Summer stripe DH♀

「夏になったら海とか行きたいよなぁ」

付き合いだしてすぐの頃、あなたは楽しそうに言った。だけど僕はあんまり行きたいと思っていなかった。夏は好きじゃないし、プールや海などの人の集まる所も好きじゃない。もっと言うと日焼けもしたくなかった。
あのヒリヒリする痛みは、何度経験しても慣れないからだ。でも、本当に行きたくない理由はそんなことじゃなかった。あなたと付き合っているからこその行きたくない理由が一つだけあったのだ。それをディーノの言う必要はないと思うから、夏が来たら適当に理由をつけて、海になんて行ったりしないで特別なことはしないで過ごそうと決めていた。


夏なんて来なければいいのに、恭弥がそう思っていても季節は流れるの止めない。冬が過ぎれば春がやってきて、春が過ぎれば夏がやってくる。そうして今年も夏はやってきた。今年の夏はいつもと同じ様で少しだけ違う夏だ。ディーノと出会って恋人になって、一番初めの夏だ。
並盛中は数日前に夏休みを迎えた。学校に来る生徒は補修の対象になった生徒と、部活動をしにくる生徒だけだった。普段に比べれば生徒の数はぐっと少なくなり、校舎内にいる生徒も少ない。風紀委員の仕事はかなり楽になった。
授業もないのでチャイムもなることはない。恭弥は手の空いた時間に当番の風紀委員を連れ、見回りをするのが仕事だ。といっても普段とやることはかなり違っていた。生徒もほとんどいない校舎では、見回りは意味を成さない。よっぽどのことがなければ風紀委員が動くことはなく、生徒達も普段ほど警戒することなく思い思いに過ごしていた。
恭弥はとにかく夏の暑さが苦手だった。表情はいつもと変わらず汗もさほどかかない。しかし周りにそうは見えていないだけで、恭弥も人並みに暑さ感じている。
スカートをいつもより短くすることも、シャツの胸元をパタパタと仰ぐこともしないのは、それをしたくないからだ。セーラー服のシャツが長袖から半袖に変わる以外、冬との違いなんて無いようなものだった。

風紀委員は草壁以外当番制で、夏休みの内に数日しか登校しない。当番の委員がいない日もあった。それでもやることは少ししかなく、大抵の雑用は草壁がこなす。恭弥は何も不満には思っていなかった。恭弥にとって夏の暑さは嫌いであるが、人の少ない学校は静かで好きだった。群れ嫌いの恭弥にとって、夏の間の数少ない好きなことの一つだ。もう一つだけ恭弥が好きなことが一つある。
それが夏休み中のプールだ。部活動で使う日が大抵だが、週に数回部活が休みの日がある。その誰もいないプールでこっそり涼むのが恭弥の楽しみなのだ。といっても実際に入ることはなく、更衣室の建物によって出来たプールの端の日陰で脚だけをつけて涼むだけだ。
そして今日は水泳部の休みの日、恭弥の楽しみにしている日だった。

「僕は涼んで来るよ」

草壁にそれだけを言い残し恭弥は応接室を後にする。どこに行くか、草壁は尋ねることはしなかった。恭弥は自分い用がある時は好きな様に応接室を出て行くし、その理由を聞く権利は風紀委員にはないからだ。
けれど草壁は恭弥がプールへ涼みに行くのを知っていた。恭弥の手にはハンドタオルが一枚、プールで涼むのは毎年のことだからだ。初めは恭弥が何処へ涼みに行っているのか分からなかった。ただその内、涼みに行くと言う日とその手にあるもので何処へ行くのかが予想が付いたのだ。
恭弥はいつだって人のいない所を好む。それが分かれば後は簡単だった。涼みに行くのは決まって水泳部の休みの日、そうなるとプールしかなかった。プールならタオルは必須、涼むにはもってこいの場所だ。
そんな草壁の予想通り恭弥はプールへと来ていた。鍵はもちろん所持している合い鍵だ。更衣室を通り抜け、プールサイドの日陰となる一角。そこは丁度校舎からも見えない死角。そこで脱いだ靴と靴下をおいてプールサイドに座る。ちゃぷんと小さな音を立て、恭弥の脚は透明な水の中に静かに入っていった。

