昼間はただのOLをしている私が、キャバクラで働く理由は1つ──
"彼へのプレゼントを渡すため"
特に誕生日だとか、記念日だとかのイベントがあるわけではない。が、彼はそんな何も無い日にプレゼントをくれる。
そのプレゼントというのも、とてつもなく高価そうな……いや、確実に高価な物ばかり。
お互いの仕事柄もあって、朝型と夜型のすれ違いであまり会えることがない故に、彼なりの気遣いだとは思うけれど、私は彼が傍に居てくれるだけで充分だ。
強いて言えば私が欲しいのは高価なプレゼントなんかじゃなくて、彼と過ごす時間がもっと欲しい。
高価なプレゼントなんて、さすがにしがないOLがそう易々と受け取れたものではないと、腹を括って『いらない』と正直に言ったこともあるが、その時の至極不服そうな表情と態度たるやいなや……思い出しただけでも身震いしてしまう。
受け取りを拒むことができないのなら、同等の物を返すのが妥当だろうという結論に至ったが、昼職だけでは彼と並ぶプレゼントを到底買えたものではなかった。
資金稼ぎ──
それがキャバクラで働くこととなった経緯だ。
彼が幹部を務めている集団『RK』が仕切っているこの町──神室町で、キャバクラに勤めるだなんて、すぐにバレるかと思いきや、案外バレずに続けられている。
しかし、今日は非常にマズイ状況だ。
「ねぇ! 阿久津さんに呼ばれたんだって!?」
「ボーナス貰えるじゃん! いいな〜!」
なんと彼に呼び出されてしまったのだ。
RKが取り仕切るキャバクラで継続的な売り上げを出せる女の子がいると、ボーナスが出る。 もちろんそれは耳には入っていた。
まさか自分が呼ばれることは、天と地がひっくり返っても無いだろうと思っていたが、彼のためにコツコツと頑張っていたことが裏目に出てしまったようだ。
他の女の子なら喜んで彼の元へと向かうだろうが、私は『はい、分かりました』と会うわけにもいかない。
店長に『ボーナスはいらないので……』と彼に会うことを断ってみたが、『阿久津さんの呼び出しを断りでもしたら、うちの店の存続に関わる』と涙目で訴えられてしまえば、それ以上無理に断ることはできなかった。
(阿久津さんに会う前に何とかして、断らないと)
彼が寄越したタクシーの中でそう覚悟を決め、目的地で停まったタクシーから降りるや否や、入口で待っていた彼の部下らしい男に対して、私は開口一番「あの! 私ボーナスとか大丈夫なんで!」
「いやいや、折角だからもらっておいた方が良いですよ」
「本当にいらないので!」
「僕らが阿久津さんに怒られますから。ね?」
と埒の明かない押し問答を長々と繰り返していたその時、目の前の大きな二枚扉がゆっくりと開いた。
そして、今この瞬間に1番会いたくなかった人が──彼が姿を現した。
「女の子が駄々こねてるって来てみりゃ、そういうことかよ」
「あ、阿久津……さん」
彼の冷然とした目が、私を見下ろしている。
突き刺さる彼の鋭い眼光に萎縮して固唾を呑む。
(もう、だめか……)
と彼から逃れられないことを悟り、目を逸らしながらひとり俯く。
すると、彼が大きなため息をつき、ほんの少し屈んだと思えば、微かな浮遊感のあと、私の目線は一瞬にして彼と同じ高さに並んだ。
そして、担がれているという状態に近い抱き上げ方のまま、彼は歩を進めた。
「えっ!? ちょっ、阿久津さん!?」
私の驚く声を尻目に彼は扉を通り、バーカウンターを過ぎ、階段を降り、そしてまた登る。
ここに来るまでのジロジロと向けられた人の目が痛かった。
恥ずかしさから、彼にしがみつき、襟首に顔を埋めて隠すことしかできない。
「お前らは下がってろ」
彼が一言声をかけた途端、わらわらと周りの人が席を外し、テーブルの上に置かれた高そうなボトルとグラス、そして彼と私だけが大きなモニターの光にチカチカと照らされていた。
放り投げるように私をソファに座らせた彼が言った。「言い訳ぐらいは訊いてやる」
「ご、ごめんなさい。その、私……」
「金が欲しかったなら、俺に言えばいいだろが」
「それとも俺に言えないことか? ホストにでも貢いじまったか?」
「違います!」
「いつも、阿久津さんからプレゼントを貰ってばかりだから、それなりのお返しをしようと思って……」
「そんなの頼んでねぇよ」
簡単に許してもらえるとは思っていなかったが、そう言い放った彼の言葉についカチンと来てしまった。
こっちは真剣に悩んでいたのに、いくらなんでも自分本位で虫が良すぎる。
「わ、私も頼んでません!!」
「あぁ!?」
意を決して反抗した言葉に返ってきた、彼の一言だけの怒号があまりにも強く、そして心を酷く引っ掻いた。
今にも泣き出してしまいそうな気持ちをグッと堪え、ここで怯んではダメだと、キッと彼を見つめる。
「私も、高価なプレゼントが欲しいなんて一言も言ってません! 頼んでません!」
「全部俺の気持ちだろが!」
「それでも、私には気負いするんです!」
「私は……私が1番欲しいのは阿久津さんとの時間なんです!」
このまま彼の顔を見つめていては、きっとこの次にも飛んでくるであろう、怒号に涙をこぼさずに耐えられる自信が無い。
それに、こんなことで泣く姿を見せてしまっては面倒くさい女だと、嫌気をさされるかもしれない。
そうは分かっていても、堪える程の心の余裕は今の私にはなかった。
せめて泣き姿を見られないように、グッと唇を噛み締めて俯く。
しかし、罵声を浴びせられる覚悟をしていたにも関わらず、彼から発せられた言葉は予想だにしないものだった。
「……帰んぞ」
「えっ?」
恐る恐る顔を上げてみれば、瞳に溜まっていた涙が頬を伝う。
そして彼はというと、微かに目を細めた曇った面持ちで、固く噤んでいた口を開いた。
「俺との時間が欲しいんだろ」
彼はそう言ってレオパード柄の服の袖で、こぼれた私の涙を拭ってくれる。
すると、先程までの張りつめていた緊張の糸が一瞬にして切れ、涙がより一層溢れ出した。
「泣かせるつもりはなかったんだよ」
「……悪ぃな」
申し訳なさそうに眉を下げた彼の顔を見て、泣き出してしまったことに罪悪感を覚える。
「ごめ、んなさい……私も…」
感情的になり泣き出してしまったこと、彼に断りを入れずキャバクラで働いたこと、彼に申し訳ないと思わせたこと──
全てに謝りたいと思っても、言葉がつっかえて出てこない。
「お返しも要らねぇから、キャバクラは今日限りで辞めろ。いいな?」
私とは違い、冷静な心持ちであろう彼の温かさで胸がキュッと締め付けられた。
大人気もなく泣きじゃくり、コクリと頷くことしかできない私の頭を、彼は軽く撫でると優しく私を抱き上げた。
踵を返し、彼はそのまま私の勤める店へと向かうと、店長を呼び出して平然と「コイツ、今日で辞めさせろ」と言い放った。 状況が掴めず、動揺を隠せない店長が「う、うちの女の子が何か粗相でも……」
「あ? 俺の女が、そんなことするわけねぇだろ」
「お、おおお、俺の女……!?」
と目を白黒させていたことには、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。