頂くものは夏も小袖
※少しだけ未来の話
「かーらさわさーん」
「おや、太刀川くん」
仕事柄あまりボーダーの子供達とは関わりが薄かったのだが、キリと過ごすようになってからはある程度関わりを持つ子が増えた。その一人が太刀川である。警備任務を終え、深夜の基地にまだ居残っている面々と晩酌していたと見えて、少しばかり顔が赤い。そんな太刀川は何かを背負っている。
「これ、怒られないうちに唐沢さんに返しときます」
「・・キリ?」
「おっと、ほら、しっかりしろって」
よいしょ、と太刀川が背から下ろしたのはキリだった。降ろされ、俯いたままキリは足がもつれたのか太刀川の方へ倒れかかる。相当酒が入っているらしい。
飲める歳になった時はさんざん人の失敗のことを笑っておいてやっぱり失敗したか。唐沢は短く息を吐くと太刀川に寄りかかるキリを見る。単純に、その構図も面白くない。
「ほらキリ、帰るぞ」
唐沢の声に反応したのか、ぴくりと肩が震える。次の瞬間、ばっとこちらを向いて顔を上げたキリは満面の笑みだった。
もちろん彼女の笑顔が好きだ。ただ、お世辞にも素直とは程遠い彼女が笑う時は必ず恥ずかしがったような笑みが多いので、今の破顔という言葉が合うような笑みに唐沢は思わず後ずさる。かわいいな、とかいう感想よりも先に、なんでという疑問が唐沢を突き動かしたのである。
「かつみ!!」
「は、」
小走りでキリは唐沢の元へと駆け寄るとそのままの勢いで抱きついてきた。いつものキリなら到底有り得ない行動に唐沢は受け止めつつ更に体を強張らせる。その間もキリは甘えるようにぐりぐりと顔を胸に埋めている。助けを求めるように太刀川を見る、そして彼の視線は明後日の方向へ。
「出張から帰ってくるっていうからぁ、待ってたの」
「え?あ、そ、そうか」
顔を上げたキリは目尻を下げてふにゃっと笑う。唐沢は思わず目をそらして誤魔化すようにキリの頭を撫でてやる。撫でられたキリは喉を鳴らして甘える猫のようになにやらふにゃふにゃ呟きながら体を揺らしている。
「そいつ、ずっとそんな調子なんですよ。あんまりにもあれだから持ってきました。ちょうど唐沢さんが今日、帰りって忍田さんから聞いたんで」
絶句する唐沢に太刀川が助け舟を出してやる。その間も目下のキリは甘えるように擦り寄ってくる。どうすればいいのか分からなくなった唐沢は両手を彷徨わせていた。
「ね、かつみ、ねぇってばぁ」
「あっ、おい、ばか」
ぐっとネクタイを掴まれて前のめりになる。状況を理解する前に目を瞑ったキリの顔が目と鼻の先に迫っていた。ほんのり赤い唇と頬に目を奪われつつ、反射的にキリの口に掌を押し当てると牽制する。
目の前の太刀川をはじめとした数人は彼女と唐沢の間柄を知っているが勿論、その他多数は秘書と上司という認識だ。仮にもボーダー本部基地という人目のつく場所でこれはまずい。
「キリ、よしなさい」
「んぐぐっ、」
訴えるような目に一瞬だけ「少しくらいなら・・」という文字列が翳めたが、それを隅に押しやって唐沢はゆっくりネクタイを握るキリの手を解いて距離を置く。
「・・ここではダメだ、いいね?」
「ん、わかった・・」
手を離す時にはぁっと息を吸うキリの口元に目を奪われたが目を逸らしつつさらに距離を置いた。が、キリはむっと眉根を寄せてさらに距離を詰めてきた。唐沢はさらに距離を置く、の以下繰り返し。
一連の流れを見ている太刀川が気まずそうに「あのー・・」と切り出す。
「じゃ、俺はきちんと届けましたから」
「あ、あぁ、悪かったね。おやすみなさい」
太刀川は巻き込まれないうちにくるりと回れ右をする。そろそろ自分も帰らなければ明日の授業に響く。なので直後に後ろから、
「あっ、おいバカ!おい!」
と悲痛な唐沢の悲鳴が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした。
「・・キリ、」
「んっ・・んんぅ・・」
