冷めた頃にまたおいで

10年前、僕はまだ中学生だった。心だけじゃなく身体もまだ出来上がっていない子供で、思ったことがすぐ口に出てしまうような生徒だった。加えて生意気で、他人に対しての興味は強さが基準だった。
けれど外国に比べれば治安の平和な日本では、強さにこだわる人間は少ない。自分の身を守ることを考えていても、その手段に自分の手で、と考える人はすごく少ない。多くの人の考えが、他人任せだ。
そんな中で僕は馴染めず目立ち、そして浮いていた。風紀委員を名乗りながら暴力をふる僕は、今から考えれば滑稽だ。やってることと言ってることが矛盾している。そんな矛盾すらも正すことが出来ないほど、当時の僕はやりたいままに生きていた。

それでも退屈はする。好きなことを好きなようにやっているはずなのに、僕は退屈していた。

ディーノの存在は僕の世界に現れた、一点の光のようなものだった。
僕は生きているのに生きている心地がなく、何をしても心から楽しいと思えることがなかった。いつしか僕を避けるようになった他人の視線も、不愉快でしかない。初めはそれに優越感を感じていた。自分だけが他人に一目置かれ、特別な存在になれたのかと思った。
でもそれは特別な存在として受け入れられたのではなく、

――拒絶だった。

拒絶は生きていないのと同じだった。いるのにいないとして扱われ、生きているのに死んでいる。僕は実態のないなにかになり、人々の視界に入れないものとなった。
そこまで来て僕が取った行動が、反省ではなく開き直りだったのだ。今となってはそうとしか言えない。拒絶されるくらいなら、こっちからも拒絶すればいい。世界に入れないのなら、入れなければいい。
そうして自分だけの殻を作って、籠もった。

それなのに、

ディーノはその殻を簡単に破り、勝手に僕を連れ出し他人を干渉させた。そう初めは感じていたのに、今となっては感謝の気持ちの方が大きい。殻を破ってくれたのは後にも先にもディーノしかいなくて、関わることを惜しまなかったのもディーノしかいない。

「好き」

それは10年前の今日、僕は今と同じ様にディーノに向かって言った言葉だった。
突然の来訪と突然の発言に、ディーノの目が一回り大きく開かれた。それもそうだろう。僕は仕事の用があるからと言って、わざわざディーノと二人になれるように人払いまでした。
でもそんなものは嘘だ。ディーノは戸惑いを隠せないまま、カレンダーに視線を向けた。

「そっか、今日か」

返事を返すわけではなく、ディーノは自分にも僕にもとも取れる言い方でそう言った。


***

"今日"

それは僕とディーノにとって特別な日だった。いや、もしかしたらディーノはそんなこと思ってないかもしれない。僕が勝手に特別な日にしただけだ。
幼い僕は突然の家庭教師に文句を言いながら、生意気な態度を取りながら、周りが驚くほど彼に懐いた。ディーノがいれば草食動物と群れることだってあったし、話だって聞くようになった。
そしていつからか好きだなぁなんて思った。そしてディーノも同じ気持ちだと思って、断られるとかそんなことを考えずに、言った。

好き、と。

その言葉に付き合って下さいとか、責任を取って欲しいとか、そんな気持ちは含まれていなかった。ただ一緒に居て居心地が良くて、よく笑ってよく喋るあなたが好きで、ただ好きと思うが故に、言いたかっただけなのだ。
好きと伝えたかったのだ。僕はまだ幼かったから付き合うがどういうことなのかも、同性を好きになることが異常なのも知らなかった。好きと言ったらあなたは、いつもの笑顔で笑ってくれるのだと思っていた。
でも現実はそうじゃなかった。都合のいいことばかり考えていたのだとは知らず、困惑した表情をされるなんてその時になるまで知らないまま。そしてディーノは僕が待ちくたびれるほどの時間を使い、考え、言った。

