こんな姿、彼には一度も見せたことは無かった。
いつもデートの時は、彼のオシャレなスーツに合うような、派手すぎず地味すぎず、落ち着いていて多少の気品を感じれる服装をする。
そして、ナチュラルなカラーコンタクトに、セミマットな肌や控えめなグリッターとヌーディーなリップ。ナチュラルながらも大人びて見えるメイクをして、髪を緩く巻き上げる。
彼の隣を歩ける女性はこんな容姿だろうと、私の中に作り上げた理想の"彼女"になるため、努力を重ねてきたのに。
今更こんな姿を彼に見られるわけにはいかないのに。
なのに、なのに──
(なんで秋山さんが居るの!?)
仕事を終えて、会社から一歩踏み出した矢先、目に飛び込んできた彼の姿。
歩道のガードパイプに軽く腰かけ、煙をもくもく吐き出す彼が何故この場に居るのか全くもって理解ができない。
あまりの驚きに全ての動きを止めて固まっていると、バチりと彼と目が合ってしまった気がして咄嗟に物陰へと身を隠す。
けれど、もしかしたら目が合ったのは気のせいで、この姿はまだ見られていないかもしれない……。彼には申し訳ないがこのまま何とかやり過ごし、何食わぬ顔で別の道から帰路につこうか?うん、そうしよう。
都合のいい可能性だけを考え、これが今取れる最善の策だと、ギュウギュウと収縮する心臓の辺りに手を当てながら覚悟を決めて、深呼吸をした時、
「なまえちゃん?」
目の前に影が落ちたことに気づいたと同時に、彼がひょこりと私の顔を覗いた。
ただでさえバクバクと速くなっていた鼓動が、1度大きく飛び上がったと思えば、更に速く脈打つ。
「あ、あき、秋山さ、ん!?」
焦りから呂律が上手く回らない私を横目に「お疲れさん」とこぼす彼。条件反射的に「おつかれさま……です」と返す私はさながらオウムだ。
さっき目が合ったのは気のせいじゃなかった。実際に気のせいだったとしても、既にこの地味な姿を見られてしまった事実は変わらない。
さすがの彼も顔を顰めざるを得ないだろう。
せめて、これ以上間近で見られないようにと、すぐさま合成皮革のトートバッグで顔を隠して問いかける。
「ど、どうしてここに?」
「たまたま近くを通りかかってね。そろそろ終わる時間かなぁって思ってさ」
「残業がなくてよかった」と安堵のこもった声を発する彼は、きっと緩やかに口角を上げているのだろう。
そんな彼の姿を思い浮かべていると、「それで、どうして隠してるの?」という彼の声と共に、コンコンと指先でバッグを小突く振動が私の手に伝わった。
顔を隠した行動について言及されたことに、ウッと顔を歪ませ「いや、あの……それは」と言葉が詰まる私と、そんな私の発言を静かに待つ彼との間に流れる沈黙が、いやに気まずい。
顔を隠す理由を告げるのは嫌だけど、このまま沈黙が続くのはもっと嫌だと、腹を括って口を開いた。「その、今の格好……地味なので」
「地味? それが隠す理由?」
「だって、こんな私が秋山さんと話してたら変だし、秋山さんもきっと嫌気がさしちゃうから」
恐る恐るそう告げてみれば、ハァと微かにひと息ついたような音が聴こえた。
「地味とかそんなので嫌いになるほど、生半可な気持ちで君と付き合ってないんだけどな」
「それとも、君は俺がそんな理由で嫌いになる男だと思ってたってこと?」
「そんなことは!」
決してそんなことは無かった。ただ、もし嫌われたとしてもそれは全て私のせいで、彼に釣り合わない姿をした私が悪いのだと、そう思っていた。
パッとバッグの影に隠していた顔を上げると、「それなら別にいいじゃない」と私の手からバッグを奪い取った彼は、キュッと口角を上げた。「なにより、俺はその格好も好きだけどねぇ」
顔を緩めた彼は嘘偽りのない澄んだ瞳をしている。
そんな緩やかに細めた瞳で、真っ直ぐに見つめられれば、「さぁ、お嬢さん。俺と食事でも?」と差し出された彼の手を、私は屈服したようにふたつ返事で承諾しながら握ることしかできなかった。