「名字?」

「あ…跳沢、君…」
 

夕日に照らされて閑散としている教室に一人佇む名字の姿がいつもより小さくて、このまま放っておいたらこいつは消えちまうような気がした。


「と、跳沢君どうしたの?なんか、すごく切羽詰まったような顔してる…」

「え、あ…や、その…お前が、」

「私?」

「お前が…泣きそうな顔してた、から…」


そう言ってハッとした。俺の目の前にいる、頭一つぶん小さい名字は、案の定驚いたように大きな目をさらに見開きぱちくりさせてる。そりゃそうだよな、なんでそんなに見てんだよって話だろ。俺が名字の立場だったら「気持ち悪い」そう一言吐き捨ててると思う。自分で言うのもアレだが、俺は無愛想でサッカー部以外の奴等との交流はそこまで深くない。女子ともなればなおさらだ。そんな俺と関わりを持ってくれてる名字とは(一方的に)仲がいいと思ってる。メールで他愛も無いやりとりをする事もあれば一緒に出かけたりする事もある。下駄箱で偶然鉢合わせれば一緒に帰ってりする程度には。所謂、友達以上恋人未満っつーやつじゃないだろうか。その関係が好きだった。その関係が今正に、俺の中でガラガラと音を立てて崩壊を始めた。


「ありが、とう」


その言葉で、一瞬にして俺の中の何かが崩壊をやめた。


「泣きそうな顔してたなんて自分でも気付かなかった。跳沢君は私の事を見ててくれてるんだね。すごく、うれしい」


へにゃり、擬音をつけるなら多分こう。頬を桜色に染めて恥ずかしそうに笑う名字がどうしようもなくかわいくて、気付いたら体が動いてて名字の事を強く抱きしめていた。


「え、えと…跳沢、くん?」

「急に、悪い。でもお前このまま放っておいたらいなくなっちまうような気がして、いつもよりすげぇ小さくて、なんか、」

「…わたしね、失恋した、んだ」


ぎゅう、俺の腕の中で体を竦めながらか細い声でそう呟いた。


「よっぽど見る目が無い奴なんだな。名字はすげぇいい奴なのに。クラスメイトに気配りは出来るし、先輩や後輩とも仲いいだろ。すげぇ楽しそうに笑うし、悔しそうに泣くし、一緒にいると楽しい奴なのに、そいつは名字の何を見てたんだろうな。」


俺の腕の中で肩を震わせた名字は、その頼りないほど細い腕を遠慮がちに俺の背中に回して微かな力で俺を抱きしめ返した。恥ずかしそうに俺の胸板に顔を押し付けてありがとう、と呟いた名字の顔は見えなかったけど、多分笑ってたんだろうな。


「跳沢君、今日だけ甘えさせてもらってもいいかな」


その言葉を理解する前に俺の背中に回されていた名字の腕は既に無くなって、代わりにするりと首筋に巻きついた。状況を把握できていない俺はされるがままに体を引き寄せられ、俺のものでは無い甘い香りが鼻を掠めたと思った時にはお互いの唇が重なった後だった。砂糖菓子のように甘く柔らかい唇はすぐに離れて、再び甘い香りが鼻を擽った。いきなりの出来事に反応出来ないままお互いの視線がぶつかり合った。名字は表情を変えないまま頬を桜色に染めてゆっくりと俯いた。


「ごめ、ん…」

「や、別に、いい、けど…」

「迷惑だったでしょ?」

「……そんな事ねーよ」

「じゃあ、もう一つお願いがあるの」

「お、う…」

「今だけ、今だけでいいから、跳沢君に恋、させてほしいの」


切なげに眉を寄せる名字の瞳は熱っぽく揺らめいて俺を捕らえたまま放さない。微かに震える手で制服を掴みながら俺を見上げる名字の唇に吸い寄せられるように、もう一度お互いの唇を重ねた。そっと目を閉じた名字の頭に手を添えて深く口付けると、それに答えるかのように名字も俺の背中に手を回す。微かに唇が開いた事を確認して舌を進入させると、暖かい名字の舌が触れた。お互いを確認するかのようにゆっくりと絡ませると、名字の口から鼻にかかったよな甘ったるい声が漏れ、熱っぽさを孕んだ水音が教室に響いた。ゆっくりと唇を離しながら視線を合わせる。色めかしく濡れた名字の唇から伸びる透明な糸の片側は俺の唇へと伸びている。その糸が音も無く切れ、唇がひやりとした感触に包まれるとなぜか急に気恥ずかしくって、お互いに小さく笑った。名字の頬は熟した苺のように赤くなったいたけど、俺も自分の頬に熱を感じたから、多分同じように赤くなってるんだろう。名字が瞼を伏せたのを合図にもう一度口付けて舌を絡める。
名字の声と、水気のある粘着質な音だけが響くこの空間が酷く心地よく感じた。背中に回る細くて柔らかい腕も、伏せられた瞼を縁取る長い睫も、甘いシャンプーの香りに包まれた栗色の髪も、温かく柔らかいこの唇も、全部俺のものになれば、いいのに。


「ずっとこの時間が続けばいいのに」


ちゅ、小さくリップ音を立てて離れた名字の唇が紡いだその言葉に「そうだな」と返す事が出来ない臆病な俺の視界の端で風に揺られたカーテンがはためいた。


12.04.03










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