なんとか車に押し込めて自宅まで帰ってきた唐沢はシートベルトを外し、車のエンジンを切ると、助手席で寝ているキリをそっと見る。
名前を呼べば、眉根を寄せたが起きはしない。唐沢はもう一度名前を呼ぶ。
「ん・・かつみ?」
開いたまぶたから見えた瞳は、太刀川から引き取った時よりもしっかりこちらを見据えている。ようやくいつものキリかと安心した唐沢は頬に手を添えた。
「しっかりしたか?全く、だからあれほど酒に気をつけなさいと・・」
「かつみだ〜!かえってきたの〜?おみやげは?」
「・・・・ダメだこりゃ」
ぎゅうと首に腕を回されて抱きつかれながら唐沢は思わず呟く。それが聞こえてか聞こえていないのか、キリは首元に甘えるように擦り寄る。それを引き剥がすと彼女のシートベルトを外してやる。
「いいかい、車を降りて、部屋まで帰るぞ。歩けるか?」
「はぁーい」
「あ、おい!周りを見ろ、危ないだろ」
キリはニコニコしながらドアを開けるとふらふらと駐車場を歩き出す。唐沢は慌てて自分も車を降りてロックをかけると、その背中を慌てて追いかけた。
家に帰ればキリはぽいぽいっとヒールを脱ぎ散らかして入って行く。唐沢はため息をつきながらそれを直しつつ、後に続く。リビングに入ったキリはそのままソファに倒れこんだ。
「ほら、そこで寝ない。ベッドに行きなさい」
「かつみ、のどかわいた」
「はいはい」
ふにゃふにゃと笑うキリを尻目にコップに水を注ぐとソファに近付き、そばに座り込む。うつ伏せに倒れ込んでいたキリはこちらを見るとさらにニコニコした。
「んふふ、かつみがいるー、おかえり」
「・・はい、ただいま。ほら水を飲んで」
「んー・・・・」
キリはニコニコしながら体を起こし、コップを受け取ると中身を一気に飲み干す。そのままグラスを唐沢に押し付けるとまたソファに体を倒す。いつもの素直じゃないキリに少しは素直に・・とはいつも思うが、ここまで素直だとかえって調子が狂う。押し付けられたコップをテーブルに置きつつ、どうしたものかと考えていればぐっとネクタイを掴まれた。
「・・・・ここでなら、いいでしょ?」
とろりとした瞳に水で濡れた唇が艶やかに弧を描いた。唐沢は諦めと悩ましげなため息ひとつ、「どうぞお好きに」と目を瞑る。単純に、今のこの状態なら自分からいかなくても彼女からキスしてくるのかという疑問もあったからだ。
ふ、と唇に吐息がかかってその直後にゆっくり重なった。何度か重なったが、唸り声が聞こえて目を開ける。
「・・やりにくい」
「・・じゃあ、どうしようか」
キリはううーんと考え込む。いつものキリなら眉根を寄せて怒るとこだな、と唐沢は内心笑う。人目につく基地から二人だけの空間に入った途端、酔って素直になったキリを堪能してやろうかという欲が出てきたのだ。
キリはしばらく考え込んだ直後、仰向けに寝転がると誘うように両腕を上に上げた。
「こっち、きて」
「はい、どうぞ」
キリの頭の横に手をついて覆いかぶさるようにしてやれば、キリは上げていた腕を首に絡ませて引き寄せてきた。力の加減が酔いで分からないのか、何度か歯がぶつかる。それ以上に伏し目がちに唇を寄せてくるキリから唐沢は目が離せずにいた。ゆっくり赤い唇が開いてちろっと舌がのぞく。
「ん、した、」
「じゃあどうぞ」
口をうっすら開けてやればたどたどしく熱い舌が入ってきた。これはなかなかいいな、などと思っていれば、首に絡んでいた腕が解けてネクタイをほどき出したので慌てて唐沢は口を離そうとしたが、もう片方の手に後頭部を抑えられてそのままキスが続く。まさかキリがそんな行動に出るとは思わなかった唐沢は、しばらくキリのいいようにされて口が離れる頃には息が上がり、ネクタイはソファの下、ワイシャツは前が大きくはだけていた。つつ、と首から胸元まで這う手に、唐沢は思わず吐息を零した。
「・・これは期待していいのかな?」
「んー・・・・いいよ、する?」
