Spring Day

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趙がボディガードを振り切る話

それは、満遍なく卵が絡みついた炒飯を口に運ぼうとした時だった。

               

「会合……ですか?」

               

「そうなんだよ。その日丁度、横浜流氓の会合があってさぁ」

               

そう言って彼が断ったのは、私からの食事の誘いだ。

               

『佑天飯店』

               

ガランとした店内には似つかわしくないほどの大量の料理が、1つのテーブルに並んでいる。 そして、お店の隅には彼のボディガードが2人──

               

私の彼は中国マフィアの総帥をしている。 普段のデートといえば、彼のお店である慶錦飯店で席を予約しておいてくれて、そこで食事をしたり、時間がある時は今日みたく佑天飯店で手料理を振舞ってくれたりもする。

しかし、総帥という立場だと行動範囲や時間が制限されてしまうようで、あまり世間一般的なデートをしたこともなければ、彼が私の予定に合わせられることが基本ないため、私からデートに誘うこともなかった。

そんな彼でも比較的自由な時間を設けられるのが、きっと食事の時間なのだろう。

               

(食事なら予定も合いやすいかも!)

               

そう思い、いつもご馳走してくれる彼へお礼の気持ちを込めて、「よければ、是非手料理をご馳走させてください!」と、言ってはみたものの、用事があるなら仕方ない。

               

「それなら仕方ないですね! よければまたの機会に!」

               

笑顔でそう答えるが、自分でも気が付かないうちに、やはり内心落胆していたのだろう。

口に運ぶ途中の炒飯を、力無く傾いたレンゲからパラパラとテーブルにこぼしてしまった。

               

「あらら」

               

「あっ、ごめんなさい!」

               

今まで彼と予定が合わないなんてこと、よくあったじゃないか。それに、彼に無理を言うのはもちろん出来なくて。ただ私が予定を合わせるのが暗黙の了解だったのに。だから、いくら初めての誘いでも、断られる可能性の方が高いことは、分かりきっていたはずなのに。私は不思議と空虚感に襲われていた。

               

そんな胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちで食事を済ませると、彼が言った。「家まで送ってくよ」

               

「ありがとうございます」

               

そう答えて店を出るや否や、店内の隅で待機していた彼のボディガードが、彼の歩幅に合わせて数メートル後ろを歩く。

私と会う時に彼らボディガードの姿を見なかったことは一度もない。

私のような一般人では到底、経験のできないこの光景も、彼にとっては当たり前のようだった。

そんな姿を見る度に、彼との社会的地位の差を痛感して、『何故、私なんかと付き合っているのだろうか?』なんて疑問を抱くこともしばしばある。

               

他愛もない話をしていると、気がつけば自宅へと着いていた。「また連絡するよ。またね」と指輪をキラキラと光らせながら手を振る彼に、ペコリと軽く会釈をしてから、シンとした真っ暗な部屋に入る。

               

(そっか、趙さん予定入ってたのかぁ)

(……よしっ! それならせっかくだし、料理の練習をしよう! その日は時間もあるし、買い出しからだ!)

               

せめて上辺だけでも明るく居たかった。自分の心さえも騙して、この虚無感を早く埋めたかった。

               

───────────────

               

「結構買っちゃったな……」

               

空が燃えるように赤く染まった夕方、材料の買い出しに行ったはいいものの、思っていたより買い込んでしまった。今にも手がちぎれそうだ。

               

(ちょっと休憩する場所、あるかな……)

               

頭の中で付近の地図を思い浮かべる。

金花通りを真っ直ぐ北に進むとベンチがあったことを思い出し、そちらへと歩を進める。

ベンチにガサリと音を立てて買い物袋を置き、目の前の夕日を見つめた。

きっと、地平線へと沈んで征く夕日は、焚き火を眺めて様々な思いを馳せてしまうのと、同様の効果があるのだろう。

               

(私なんかと住む世界が違うのは分かってるけど、会う時は全部趙さんの都合に合わせて、まともなデートもしたことないし、しかも、絶対ボディガード付きって……さすがにマズイかな)

(それに、実は好きなのは自分だけで、趙さんは遊びだと思ってたりするのかな)

(今日の誘いを断られたのだって、本当は私の手料理なんて食べたくなかったから?)

               

そんなことに時間を割きたくないという、遠回しの意思表示だったのかもしれない。そんな後ろ向きな考えで頭がいっぱいになる。

               

何度ため息をつこうが、それは私の心にある不安の数だけこぼれてしまう。

海に太陽が沈み、夜が来るように、彼と私にもいつか暗闇が訪れてしまうのだろうか?

