NOVEL | ナノ

 タイムリミットは午後11時 side purple

視線の先。映り込んだ赤司の顔は涙で歪んでいて、ぐちゃぐちゃになっていた。
それを隠すこともせず、一直線に自分を射抜くような猫目に紫原は一瞬息をのむ。
が、予想していたような、怒気か何かに満ち溢れ空気を揺らすほどの強い視線は感じずに紫原は戸惑った。考えてみれば、そもそもそんな目で見られていたら、もっと早くその視線に気付いたはずだ。

(…?)

思わず閉じていたらしい目を開け、もう一度赤司を窺う。
落ち着いてよく見ると彼はこちらを見てはいるがその焦点が合っていない。
まるで紫原をはっきり視界に捉えることを怖がるように恐れるように、目を見開いてただこちらを”じっと”、”眺めている”、のだ。

赤司を、そんな状態の彼を見たとき。
紫原は自分自身の犯した間違いについて初めてはっきりと理解した。

認識については誤りはないのかもしれない。会いたい会いたいと言葉にせよ態度にせよ不可能なことを強請り続ける自分を、赤司が全く負担に思っていなかったわけではないだろう。
だが、そもそも負担に思うとはどういうことなのだろう。
そのことについても今初めて紫原は思い至る。
自分のことを全く考えていないのであれば、あるいは彼自身紫原と数か月単位で全く顔を合わせなくとも平気だというのなら、そのまま聞き流せばいい”ああそうだな。”で終わればいい。
素っ気ないと言われれば、” 僕も寂しい”と社交辞令を付け足せばいい。赤司には難しいことではない。
もし仮に、言葉を交わせば必ず会いたいと強請るその紫原を負担だと感じていたのなら。
それは赤司自身も彼に会いたいと思い苦しんでいたということに他ならない。
赤司が呆れていったのではない、紫原を見限ろうとしていたのではない。
むしろ恋い慕う気持ちに戸惑い、一日一夜、日に日に傷ついていたのは赤司の方なのだ。

いつだって自分は赤司のことを一番に考えていたはずなのに、一番赤司のことを見ていた、理解していたはずなのに。
ああ、どうしてこんなことにも気付かなかったのだろう。
そして、完全に間違った解決方法を選んでしまった。
赤司のことを慮っているふりをして、赤司を尊重するふりをして、結局はついに耐えられなくなった寂しさから逃れるためのそれだったのだ。
もっともらしく”大人”な理由をつけ自分から身を引くという最悪の決断をした。
あまつさえ後は赤司の気持ちに任せ、彼が求めれば再び応じよう、などと呑気なことを考え望んでいたのだ。
今ははっきり分かる。
良かれと思って下した紫原の決断が、実は最悪のものだったということを。

「赤ちん、」

呼べば逸る、逸る、幼い心。ちょっと治まって、とは、聞いてくれないしんぞうのおと。

(お願い少し鎮まって、赤ちんの声が聞こえない!)

赤司の声は時にとても弱々しくて、耳を澄ませないと聞き逃してしまうのだ。
そしてそういうときには必ず、包み隠されていない彼の本心が告げられている。

(赤ちん、赤ちんは、)

今、何を考えてるの?

何を求めているの?

少し遠いところから。きっとさっきのやり取りも全て見ていた赤司の元へ、後一歩。
そこまで来ると紫原は立ち止まり、ほとんど真上から赤司の顔を覗き込んだ。
赤司も顔を上げ紫原の顔をまっすぐに見上げている。だが、焦点は合わせようとしない。
滅多に見ない泣き顔は、紫原の煩悶しながらも過ごしたこの4日間いや8日間を一瞬で突き崩す。

「赤ちん、」

涙にぬれた両頬、歯が顎が 痛くなりそうなほど噛みしめられた口内、一文字に結ばれた口。

「ごめん、」

「…っ、…っ…」

声にならない、否、声を上げることが出来ないでいる赤司。
その右手はおずおずと恐る恐る紫原の方へと延ばされ、寸でのところで見えない壁にぶつかったかのように止まり、ひっこめられる。
再び自身の口元に当てた掌を、また紫原へと延ばす。だが、触れることは叶わない。
それを繰り返す赤司の表情はとても悲しげで辛そうで、どうしようもない罪悪感が紫原に押し寄せる。

辛いのは苦しいのは赤司の方なのに、気を抜いたら自分からも涙が零れてしまいそうで紫原はぐっと奥歯を噛みしめた。当然何もしゃべることが出来なくなり、ただただ赤司の目を見つめるばかりだ。

「…っ」

中々届かせることが出来ない手をとうとう赤司が引っ込めて、口元に当てたまま動きを止める。
じわじわと目尻の水滴が体積を増し、乾き始めた涙の筋を溢れるそれが再び伝う。
赤司の動きを待ちこちらも30 cmの距離を縮めずにいた紫原は、今度は自分の方からゆっくりと手を伸ばすと優しく両目の涙を親指で拭った。
それでもまだ溢れてくる涙液を2、3度掬うと、ようやく落ち着いた自分の涙腺がもつうちに、彼の名を呼んだ。

