惚れた病に薬なし
最近、キリの様子がおかしい。
じっとこちらを見る癖に、視線に気付いた唐沢がキリを見やればすかさず目をそらしたり、なにやら最近やけに唐沢を避けている気がするのだ。
かといって妙にそわそわしながら後をついて回ったり、甘えてきたりするのだから、そろそろ季節外れな雪でもふるのでは?と真剣に考えてしまう。
「キリ」
こうなればこちらからけしかけて理由を吐かせてしまえ、とそう甘く名前を呼んで腕の中に閉じ込めたのが先週の夜の事。
基本、人のことは御構い無しでぐいぐい来る割には押しに弱いキリなのだが、その時は違った。
「考え事してるからあっちいって」
「・・・・・・・・」
まるで甘えてきた幼子をあしらうようにキリはやんわりそう言うと、腕の中から去っていく。唐沢はただただ何も言えずにそんな彼女の後ろ姿を呆然と眺め、ちょっと恥ずかしくなって頭を掻いた。
なんだか、いつも以上にこちらばかりが空回りしていて余裕がない事を身にしみて感じたからだ。
「お疲れ・・そうですね」
口から吐き出した煙をぼんやり眺めながら会議室でぼうっとしていれば、忍田と共に会議室に来た沢村がそう言った。
唐沢は億劫そうに目線だけ動かして、煙草を無造作に灰皿に突っ込んだ。
「・・まぁ、そんなところでしょうか」
今まで見たことがないくらいにぼんやりする彼に、沢村はあっと声を出す。
「キリちゃんですか?」
キリ、の一言に瞬時に唐沢の顔に呆れたような、困ったような表情が浮かんで消えた。一瞬の事だったが、彼は滅多に表情を崩さないこともあってはっきりその変化は目に映る。
そんなことを思う二人をよそに、唐沢はぐるぐると考え事をしていた。
彼女の機嫌を損ねた訳ではないだろう。もしそうだったら玄関で仁王立ちするか、唐沢を睨むかするからだ。
別に彼女の機嫌云々は百歩譲って良しとしよう。
ただ一応恋人、といった枠組みの自分を差し置いて出水や米屋と出掛けるようになったのは気にくわない。
人がちょっとそういう素振りを見せようものなら、それこそトリガー起動して騒ぎ倒すくせに。
ふと、あっけにとられてこちらを見る忍田と楽しそうにこちらを見る沢村に気付いて、慌てて手で口元を覆った。しまった、またやってしまった。
そんな直後に唐沢さんの一人百面相が見れるなんて、と沢村が茶化すのだから誤魔化すように空咳をするのだった。
「・・・・・・・・・・」
散々沢村にからかわれた後に、内心ヘロヘロになりつつ帰宅すれば、何故か仁王立ちのキリと視線が絡む。ぎゅっと眉根を寄せてまっすぐ睨んでくるキリに、何も言えずに見つめ返した。いったい、何だって言うんだ。
いい加減にしてくれ、と口答えする前に目の前のワガママ少女は唐沢の腕を掴むと腕を引く。
「おい、キリ、待てーー」
「待たない」
靴を脱ぐ間も与えないらしいキリをなんとか制御しつつ、靴を適当に脱ぎ散らかす。それだけ言って、ぐいぐい唐沢の腕を引いてリビングに向かうキリに言葉が見つからず、されるがままにリビングつく。
リビングは、綺麗に整えられていた。何故かいつものキリが作るメニューより少しばかり豪華な料理が、綺麗にテーブルに並べられている。そして、気付く。いつもこの日は、本部であの二人と模擬戦に耽るはずなのに今日はこの場にいることに。
呆気にとられる唐沢の、目の前のキリがくるりとこちらを向いた。さらり、と艶やかな黒髪が舞って今度は悪戯が成功して喜ぶような、きらきらした瞳と視線が絡んだ。
「お誕生日、おめでとう、克己」
お誕生日、お誕生日・・とショートした思考回路が拾った単語に、まるでそれが未知の単語だというように脳内で何度か繰り返す。
何も言わない唐沢を不審そうに見つめたキリは首をかしげた。
「あれ? 違った?」
「い、いや・・違わ、ないが」
ようやく自分が祝われているのだという事に気付き、嬉しさがこみ上げるのと反射的にキリを引き寄せて口付けたのは同時だった。
ちょっとびっくりしたように目を見開いたキリは、すぐに甘えるように唐沢の首に腕を回す。徐々に貪るように何度も何度も深く口付け、口を離す頃にはとろりとしたキリと目が合う。
「びっくりした?」
「・・・・そりゃもう」
そう言って笑うキリがこの上なく愛おしくて、唐沢も笑ってまた軽く口付ける。そうだ、と腕の中でのキリがちょっと体を捻って机の上に置かれた小さな包みを取る。
「こ、これ。い、一応・・その、プレゼントみたい・・な」
だんだん語尾をもにょもにょさせてて、真っ赤な顔をそらしながらキリが渡したそれを開ければ、中にはネクタイピンが入っていた。
「・・私、一人じゃわからなくってあいつらにも色々聞いたんだ。克己って自分の事全然話さないし」
照れ隠しにそう言って頬を膨らませたキリに微笑む。
数分前までの疲労と怒りはどこかに吹き飛び、自分も案外単純になったものだなんてちょっと自嘲した。
数年前までは得られるとは思わなかった小さな幸せをいつだってキリは振りまいてくれる。そんなキリに振り回されて、悩んで、怒る時間さえ愛おしいのだから、これは惚れた弱みなのだ。
きっと珍しく腕の中で甘える彼女にそう言えば、なんだ、克己も余裕なんてないんじゃない、なんて自慢気に胸を反らすのだろう。
それは少し癪だから、そんな気持ちを隠していつもの笑顔でされども、いつもより愛を込めて甘くキリの名を呼んだ。
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