都合の良い夢
死ぬということがどういうことであるかなど、別に宗教学や心理学などを説く気はさらさらない。
私自身、人であろうが犬であろうが、心臓が止まるまたは死んだと医者が判断した時点でそれを死とし、あとはその体を焼き骨にする。
それが死であるのだと認識していた。
間違っても来世などというものは存在し得ないものであると。
なのに、何故、私は今目覚めてしまったのだろうか。
目の前には涙ぐむ弟…である筈だ。
「兄さんっ」
神が私を兄さんと呼んでいる。
どういうことなんだろうか。
目の前の神が女の子のように見える。
さして、大きな違いはない。
けれど、確かに弟である筈の神が制服らしきスカートをはいていて、セミロングの髪を緩く低い位置で二つに結っている。
それは男である神がする筈のないものばかりであったにも関わらず、私の意識は別にあった。
神が女顔だということにはじめて気付いた。
可愛い子だとは思っていたけれど、まさかこんなにも女装(?)が似合うだなんて。
「煉兄さん、聞いてるの?ほんっとーに心配したんだからね」
女の子だ。
間違いなく、目の前の神は女の子だった。
「神」
とにかく、現状を把握しなくては。と、神の名前を呼んでみる。
すると、神の顔が笑顔に変わった。
愛らしいとは、まさにこのことだろう。
兄さんと呼ぶからには、私は男であるのだろう。
視線を自分の体に向けてみれば、申し訳程度ではあるがあった筈の胸はなく、自分の手は僅か骨ばっている。
「兄さん、覚えてる?事故に遭って、3日も目を覚まさないんだもの。私っ」
感情が高ぶったのだろう。
神は私の横になっているベッドに突っ伏すように泣き始めた。
「神、心配をかけてごめん」
少し起き上がり、神の柔らかそうな髪を撫でる。
これは神だ。
性別こそ違え、私の弟の神だ。
「兄さん…」
グスンと鼻をすすって顔を上げた神に微笑みを向けた。
大丈夫だと笑うのは慣れたこと。
笑顔は武器だった。
全てに線を引いてしまう為の武器。
「父さんも母さんも心配してるわ」
「まさか」
「当たり前じゃない。事故に遭ったって連絡があって、父さんてば慌てて自分が運転して来たのよ?いつもなら、絶対に運転なんてしないのに」
にわかには信じられない。
でも、そうかと思った。
私は男なんだ。
比内家の第一子で待望の男であったなら、私はこんなにも存在を認められていたのだ。
頬を膨らませる神からは両親と不仲であることなど伺えない。
第二子の女の子だから、関係は良好といったところだろうか。
都合の良い夢だと思う。
男に生まれていたら。なんて、考えなかった日はなかったし、そうであれば良かったと何度も思った。
しかし、これは余りにも残酷じゃないだろうか。
どんなに望んでも叶いもしない夢など、残酷過ぎる。
死ぬ間際に見せるのなら、もう少し幸せでありたかった。
確かにこれは幸せなんだろう。
叶いもしなかった夢なのだから。
けれど、これは私の今までを全否定する何物でもない。
信じてはいないのに、転生というものがあるのだとするならば、私はこの叶いもしない夢の中で生きていたいなどと願ってしまった。
「兄さん?どうかしたの?」
怪訝げな神の声に微笑みを作れたかどうかはわからない。
「もう少し寝かせて」
それは、夢の中の妹に言ったのか。
それとも、この夢の中に居ることを望んだのか。
ブラックアウトする意識の中、神の
「おやすみ、煉兄さん」
という声が聞こえた気がした。