NOVEL | ナノ

 タイムリミットは午後11時 side purple

「あんみつ」

ため息ではないがスマホ越しに聞こえる吐息に、隠されない呆れを感じている。

「みつまめ、豆かん。抹茶パフェ。わらびもち。抹茶わらびもち。」

何府県も隔てた向こうにいる想い人。
さすがに、簡単に会える距離ではないと分かっている。
それなのにこんな風に遠まわしに駄々をこねて、察しのいい彼を困らせているのは自覚はしている。
それでもただ黙って自分のワガママを聞いてくれている、電波の向こう最上の想い人。

「八つ橋、おたべ、五色豆、」

会いたいと、脚色も抑制もしていないストレートな自分の気持ち。
その心からの気持ちを聞いてほしい、というワガママ。
子供っぽくて、浅はかで、考えなし。批判する点は多々あるだろう。
でも、そうは言わずに、聞いてくれて、いた。

「敦、」

そんなに言っても、僕には会えないよ。
僕だってそう簡単に京都を離れるわけにはいかないし、敦だって陽泉を離れられない。そうだろ?

スマホ越しの、無機質にデジタル変換された赤司の声。

「うんそうだけど。そうだから。」

「何だそれは…。」

本物と何も変わらないように聞こえる赤司の声。
けれど、その電子の音色を聞く度切なくなる。
どれだけ技術が進歩しても、音波の変換方法が波であろうと信号であろうと、きっと実際に交わす声には敵わないように思う。
それは実際に顔を見ていないからなのかもしれないし、精神的なものなのかもしれない。

(何で、赤ちんは俺の傍にいないんだろう…。)

きゅうぅと締め付けられる胸を掴んで苦しげに息を吐く。

そんな紫原の様子を知ってか知らずか。
恐らく知ってのことではあろうが、構わず赤司は次の瞬間、突如として天からのお告げを突きつけた。
それははるか天上から舞い降り、地上の者たちを時に無慈悲に打ちのめす神の言葉。
紫原の目が見開かれるのが、端末と電波越しにも手に取るように分かる。
え、え、と繰り返すだけのその口から次の単語が浮かんでくるその前に、赤司は通話終了をタップした。

「これから明々後日まで3日間、電話は禁止だ。メールも遠慮しておくよ。返す暇がないからな。」

“3日間、にわか仕込みだが強化合宿に行く。”

通話が切られるその瞬間まで無機質のままだった赤司の声。
その神からの最後通告に、遥か東北の空の下、彼の想い人は今頃呆然と立ち竦んでいることだろう。





タイムリミットは午後11時





赤司から電話を禁止されたその夜、しばらく画面を見ていた紫原は、Eメールのアプリをタップする。
新規作成、テンプレート読み込み、”ごめん”…ウザくて、邪魔で。迷惑、で?

「…」

そこまで作って、初期画面へと戻った。
編集を破棄しますか?という無機質な文面に、これまた無機質な選択肢で”はい”。
メールも遠慮する、赤司がそう言い切ったのだから、きっと4日後まで読まれることもないのだろう。
彼のことだ、最終的にスマホを合宿先に持っていかないという選択肢だってあり得る。

「…。」

ふうと自然に漏れるため息一つ。
ああ、こんな時に幸せを逃すわけにはいかないのだけれど。
告げられた突然のそれが、既にいくつもの幸せを逃したくらいの破壊力をもたらしている。

「赤ちん、」

名前を呼んでも仕方がないことだ。どのみちこの声は赤司には届かないのだし。
途端に口寂しくなった紫原は、消灯時間を過ぎとうにクローズした寮の食堂に向かった。
生徒にも開け閉めが許される共用の方の冷蔵庫には麦茶もお茶もスポーツドリンクも常に入っているが、あえて水道を捻る。
自分が買っておいたジュースも恐らく無事に入っているだろうけれど。
名前を書いておいたし、ことあるごとに(…寝坊をしたり練習に真剣に参加しなかったりと主に紫原がいけないのだが)彼のお菓子やジュースを没収していく福井を今日は怒らせてはいなかったはずだ。

(ていうか福ちん、ジュース没収していつもどーしてんの…?)

