そうだ、銭湯に行こう *♀
「きょーや! 銭湯行こうぜ!」
「・・・・・・は?」
いつものように当然応接室にノックもなしで現れたディーノは、開口一番にそんな事を言った。どこか楽しそうに入ってきたディーノに比べ、状況の理解出来ない恭弥は口を開けたまま固まっている。
ソファに座り日誌のチェックをしていた恭弥だったが、ディーノとその言葉の意味に思考が支配されてしまったのだ。
(…どうゆうこと?)
銭湯なんて言葉どこで覚えて来たんだろう、恭弥はその経緯を考えてみる。またリボーンの入れ知恵だろうか。
それならば行こうと誘われる必要が分からない。そうしている間にも、ディーノはエネルギー補給とかなんとか言って、恭弥に抱き着いていた。
「だからさ、せんとう? っていうのが日本にはあんだろ? 行こうーぜ」
「ないよ」
もちろん嘘だ。昔ながらの銭湯は少なくなってきているが、そういった施設は今も存在している。
しかし急に言ってくるなんて裏があるに決まってると分かっているので、恭弥は嘘をついた。
「ないのか…?」
「ないよ。なんで?」
「10月10日はせんとうの日って、今日朝ニュースでやってたんだよ」
ディーノが遠い遠いイタリアから長時間かけて日本にやってきたのは昨日の深夜。朝ニュースで見たと言うディーノに、そんな日あったかな・・・、と恭弥は考えた。
しばらく考えてそれ以上考えるのは止めた。日本にははっきり言ってよく分からない ○○の日というのが多すぎるのだ。ゾロ目の日は何かと記念日化している。
数字を無理やら単語に置き換え読むこともある。
元々人と群れる事も嫌いで、ましてや誰かとそんな日を祝ったり過ごしたりすることのない恭弥にとっては興味のない話だった。そしてすごくどうでもいい。
「絶対行かない」
「何で?」
「…あのねぇ、あなた分かってないよね」
僕のこと。恭弥はそう続けてパタン、と今まで開いたままになっていた日誌を閉じた。
動くのには邪魔なディーノを剥がして執務机に向かい、日誌を机の上に置いて振り返った。
「僕は群れが大嫌いだよ」
「? せんとうって群れるもんなのか? 風呂で群れるなんて、日本人はすげぇな」
「(すごい?) 銭湯は温泉みたいなもんだよ。大体男と女じゃ別々に入るんだから、わざわざそんなとこに行く意味がわからないね。それに…」
そ、と恭弥はディーノのぶらりとさがる左腕に触れる。その意図が分からないディーノはそんな恭弥の行動をただ可愛いなぁとだけ思って見つめていた。
つつつ、と少しづつ恭弥はディーノの腕をまくる。ディーノはますます訳が分からなかった。
どきどきして、頭には妄想が飛び交う。
(この恭弥の行動はもしかして…!
もしかして…
次にくる言葉は、
『あなたを人目にさらすのは嫌だよ』
なーんてな! 照れながら言う恭弥すげー可愛い!)※妄想
「可愛いなぁ」
「・・・・・・」
ディーノは一人にやついている。妄想しているだなんて知らない恭弥には気味が悪かった。
しかもちょっと気持ち悪い。
「話きいてる?」
まだ腕をつかんだままの恭弥に言われてディーノは、ハッと我に返る。
「あのね」
「ん、おぉ」
「あなたみたいな刺青のある人は基本的に日本じゃプールも温泉も銭湯もはいれないよ」
「え、」
「だから、もし並盛に銭湯があっても行けないからね」
この腕じゃね、とディーノを腕を持ち上げた。
その腕はディーノがキャバッローネを継いだ証。十代目ボスだということを象徴するものだった。
ふとディーノは思う。
もしも、もしも自分がマフィアのボスとかじゃなくて、普通の一般人だったら。
(恭弥は今の俺より、そんな俺の方が好きになっただろうか。やっぱりこんな俺は嫌いだろうか。)
「ごめんな、恭弥」
恭弥の腕を引いて抱きしめる。小さくて細い彼女の身体はディーノの腕のなかにすっぽりと収まってしまう。
突然謝るような言葉を告げたディーノに、恭弥はただ見つめることしかできない。
恭弥の瞳に映る情けない顔をした自分と目があう。
ぎゅう、と腕に力を込めた。
「あのね、」
