太陽が真上まで昇り、ベランダへと繋がる大きな窓からは、太陽の光が差し込み部屋中を満たす。部屋の角に立てられた姿見の前で、ワインレッドのスーツの下襟それぞれを、両手で軽く引っ張りながら、うーん、と悩むのは私の彼『春日一番』
めでたく、彼は『彼氏』から『婚約者』へとジョブチェンジしたのだが、婚約者になってから1番最初のクエストが、私の両親への『結婚挨拶』なのだ。
「なんで?いいじゃん。いつもの格好で」
「けどよ、さすがにご両親に挨拶しに行くのには、ちょい派手すぎねぇか?」
鏡の前でああでもない、こうでもないと言い続けて、かれこれ約1時間程が経っていた。普段の彼からは到底想像ができないほど、落ち着きがない。屈託のない彼でも、結婚挨拶ともなれば緊張するのだろう。
せめてシャツのボタンは閉めとくか?と今度は上までピッタリとボタンを閉め始める彼に、
「もう!いつものままで大丈夫だから!ちょっとは自信持って!」
と肩をグイッと引っ張り、彼が閉めたボタンをいつも通りの第二ボタンまで開けてあげる。
そうかぁ?と少し口を突き出しながらしょんぼりとする姿は、さながら怒られて不貞腐れる大型犬のようだ。
「なぁ……ご両親、怒るんじゃねぇか?いきなりこんな40も過ぎた男が婚約者だ、なんて言ったら」
「あぁ、それは大丈夫だよ。もう言ってあるから」
私自身、彼と同じようになにか小言のひとつやふたつは言われるのではないかという不安があった。そして、その小言を私だけに言われるならともかく、もし彼にも言われたらそれは我慢ならないと思い、事前にどんな人かは伝えておいた。
「……ど、どうだったんだよ?」
「喜んでたよ。まさかなまえが結婚する日が来るなんてーって。年齢のことなんて気にしてないみたい」
「しかも、お母さんなんて一番のこと知ってたからね?」
どこかで会ったっけか?と言わんばかりに、眉間には皺を寄せ、顎には手を当て考える彼を横目に続ける。
「一番製菓の社長だよって言ったら、CMで『私が社長です』って言ってるあの格好良い人!? ってさ」
「へへへ、やっぱ、親子で好みも似るもんなんだなあ?」
そういう事か!と腑に落ちた様子の彼は、格好良いという言葉に対して満悦の笑みを浮かべた後、軽く揶揄うように言った。 しかし、実際にそうなのだろう。
顔だけが好きなわけではないが、彫りが深くてハッキリした目鼻立ちをしている彼の顔は正直に言って好みだ。否定すれば嘘になる。
「まぁね」
「え?」
「……なに?」
私が素直に認めたことに対して、目を丸くし、あんぐりと口を開けて驚いている。そんなに驚くぐらいなら最初から揶揄わないでほしい。
「ヘヘッ、嬉しいこと言ってくれるなぁ」
「俺もなまえのこと、大好きだぜ?」
私を揶揄っておいて自分で照れてどうすんだか……と呆れた矢先にこれだ。私は、彼のストレートに好意を伝えてくれるところに、素直に尊敬するし、そして弱い。
そんな彼の背中をバシッと叩きながら、そこまで言ってないでしょ!と言ってみれば、ヘヘッと変わらず笑っている。これだけ惚気た会話をすれば緊張もほぐれるかと思ったが、鏡に映る彼の表情は心做しか、まだ強ばったままだ。このままでは埒が明かない。
一番? と彼の頬に両手をそっと添え、薄く茶色みがかる、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳をまっすぐと見つめる。
「一番の名前はきっと、みんなの『1番』の『一番』だよ」
「だから、絶対2人共一番を好きになるから」
ね? と気付薬の代わりに、チュッと触れるだけのキスを落とすと、気がついた時には彼の腕の中にすっぽりと収まっていた。
「……俺の奥さんは可愛すぎて困っちまうな」
彼は私を抱きしめる腕にギュッと力を込めた。彼の体温と私の体温が混ざり合い、とても心地が良い。
「うちの挨拶が終わったら、今度は一番の番だね。ちゃんと紹介してね?2人の親父さん」
「おう!」
今日と同じような太陽に明るく照らさせる天気なら、お墓参りには帽子が必要かもなぁ、とひとり考える。
彼の腕の中から少し見上げると、キラキラとした彼の笑顔が眩しい。今日はまるで太陽が2つあると錯覚してしまいそうだった。