お菓子なら自分で食べているのかもしれないが、彼は果汁の入ったものに拒否反応が出る。
アレルギーではないと本人は言うし実際菓子や料理などで少量摂取したくらいでは何も起きないのだが、ジュースやゼリー、果物そのものを食べるとじんましんが出る。
あんなに美味しいのに、福ちん可哀想、といつも思う。
だから自分から没収したジュースやゼリーは彼の口には入っていないはずだ。
別に没収されたからにはもはや誰が飲んでいても食べていても良いのだけれど、捨てているのであればもったいない。

そんなことを考えながらコップに満たした水を飲み込んだ。
とにかく、お茶にしろジュースにしろ、今はそういった気分ではなかった。
味のついていないものを摂取して、ぐちゃぐちゃになりそうな自分の思考をクリーンにしたい。

「…赤ちん、」

もう一度呼んで、ポケットのスマホを布越しに触る。
着信も、メールの受信も知らせないそれ。
恐らく赤司からの電波にその身を震えさせるのは、明々後日以降でしかありえないのだろう。





そこでふと、自分しかいないと思っていた空間に、誰かの気配がして身構える。

(ユーレイ?とかねー…。)

まさか本当にとは思わないが。
劉は何かとそういう話が好きで、夏には毎夜夕食時にこの食堂では必ずそういう話になる。
幽霊を中々信じられないでいる紫原には全く震えることも出来ないような話ばかりだが、それに叫び声をあげる岡村や強がって怒鳴る福井、実はそういった話が苦手で時折びくっと震える氷室を見るのは面白くて好きだ(人のことへーきで殴ったりするくせに…)。
クールな室ちん、ホットな室ちん、優しいお兄さん、実は怖いお兄さん、そしてさらに怖がりのお兄さん、で、見た目の流麗さからは想像のつきがたいくらい、実際の氷室の内面はごちゃごちゃしている。
…まあそれはそれとして。
とにかくも、古来より幽霊よりも、げに恐ろしいのは人間という。
実際のところ紫原にとっては、幽霊に出会うより口うるさい上級生に見つかった方が色々と厄介なのだ。

陽泉高校に入学し、他県出身の運動部部員が使う寮に収まった紫原(以前から身長の高い生徒を受け入れていたらしく、今のところ何とか天井には頭をぶつけずに生活が出来ている)。
徐々にチームには溶け込んできた紫原だが、監督や先輩に敬語も使わず、先輩同輩かかわらず周りへの配慮など全くない彼のことを他の部活の上級生などは未だに理解しかねていて、目の敵にされることも多かった。
福井や岡村は元々が健気な先輩体質なので彼らのフォローは余計に”先輩の心労の種である悪い後輩”というイメージを作り上げてしまう(実際ある程度はそうなのだけれど)し、なまじ帰国子女やら留学生である氷室や劉は、紫原をフォローをするという発想がそもそもない。
元々ため口や上下関係を慮らない彼の態度をそれほど問題視してはおらず、それが理由で紫原が批判されるということにも気付かないのだ。
そんなこともあって未だバスケ部員以外には受け入れられ難い存在である紫原が、消灯時間を過ぎて出歩いていると何かと都合が悪い。
これが例えば他の一年生であれば軽く注意されるだけで済むだろうに、全く世の中というものは理不尽に出来ている。

慎重に身を潜め(この体躯である。中々難しいのだけれど闇に紛れれば、何とか)耳を澄ます。
すると、聞こえてきた声の主は意外にも自分の先輩で、こんな時間にあの優等生が何をしているのかと少し面食らったがとりあえずはほっとした。
未だ体は闇に紛れさせながら視線で氷室を探すと、食堂の隅、LED使用の蛍光灯を一か所だけつけ、スマホを片手ににこやかに笑う彼の姿が視界に映る。

「…、…sh、ai…HA、」

時折聞こえてくる日本語ではないそれ。
氷室の人間関係を全て把握しているわけではないが、彼がこんな風に英語で会話をするのは紫原に思い当たる人間の中ではただ一人。
彼に、まるで穢れある現世にその身を落とした秀麗な堕天使のような彼に、情熱のスポーツバスケを教えた大天使アレックス、その人だろう。