目と鼻の先にあるキリの顔が妖艶に唇を歪ませて微笑むとそのまま唐沢の首に抱きつく。ふ、とキリの吐息が耳元をくすぐる。
「すき、からさわとするのもキスも全部すき。たくさん好きって言ってくれてる気がするからうれしい」
しばらく言葉失くして固まっていた唐沢は、少しずつ顔を綻ばせるとキリを抱きしめ返した。
「する前にあんまり煽ることを言わない方が見の為って・・・・キリ?」
酔って正直になったキリに振り回された唐沢が、首元にかかるキリ吐息が段々と規則正しいものになっていく事に気付いたのはしばらくしてからだった。しばらく様子を見た後に体を離せば、眠って力の入っていないキリの腕がするすると落ちていく。眼前にあるキリの寝顔に唐沢は深く息を吐くとそのままその首筋に顔をうずめる。
「・・・・本当にきみってひとは」
文句を言ったところでこの酔っ払いは朝まで起きないだろう。
散々煽られて昂った熱をどうしたものかと一人、持て余していた。
視線を、感じる。
あの後キリをベッドに運んであれこれしているうちにどうやらリビングで寝落ちしてしまった唐沢は、変な体勢で眠ったためにあちこち軋む体に鞭打ちながら洗濯を終えて仕事のメールの確認をしていた。取り掛かって三十分、何やら視線を感じるのだ。もちろん、こちらの背をちらちらと伺い見ているのは彼女だ。
(さて、どう出たものかな)
借りてきた猫のようにしおらしい態度を見るに、記憶はないが「酒の酔いで何かをしでかした」という認識はあるのだろう。もしくは記憶がまるっとあるからこそおとなしいのか。どちらにせよ彼女には酒について少し灸をすえる必要はあるだろう。
唐沢は短く息を吐くと振り返らずに背後の猫に呼びかける。
「・・・・キリ、こちらに来なさい」
返事はなかったものの、そろそろと遠慮がちな足音がしてキリが隣にきた。いつもの勢いはなんのその、キリはそのまま正座をすると恐る恐るこちらをみる。唐沢は少しわざとらしく息を吐くとゆっくりキリの方へ向かい合った。
「・・俺が何が言いたいか、分かるね?」
「・・・・ご、ごめんなさい」
「どこまで覚えてる?」
キリは目を泳がせると指折り数える。
「さ、最初同い年の子と飲んでて・・えーっとそのあとおサノが諏訪ときて、諏訪が太刀川とか東さんたちと麻雀やるっていうから暇だから見に行って、そこで日本酒とか・・えっと・・なんか東さんが研究会の人にもらったっていうどっかの国の地酒分けてもらって・・その・・」
「・・東さんたちと?その時小佐野さんはいたのかな?」
「え、えっと・・その、東さんと太刀川と諏訪と・・」
同性の名前が上がらないことに段々と唐沢の目がすっと細くなっていく。
「と、途中から堤さんもきた!あと米屋と出水・・ご、ごめんなさい」
「・・別に、彼らをよくよく知っているから特別そこを責めはしないよ。ただ、ああいう状態で・・」
「あ、ああいう状態・・?」
そこまで言いかけて唐沢は口をつぐむ。そうか、キリ本人は酔ったあの状態を覚えていないらしい。そこまで考えて唐沢は少し逡巡した後に続けた。
「とにかく眠り込んでしまってここまで運ぶのは大変だったんだよ。見知ったボーダーの子たちの前ではいいが、分かるね?」
「・・う、うん」
「おいで」
しょぼくれたキリを腕の中におさめつつ、まあこれでよしとするかと納得する。
「うっかり」彼女が限界まで酔うと、素直になるという事を話しそびれてしまったのでそれでおあいこだ。あんまり責めすぎると今度は酒に慎重になりすぎてしまうかもしれない。もちろん、外ではそうあってほしいが家でもそうなってしまうとこまる。昨日のお預け分の利子はあるのだから。
「今日は休み?」
「休みだよ。せっかくだ、どこか出かけようか」
「べ、別にいいけど・・」
通常通りに戻った素直じゃないキリに唐沢は呆れたように笑って見せた。
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