「…冷たい」

どんなに晴れていても日陰になっているおかげか、恭弥のお気に入りの場所は何時だって涼しかった。そして影のかかった水面は冷たい。高くなった体温がじわじわと下がっていくのが分かる。初めは少し冷たすぎる様にも感じる水温だったが、身体が冷えてくるとそこまでの鋭さは感じなくなっていく。全身から暑さが引く頃には心地よく、ずっとここにいたくなってしまう。

恭弥はぱちゃぱちゃと音を立て、スカートに水が跳ねない程度に脚をばたつかせた。たまに水面から出してはまた戻して、また出しては戻して。簡単な動作を繰り返すと水面には大きな波の輪が広がっていく。プールの端から始まったそれは、五〇メートル先の向こう側に辿り付く頃には平らな波となって消えてしまう。水面の揺れに太陽の光がきらきらと反射する様子は凄く綺麗だった。
きらきらしている、そう恭弥が思うと頭に思い浮かぶ人物が一人。それは夏休みになる少し前から会っていないディーノのことだった。ディーノと付き合い出してからというものの、どうも明るいものや眩しいものを見ると、彼を連想してしまうのが癖になっていた。ヒバードを見ていても思い浮かべてしまう時もある。
それはきっとディーノ自身が眩しいという表現の似合う人物であり、まるで星が飛ぶかの様にぱっと笑うからだ。初めはなんでこんなに笑ってばっかりなの、変なの。と思う恭弥であったがそれも今では思うことが少なくなった。
そしてその笑顔はディーノの人柄を表している様なものだ。その笑顔があるからこそ、恭弥は立場の違う、ボスという存在のディーノに距離を感じることなく接することが出来るのだ。ディーノが笑ってくれるだけで、笑顔でいてくれるだけで安心ができることだってあるのだ。

「会いたいな」

ぽつり、誰もいないプールサイドで恭弥は呟いて俯く。

「誰に会いたいんだ?」

突如後ろからそんな声が聞こえる。それは今恭弥の最も会いたい人の声、ディーノの声だった。慌てて振り向けば、更衣室のドアにもたれかかり腕を組んでいるディーノがいた。その様子からここに来たのは今さっきではない。
少し前からだと言うことが分かる。気配が全くなかったのはディーノがマフィアのボスであるからなのかもしれない。しかしそんなことは恭弥には関係のないことだ。暫く前から自分の行動を後ろで見られていた、と言うことに恥ずかしさを感じる。同時にディーノは立っているだけで格好よく、みとれてしまった。

「なんで、いるの」

 やっとの思いで恭弥が口を開くと、ディーノは恭弥に近づきながら言う。

「なんでって、会いに来たからだぜ」

その表情はさっき見た水面の様にきらきらとした笑顔だった。出会ってから一年近く経つのに、恭弥はまだディーノの笑顔に慣れない。その笑顔をみるといつだって虜になってしまうし、みとれてしまうのだ。鼓動は早くなり、それは付き合いだしてから少しずつ悪化している。
好きと自覚し出すと急に加速しやすくなった鼓動は、音が漏れてしまうんじゃないかと言うくらいに激しく跳ねている。口を開くと口から音が漏れてしまいそうだ。

「恭弥?」

何も言わない恭弥を不思議に思い、ディーノは恭弥を覗き込んだ。覗き込まれたことによって急激に近寄った顔。表情を変えないことには自信があった恭弥だったが、この距離じゃ赤くなったら誤魔化せないと思いすぐに顔を背けた。
ディーノは恭弥の行動が分からず首を傾げたが、すぐに気にせず恭弥の隣に腰を降ろした。俺も涼もうかなー、と楽しそうに準備を始める。長ズボンを膝までまくって足先を水面につける。

