雪遊び
突然呼び出され車に乗せられ、そのまま連れて来られたのはどこかの山の中だった。それがスキー場なのだということは分かっても、明確な場所までは分からない。車を降りてディーノの後ろを付いて歩く。
駐車場を出て数分、目の前に見えていた大きな建物がホテルだった。ディーノはフロントで受け付けを済ませると、ここまで着いてきた部下達と分かれる。恭弥と二人、部屋に向かうことになった。
部屋のキーを受け取ったディーノは、恭弥にお腹は空いているかを尋ねた。連れ去られる様に車に乗せられて数時間、ここに着くまで休憩はしても食事はしてこなかった。当然の様にお腹の空いていた恭弥はその問いに頷く。ルームサービスでいいよな、続けてそう返してきたディーノに恭弥は再び頷いた。恭弥はディーノといる時、いつも食事はルームサービスだった。
それでも毎回ディーノがそれで良いかを尋ねるのは、単に忘れている訳ではない。恭弥の意見を聞かずに勝手に決める、ということをしないためだ。突然の予定は今日の様に勝手に決めるディーノだったが、食事や部屋などにはいつも恭弥に合わせてくれるのだ。この日も部屋で食事を取り、そのままゆっくりするだけで特に何もすることはなかった。
恭弥は適度な夜更かしをして、寒さを理由にディーノのベッドに潜り込む。毎回なにかと理由を付けるせいで、そうしないと素直に慣れないことはディーノもすでに知っていた。それでも毎回なにも言わずに相手をするのは、ディーノ自身も甘えてくれることに喜びを感じるからだ。ディーノが恭弥を抱きしめる形で二人は眠りについた。
■
朝、恭弥が目覚めると視界には一番にディーノが入ってくる。近すぎる上にじっと見つめていた様子に、少し気恥ずかしさを感じたのは言うまでもない。
「きょーや、おはよ」
「・・・おはよう」
先に起きて、僕のこと見てたの? そう聞こうか迷って、恭弥は聞くのをやめた。外れていたら恥ずかしく、当たっていてもディーノが朝から色々言って来そうだからだ。どっちにしろ、恭弥が恥ずかしい思いをすることに変わりはない。あえてそのことには触れないでおいた。
身支度を始めればディーノも同じ様に身支度を始める。二人で身支度をしながら今日の朝食はなににしようか、なんて相談をしながら手を動かす。先に支度を終えたディーノが夕飯と同じ様にルームサービスを頼み、朝も二人で食事を摂った。少し遅めの朝食だ。ディーノは相変わらず部下がいないと食べ方が汚く、本人はやっぱりその事実に気が付いていない。
恭弥が指摘すれば、あいつらはいなくても大丈夫だぜ! と満面の笑みで答えた。それでも朝食は洋風だったので、箸を使う時よりは良い。食事を終えれば外に行こうぜ、と誘われ手渡されるスキーウェア。
「僕スキーはしないけど。スキーがしたくてここに来たの?」
「そうゆう訳じゃねーけど。…ここスキー場だぜ?」
「やだ。しない」
「え〜」
スキーをするなんて恭弥は聞いてもいなかった。スキーに行きたいなんて話も以前したことがなかった。そんな話をしていたら言っていたことが恭弥にはあるからだ。恭弥はスキーをしないのではなく、スキーには行ったことがないのだ。群れを嫌う恭弥が冬場にわざわざ人が集まる様な場所に行くはずもなく、また誰かに教わらなければいけないそれをするはずもなかった。
「群れは嫌いだからね」
「ここは人が沢山集まる様な大きい所じゃないぜ」
「スキーはしない」
恭弥がそう言えば、ディーノは先ほどの様にえ〜と不満を漏らした。しかしスキー以外ならいいよ、と言えばすぐに機嫌は直ってしまう。
せっかく来たんだから部屋にいるのももったいない、そう思うのは恭弥も同じだったのだ。それから防寒をして、とりあえず外に出ようという話になった。せっかくの雪景色なので近くを散歩でもしようか、と話がまとまったのだ。
