NOVEL | ナノ

 春の交通安全週間と安価な口実

昨日、些細なことでケンカをしてしまった。
およそ、覚えている中で初めての小競り合い。
これまで彼が黒子と言い会っているのを何度も見たことがあるけど、自分がその相手になろうなんて思ってもみなかった。

理由は些細なことだ。
考えると恥ずかしいので、思い出すのはやめておく。
…何故なら今回の件は、

(全面的に俺が悪い…。)





春の交通安全週間と安価な口実





昨日の午後練の後。
少々思うところあり、顔を合わせた紫原との間に小さな口論が勃発。
八つ当たりとまではいかないまでもかなり理不尽に紫原に突っ掛かっていったし、それに彼が応じるのは当然のことだ。
緑間にやんわり諭されてはたと気付いたときには紫原はもうその場を後にしていて、申し開きなどできない状況にあった。

昨夜、一晩かけて何度も何度も反省した。
俺だって少しは(どころか大いに)、悪いと思っているのだ。
覚えている中でこんなにも罪悪感に苛まれ過ごしたことはないというのに、それを伝えられる術のない中過ごした数時間。
自分の心など知らずまた今朝も明けていく夜を、重たくなった目で恨めしく睨んだ。
それからさらに、数時間が経とうとしている。

…こちらから謝ろうというのにメールでは不誠実だ、と思ったことに原因があるのか。
そう思う心のどこかに、未だどのように謝れば良いか分からずにスマホを前に戸惑う自分がいたのも事実だ。
とりあえずごめんの一文だけでも送っておけばこうも事態は拗れなかったかもしれない。
だがおよそ俺は今まで生きてきた中で人に謝ったことなどなく(プライドが高いというんじゃない。単に謝るようなことをして来なかっただけの話)、このような状況での謝罪の言葉が全く浮かんでこない。
ごめん、すまない、悪かった。
全面謝罪の三大王者その単語単語に、ある程度の誠実さと共に上っ面だけの安っぽさを感じている。
そんなんじゃダメだ、と思うとやはり何も浮かんでこないのだ。
電話なら勢いで謝ってしまえるかと思ったのだが(それこそ不誠実の極みなのだが)、何度電話をしてみても出てくれる気配すらなく留守電につながるばかり。
こちらの逸る心を知ってか知らずか、のんびりとした応答メッセージにイライラと同時に焦りが募っていく。
二回コール音が響く度ズキンと胸の奥が痛み、その度ごめん、ごめんと心の中では繰り返すのだけれど、繋がらない回線がその言葉を吐き出させてくれない。
結局12回目に電話をしたとき、プツッという音と共に着信ごと切られてしまった。
以降お掛けになった電話は電源が切られているか電波の届かないところに…というお馴染の電子音が聞こえるのみとなり、連絡する手段は一切途絶えてしまったのだ。
そこまでするということは、あの頑固者の場合固定電話にも出ないことは明らかだった。

人懐っこくそのくせ臆病な小動物は、だが一度そっぽを向いてしまうと中々戻ってこようとはしない。
ましてや昨日、理由もなく否定されなじられたばかりの手負いの獣ならなおさらというものだろう。
幼い頃からその体格ゆえ理不尽に拒絶されたり誤解されたりすることの多かった紫原は人の感情の機微に敏感で、辛い思いをしないよう無意識に自己防衛をはかろうとする。
その行動を俺は当然だと思うが、そのため人とぶつかることも多いのも事実だ。
普段黒子とばかり口論になっているように見えるのは、紫原を取り巻くその他大勢が彼のことをまた理不尽に恐れ、遠巻きにしている結果だというのだからこれはまたとんでもない皮肉だというもの。

(どうしよう…。)

そして今日。
結果としてどうしようもできず眠れぬ一夜を過ごした俺を待っていたのは、これまた自分の生きてきた人生のなかで1、2を争うほどタイミングの悪い現実だった。

「春の緊急防災対策避難訓練?」

「ああ。だから赤司、今日は無理だと思うぞ。」

「だからって、何がだからなんだ。それと、何が無理?」

朝一から(またおは朝占いで吹っ掛けられた無理難題をこなすべく前年の卓上カレンダーを手に…よく捨てないで取ってあったなそんなもの)そう緑間に告げられ、校門の前でしばし立ち止まる。
確かに行事予定に避難訓練の文字はあったし、昨日返りのHRでも言われていたが、それが一体何だと言うんだ。
そう視線でも尋ねると、彼は意味ありげにため息をつき首を軽く横に振った。

「お前、昨日紫原に謝れなかっただろう。」

(大方、一晩電話にも出てもらえなくて泣き明かしたんだろう。…目の下にクマができているぞ。)