「元々ウザかった室ちんを、さらにウザくした人…。」

バスケをしていなかった当時の氷室は想像でしかないが、人の性格はそうそう変わるものではない。
直接聞いたことはないしもちろん彼はそんな素振りを微塵も見せないけれど、あの何だか色々開けっ広げな彼女が氷室の想いの人であることは明白だ。
彼女のことを考え、話すその仕草仕草に、確かに存在する恋慕の慈しみを感じている。

(嬉しそーな声してー、)

国際電話の料金は知らないが、およそおいそれと使用できるような金額ではないだろう。
無料のインターネット電話でも繋がればいいのにとは紫原が常日頃から思うことだが、残念ながら寮生がネットワークに触れられる時間は限られている。

(赤ちんと俺、より、えんきょりなんだね。)

もし自分と赤司の関係がそうだったら、電話越しではもはや会話すら成り立たなくなるのではないかと紫原は思う。
ありえないほど遠い距離と、ありえないほど少なくなるであろう会話の頻度。
会いたい気持ちを余裕ぶって菓子に例えるなんて到底出来そうにない。
ただ会いたい会いたい会いたい会いたい赤ちんは何でここにいないの、と口を開けばそればかりが出てきそうだ。
また赤司に呆れられそうだがこればかりは仕方ない。
遠ければ遠いほど、離れれば離れるほど、恋する思いは募るもの。
だから遠距離恋愛は素敵だとか何だとか関係のない人間は言うのだが、本当に止めてほしいと思う。
当人の気苦労も知らないで。

(…)

距離が遠かったこともあるし、そもそも流暢な英語の会話を聞き取れるほど紫原は英会話に精通していないので文章は聞き取れなかったが、時々漏れ聞こえる単語を拾うことは出来た。
というか、盗み聞きなどするつもりはなかったがのだが不可抗力もあり、つい会話を聞いていたのだ。
そして、あることに気付く。

聞こえてくる氷室の言葉から、会いたいだとか寂しいだとかそういったものが全く感じ取れない。

ドライだと言っては語弊があるのかもしれないが、聞こえてくる単語一つ一つが、男女の睦言というより儀礼的なそれに近い。
遠目で表情を窺う限り、(バスケをしているとき以外では)これ以上ないほど氷室は楽しそうではあるのだが、かわされるのは決して愛のこもった単語ではない(…ように聞こえる)。
紫原にも分かるI miss you.(寂しい)、もうストレートにI love you.でもloveでもsweetも良いのだが、とにかくそういった言葉は全く聞こえてこない。
ネイティブの何か別の言い回しもあるのだろうか?だがおよそそういったものは感じられないのだ。
嬉しそうに、眩しそうに、笑う氷室と恐らく電話越しのアレックス。
その2人の間に、無機質な英単語。
2人の大人の、愛し方。

やがて会話は終わったらしく、しばらく考え込んでいた紫原がはっと気づいた時にはもう氷室の姿はなかった。
夜の食堂の隅っこに、一人取り残された紫原。
布越しにスマホを触ってみても、それが震える気配はない。

(そっか、)

そーいうこと、ね。
心の中で独り繰り返すと、すっかりカルキが抜け生ぬるくなった水道水を飲み込んで、紫原は食堂を後にした。
本当は美味しいはずの秋田の水道水は、だが今は紫原のどろどろした感情ごと胃に流れ込み、酷く胸につかえる味がした。





それから4日後。
赤司か許されたタイミングで電話をかけた。

「久しぶり、敦。」

赤司にしては高めの、少し上擦った声。
強化合宿の余韻か、それとも久しぶりに紫原の声を聞いてか。
どんなことがあるにせよ後者はないな、と思いながら、紫原はスマホ越しに赤司の姿を想像した。
遠く離れた距離は、やはりそれだけ恋慕の情を募らせる。

「赤ちん、お久―。強化合宿どうだった?今度は黒ちんに勝てそ?」

「…お前、」

途端に険悪になりそうな流れを、ごめんごめんと笑って流す。
上気する、喜ぶ、怒る、悲しむ、楽しそうに笑う。
色んな赤司を見られるのは、きっと大勢いる彼の知り合いの中で自分だけ。そういう自負がある。
だというのに、今まで自分はいったいなぜこんな大事なことに目をつぶってきたのだろう。
自分のこの子供っぽさが、相手にはどれだけか負担だったことか。
呆れた、というため息に気付かないふりをして、いつだって駄々をこねていた。

