Spring Day

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阿久津とスマホで映画を観る話

「阿久津さん、コーヒー飲みます?」

               

ソファで寛ぐ俺に向かって、キッチンからなまえの張った声が飛んできた。

無愛想に「いらねぇ」と返しても、今度はなまえのご機嫌そうな返事が返ってくる。

               

マグカップを持ちながら、パタパタとスリッパを床に打ちつけてこちらへとやってきたなまえは、当然のように俺の膝の上に座るとスマホで動画配信サービスのアプリを開いて言った。「今日はなに観ますか?」

               

「ランキングに入ってるのあんだろ。スプラッタのやつ」

               

「え〜? また怖いのですか?」

               

「嫌なら、観なけりゃいいだろが」

               

「別に嫌とは言ってません〜!」と不服そうに頬を膨らませながらも、俺の胸板に頭を預けて映画を再生するなまえにフッと顔が綻ぶ。

               

近頃、夕食後に2人で映画を観るのが習慣になっている。

初めこそ気乗りしなかったが、幸いなまえと映画の趣味も合うため、今ではちょっとした心落ち着く時間だ。

               

大抵の女が嫌がるスプラッタ映画に、なまえは屁とも思わないようだった。

小さな画面の奥で血飛沫が舞っているのに対し、なまえはなにも動じず、マグカップのコーヒーを啜っている。

               

鼻を抜ける芳醇な香りに釣られて、そのマグカップをサッと横取りし、コーヒーを口にするとなまえは鋭い目つきで俺を見上げて怒る。

「いいだろ、1口ぐらい」とこぼせば、「1口がいつも多いんですよ!」と俺から奪い返したマグカップを覗き込んで肩を落としていた。

               

「悪かったって」と、お詫びというわけではないが、そろそろなまえのスマホを持つ手が疲れてきた頃だろうと、手からスマホを奪い取って目の前で持ってやる。

すると先程までの憤然とした態度はどこへ行ったのやら「ありがと」と微笑んだ表情でつい胸が締め付けられた。

               

──────────────

               

壮大な音楽と共にスタッフロールが流れる。

               

ランキングに入っていた割には、つまんねぇ映画だったな、と軽く伸びをする俺の傍らでなまえはというと、俺に身体を預けながらスヤスヤと眠りこけていた。

               

自分から『映画、観ませんか?』と言ってくるくせに、途中で寝落ちするのが恒例になっている。

毎度毎度、スプラッタ映画を観ながら寝るなんてどんな図太い神経してんだよ……とある意味感心してしまう。

そして、映画を観ていたなまえのスマホでカメラを起動して、間抜けな寝顔と共に2ショットを撮る。今まで何枚の2ショットを撮ってきたかは数え切れない。

               

撮った写真を確認するためにカメラロールを開き、そのままメッセージアプリ、電話の履歴、SNSをチェックする。

別に浮気を疑うわけでも、好奇心からでもなく、ここまでが一連の"流れ"なのだ。

               

カメラロールは、オシャレなプレート料理、夕焼け空、道端の猫、そして俺が撮った2ショット。

メッセージアプリや電話の履歴は、俺や女友達の名前と、仕事関係だと思わしき名字と役職名で登録された人とのメッセージ。内容も業務連絡だけだ。

SNSは俺や友達と過ごした他愛もない日常を切り取ったものや、趣味の投稿。

               

浮気の『う』の字もない様子に、歓喜や安心を通り越して、もはや呆れてしまいそうだ。

未だ呑気にスヤスヤと俺の膝の上で眠るなまえの頬に軽く手を滑らせる。

眠っているにも関わらず、幸せそうに微笑むなまえの長い睫毛や艶やかな唇を目にして、突発的に脳裏を過ぎった、このまま抱いてやろうか……なんて衝動を柄にもなく必死に押さえ込んだ。

               

邪な気持ちを大きなため息と共に吐き出してから、なまえを抱き上げてベッドへと運んで寝かせる。

               

ふと、なまえにとっては、こんな日々を過ごすことが幸せなのだろうか? とそんな疑問を抱く。

直接訊かなくては知り得ないこの疑問の答えを、俺が知ることはきっとないだろう。

               

ただ、少なくとも俺はこんな日々を失うのはあまりにも惜しいと思った。

               

「今でも充分、悠々自適かもな」

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