「…泣き明かしてなんかない(ころされたいのか?)」

「どうだか。」

どうあれ、今日あいつに謝るのは無理だ。

俺が訝しげな視線を送ると、緑間はきっちりとテーピングをした指を一本立て校舎へと移動しながら横目で再度俺を見ながら言った。

「避難訓練だろう?あいつ、今日は絶対来ない。」

そう断言する緑間の、そういえば出身小学校が紫原と同じだったことを思い出す。
彼がこうも断言するのには、相当の理由があるに違いない。
昨晩から抱え続けた胸の痛み(と、…それとは、別の、何か。心配で心配でたまらない、何か)に、心の奥がズンと重くなった気がした。





教室への階段を昇りながら、頭の中で緑間の言葉を繰り返していた。
繰り返す、何だっけ。そうrepeat。今日の3限は単語テストだ。と、寄り道をしながら。

(あいつは、避難訓練などそういったものにはとにかく来ない。昔からそうだ。)

言われてみれば確かにそうだ。
体調管理も実力のうち。練習に学校に欠席することのない帝中バスケ部レギュラーにあって、彼はこれまで二度ほど欠席している。
言われてみればあの日は両方とも避難訓練の日だったかもしれない。

いくつか、あいつにとって嫌なことがあるんだ。
そう緑間は言った。
面倒くさがりなのはいつものことだしこの際置いておくとして、と。

まず、サイレンの音が苦手だ。

(あいつが大きな音を好まないのは知っているだろう?)

第二に、これが一番の理由だが、地震ですさあ身を隠してとなったときに、あいつは教室の机に収まった試しがない。

(ただでさえ繊細な奴だからな。体格差を否応なしに感じさせられるのが、相当堪えるんだろう。)

第三に、一度火災の避難訓練のときに、デモンストレーションで救出される役として引っ張り出されたことがある。

(体格は大人で、精神は子どもだからそわそわ落ち着かない…サイレンで余計神経が過敏になっていたからな…一石二鳥の実験台とでも安易に思ったんだろう。…ただでさえあいつは目立つことを嫌うのに、あれはさすがにないと思った。教師連中まとめて無能だったよ。)

人前に出ることも目立つことも嫌う紫原。
それは主に何かと面倒だからという理由からだけれど、その奥にそうでなくても常日頃から目立ってしまうという並はずれた長躯ゆえの悲しさが隠れている。
どれほど子ども心に負荷だったことだろう。
顔も知らない小学校時代のその担任達に、出来ることなら笑顔で引導を突き付けたい。

紫原について淡々と(…いや、緑間にしてはいくらか熱が籠っているくらいだ。お菓子をこぼすな、しゃんとしろ!などと言っては日頃叱りつけているが、何だかんだ言ってこいつも本音のところで紫原が好きなのだ)緑間が語る、その一言一言がガラスの切っ先となって低血圧と寝不足でぼーっとした俺の思考を遠慮なく刺し貫いていく。

(9月の訓練の日も休んだの、覚えていないか?)

頭が覚醒していく代わりに、心が急速に冷え切っていく。

そんな俺の脳髄に、響いた極めつけはこの一言だ。

「…紫原はお前のことを全面で信頼しきっているようだし…そのお前が諭せばいずれは来れるようになるんじゃないかと思っていたが…。」

…まあ今回は少なくとも無理ということか。そしてその責は、100%俺にある。





もし紫原が、緑間が言うように俺のことを全面的に信用し、慕い、受け入れてくれているのなら。

(昨日のあれは何だったんだろう?)

その俺に八つ当たりよろしく頭ごなしに否定され、なじられ、拒否拒絶の言葉を散々浴びせかけられ。

(俺は一体、何ということをしてしまったんだろう?)

決して取り返しのつかない現実に、0℃になったはずの心の奥底がさらに冷え過冷却状態になる。
ちょっとの刺激で、即座に凍りついてしまいそうだ。





今日は部活には出ない。
そう俺は決めた。
立場的にそれが許されるのかは分からない。
先輩達にも、イイ気になってと陰口を叩かれるかもしれないが、構うものか。

それよりも、謝ることの方が先決だ。

違う。

それよりも、この罪悪感を早くどうにかしたい。

違う。

それよりも、紫原の方が気がかりだ。

紫原のことが心配だ。
紫原と話がしたい。
紫原に、会いたい。

怒らせるだけ怒らせておいて未だに気の利いた謝罪の言葉は浮かんでこないが、とにかくと心が逸る。会いたい。紫原の顔を見たい(いつだって赤ちん、赤ちんって嬉しそうな、あの)。
紫原の声を聞きたい(いつだって赤ちん、赤ちんって楽しそうな、あの)。
会って、きちんと謝りたい。

(ごめん、お前は何も悪くない。悪いのは全部俺だ。本当に。)

怒鳴られなじられ軽蔑され、殴られたって蹴られたって構わない。
全身で拒絶されたって仕方ない。
きっと、それほど、辛い思いをさせてしまった。
そして今もきっと、辛い思いをさせてしまっている。
タイミング悪くやってきた嫌な思い出と共に、一人閉じこもってしまった紫原。
早くそこから救い出して、できることならもう一度。
向日葵みたいなその笑顔を見たい。





そう心では思うものの、俺の実際の足取りはとても重かった。
何度か訪れたことのある、紫原の家。
駅からそう離れていないそこなのだけれど、どうにも足がそして体が向かない。

春の交通安全週間です。
自転車は降りて、歩道を渡ってください。

そんな言葉が春嵐吹き荒れる街中を駆け巡って、俺の決意をダメにしてくる。
交通安全?守ろうじゃないか。
信号のない横断歩道でも一時停止。
右を見て左を見てもう一回右を見て、そのうちに車が近付いてきたら大成功。
その車が通り過ぎるのを待って、もう一度…、

(…って、そんなことをやっている場合か俺は!!!)