「ねえ、赤ちん、」

端末越しに彼の吐息を感じるその前に、早口で言い切った。

「俺、もう、これから、赤ちんに電話しないね。会いたいって、言わないようにすんね。
赤ちんだいすき。いっぱいいっぱい困らせてごめんね。げんきでね。また、いんたーはいで。」

早口で捲し立て、全て言い終わると同時にスマホを耳から離し通話を終了した。
しばらくツーツーとアナログに鳴る仕様に苦笑いをしながら、電源自体をオフにする。
少しの間で良い。赤司が自分のことを忘れるまで。いや、その逆か。
どうせ連絡を取る相手は親かチームのメンバーだけなのだ、スマホがなくても困らない。

紫原にとって3日間考え抜いた先のこの決断は、文字通り身を裂かれるようなものだった。
だが、それもすぐ忘れるのだろう。
元々飽きっぽい性格であるし、今まで飽きなかったものと言えばお菓子、バスケ、そして赤司。
その一つを手放すことに、抵抗はあるが困難は感じない。
きっと明日には赤司の声を忘れ、明後日にはスマホの電源を切ったことを忘れる。

(だいじょうぶ、つらいのはいまだけ。)

そう言い聞かせ、心の奥から聞こえてくる自身の悲痛な叫びから目をそらし耳を塞ぐ。
ごろんと横になったベッドで目をつぶると、浮かんでくるのは赤司の姿だけだった。





氷室とアレックスの会話を聞いて、(内容は分からなかったが)その儀礼的な単語を耳にして。
ああ、これが赤司の求めているものなんだろうなと思った。
自分とは違う、大人の男女の紡ぐ大人の言葉だ。
会いたい、会いたい会いたいよ赤ちん、と。
実際にそうストレートに口にはしないが駄々をこねたように京菓子の名を連呼する子供のそれとは違って、分別を持ち状況をわきまえ落ち着いた、大人同士の交わすあいじょう。
どうしてこのことに、気付かなかったのだろう。
どうして、赤司は指摘してくれなかったのだろう。
危うく、嫌われてしまうところだったかもしれない(赤ちんのいじわる)。

「あんみつ」

「みつまめ、豆かん。抹茶パフェ。わらびもち。抹茶わらびもち。」

「八つ橋、おたべ、五色豆、」

そして、続く「はぁ。」

いつも吐息に感じた、隠されない呆れ。
ああどうして敦はこんなに子供なんだ?会えないには分かっているのに、会いたいなんて言うんだ思うんだ?
いつかそう尋ねられる、その布石はあらゆるところに散らばっていたのに。

自分が嫌われてしまえば、あっという間にバランスが崩れ終わってしまうこの関係だった。
赤司の決断一つで、簡単に断たれてしまう会話。繋いでいるのはなんと、不安定に飛び交う電子の波だけだったのだ。
自分はその寸前までいってしまった。くだらない寂寥にさいなまれ(このまま一生会えないわけじゃないのに!遠くても同じ空の下、日本に、京都に赤司はいるというのに!電話をかけさえすれば、すぐその声を聞けるというのに!)、何度も会いたいと繰り返した。
どれほど邪魔だったことだろう。
駄々をこねる子を宥めるのに、どれほど困らせたことだろう。

だから、身を引くのだ。
赤司に会いたい。その気持ちはひとまず忘れよう。
どれほど離れても、他の誰より赤司が一番、世界で一番大好きだ。
だからこそ、身を引こうと思う。
嫌われたくない。その一心で。
このまま分別のない子供と認識されて、もし嫌われてしまったら生きてはいけない。

その他大勢と同じでもいい。その他大勢と同じくらいが、ちょうど良い。
キセキの皆、洛山の人たち、決して赤司に負担をかけない、彼らと同列に収まろう。
赤司が自分の声を聞きたいと言うのなら、応じよう。
会いたいというのなら、会おう。
だが決してそれを、自分から求めることはしない。
その距離感を保っていれば、少なくとも嫌われることはない。

気付かせてくれて、ありがとう。

廊下ですれ違った氷室に感謝をこめてそう言うと、彼は怪訝そうな顔をしていた。



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