一面の白の世界は陽の光を反射してキラキラしていた。しかも人のいないおかげでその雪景色は人の足跡を付けることもなく、本当に一面綺麗なままだった。景色を楽しむ恭弥の横、ディーノはすげー! と興奮してそのまま駆けていく。足跡を付けては恭弥の名を呼び、どっちが年下なのか分からないほどにはしゃいでいる。
「恭弥見ろよ、足跡!」
「あなたいい大人なんだから、もうちょっと落ち着いたら?」
先を行くディーノの後を追いかけ、恭弥も雪の中を歩く。広い一面はかなり遠くの方に木が連なるだけで、それ以外になにもなかった。ディーノは恭弥から数歩、数メートル先を歩いていても見失わない程にそこにはなにもない。
スキー場特有の広さだ。白い雪の降り積もった地面を歩いた。その音はぎゅっぎゅというものから、次第にぶずぶずぶと深さのあるものに変わっていく。建物から離れれば離れるほど足元は深くなっていくが、足首程の深さまで入ってしまうと、それ以上深くなることはなかった。ここの地形の雪はそんなに硬くもなく、柔らすぎることもない。足は埋れても簡単に抜け出せた。
「恭弥ーっ」
「今行くってば」
先を行くディーノに何回目になるか分からない名前を呼ばれ、恭弥は少しペースをあげる。厚着をしてきたと言っても外は寒く、息を吐けば白くなって空気に溶けていく。
(ディーノは犬みたいだ)
白い一面に転々と続く自分より大きな足跡、それを少し後からなぞる様に歩き、前のはしゃぐ大人について行く。後ろ姿をみて恭弥はそんなことを思った。日本の歌にある様にディーノが雪を喜ぶ犬の様に見えてきたのだ。
「きょーやー」
「ちょっと待って、あなたと僕は歩幅が違うんだから」
それは恭弥の言う通りだった。足跡をついて行けば分かる様に、ディーノの歩幅は恭弥に比べて大きいのだ。身長が高いというのも勿論あるが、それにしてもディーノは脚が長いのだ。
体格の違いであるそれは、仕方のないことといえども気になる部分ではあった。先ほどから歩いても歩いても恭弥が追い付くことが出来ないのは、この問題があるからなのだ。普段隣を歩く際は気にしてくれるディーノなのだが、今はそんなことすっかり忘れている様子だ。
現に恭弥が歩幅のことを言えば、あー…と少し気まずそうな顔をしている。
「それにそんなに焦ると転ぶよ」
「そんなに転けやすくねぇって!」
「どうかな」
恭弥がそう言った直後のことだった。実際に見せようと近付こうとしたディーノはその一歩目で転け、うわ! と叫ぶとそのまま雪にダイブする。ばふっと音がして、柔らかい雪の中に思いっきりディーノが倒れた。
「だから言ったのに…」
ずぶずぶと雪の上を歩いても進む。ディーノまでの距離は数歩でしかなかったが、その数歩の間にディーノがその場を動くことはなかった。起き上がってもいいはずなのに、ディーノは全く動かない。
「ねぇ、ちょっと」
動かないディーノを心配して恭弥は声を掛ける。反応がない。急いで埋もれたディーノを揺すって再び声を掛けた。それでもディーノの反応はない。もしかして、まさか。嫌な不安が恭弥の頭を駆け抜ける。
「ふざけないでよ、ねぇ、ねぇってば」
恭弥は雪に埋もれたディーノを揺すり続けた。
「ディーノ、」
そう名前を呼んですぐだ。
「心配した?」
急に起き上がり、余裕の表情で笑うディーノが言った。転んだのは事実であったが、そこからは全てディーノの演技だったのだ。恭弥に気が付いて欲しくてわざとすぐに起き上がらず、名前を呼んで欲しくてじっと雪の冷たさを我慢していたのだ。しかし恭弥はそんなこととは知らず、本気でディーノのことを心配していたのだ。あまりにもふざけた態度に恭弥は怒りに身体を震わせた。
「あれ?きょ…いって!う、うわぁっ」
怒った恭弥は笑うディーノを思いっきり後ろへ押した。そのまま再び雪の中に倒れたディーノ。恭弥は近くの雪を集めて握ると、そのまま投げつけた。わざと顔を狙うが一発目は少し横にそれてしまう。何事だと驚くディーノをよそに恭弥は二発目の雪玉を握る。
「あっぶねーな、きょうっ」