「おー気持ちいー」
「気をつけないよ」
「ん?」
「裾、濡れないようにね」

隣でぱしゃぱしゃと脚を動かすディーノに恭弥は言った。ディーノはへなちょこだから、ズボンを濡らすことがと予想が出来る。案の定既にディーノの裾は水面に浸かってはいないものの、水しぶきで少し濡れ始めていた。
そしてその水しぶきは当然隣にいる恭弥のスカートにも跳ね、ぽつぽつと丸い染みをいくつかつくっていく。恭弥は濡れない様にしていたのに、だ。

「恭弥?」

スカートが濡れるのが嫌で恭弥が少し横にずれると、すぐにディーノが名前を呼んだ。何故間隔を開けたのかディーノは分かっていないのだ。そして恭弥のスカートが濡れていることにも自身のズボンが濡れ始めていることにも気が付いていなかった。

「なんで離れんの」
「あなたの隣にいると僕まで濡れる」
「へ、」

ディーノは少しムッとした様子だったが、恭弥の言葉を聞くとすぐに視線を横に向けた。上から下までを見て紺色のスカートのプリーツにぽつぽつと染みが出来ているのを発見した。

「ごめん」
「これくらいなら平気だけど、落ちたりしないでよね。僕絶対助けないから」
「なっ、落ちねぇよいくらなんでも!」

嘘くさい、そうゆう思いを込めてじとっと恭弥が見つめるとウッと声を上げたのと同時にディーノは滑らかに横に落ちていった。ドボンと大きな音がして大きく水しぶきがあがって。ディーノは今恭弥が予想した通りプールに落ちたのだった。しかも恭弥の傍だったことから恭弥もかなり濡れてしまった。

「ぶわぁ!」

大きな声と共にディーノを水面から顔を出して落ちた! と恭弥に向けて叫んだ。そこには二人しかいないのにディーノの声は大きく、そして見てたからわかってるに決まってるでしょ、と呆れた目で恭弥はディーノに言い放った。だから言ったのだ、落ちないようにと。それを言った直後にディーノが落ちるとは恭弥自身も思っていなかった。立ち上がる時とかなら予測ができたはずなのに、それはあまりにも急すぎて恭弥に避ける時間すら与えなかった。

「うわ〜つめて〜きもちい〜」

 なんとディーノはそのまま泳ぎだしてしまった。

「馬鹿やってないですぐにあがる!」
「えー」
「えーじゃないよ。何考えてるの」
「俺だって落ちたくて落ちたわけじゃねぇよ?」

ディーノは不満そうに声を上げながらしぶしぶプールから上がろうとする。しかし水を含んだ洋服は重みを増していて、上がる際に当然の様にもう一度落っこちたのは言うまでもない。なんとか上がってきた頃には一人だけ息が上がっていた。びちゃびちゃと音を立ててプールから上がってきたディーノはなかなか戻って来ようとはせず、その場で服の裾を絞ってはまたびちゃびちゃと音を立てていた。

「んー、全然絞れねぇな」
「あなたが落っこちたからでしょ」
「……」
「なに、」

恭弥が呆れた様子で言うとディーノはそのまま黙ってしまう。急に黙ってしまったことに恭弥は不思議に思い尋ねたが、ディーノはあーとかうーと言ってその先を濁らせていた。それもそのはずで、ディーノはこの場で一旦服を脱いで絞りたかったのである。
とりあえず上だけでも。しかしそれをするには恭弥の許可が必要か必要じゃないかに悩んでいたのである。恭弥は他人に感心がなくどうでも良さそうに見えても、やっぱり心は女の子な面があるのだ。一般的に恥ずかしがる所は恥ずかしがる。

この場合の恭弥の対応がディーノには想像出来ないのだ。そもそも女の子のタイプにも二パターンいると考えられる。異性が目の前で脱いでも上半身なら気にしないタイプと、上半身でも恥ずかしがるタイプだ。
恭弥の場合は風紀が乱れると言い、ディーノが脱ぐことを嫌がる可能性もあった。けれど恭弥が嫌がることぐらいなら、一旦脱いで絞らせて欲しかった。あわよくば乾かせてくれると大変助かる。問題なのは、恥ずかしがる場合だ。その場合どうしたらいのかがディーノには分からなかった。恭弥が恥ずかしがるのかどうかも、気になるポイントではあるのだが。

