02

混乱する私が連れて来られたのは学校の屋上。
結局コウちゃんは引っ張られる私を助けるわけでもなく、後ろをついて来ながら「まあ話だけでも聞いてみたら?」と勧めてきた。



「ハルちゃんマコちゃーん!ちょっと話があるんだけど!」
「どうしたんだ渚…江ちゃんまで」
「コウですってば!」
「ああそっか、ごめんごめん。って、その子は?」



優しそうな顔つきで背の高い人は先輩のようだ。緑色のネクタイが目に入った。彼の後ろには、私達の突入に全く動じずお弁当を食べる男子生徒の姿。彼もまた一学年上のようだった。



「は、はじめまして」
「この子…えっと、ごめん、名前聞いてなかったね。僕は葉月渚。君は?」
「みょうじなまえです」
「なまえちゃんね!でねマコちゃん。なまえちゃん、水が苦手なんだって」
「!?ちょっと…!」



何故会って間もない人に自分の弱みを暴露されなければならないのか。
彼は私の声には耳も貸さず話を続けていた。



「…それで、この学校じゃ水に一番慣れてるはずの僕達が何か手伝いできないかなって」
「なるほどね。水が苦手かあ。色々不便なんじゃない?学校のプールの授業はどうしてたの?」
「親からも事情を話してもらって、見学かマラソンさせられるかでした」
「そっか…大変だね」
「そもそも、なんでなまえはそんなに水が駄目なの?」
「うーん、小さい頃は平気だったんだけど…」



初めて海に行ったとき。張り切ったお父さんは私をビニールボートに乗せロープを引っ張り、沖まで泳いできた。その途中だ。大きな波が押し寄せて、私の乗ったボートは転覆してしまった。
水泳なんて習っていなかったから、幼い頃に泳ぎを覚えているわけが無い。足もつくはずが無い。私はただ、海を沈んでいた。
急に青く染まる視界。音が消えて、息が苦しくて。もがけばもがくほど口から鼻から海水が入ってくる。
お父さんがすぐさま引き上げてくれたから無事だったけど、あの短い時間の体験は私に恐怖を植え付けたのだ。



「なるほどね。その時がトラウマになったのか」
「はい……」
「でも俺らが手を貸すって言ってもお節介なんじゃないかな」
「そうかもしれないけど、大人になっても水が怖いままなんて大変でしょ?」
「大丈夫だよ!……たぶん」
「えー?ほら、ハルちゃんお手製のイワトビちゃんあげるから!限定水着バージョンだよ〜、頑張ろう!」
「いりません」



いくら断ろうとも必死に誘ってくる葉月くん。ずいと目の前にストラップをを突き出されても、私の興味はそそられずつられる事は無かった。
コウちゃんに視線をやると、彼女は私達を見て苦笑いしている。



「ねーコウちゃんもなまえちゃんに言ってあげてよー」
「私は無理になまえの恐怖症を克服させたいとは思わないけど…少しでもなまえのためになるなら、私は力になりたいな」
「コウちゃん…」



私は天使とお友達になれたらしい。見てこの笑顔。素敵。



「ほら、コウちゃんもこう言ってるし」
「というか、何で葉月くんはそこまで私に克服させたいの?」



素朴な疑問をぶつけると、彼はきょとんとした表情で私を見る。
水泳部にはもうコウちゃんがマネージャーに入ってるし、選手になるにしても絶望的存在だ。私がいることで何かしら彼にメリットがあるようには思えない。



「うーん、もったいないなって思ったから」
「え?」
「泳ぐのって、本当に楽しいんだよ。それをなまえちゃんにも知って欲しいから。僕達と同じ世界を見て欲しいんだ」
「渚くん…」



葉月くん、本当に泳ぐのが好きなんだろうな…
真っ直ぐな気持ちは彼の目から伝わってきた。
その言葉と瞳に、頑なだった私の心の中はほんの少し揺らいだ気がした。



「そうだね。なまえちゃんさえその気なら、少しずつでもいいから一緒に頑張ってみない?」
「……」



克服したい気持ちは全く無いわけじゃなかった。いつかは、いつかは。ずっとそう思い続けていたから。
きっとこれはチャンスなんだ。怖くて仕方ないけれど、ほんの少しでも前に進みたい。
そして、彼らと同じ感覚を経験してみたい。
葉月くんの気持ちに触れて、微かな勇気が私に宿った。



「……ちょっとずつ、なら、」
「ホントに!?やったー!僕達に任せて!よろしくね、なまえちゃん」
「うん、よろしくね。先輩も、コウちゃんもよろしくお願いします」



承諾したことに喜んでくれた葉月くんは、私の両手をとりぶんぶんと上下に振った。腕ちぎれる。
マコちゃん先輩とコウちゃんは、私と葉月くんを見て嬉しそうに微笑んでいた。




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