恋は思案の外 | ナノ

恋の病に薬なし


 「キリ、着替えは置いてありますよね?」

 学校の後、本部のこじんまりとした営業部の部屋でやるべきことを終えて伸びをしていればぽん、と頭に大きな手が乗ってそんな一言が上から降ってきた。
 キリはちょっと顔を上げて唐沢と目を合わせる。ちょうど外での営業を終えて帰って来たらしい。

 「置いてあるけど・・なんで?」

 一時期本部で過ごしていた時の着替えの一部をすっかり持って帰るのを忘れていてここに置きっぱなしなのを思い出しつつキリは答える。

 「そうか、ならちょうどよかった。行くぞ。その着替えもってけ」

 「は? 今からどこに?」

 いいいから、と唐沢はそれ以上は何も言わずに車の鍵を取り出すと部屋の戸締りを始める。夜の九時ちょっと前と微妙な時間を指している時計を見、さらにキリは首を傾げた。

 「? 仕事?」

 しまい込んでた着替えを引っ張り出しつつあわただしい背中に呼びかけた。

 「いや。だから、スーツとそのネクタイは変えていけ。ただ、制服には着替えないでくれよ」

 慣れた手つきで器用にキリのネクタイを外しつつ唐沢はそう言って少し笑う。キリはじと、と唐沢を睨んだ。こんな風に笑う時の彼は決まって何かたくらんでいる時なのだ。

 「・・・・・・何、なんなの」

 「そう拗ねるな、今に分かる」

 ちょっとからかうようにそう言って額にキスを落とされてキリはさらにむっとするが、唐沢はそれ以上答えることなくキリを連れ出した。





 「えー・・っと?」

 あのままされるがままに車に乗ってついていけば、車が到着したのはいわゆる高級ホテルだった。チェックインを済まされ、部屋に来てしまったキリは部屋の入り口に立ち尽くす。

 「仕事? あしたここでなんかあるとか?」

 「だから仕事じゃないと言ったろ」

 そう言って唐沢はぽい、と無造作にカバンをソファに投げ捨てる。それとこんこんと部屋にノックの音が響くのはほぼ同時だった。

 「え、なになに」

 「キリ、ちょっと奥に行っててくれ」

 訳が分からないまま唐沢にぐいぐいとされるがまま部屋の奥に押し込まれる。
 ドアを開けた唐沢は何やらそこでホテルのベルボーイと話し込んでいる。長くなりそうだな、とキリは大きく伸びをしてふかふかした椅子に座り込んだ。慣れないヒールで足が痛い。

 「キリ」

 「なにーー」

 ようやく話が終わったらしく、唐沢の呼び声が聞こえて振り向いて、思わず固まる。ちょっと笑った唐沢は綺麗に飾り付けられたデザートが乗った少し大きなプレートを持っていた。

 「え、なに、なんなの?」

 あんた、そんな甘ったるいの好きだっけ? と首を傾げるキリに唐沢はふんわり笑う。あまりにもその笑顔が優しいものだから、ぶわわ、と熱が頬に集まる。なんなんだ、いったい。
 そのままテーブルまでそれを持って来てキリの前に置くと椅子に座ったキリと目が合うように跪く。そして何やら小さな箱から取り出すと、器用にキリの首につける。唐沢の手が離れたときには、キリの首元にはシンプルだがどこか気品のあるネックレスが飾られていた。ぎゅっと手を握られて正面から見つめられる。

 「誕生日、おめでとうキリ」

 「! え、え、」

 慌ててデジタル時計に表示された日付を見る。今の今まですっかり忘れていた。

 「キリ、自分の誕生日も忘れていたのか」

 「う、ううううるさい、あんただって忘れてたじゃん!」

 思わず唐沢のからかうような言葉にいつもの感じで返してしまって、しまった、と口をつぐんだ。こういう時ほど素直に感謝も言えない自分の捻くれた性格が嫌になる。

 「か、克己」

 「なんだ」

 「え、えと、その、」

 じ、と優しい視線と絡んで何も言えなくなる。思わずそらしてしまいそうになったが、感謝を伝えるのにそれはさすがにまずい。すう、と大きく息を吸って唐沢の瞳を見つめ返した。

 「・・あ、ありがとう・・・・すっごく嬉しい」

 「・・今日はやけに素直だな」

 「っ、たまには、こういう日もあるの! 悪いか、ばか」

 「いいえ。ただ、もう少し素直な日が増えてくれると嬉しい」

 「あー、もう、ちょっと私が妥協すればこれなんだから」

 ふいと顔をそらしてデザートに取り掛かる。唐沢は心底楽しそうにくすくす笑うと立ち上がってキリの前に座った。

 「だからボーダーのスーツから着替えろって言ったのね」

 なんとなく甘ったるい雰囲気を振り払おうとキリはそう言う。嫌いではないが、ちょっとそわそわしてしまう。

 「まあね。流石に周りに見られるわけにはいかないし、制服だと俺がもれなく捕まる」

 「ってか、狡い。私が克己の誕生日を祝った時よりも豪華じゃんか。このネックレスも高そうだし」

 そう言えば唐沢はちょっと苦笑した。

 「年上として、あと男としての見栄だよ。いつもいつもキリには振り回されてばかりだからな。今日ぐらい、俺に主導権があってもいいだろう?」

 嘘付け、だいたいいつもあんたにばっか主導権あるじゃん。という言葉は飾り付けられた果物とともに飲み込んでおく。

 「・・あっそ。食べる?」

 そう言ってスプーンを差し出せば、差し出した腕ごと引っ張られる。いきなりなにするのという抗議の声はキスで消えた。

 「・・ん、甘いな」

 「〜っ、いきなりそう言う事するな、心臓に悪いっ」

 「なら、いきなりではなければいいのか?」

 あぁ、まただ、この甘い雰囲気。

 じっとキリを見つめる瞳は静かな熱をたたえていて、離せない。どうぞ、なんて言ったら最後。きっと目の前の男のタガは外れるんだろう。でも、この瞳を前にして嫌だとも言えなくて。

 「・・・・・・やっぱりいつも通り主導権は克己じゃん」

 「・・キリ」

 ねだるようなその声に、キリは諦めたように溜息をついた。どこかで期待する自分にも、呆れる。ただ、ちょっとこのまま黙って唐沢に主導権をやるのも癪だから、たどたどしく自分からキスすると、

 「・・どうぞ」

 とだけ呟いた。瞬間、完全にスイッチが入って少しだけ細められた唐沢の目を尻目に、まだ少し残ったデザートプレートを見やる。

 「・・でもまだ、食べ終わってないからダメ。そのあとで」

 犬に待て、と言う様に唐沢の鼻に指先をくっつける。唐沢は参ったな、とだけ呟くと体を離した。触れられていた箇所からじわじわ熱は全身に広がっていく。首元のネックレスがひんやりと存在感を放っていて、余計に熱が集まるのを感じる。

 耐えかねて口に入れたデザートはとても冷たく、甘ったるかった。




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