「先に謝っとくな。悪ぃ」
「え、なっ」

言うとすぐにディーノは上に着ていたTシャツを脱ぐ。濡れたまま着ているのは気持ち悪くてしょうがなかったのだ。絞ればびっくりするほどの水が零れ、それをパンとはたくとディーノはそれをプールサイドの飛び込み台に掛けた。こんなに天気がいい日であればすぐに乾きそうだ。
と、ここでやっとディーノは恭弥が何も言って来ないことに気が付いた。脱がないで、も風紀が乱れるとも言ってこない。まぁなにも言ってこないならいいか、と思いズボンに手を掛けた。しかし流石にそれを脱ぐのは、恭弥の許可なしではいけないだろうと思う。手を止めて、恭弥に視線を向けた。

「あのさ、こっちも絞っていい? …恭弥?」

ディーノが恭弥へ視線を向けると恭弥の顔はディーノから反らされている。よく見ると髪の毛から少し見えた耳は真っ赤になっていた。どうやら恥ずかしくて視線を反らしていたらしい。珍しいと同時にこんなことで照れてしまうなんて可愛いなぁ、とディーノは思う。

「もう終わった?」

視線は背けたままの恭弥が確認する様に言った。ディーノはふと自分の格好と飛び込み台に置いたままのTシャツに視線を向けた。終わったと言えば終わったが服が乾いていない以上終わってないと同じだった。

「おう終わった」
「そ、ならよか、っ…なんで着てないの!」

恭弥はディーノの方を向いてすぐにまた急いで顔を背けてそう叫んだ。どうやら恥ずかしかったのは本当の様で、背けてからも早く着てと繰り返し口にしていた。濡れてるからやだと言えばあなたがいけないんでしょ、とすぐさま返してくる。
それよりもズボンも絞りたいと告げると更衣室でやってきてと叫ばれる。えーと文句を言いつつもディーノはそのまま更衣室へ移動した。びしょびしょのまま入っていいのかは分からなかったが、恭弥が入れと言ったからいいかとディーノは濡れたまま入る。洗面台で脱いだズボンを絞ると仕方なくまたはいてプールサイドへ戻った。

「上も着て」

恭弥はディーノが戻って来たことが音で分かったらしく、顔は先程のようにディーノから反らしたままで言った。

「うえー、濡れてて超気持ち悪いぜこれ」
「知らないよもう!」
「…恭弥恥ずかしい?」
「ちがう」

どう考えても恭弥の行動は恥ずかしさから来ていた。それなのに恭弥は違うと言う。きっといつもの意地と強がりなせいで、そう言ってしまうのだろう。そんなことはもちろんディーノにも分かっていて、そんな恭弥にディーノは思わず吹き出してしまった。

「ちょっと、」
「ごめん、恭弥が可愛くってさ」

ディーノが可愛いと言えばまた恭弥は違うと口にする。普段恭弥は、感情の読み取りが難しいく何を考えているのか分からない。しかしディーノの前ではそんなことはなかった。いつだって分かりやすく、表情は確かに大袈裟ではないけれど変わる。
初めて出会った時は何を考えているのか分からなかったのに、今ではそんなことはない。二人になれば恭弥は簡潔な言葉しか話さない口でディーノと会話し、他人に興味を示さない視線をディーノにだけは向ける。

「あれ、そういや恭弥濡れてねぇの?」

ディーノがプールに落ちた時恭弥はすぐ近くにいた。あれだけの大きな音を立て、水しぶきをあげれば恭弥も濡れていてもおかしくはない。けれど恭弥は何も答えなかった。前髪は濡れているのか、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
それは恭弥も濡れてしまったなによりもの証拠だった。そしてセーラー服のシャツは少し透けて恭弥の肌に貼りついているのが後ろからでも分かる。白いシャツの肩、目立つ線が一つ。線? ディーノは少し考えそれがなにか簡単に分かってしまった。

