私という人間の考察
比内煉は男であるべきだった。
それは私が性同一性障害であるとか、そういう話ではない。
ただ比内家の第一子として生まれたからには、男でなければならなかったのだ。
軍事国家だった頃の日本において比内家は重役であり、今も尚、裏で暗躍する存在だ。
表向きは大企業の創業者一族である。
昔ながらの習わしを大事にする為、男子のみを跡取りとする。
だからこそ、私は男でなければならなかった。
父は私に対して無関心である。
母は女を産んだことで風当たりがキツくなり、私に対して罵る毎日だ。
親類も会社の人間も父や母と似たり寄ったりである。
言うなれば、男でない私は比内家にとって不要だということだ。
そして、私が余計に不要となったのは、私が4歳の時だ。
比内家第二子である神の誕生。
両親をはじめとした親族や会社の人間にとって、待望の男子。
生まれて早々に跡取りと決められた神は、両親やその他の人間の寵愛を受け、育っていく。
私は周りの人間から一線を引き、壁を立て、生きることを覚えた。
そんな私と神の関係は悪くはなかった。
比内家の何にも捕らわれずに私を姉と慕う神は、可愛い弟だった。
しかし、それは比内家にとって、思わしくないことだった。
高校入学を目の前に、両親によって与えられたマンションで、私は一人暮らしすることとなる。
神と引き離すことを目的としていることなど、私には明々白々。
私を私として接してくれている弟と離れることは寂しくもあり悲しかったが、両親に逆らうことなど出来る筈もなく、大人しく一人暮らしを了承した。
正直な話、あの家から離れることが出来たことには安堵した。
比内家の全てをその身に背負う弟には申し訳ないが、確かに私は安堵していた。
自由を手にしたとさえ思っていた。
『煉さん、こちらに顔を出してくださいね』
一方的に告げられた内容に、実家に帰ると両親が私を待っていた。
その顔は決して娘の帰還を喜ぶものなどではない。
眉間に皺を寄せ、怖い顔をしていた。
理由などわかりきっていた。
私は比内家の人間であるのだから、優秀でなければならなかった。
そうでありながらも、後継者である神より優秀であることは求められていなかった。
実家にいる頃、一人で居ることしかなかった所為か、独学でした勉強は一通り出来たし、習わしてもらえることなど有りはしなかったが、ピアノやヴァイオリンもそれなりに弾くことが出来る。
一般的な高校生のレベルなど、たかが知れている。
その中に放り込まれた時、比内家の人間である私は異端な程、出来る人間だった。
両親はそれを知ったのだろう。
神を超えるな。
身の程を弁えろ。
その為の呼び出し。
ものの数分で、自分の全てを否定されるような言葉を乱立され、私は一人暮らしのマンションに帰ることを許された。
神とは玄関でたまたま会った。
テニスウェアを身に着けた弟は、友達に貸りて読んだ漫画の影響で最近始めたのだとはにかんだ。
私の友人も漫画の影響でテニスをしてみたいと私を巻き込んだので、テニスはしたことがある。
勿論、漫画のような技など出来る筈などなかったのだけれども、もどきと言えるものは何個かすることが可能だった。
もしかしたら、私と神は違うところで、同じ漫画を読んでいたのかもしれない。
外は暗く、マンションに帰ってから夕飯や洗濯をする時間があるのかと思い、神との会話を早めに切り上げて、家路を急いだ。
だから、気付かなかったのだ。
比内家の跡取りになれない第一子がどれほどに疎まれた存在であるのかを、私は少ししか分かっていなかった。
見たことのある車に追いかけられ、はじめて気付いた。
比内家は私をこの世から消すことを選んだのだと。
逃げ切れたと安堵して、横断歩道を渡っている時に、追いかけていた車にひかれた。
運転席に乗っていたのは、私は幼い頃世話をしてくれた人だった。
薄れる意識の中、別れ際に見た神の寂しげで悲しげな笑顔が脳裏に焼き付いていた。
「ごめんね、神」
一人、比内家を背負わすことも。
きちんと向き合ってあげられなかったことも。
神に全てを謝りたい。
比内煉。
高校3年生。
今日、私は死にました。
決して、比内家の外へ出ることなく、私という存在は抹消されました。