NOVEL | ナノ

 それと気付いた幸福感

僕は、紫原のことをいちばん、すきだった。

そう思っていたはずだった。

だから、あれは、随分、効いたかもしれない。

「お願いがあるの、」

君に包まれてぬくぬくと暮らしていた3年間。

何とずるく生きていたことかと思い知らされた。





赤ちんの、”一番好き”、は、

赤ちんの、特別、は、

赤ちんのことを、”一番最初”に”好き”になったって意味だよ。

赤ちんのことを、”世界で一番最初”に”好き”になったのは、多分俺だから。

赤ちんを、”世界で一番最初”に”好き”って言ったのは、俺だから。

それに、一番たくさん、”好き”って言ったのも、間違いなく俺だから。

だから、赤ちんには、俺が特別なの。

錯覚なんだよ。

刷り込みなんだよ。

だからそれは、俺の欲しい”一番好き”じゃないんだよ。





そう、言われた気がした。





「赤ちん、赤ちん、」

赤ちんには、これから、色んな人に愛されて欲しい。

「高校行って、京都行って、バスケ部入って。」

先輩に、後輩に、同級生に、先生に、コーチに。

「購買のおばちゃんとか、学食のおばちゃんとか、コンビニのお兄ちゃんとか。」

とにかくたくさん、色んな人に、愛されてきてほしい。

「大丈夫。俺らと同じように、皆、赤ちんを愛してくれるはずだよ。」

「赤ちん、皆に愛されるから。」

呆然とする僕の前で、君は身を屈めた。

中学三年間、彼からの最後のキスは、ほっぺたに軽く柔らかい感覚が残るそれだった。





あれから、早いものでもう三年が経とうとしている。

最終学年としてのWCも終わった。
既に身の振り方も決まっていたから、あとは、卒業を待つだけだ。
東京に戻ることを決めたから、京都の盆地の夏場の暑さや冬場の雪深さ(それでも、秋田のそれとは大違いだよ、と電話口で君は笑った)ともこれで最後になる。
重ねた季節のあっという間だったことに、今更ながら僕は驚いていた。

その京都で、玲央というチームメイトに出会った。
彼が、初めて京都で僕を愛してくれた。
兄のように姉のように僕を見守り心から大切にしてくれた彼の愛は、どこか君のくれる愛情に似ていた。

彼の愛に包まれた僕は、徐々に他の人の愛にも気付くようになった。

玲央、小太郎、永吉。
君の言ったように、先輩にも、後輩にも、同級生にも、先生にも、購買のお兄さんにも、学食のお兄さん(洛山の購買や学食では、OBのお兄さん方がバイトをしていたよ)にも、たまに立ち寄るコンビニのおばさんにも。
たくさん、たくさん、愛された。

父は僕を愛してくれなかったけれど。以前そう言ったら、玲央は珍しく怒った。

人を、正面切って愛せない人もいる。
悲しいことだが、愛情が憎しみに置き換わってしまうこともある。
人間とは、それほど精神的に脆い存在なのだと。
そういう人にとっては、自分に出来うる最大限の援助をすることが、愛情なのだと。

なるほど、父は僕を好いて愛でてはくれなかったけれど、彼の活かせる最大の強みは経済であり財力であり、それを彼は惜しみなく僕に与えてくれている。金銭的な援助は相応にしてくれている。
それが彼なりの愛情なのだとしたら、哀れとは思っても嫌悪の念は抱けなくなった。





あれから、必要以上の接触を拒んだ君と、試合など正式な場以外では会ったことがない。
相変わらず僕の言うことは聞いたけれど、毎週の電話は、僕がかけたり君からかかってくることはあったけれど、君が自分から、僕に接触することはなかった。

最初は、避けられているんだと思った。
だが、気付いた。
避けられているのではない。そうではなくて、






秋田の卒業式は早いらしい。一足早く卒業し、東京へ戻った君の元へ。





…京都ではやはり、一番心を置けない相手だった玲央に相談を持ちかけたら、意外にも彼は静かに背中を押してくれた。

(僕は、もう京都には戻らないつもりだ。)

卒業式にも出ないつもりでいる。恐らくそれがけじめだろう。
一言では表せないほどの経験をした。
言葉には出来ないほどの、愛情をもらった。
思い出いっぱいの土地。
かの地を一人後にする、これが僕なりの最大限のけじめなのだ。

(…こんなこと、上手くいくはずない。のに、)

それなのに、何故だろう。
春先を待たずして。精神には温暖で呑気な流れが押し寄せている。
3月初旬、姿を見せ始めた春の陽気に誘われてつい画面をタップしてしまったのを、止める精神力もまた長閑な春に感化されているらしい。自分の中の自制心とかそういったものは全部、春眠暁どころか昼を過ぎ、夕方だって覚えてくれない。

初春の早朝、まだ薄暗い住宅街に光る文明のディスプレイ。
そのハイテクな機器越しに、アナログ仕様のコール音が聞こえている。





京都からの高速バスを降りた東京駅、慣れた路線の始発電車。駅からほど近い一軒家。
随分時間は経ったが兄弟はまだ揃ってこの家に暮らしていて、秋田での長い寄宿生活から帰った君を含めると8人が生活している計算になる。大家族を支える、久しぶりの赤い屋根。