「恭弥、濡れたんだろ」
「濡れてない」
「気持ち悪くねぇ?」
「濡れてない」
「恭弥がそう言うのはいいんだけどさ、透けてる、ぜ」

ばっと恭弥が顔をディーノに向け、ディーノはしばらくぶりに恭弥の顔を見ることになった。耳と同様にその顔は熱を持っていて、やっぱり恭弥は照れていた。ディーノが恭弥の顔を見てここ、とでも言うように肩を指すと恭弥はさらに顔を真っ赤にさせた。

「み、見ないでよっ」

恭弥はまた顔を背けてそう言った。ディーノが近付けば体育座りになり、膝をぎゅっと抱きしめていた。これ以上なにかを言えば、トンファーを出されてもおかしくはなかった。

「見えちゃったんだよ、ごめんな」

一言謝り、恭弥から距離を空けて先ほどと同じように座った。あまりにもディーノの様子が落ち着いていて、その様子に恭弥はますます恥ずかしくなった。こうした状況になって照れてるのは自分だけで、落ち着けないのも自分だけなのだ。
ディーノからすればこんな子供相手に服が透けたぐらいでは動揺しない、お前の身体には興味がないとでも恭弥は言われている様で悲しくなった。ふと海に行きたくないことを思い出した。

「気持ち悪いなら脱いでいいんだぜ。 なんもしないって約束するし」

それは僕に興味がないから? それともこんな幼い体型の僕には変な気も起きやしないから?
恭弥の頭に幾つかの質問が浮かぶ。ディーノは恭弥が気にしない様に優しさで言ったつもりだったが、恭弥はそれをいい意味では受け取れなかった。考えれば考えるほど悪い解答しか思い浮かばない。そしてディーノとの歳の差ばかりが気になる。経験豊富なディーノと違い、恭弥は二人で過ごすことすらも初めてのことだ。こんな状況に経験がないのは当然のことだった。

「興味ない、って言いたいの」

我慢できなかった言葉が口から出てしまう。少し震えていたかもしれない。恥ずかしくてしょうがない。それなのにこんなことを一々気にしてしまう。そして餓鬼臭い、そうディーノに言われてしまわないか怖かった。恭弥は顔を上げられず俯いて、抱きしめたままの膝をさらに自分に引き寄せた。

「え?」
「僕は、子供っぽいから興味ないって言いたいんでしょ、」

ディーノは恭弥がそんなことを言ってくるとは思っていなかった。まさかそんなことを言われるとも思っていなかった。あぁ言えば、そんなこと気にしてないだとかそんなことするつもりだったの、といつも通り強気に返してくるとばかり思っていたのだ。それなのに実際は違っていて、恭弥は興味ないって言いたいんでしょ、と言った。ディーノはどうしてそんな考えになってしまったのかが分からなかった。一つ、なんでそんな理解したのかなぁと思って溜息をついた。
その溜息さえも恭弥は勘違いして一人傷ついた。面倒臭いと思われている、と思って。

「違うよ恭弥。そんなこと言ってない。ただそう言った方がいいと思って言ったんだ」
「うそ」
「嘘じゃねぇよ? ほら、あれだ。水着だと思えば恥ずかしくねぇだろ、的な、な」
「意味分かんない」

夏になったら海に行こうと約束したから、その時は同じ様な格好になるだろ。そうディーノは言いたかった。だけど上手く言えなくて変な言い方をしてしまったのだ。案の定恭弥は理解しておらず、その表情も何を言われているのか分からないといった様子だ。