ディーノの腕の中で恭弥は独り言の様につぶやいた。ぽつり、ぽつりと続きを口にする。
自分の気持ちを表現することが人一番苦手な恭弥は、こんなことに遭遇したことがない。だからひとつひとつ丁寧に言葉を選ぶ。
「別にあなたの事が嫌って言った訳じゃないよ。僕はあなたのことが嫌いだともいやだとも思ってないよ。この腕だっていやだなんて思ってない。
…だから、勝手に謝ったりしないで。マフィアのボスだっていいじゃない。あなたが強くなかったら、僕と出会う事もなかったし、あなたに興味を持つこともなかったんだから」
普段からそんなに言葉を発することのない恭弥が、沢山の言葉を口にする。ディーノの気持ちを何となく理解したのか、恭弥は優しい声音で伝える。
嫌いなんかじゃない。むしろ好き。
だってこんなに人と群れるのが嫌いな僕が、本当に好きでもない人と一緒にいれるわけないでしょ。
「恭弥」
「なに?」
「すげー好き」
「うん、知ってる」
「色々迷惑掛けてごめんな」
「うん」
「心配させてごめん」
「うん」
「これからも一緒にいてくれるか?」
「うん」
「じゃあ今日一緒に風呂入ろうな」
「うん。
――――は?」
いままでのテンポにつられてついつい、恭弥はディーノの言う内容をちゃんと聞きもせずに頷いてしまった。頷いてしまった後で内容を理解するが、時すでに遅し。
ディーノは既に今言ったことを決定事項と決めつけて一人喜んでいた。
「やったー!」
「やっ、やだっ」
慌てて喜ぶディーノを止める。
(一緒にお風呂なんて入りたくない! そんな、恥ずかしいことっ)
過去に何度かディーノと体を重ねた事はある。しかし恭弥はその行為自体が好きな訳ではなかった。ディーノだからしてもいいと思っただけで、ディーノじゃなかったら受け入れなかったと思う。
だからといって、風呂に入るなんて今更恥ずかしくないだろと言われても、うんとは頷けない恭弥だった。頷いてしまったけど。
「今うんって言ったろー」
「言ったけど、違う。間違えたの」
「いーじゃん風呂くらい」
「やだ」
「なんで」
「いやだ」
何度言っても拒否をする恭弥にディーノは一つの悪戯を思いつく。裏社会を生きてきた中で自然と身に付いた演技力を使ってそれを実行する。
「じゃあ今日はもう帰るよ」
「どうしたの、急に」
ディーノは恭弥から離れて服を整える。恭弥とは目を合わせないようにしながら。
ちらっと前髪の隙間から見た恭弥は顔色を悪くしていて、俯いていた。そんな焦る姿すらも可愛いと思ってしまう。
そして、本気で好きだと思ってくれているんだと自惚れる。
これはディーノの思いついた悪戯。本気で好きなら久しぶりに会えた恋人とすぐにまた今度、なんてしたくないはずなのだ。
「本当に疲れてるからさっさとホテル帰ってシャワー浴びてねるよ。またな、恭弥」
今度はいつ会えるかわかんねぇけど、そう言い残してディーノは応接室を出ようとドアに近づく。本気で出て行くつもりでドアに手を掛ける。
「やっ、やだ!」
ぐい
結構な強い力でディーノは後ろへと引っ張られた。掴まれた腕を見ると必死な顔をした恭弥が必死に腕にしがみついていた。
「…いかないでよ」
「なんで? ちゃんと言わないとわかんねぇよ、恭弥」
もちろん分からないことはない。でも不安になることの方が多かった。恭弥はただディーノの言うとおりにしてるだけなんじゃないか、その時の雰囲気に流されてるだけなんじゃないかと思うこともあるのだ。
「だ、だって」
「だって?」
「久しぶりに会ったんだから、一緒にいたい」
恭弥は腕をぎゅっと握りしめたまま喋らない。言うか言わないか悩んでいる。
「す、好きだからっ」
「きょーやぁあああ!」
「わっ」
がばりと恭弥にディーノは抱きついた。可愛くて可愛くてしかたがない彼女に。
それは恭弥からのはじめての"好き"。
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10.10は銭湯の日
(2011.3.24)
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