『冷めた頃にまたおいで』

例えばどのくらい、僕は当時そう返した記憶がある。そしたらディーノは『10年経っても同じ気持ちでいられたら、その時は考えてやるよ』と言ったのだ。
それが"今日"だ。


***

「それはど」
「愛しいの好き」

ディーノの言葉を遮って僕は言った。僕はあれから10年も待ったんだ。あの日からずっと、あなたが誰かと一緒になりませんようにと願い、あなたが考えてくれる今日を想像した。

「それを今日言うために来たのか?」
「そうだったら、なにか問題あるの」

早く、そう急かしたい気持ちのせいで僕の言葉は早くなる。ディーノはちょっと困った様子で苦笑い。嘘をついて時間を取らせたことに、そう感じているのかもしれなかった。

「もうそんなの忘れてると思った」
「あなただって憶えてたくせに、そんなこと言うんだ」

聞きたいのはそんなことじゃない。したいのはこんな話じゃない。憶えてるとか、憶えてないとかそんなものはどうだっていい。憶えていてくれたことは嬉しい、けどそれが時間稼ぎにも思えた。
ディーノはどうして約束を憶えているのに、それを実行しないのか。考えると言ったのは、憶えてないんだろうか。あの日あの時の僕の言葉だけしか記憶にないのだろうか。

「俺は思い出しただけだよ、今」
「普通は日にちまで憶えてない。10年前のことなんて、意識しなきゃ忘れる」
「そうカリカリすんなよ」

ディーノは執務机から立ち上がって、机の前にまわるとそこに腰掛けた。

「約束は忘れたの」
「……」

目を伏せて、ため息を一つ。憶えている気がした、そして面倒に感じている気がした。俯いたディーノの表情はもう見えない。

「僕は忘れなかったよ。ずっとずっと憶えてたよ。1年経つたびにあと何年って数えたし、待ち遠しかった。ずっとあなたにいい人が出来ませんように、結婚しませんようにと願ったよ。あなたの顔を見たいけど、見たくなかった。見たら好きだとやっぱり思うし、どう思われてるか知りたかった。だから、」

だから…。

僕の視界は突然見えにくくなって、薄い幕が覆った。透明で、水分で出来た涙の幕。
目を閉じたら目の前の人がいなくなってそうで、閉じることすらままならない。だけどどんどん溢れるそれは、僕が瞬きなんてしなくてもおぼれ始めた。
ぽたり、と音にもならないくらい小さな音がし始める。

「僕のせいにしていいからっ、それでいいから、考えてよっ。ふるならふってよ」

一方的な気持ちに、都合のいい答えがないということはこの10年で学んだ。当時はあれだけ勝手な答えを想像出来たのが不思議なくらい。半分、5年を越えたあたりから考えるのは良くない結果ばかり。ここ最近は断られた時の心の準備しかしてない。不快と言われても、耐えられるように。気持ち悪いと言われたら、謝れるように。
何度も何度も心の中で繰り返して、最後に言う言葉を練習した。

(ありがとう。あなたにはもう迷惑掛けないから、ごめんね。)

「ごめん」

一瞬何が起きたのか分からなかった。気が付けば僕はディーノに支えられように、胸に飛び込んでいて、それが掴まれた腕からなにが起きたのかを把握した。ディーノに引っ張られたのだ。
そして、今は抱きしめられている。ずっと触れたくて、触れられなかった人。あの日以来近い距離で接したことのない人。それでも僕はディーノが言ってくれるまで、どうしたらいいのか分からないままだ。
行き場のない両腕はだらりと重力のまま、垂れ下がっている。

「待たせて、ごめん」

すき、ではなかった。多分イタリア語の、何度か耳にしたことのある言葉で耳元に囁かれた。なじみのない言葉は、言葉としてではなく音として僕の脳を巡った。
そして音が言葉と知ると、思考を巡らせ意味を探した。使うことはないと思っていた異国の言葉、でも意味はちゃんと憶えていた。



(Ti amo)

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