昨夜の躁、今朝の鬱
「…は、」
窓から差し込む日差しに目を覚ましたディーノは、開口一番にそれを口にした。
七月と言えど、昼間の気温は夏日と変わらないほど暑くなる。汗は次々流れ出し、身体の水分を外へと排出してしまう。けれども朝はまだ涼しかった。
心地よい体温に窓から差し込む強い日差し。朝だと言うことに目を覚まし、やたらと重い腕に視線を向け、固まってしなったのはついさっきの事だ。
そこにはディーノのよく知る恭弥の姿があった。それだけなら、これほどまでに驚くことはなかっただろう。ディーノが驚いたのはただ"一緒に眠った"だけではない状況のせいだ。
心地よい体温は自分のものではなく、腕の中の恭弥のものだったのである。それだけならいい。ディーノと恭弥の年齢を考えれば、あり得ないことでもない。
問題なのはその格好だった。
ディーノの視界に入る恭弥の肩は布に包まれることなく、滑りの良さそうな滑らかな素肌を晒している。白い肌、自分に比べて細い首筋。そこに無数に散る紅いものを見つけて、ディーノの思考は固まったのだ。
首筋に出来る紅い痕と言えば、思い当たるものは一つしかない。大抵のそれはキスマークで、それ以外であることは滅多にないだろう。いくら年頃だとはいえ、恭弥が誰彼構わず関係を持つとは思えない。
となるとこの痕を付けたのは恭弥にとって見知った人間で、相当心を許した人間が付けたものとなる。そこで浮かぶ人物が、まさに自分一人しかいなかった。
そもそも人嫌いの恭弥と一緒に寝ることが出来るのは、ディーノをおいて他にいないだろう。
しかしディーノには記憶がなかった。昨夜の記憶が面白いほど抜け落ちているのである。
ひとまず状況を確認することにする。
見渡すと、ここはいつものホテルではなかった。日本の滞在では決まってホテル、並盛ではいつも同じ場所に宿泊している。しかしここはそのホテルではなく、また今までに泊まったことのある場所でも無かった。布団の中から見渡せる範囲でそれが断言出来るのは、今いる部屋が和室だからだ。
ディーノはホテルに泊まっても、旅館に泊まることはまずない。ほとんど寝に帰るだけの宿泊先に、日本らしさを求めていないからだ。まずなんでこの宿にいるのか、ディーノはそれを思い出すことにする。
「ん、」
胸元で聞こえた声に、ドキリと心臓が跳ねた。
ディーノはなによりも、この状況をどうにかするのが先決に思える。それは分かっているものの、恭弥を起こさずにどうやって布団から出ればいいのか分からない。恭弥は肌が触れ合う程に密着しているし、ディーノの片腕は恭弥の枕になっている。
(やばい)
何がやばいのか、そう聞かれたらこの状況全てとしか答えようがない。それなのにディーノはそれを思わずには居られない。何故こんな状況になっているのか本当に思い出せず、嫌な汗が出てくる。
恭弥と昨晩ことに及んだことはディーノにも察しが付いていた。ディーノは同性相手でも偏見はなく、以前から恭弥のことはそう言う目で見てはいないものの、考えたことがないと言えば嘘になる。
結論から言えば、考えていたからこういうことが起きている、としか言いようがない。
「さむい」
先ほどの声とは違い、はっきりとした言葉を発されて固まった。
「布団めくらないで」
恭弥はそう言うと、ディーノが動かした掛け布団を戻し、すっぽり頭まで被るとすり寄った。
(あ、)
やばい、ディーノはまた思う。
それは今度は先のものとは違う意味で、あるはずの無いと思っていた欲のものだった。
恐らく昨晩それを恭弥に吐き出して、そのまま二人して眠ってしまったのだろう。そこまで考えが至ると、身体に若干のべたつきというか、不快感があるのを思い出す。
どんなに後悔しても、教え子に手を出したのは確実だろう。
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