そう一抹の不安を抱き、またもため息をこぼしたその時、

               

「あぁ、なまえちゃん。いたいたぁ!」

               

どこからともなく、聴き慣れた伸びやかな声がする。今こんなところにいるはずがない人の声が。まさか幻聴……? と辺りを見回す。しかし、幻聴ではなかったようだ。私の見つめる先には彼の姿があった。

               

「ちょ、趙さん!? なんでここにいるんですか! 会合は!?」

               

「つまんないから、抜けてきちゃったよ」

               

「ぬ、抜けてきちゃったって……! いいんですか!?」

               

「だってアイツら、同じことをウダウダ話してるだけなんだ」

               

「俺なんてずーっと座ってるだけで、放ったらかしだよ」と彼は微かに口を尖らせ、不貞腐れていると思えば、「だから、総帥の威厳だけは損なわないように、適当に理由を付けて、ね」と笑いながら言った。

               

そんな理由を付けたとしても、簡単に抜け出せるものなのだろうか? 抜け出したとしても、如何なる時も彼の傍を離れないボディガード達には、行き先が知られてしまうのでは? それ以前に、ボディガードにすぐに止められそうだけど……と思い、普段なら傍に居るはずのボディガードを探すが、見当たらない。

               

「あの、ボディガードの方達によく止められませんでしたね? それに今日は居ないみたいですけど、どうしたんですか?」

               

そう問いかけてみれば、彼は僅かに眉を上げて言った。「ん〜? もちろん止められたよ」

「けど、せっかくなまえちゃんの誘いで会うのに、アイツらはいらないでしょ? だから、巻いてきてやったよ」

               

「ま、巻いてきた!? そんなことしたら怒られちゃいますよ!? すぐに呼んだ方が!」

               

予想だにしない返答に目を丸くして焦っていると、彼は眉間に皺を寄せて言った。

               

「……俺はさぁ、ずっと嫌だったよ。なまえちゃんと2人きりで会えないの」

「でも、なまえちゃんは、そうは思ってなかったってこと?」

               

サングラス越しでも分かる彼の真剣な眼差しが、夕日に照らされて熱く燃えている。

その瞳を見てハッと気付かされた。私は先ほどまで『彼は遊びだと思っているのか?』だなんて失礼なことを、何故考えていたのだろうと。後悔の念が拭いきれない。

               

「ちがっ! ……い、ます。私も、その……趙さんと同じです」

               

溢れだしそうな自責の念をグッと押し堪え、フルフルと顔を左右に振るも、彼への申し訳なさで目を合わせられない。致し方なく軽くうつむいた時、気がつけば私は彼の腕の中に抱かれていた。

               

「あのさ、実は会合がどうであれ、今日は抜けてくるつもりだったんだよ」

               

「えっ?」

               

「だって、折角なまえちゃんからの誘いでしょ。本当は断りたくもなかったよ」

「でも俺はこれでも総帥だからさぁ、形だけでもちゃんとやってないとやっぱり格好つかないじゃん? ……だから、なまえちゃんにはいつも迷惑かけてると思ってる」

               

「ごめんね」そう謝る彼はとても落ち着いた優しい声をしていた。私が今、自分自身を責めている気持ちさえも見透かして、それを彼は自分へ責任転嫁させようとしていた。

               

そんな彼に不安も、不満も、不信もあるわけがない。私の中でふつふつと沸いていた負の感情は、彼によって全て払拭された。なにもない。あるのは情愛だけだった。 背中へと腕を回して抱きしめると、ピクリと彼の指が震えたのを背中越しに感じた。そして、より一層キツく抱き返される。

               

なまえちゃんさ、この前テーブルに炒飯こぼしたでしょ?」

               

「は、はい……」

               

「いつも綺麗に、しかも美味しそうに俺の料理を食べてくれるなまえちゃんが料理をこぼすほど、悲しませちゃったんだって、本当に悪いことしたなって思ったんだよ」

               

「えっ!? いや、あれは、趙さんは悪くなくて……」

               

グイっと彼の胸板を軽く押し、腕の中から抜け出して言った。なんの話かと思えば、そんなことさえも気づかれてたのか…… と気恥ずかしくなってしまう。しかし、彼はそんな私には深く触れず「そう?」と軽く口角を上げ、穏やかな表情で納得してくれる。

               

「ねぇ、ところでさぁ、あれは今日のための材料?」

               

彼はベンチに置かれた買い物袋を指差して言った。

               

「はい。練習がてら酢豚を作ってみようかなと思って、材料を買ってきたんです」

「あ、もちろんパイナップルは買ってませんけど、よかったですよね?」

               

「お、分かってるねぇ。買わなくて正解だよ」

               

そう言って買い物袋を持ち上げる彼の、もう片方の空いた手は、私へと差し出されていた。

彼の手をギュッと握ると、微かに白い歯を見せる彼の笑顔が夕日に照らされて、いつもより輝いている。こうして2人きりで歩けるこの時間は、この上ない幸せだった。


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