「赤ちん、」

ここ4日の自分は、赤司には絶対に出来ないことを、彼に暗に求めていた。

「赤ちん、」

大丈夫だよ。そう言っても、決してその手がこちらに届かないことを自分は”知っている”。

平素より絶対的な存在として見られがちな赤司は、その実自己肯定感が圧倒的に低い。
もちろん普段から万能な”彼”、選手としての彼、チームを引っ張る主将としてのそれではない。ゲームメイクやプレーに関する自信は必要な分持ち合わせているし、また、それを自負するだけの練習量や才能もまた兼ね備えている。

だが彼は、自分以外の何かを望むことに極端に憶病なのだ。
誰かに縋り誰かを求め手を延ばすこと…それは赤司にとっては不可能なことだ。

成績も優秀。将棋も囲碁もチェスも、中学高校と未だ負けなし。
神を思わせる能力を持ち、バスケにおいてはまさに無敗の王者であり続ける。
だがそれらは誰かに望んで得るものではなく(そもそも、望んで得られるものではない)、”彼自身で”獲得できる範囲におかれるものであり赤司はそう言った面では万能だ。
しかしそれ以外の面での自己肯定力が圧倒的に、足りない。

「赤ちん、」

未だ、延ばせない腕。
紫原の手が彼自身の目尻に頬に触れている今でさえ、その手の甲に重ねることのできない彼の掌。

「良いよ…、」

その手を俺の首に回して、抱きしめて。
そこまでは出来なくても良いよ、手を伸ばして、髪に触れて。
目で訴えても、恐らく声に出したところで彼がその選択肢を選んでくることは間違いなく、ない。
元より、出来ないのだ。
彼に、誰かを求めることなど。
紫原の考察に違うことなく、赤司は困惑しきった顔で首を横に何度も振る。

“出来ない”
“敦、出来ない”
“くるしい、っ”

「赤ちん、」

自分は、何という愚かなことをしたのだろう。
赤司から距離を置こう。もしそれでも自分のことを必要なら、求めてくれるのなら…?
何と残酷な二択を彼の眼前に突き付けたのだろう。
赤司から求めれば良いだなんて。

赤司がそう出来ないのは、自分から手を延ばすことが出来ないのは、誰より一番自分が分かっていたはずじゃないか。
だからこそ、今まで彼の分まで望んできた、口にしてきた。
赤ちん、赤ちんいなくて寂しいよー、傍にいて?隣で寝てて良い?ぎゅってしたーい!
彼はいつでも応じてくれた。嫌な顔一つせずに。
…恐らくそれは、半分こだったからだ。
自分の願望その半分は、赤司が望んだものだったからだ。
それなのに…。

二人の間の距離を狭める。
30 cm、20cm、15 cm、飛んで5 cm。それでも赤司は、ふるふると首を横に振るばかりだ。
何と愚かなことをしたのだろう。
望んだものに、手を伸ばすことすら知らない。その赤司から身を引くなんて。
望んだものに、手を伸ばすことすら叶わない。その赤司の傍にいようと誓ったのは、他でもなく自分ではないのか。

「ごめん、赤ちん、」

(もうだいじょうぶ、だからね)

優しく告げると、頭をぽんぽんと撫で落ち着いてと促す。
しばし後、泣き濡れ腫れた猫目で見上げた赤司。その目線に自分の目線を合わせるよう身を屈めると、距離が縮んだ分その大きさがよく分かる。
瞳孔の変化すらはっきり分かりそうなトレードマークの大きな猫目、アルビノの瞳ときりっと持ち上がった目尻。
その目に口を近づけると、触れる寸前ようやくその役目を思い出した瞼の閉じた瞬間に口づける。
涙を舐めてはいないから塩辛い味もしないけれど、涙の匂いが紫原の涙腺を手痛く刺激する。

「赤ちん、お願い。ぎゅってして…?」

言えば一瞬強張った体、だがおずおずと延ばされた手がやがて首に回され、こくんと喉の鳴る音と一緒に彼の両の腕に弱々しくも力が篭る。

(始めっから、これで、良かったんだし…。)

紫原もまた、頬を擦っていた手を赤司の肩に背に回し、その腕に彼をかろうじて抱き潰してしまわない程度に抑えた力を込める。
これで良い。
赤司は、求めることができない(どうしたって、てなんかのばせない!)。
紫原は、望むことができる(赤ちんのそばにいたいよー!ほんとにほんとにおかしくなっちゃう!)。
不器用な赤と紫の、これで、ちょうど、不器用だけど、2人分。

びくりと動いた肩が、しばし後再び震えはじめる。

「っ…、…っっっ…」

そして声にならない声を上げ始めたその背をぽんぽんと撫でる。
やがてその震えが治まるまで、紫原は赤司を一瞬も離さずに強く、ぎゅっと包み込んでいた。



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