別に中学時代の背番号を意識したわけじゃないが、この時間がちょうど良いだろうと思った。
きっと散々文句を言いながら、だが5時起きでの朝練を欠かさなかった君の、まだ体が慣れているだろう、起きてしまっているに違いない午前5時4分。
狙ってかけた電話に、2コールで反応する愛おしい声。早朝の耳に優しい、低めのテノール。

「っ、赤ちん?こんな時間に、どうしたの、」

僕は、

…僕は、

「おはよう、敦。」

ちゃんと、気付けたよ。

「、ぁ、…おはよう。…赤ちん、何、どうし、」

「外、」

だから、早く。

窓の、外、君の部屋の、その窓から、

「顔、見せてよ。」

君の部屋の位置を、そこから見える庭の角度を、忘れてなんかいなかった。





「久しぶり、敦。」





ドタドタと、響く足音が地に響く。

早朝だぞ、そんな騒いで、近所迷惑にならないのか、ご家族の方を起こしてしまわないか。
そう気にしているのは僕だけのようで。
ほぼ一瞬の後に玄関を開け飛び出した君の姿は、数か月前に見たのとほとんど同じで、けれどほぼ3年前に見たときよりはぐっと大人っぽくて。

でも、変わらず、敦のままだった。

「ぁ、あ、あ、」

君が状況をギリギリ理解したところで、まだ上手く言葉が紡げない君の前で、言い切ってしまおうと思う僕のずるさを許してほしい。

勢いに任せなければ、なんてことはない。でも、それでも、怖いものは怖いんだ。
あれから随分時間が経ってしまった。
…君に、他に大事な人が出来てしまったかもしれない。
…毎週の電話でも、僕に言い出さなかっただけかもしれない。
無理もない。3年も、離れていたのだから。
だけれど、例えそうだったとしても。
それを君の口から聞く前に(聞いたら崩れてしまいそうだ)、これだけはどうしても伝えておきたかった。





「敦、」

笑わないで聞いてくれ。

「敦の言ったように、僕は、あれから、色んな人に愛してもらった。」

君の投げかけた言葉の意味を、今なら精緻に理解できる。
愛され慣れない僕のことを、初めて目に見える形で触れられる形で与えてくれたのが君だから。だから僕は君のことが”好き”なのだと。
それは錯覚なのだと。
それを僕に伝えるのに、相当苦しい思いをしたことだろう。言わなくたって良かったはずだ。ずっと僕を、君の言うように錯覚させたままでも良かったはずだ。そうしてそれまで通り、遠距離で愛を育んだって良かったはずなのに。

あえて自分から身を引いて、僕のことを解放してくれた。

そのお陰で、僕は気付けた。

君が僕にくれたのと同じように、色んな人が僕に向けてくれる愛情に、

それと、僕が、

…僕は、

「その上で、思うんだ。」





「僕はやっぱり、敦が好きだ。」





(赤ちん、)

肯定でも否定でも、…拒絶の前置きでも。きっと、開口一番呼んでくれるだろうと思っていた、人生で初めての僕のあだ名(二番目は赤司っち、で、三番目は征ちゃん、だったな)。
だがそれがすぐ彼の口から紡がれることはなく、代わりに強い力で抱きしめられる。
一瞬襲う、息が出来ないほどの圧迫感。肩と腕は、逞しい敦の両腕に包まれて身動きが取れない。
しばらくして、少し肺が上下出来るほどには緩められた愛しい腕の中、僕はこの幸福に包まれて良いものかを迷った。

「…っ、…、っ…、っっっ、」

「敦…少し落ち着け…僕は、逃げないから、」

今度こそ。
もう、どこへも行ったりしないから。

「、赤ちん、」

ようやく呼んでくれた、僕の名前。
僕のことを誰より大嫌いだった僕が、少しでも自分のことを好きになれた、大事な大事な僕のあだ名。
体を小刻みに震わせながら、時折しゃくりあげながら。呼吸のたびに肺が上下し、中々声にはならないが声帯が振動する。敦の体の動き、その動作の一つ一つがダイレクトに伝わってくる。
結局そう明確に埋まることはなかった身長差に、身を屈め僕を包み込む君の体温。僕より温かくて、僕を安心させてくれる温度。
君のその全て。





これ以上ない、幸福感。





「俺、も、…ってーか、何言ってんのもー、…俺のが、ぜってー、赤ちんのこと好きだし…」

「…うん、」

不意に涙腺を襲ってきた言葉に出来ない感覚に、

「…良かった。」

僕は、この幸福に包まれて生きて良いのだと知った。





end.

あ、あれ…こっちがメインのような…!

卒業式には行きました!(そこは行かなきゃでしょってむっくんが言うので)。
もちろんむっくんも京都についていってね。
一緒に列席した玲央姉は感動して泣いていたよー(笑)。

という妄想。
2人が幸せになってくれればそれでいい。

原子番号2番、ヘリウムは気になったらググってください。
希ガスなので、安定で、他の原子と反応しません。イオンにもなりません。単体も、単原子分子として存在します。
高校生の皆さんは化学の勉強頑張ってね!

2013.06.02.

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