「海に行こうって約束したの覚えてるか?」
「うん」
「水着になったら同じ様な格好になるだろ、だから気にすんなってこと」

気にするな、その単語に恭弥がぴくりと反応するがその動きにディーノは気が付いていなかった。
海、水着、と恭弥は単語を繰り返して頭に情景を思い浮かべる。きっとディーノのことだろうから、海と言っても一般的なものを想像すると、実際に行ったときにあまりの違いに驚くだろう。ビーチはきっとプライベートビーチで、人で溢れる一般的な海水浴場とは違うのだろう。群れが嫌いな恭弥にとってプライベートビーチという条件はすごく嬉しかった。が、同時にそれは海岸にディーノと二人きりということになり、嫌でも相手を視界にいれなくちゃいけないと言うことだ。お互いに。そうなると恭弥はどうしても行きたくなくなってしまうのだ。

「やだ」

先ほどディーノが言ったことに対してなのか、今自分自身が考えたことに対してなのかは、恭弥も分かっていなかった。ただしどちらにも言えることであるのは確かだ。ディーノは恭弥の解答に少し困った顔で笑っていた。やだと言われてもどうしたらいいのかが分からないのだ。

「海は行きたくない」
「あ、海? えー…、なんで?」

服に対しての話かと思えば、恭弥は海に対して答えていた。いきなりそんなことを言われてしまうとは思ってもなく、ディーノは今日の目的でもあったことを言葉にされて苦笑した。これから言おうと思っていたことなのに、言う前に拒まれてしまったのだ。今日ここに来たのは海に誘うため。すでに恭弥が行ってくれる可能性は減り始めている。そしてディーノはその理由が気になった。

「いやだから」
「恭弥のためのプライベートビーチでも?」

恭弥の予想通りディーノの用意したプランはプライベートビーチでの海水浴だった。もちろんキャバッローネの人間が何人か居ることにはなるが、それでも一般的な海岸に比べれば人口密度はかなり低い。それを言えば少しは良い反応を見せてくれると思っていたのに、恭弥の反応はよくならない。ますますディーノは納得できない。

「やだ」
「行こうぜ、てゆうか行きたい」
「やだ」

恭弥はまだディーノと視線を合わせなくなった。膝を抱えてさらに小さくなる。濡れたシャツは気持ち悪かったが、恭弥はそれでも頑なにディーノの要求を拒否した。それは何回ディーノが聞いても変らない。

「俺とじゃ嫌?」

ディーノは恭弥が理由を言わないことに少し苛々し始めていた。そして今言ったことが最後に思いついた、恭弥の嫌がる理由だった。苛々が伝わらないように喋るが、それでもディーノ口調は少し冷たくなっていた。

「ごめんな、恭弥。無理に誘って」

付き合っているのに気持ちが通じていない。そのことに悲しさを感じてもいいはずなのに、それが苛立ちへと変化するのはあっという間だった。だからディーノは勝手に結論づけてそう続けたのだ。今日はもう帰ろうと溜息を一つついて立ち上がる。
この場にこのまま居ることはディーノにとっても気分は悪く、まだ乾き切ってないTシャツを手にするとそのまま着て更衣室のドアを目指した。

「待って!」

ディーノが帰ってしまうという時、恭弥は立ち上がりディーノの腕を掴んだ。こんなことを言わせたかった訳でも、帰って欲しかった訳でもない。恭弥は海に行きたくない理由がこんなことを引き起こしてしまうなんて、思ってもいなかったのだ。ディーノ苛立ちに恭弥は気付き、これ以上場を悪くさせるほどの理由ではないと思った。理由は小さくて、ディーノとってはどうってことないかもしれない。

「なに」

ディーノの声は冷たかった。声に出してからしまった、とディーノ自身も自分の発言に驚いたが、苛々しているのは確かだ。だから訂正はしない。理由を言ってくれれば恭弥のためならなんでもするのに、そうディーノは思っているからこそ、余計に苛ついていた。

「ごめんなさい…」

ディーノの腕を掴む恭弥の手は少し震えていた。ディーノが恭弥にとって知らないディーノで怖くなったのだ。こんな低い声、冷たい口調のディーノは知らない。恭弥の震えにさらにしまった、とディーノが思った時には既に遅かった。恭弥は下を向いたままで顔を上げない。ごめん怖がらせた、としゃがんで目線を合わせれば恭弥の目は零れそうに涙をためて、今にも溢れそうだった。

