魚の水を得たるが如し
「いーずみ!」
次の授業が教室移動なので、米屋と廊下を歩いていれば、本日何度目か分からない自分を呼ぶ声。出水は溜息をつくと振り返る。振り返った先にいたのは去年のクラスメイトだった。
「誕生日おめでとう!」
「はいはい、ありがと。おれ急ぐから」
きっと昼休みが終わるまで解放してくれそうにない気配を感じ取って軽くあしらうと、数歩先にいる米屋に駆け寄る。
「よー、人気者」
そういってにやにやする米屋を睨む。
「うっせ。ありがたいけど今日はそんな気分じゃねぇの」
「そうだよなー。愛しのキリがいないもんなぁ」
「ハチの巣にすっぞ」
キリは今日、ボーダー関係の事情で学校に来れないらしい。詳しい事情は本人もよく教えてくれなくて、それが余計もやもやする。
キリが選んだことならしかたないと分かってはいるものの、じゃあそれならば彼女とは以前の様にただの親友として見れるのか、と言われればそうでもなくてーーとどのつまり、米屋の言葉でいう『未練たらたら』なのである。
なんでよりによって今日なんだか。
いっそ何十回のおめでとうを聞くくらいならキリの一回だけのおめでとうのほうが何倍も聞きたい。
「お前さぁ」
「・・・・んだよ」
「大人ぶらなくていいんじゃねーの、はっきりやっぱりほしいって言って来いよ」
「あのおっさんに宣戦布告とか死んでもできねぇよ、後が怖い」
「言えてる」
そう言ってけらけら笑う米屋は完全にこの状況を楽しんでいる。これに関してはいちいち怒ってもしょうがない。米屋とは本来からこんな奴だった。
「ほら、くだらねーこと言ってねーで早く行こうぜ。あの先生、遅刻にはうるさいだろ」
出水はそう言ってまだ楽しそうに笑う友人の背中を叩いた。
「出水!」
ずっと聞きたかった声がようやく耳に響いたのは、今日はもう帰ろうかと本部の隊室から出た時だった。
ばっと声の方を振り返れば、息を切らしたキリがいた。
「はー、良かった。間に合った」
そう言って顔を上げたキリは、いつもと雰囲気が違った。ボーダーのスーツに身を包んでいることと、薄ら化粧しているこが相まって普段より大人びて見える彼女は、いつも学校でバカみたいな話をして笑う少女とは別人で、少し気おくれしてしまう。
誤魔化すように出水は笑うとキリの頭をくしゃっと撫でた。
「んだよ、おれもう帰るんだけど」
「うっさい、ちょっと付き合いなさい」
ぷくう、と頬を膨らませるその仕草は相変らずでこの表情にノーとは言えない出水も相変らずで。キリにぐいぐいと引っ張られるがまま歩き出すのだった。
「はい、これ」
「なにこれ」
いきなり渡された紙袋に出水はきょとんとする。
「なにこれってプレゼントよ、プレゼント」
呆れたようにそう言ってから、キリはちょっと咳払いすると少し小さな声で、
「その・・・・お、おめでとう。お誕生日」
と付け足した。
「おう」
笑みは、自然とこぼれた。それを見たキリも少し笑う。なんだか照れくさくて、渡された紙袋をごそごそ開ければマフラーが出てきた。
「これから使うでしょ。あと、米屋と私からってことで」
「・・・・ありがとう」
そのまま首に巻いたそのマフラーは、温かかった。
「いいえ。出水には、ずっと迷惑かけっぱなしだったし、これからもよろしくお願いしますって意味も込めて」
「おうおう、お前がもう面倒みんなつっても見てやる覚悟しろ」
「うっわあ、なにそれむかつく」
「うるせーうるせー。っつかお前も、もう帰んの?」
「うん。部長はまだ少し掛かりそうだから置いてくの」
「あっそ」
不思議と、その言葉とキリの表情にもう、なんにも思わなかった。いつもならちょっぴり悔しいのに。
ふと思った事を振り払う様にちょっと頭を振ると、出水はキリに手を差し出した。
「じゃあ帰んぞ。おれもちょうど帰るとこだったし」
「うん」
ふわっと笑うキリに、たまらず出水も笑いかええした。
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