や、と言い切る前に恭弥の雪玉は今度はディーノの顔面に当たった。
「あなたが悪い」
「ちょ、待てって…!うわ、うわわ」
顔面に当たりぼろりと崩れる雪玉。さほど硬くない雪であるが、固めれば強度はそれなり。それも結構な至近距離からとなれば、痛くないはずがなかった。いってぇ、とディーノが顔を抑える間に次を握る。
ディーノが視線を恭弥に戻す頃にはそれは構えるポーズに変わっている。ディーノの言葉など聞かず恭弥は投げる。しかし三発目ともなればディーノも回避することが出来る。
「恭弥!」
「今度こそ気を失えばよかったのに。そしたらこのままおきざりにして上げるのに」
「悪かったって!そんな怒んなよ!」
「怒ってないけど?」
「すっげ、怒ってるだろ…」
怒ってない。そう言う恭弥の眉間には皺がより、まるで修行をしている時の様に殺気が出ている。ディーノの悪戯は予想以上に恭弥を怒らせてしまったのだ。こうしている間にも恭弥は雪玉を握っている。今度は一個ずつ投げ様とはせず、近くに置いては新しい一個を握る。
「あなたの雪遊びに付き合ってあげるよ」
「なら雪合戦でもするか?」
恭弥の行動にディーノもつい乗ってしまう。そもそもここには遊ぶ目的できたのだ。こうして恭弥と遊べるのであれば、その内容はなんでも良かった。それがひょんなことから始まった雪合戦だったとしてもだ。
「今回あなたに勝ち目はないよ」
勝負事に恭弥が手を抜くはずもなく、勝つ気満々の様子だ。ディーノもそれはどうだろうな、と返しながら雪玉を握り始めた。
結局雪合戦はロマーリオが二人を探しに来るまで続いていた。時刻は昼をあっという間に過ぎ、夕方に差し掛かったころだ。二人は未だに手を緩める様子はなく、手を動かすのをやめない。
ディーノが一瞬ロマーリオに視線を向けると、恭弥の何発目か分からないヒットがディーノの頭部を捕らえる。ますます終わりそうになかった。
「そろそろ終わりにしたらどうだ?」
「まだ決着は着いてないよ!」
ロマーリオの提案に真っ先に否定したのは勿論恭弥だ。
「えー、腹減ったじゃん。帰ろうぜ」
「やだ」
ディーノの提案にも真っ先に否定した。恭弥はなによりも、決着のついてない勝負というのが嫌いなのだ。勝敗ははっきりさせないと気が済まず、普段勝つことの出来ないディーノにはどうしても勝ちたかったのだ。
「続きは明日にしようぜ。恭弥もお腹すいただろ?」
「別に平気」
ぐうう。
平気だよ、というはずがそれを腹の虫が邪魔をした。思わずディーノは吹き出し、少し後ろのロマーリオも同じく笑っている。長く長く続いた雪合戦は、ようやく終盤を向えられそうだ。
「平気じゃねぇじゃん…」
笑いを堪えてディーノは言った。我慢しても仕切れないのが空腹だ。こんな失敗普段の恭弥ならするはずもなく、その笑いは小さく続き収まりそうにない。
「うるさい。おぶれ」
すると急に恭弥は甘え始めた。
「えー、今平気って言ったじゃねーか」
「うるさい!」
「しょうがねぇなぁ。ほら、乗れよ」
なんだかんだ言っても可愛い恭弥の願いを断れるはずもなく、そう言ってディーノはしゃがむ。そのままディーノの背におぶられると、ようやく三人はホテルへと戻っていく。素直に甘える恭弥はディーノにとって悪い気分ではなかった。標準よりも少し軽い恭弥はディーノの背で丸くなり、大人しくなる。
「恭弥、寝るなよ」
「やだ」
すでにその言葉がいつもの様に、鋭さを含めたものではなくなっている。舌足らずに答えた恭弥はディーノの背でうとうとし始めていたのだ。半日近く動いていたのだ。お腹が空いた様に身体は疲れを感じていて、暖かいディーノの背は恭弥にどっと疲れを感じさせた。そして同時にその温かさは睡魔を連れて来てしまったのだ。
「飯食うんだろー」
「もういらない」
「お前ほんっと自由だな!」
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