「ちがうの、」

しぱ、と恭弥が瞬きをすれば零れる一滴。

「いいよ恭弥。今のは俺が悪い。ごめんな? 行きたくない理由って俺にも言えないのかよ、って思って苛々しただけなんだよ。ごめん」
「ちがうの、あなたが悪いんじゃないの」

恭弥はそのままうーと泣き出してしまう。ディーノは恭弥の頬を伝う涙を拭い、そのまま恭弥を抱き寄せた。恭弥はディーノの肩口で顔を覆う。一度溢れてしまったものはなかなか止まらないのだ。ごめん、ごめんな。ディーノは繰り返し恭弥の背中をさすってやるが、それでも溢れるそれは止まりそうになかった。

「行きたくないのは僕が悪いのっ」
「海好きじゃなかった?」

冷静に考えていれば根本の好き嫌いがある、ということをディーノは思い出す。そもそも恭弥は海が好きだとは一度も言ってなかったのだ。

「そうじゃなくて、」
「うん」

恭弥が続きを言いやすい様にディーノは優しく言った。静かに続きを待つと聞き取れるか取れないか分からない声で恭弥は小さく言う。

「――…なの、」

小さいけれど顔の横で言われたディーノの耳にはちゃんと届いていた。ただその理由に驚き、動きが一瞬止まってしまう。同時に思考も止まり、今までの苛立ちは何処かに飛んでいってしまった。

「理由ってそれ?」

 拍子抜けした、そう表現するのが一番というくらいその理由はディーノにとって予想外だった。

「うん」
「じゃあ俺が嫌いなわけでも、海が嫌いなわけもなかった?」
「…うん」

ガバッと恭弥を離すと恭弥の顔を覆う手はそのままで、代わりに覆いきれていない顔面と耳は凄く真っ赤に染まっていた。恭弥はその理由一つで今までずっと嫌だと言っていたのだ。それがやっとディーノにも分かる。

「恭弥、顔見せて」
「だめっ」

ぐい、とディーノが恭弥の顔を覆う手を引くが、力が込められて剥がれない。可愛い理由で行きたくないと言い続けた恭弥の顔が、どうしても見たかった。しかし無理矢理に剥がすのも可哀想で、今日の所はそのままでも許してあげることにした。泣かせてしまったのも、照れてしまった原因もディーノにある。
そして恭弥が素直に理由を言ってくれたからだ。恭弥らしい可愛らしい悩み。そんな理由に悩んでいた恭弥を想像すると愛しくてたまらなくなる。恭弥は同世代の子に比べてみれば落ち着いている様に見えて、年相応な悩みを抱えていたのだ。ディーノは気にもしない様な女の子らしい悩みを。

「そんなの気にする必要ないって言ったら、海一緒に行ってくれるか?」
「…あなたはそれでいいの?」
「俺は今の恭弥がいいの!」

ディーノは力一杯恭弥を抱きしめた。ここまで近づけばディーノの心音は恭弥に伝わるはずだ。それがなによりも恭弥の悩みの解決になると思ったのだ。年の差を気にしているのはいつだって恭弥だけじゃなかった。ディーノだってずっと気にしていたのだ。
いくら大人っぽく見えると言っても相手は中学生。普通に考えればロリコンだと思われてしまうだろうし、恋人としての感情を抱くのを変だと言う人もいるだろう。
手を出せば犯罪、同意の上でもだ。恭弥は確かに少女であったけれど、ディーノ中ではもう随分前から女でもるのだ。だから恭弥だけがいつもどきどきしているわけじゃない。ディーノだっていつだって心臓が煩く騒いでいたのだ。それは今の様に。


(僕はあなたが今まで付き合ってた女の人みたいにスタイルがいいわけじゃないから、見られるのが嫌だったの)

 
口にしてしまえばそれは本当に小さな小さな悩みでしかなかった。


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