頭は早く早くと急いているのに、心と体がついていかない。

どうしよう、何て謝ろう。
どうしよう、帰れとその場で言われたら。
どうしよう、インターホンにすら出てくれなかったら。
どうしよう、…もう本当に、嫌われてしまっていたら。

ついに紫原の家まで後100 mというところになって、視界に入ったコンビニに駆け込んだ。

(だから俺は何をして…。)

早く会いたい、顔を見たいのに、それを怖がる自分がいる。
どうしようもないあかしせいじゅうろう。
なんと、よわいのだろう。

俺はコンビニの中で、ぼんやりお菓子のコーナーに吸い寄せられていく。
意識的にではない、部活の帰り、学校の近くのコンビニに毎日紫原と行っては真っ先に向かうそのコーナー。
どの店舗も基本的には同じ作りをしているから、迷うことなく辿り着く。
彼の好きな、まいう棒が視界に映る。
昨日は、今日は、一緒に行けなかった帰りのコンビニ。

(何か、買っていこうか。)

そこで、はたと気づく。
…何で家まで?と言われたら、どうしよう。
そこは素直に、謝りに来た、で、良いのだろうか。良いのだろう。
いや、そうでない理由がまずないし、言い訳するのはますますもって不誠実だ。
だが、いざ紫原の家に着いたときその一言がちゃんと出てくるのか、自信がない。
彼を目の前にしたら、きっと言える。きっと、謝れる。できなくても、するのだ。
しかし、仮に彼のお母上が現れた場合は、どうすればいいのだろう?(紫原家の場合、その可能性が一番高い)

(…息子さんと、敦くんとケンカをしてしまって、謝りに来たんです…?)

今までそういう経験が全くないから、それが正解なのかも分からない。
普通、休んだ子のために学校の届け物を、というのが常套句だろうが、あいにくその手のものは全くない。
ノートも(彼のクラスは今日は確か体育と美術、オーラル、その後は避難訓練で、授業などあってないようなものだった)、先生からの伝言も。
どうしよう、完全に手詰まりだ。後100 mだというのに、それを乗り切る手立てがない。
このまま一人コンビニに立ち竦んでいても、何の解決にもならないというのに…。





静止数分。
逡巡する俺の視界に、見慣れた大きさのチョコレートが入り込む。

(…?)

それはピンクに茶色、緑色のパッケージで。
桜餅と書かれている。桜餅味のチョコレート。
珍しくてつい、手に取る。

(…新商品。)

コンビニのお菓子の、新商品。紫原の好きな。
その桜餅味のチョコレートを、いくつか手に取る。
近くに、彼が持っているところを見たことがないまいう棒。
シュガーラスク味と書かれたそれを、数本掴み籠に入れる。
高鳴って仕方なかった鼓動が、自然と落ち着いてくる。

こんなものを口実にするなんて、ばかげている。
最終的に自分が謝罪を切り出すことに変わりないのだから、このワンクッションにどれほどの意味合いがあるのかは分からない。
だが、それでも…。

桜餅味のチョコレート、よく分からないけど、8個。
シュガーラスク味のまいう棒、これは彼が部活帰りによく買う本数で、5本。
それと、ねるねる…?(ゲシュタルト崩壊を起こして商品名が上手く読み取れない)
そのお菓子を俺は未だ体験したことがないのだけれど、…彼曰く、ねればねるほどいろがかわってうまいやつ。
何だか想像もつかない、だが確かに彼の好きそうな着色料を彷彿とさせるパッケージのそれ、ソーダ味を1つ(これは定番なのだと彼は言っていたが)。

コンビニの一番小さな袋では収まりきらなかった、そのお菓子数点を手に提げ残りの100 mを進む。
早く早くと頭が急く。心が急く。鼓動が高鳴る。

(こんなの、ばかげている…。第一、安すぎるし…)

でも、安価なそれが、途方もない勇気を俺に暮れる。

(その助けを借りて、俺は。)

せかいでいちばんわらってほしい、
せかいでいちばんかなしませたくない、
せかいでいちばん、だいすきなきみに、
あやまりにきました。

ほんとうにごめんね!





インターホンを、震える指で、

(っあの、俺、赤司です、帝光中の、敦くんと同じ部の、)





春の交通安全週間と、安価な口実

その安い口実を手に胸に、いざゆかん。友の元へ。





end.

さて赤司が何をしてしまったのか。
考えてはいるけれど、省略です。


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