに問題がなければ紐が取れたりほつれたりしたものさえ。





そんなことを思ううち、ふと、僕は彼の持ち物に自分を重ねていた。





「少し、安心した。」

「んー?」

声も震えていない。
僕はそのとき、とても穏やかな状態であったのだけれど。
続けた言葉は予期せず彼の琴線に触れてしまうことになる。

「敦は、傷物でも大事にしてくれるんだな。」

普段なら、目で耳で相手の動向を探ったことだろうか。
だが今の僕はもう、敦を相手にはこういったこと…日常のあれこれに関することは全てにおいて安心しきっているというのが正直なところで、彼の顔色を窺おうなどということは全く考えもしていなかった。
敦の表情がさっと翳ったこと、意識もしなければ知覚すらしていなかった。

「もう、何の価値もなくなってしまった僕だけど、」

類稀なる才能なんて、そんなものはまやかしだ。
努力ではカバーできないものももちろんあるけれど、少なくとも自分においては存在し得ない。カリスマ性なんて元々ない。
それでも何とか装って、何とか今まで上手く機能していただけのこと。
一度負けてしまった、膝をついてしまった僕に、今更何の価値があるというのだろう。

「…それでも、敦に、捨てられたりしなさそうで、安心した。」





それが僕の、弱くて強がりな僕の、願いであり本心。







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