だから今日履いてきたのも、いつもの如く特に理由があったわけでも、ましてや彼をわざわざ誘惑するために履いてきたわけでもなかった。 が、今日の私の彼『難波 悠』は誰がどう見ても挙動不審だった。
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『また、サバイバーに行きますね』
前回会った時、別れ際に交わした約束。太陽と月が完全に入れ替わった頃、その約束通りサバイバーへと訪れた。スリットの入ったスカートを履いて。
店内に入ると彼は既に到着しており、カウンター席で足立さんと話しているようだった。
「ナンバさん」
背後から声をかけながら、彼と足立さんとの間にヒョコリと顔を出す。
「遅かったじゃねえか。先に始めてるぜ?」
彼がほんのりと赤らんだ顔で微笑み、琥珀色のお酒が入ったロックグラスを軽く持ち上げると、中の氷がカランと音を立てる。
「よぉ、なまえちゃん!なぁ、聞いてくれよ。この前……おお!?」
意識がはっきりしている彼とは裏腹に、もう随分と酔いが回ったであろう足立さんは、何かを話し出したと思えば、私のスカートを見て目を爛々とさせていた。
「今日は一段とセクシーなの、履いてるじゃねえかぁ!」
ヘヘヘッ、と笑いながら脚へと送られる視線は、足立さんの性格を理解していれば、それほど不快なものではなかった。「足立さん……それセクハラですよ?」と冗談混じりに言うと、ダハハハと能天気そうに笑っている。
そんな会話をしている最中の彼はというと、眉間に皺を寄せ、目を見開き、私の脚と顔を何度も見比べていた。
「お、おい……それ」
彼が怪訝そうな顔で口を開いた時、声を遮るように扉の開く音が店内に響く。その音と共にやってきたのは、紗栄子さんと、ハンさんだった。
「なに?もう飲んでるの?」
「足立さんは既に出来上がってるようですね」
2人がカウンターの傍でマスターにお酒の注文をした後、
「あれ?今日は服装がいつもと違うじゃん!可愛い〜!」
「おや、本当に。随分と雰囲気が変わりますね」
私の服装に気がつくと声をかけてくれた。特に反応を期待してきたわけではないが、そう言われるとついつい嬉しくなってしまう。何かを言いかけていた彼を横目に、えへへと少し照れながら、「ありがとうございます」と素直にお礼を伝えた。いつもパンツコーデなことが多かったから〜、なんて話をしていると、彼は勢いよく席を立ち、私の手首をグイッと引っ張る。
「ナ、ナンバさん!?」
彼の行動の意図が全くもって理解できない私は、ただ手を引かれ、ボックス席の方へと向かう彼に身を任せるしか無かった。
「こっちに座れ」
いつもより少しばかり低い声で、彼が指を差したのは向かって左側の席。なんでわざわざ指定を? という疑問を抱くが、向かいの席に座る彼は、私のそんなちっぽけな疑問よりも、重大な問題を抱えていると言わんばかりの険しい表情をしている。
テーブルに両肘をつき、ズイっと身を乗り出した彼は皆には聞こえないような小声で言った。
「おい、なんてもん履いてきてんだよ?」
「え?なんてもんって、普通にスカートですけど……」
「脚が出てんだろうが!?」
カッと目を見開いてもなお、小声で怒る彼は呆れたように脱力するとソファの背もたれへと身を預け、ハァと一息つく。
「えっ?もしかして、こっちの席に座らせたのは、皆に脚が見えないようにですか?」
たしかに、こちらの席に座ればスリットは壁へと向く。しかし、そこまで彼が考えるのだろうか?
「分かってるなら、わざわざ聞くんじゃねえよ」
「……とにかく、そんなの履いて外は絶対ダメだ。室内限定!しかも、俺が居る室内だからな!?」
驚いた……。普段の彼は、本当に私のことが好きで付き合っているのだろうか?と疑うほど、私の服装は愚か、髪型、メイクやネイルの変化に対してなにも反応も示さなかった。なのに今回はどうだ?ただスリットの入ったスカートを履いてきただけでここまで動揺している。そんな姿がなんとも新鮮で、そして面白かった。
「へぇ……ナンバさんが居る室内で履いて、一体どうするつもりなんですか?」
「な!?お、大人をあんまり揶揄うんじゃねえ!!」
ほんの少し揶揄うつもりが、彼は想像以上に動揺した様子で、ついに声を張り上げてそう叫んだ。
「お、おい、ナンバは一体どうしちまったんだ?」
「喧嘩……ではなさそうですね?」
そんな彼を見て、いつの間にやら合流していた、春日さん、鎌滝さん、趙さんがヒソヒソと話をしていた。「うるさくしてごめんなさい」と苦笑して店内の皆にペコペコと頭を下げる。
「あれ〜?なまえちゃん、今日は可愛い服着てんだねえ。それ、俺にもよ〜く見せてよ」
合流した3人の中で、趙さんはいち早く状況を理解したのだろう。目ざとく見つけた私のスカートを指差し、ニタニタと笑いながら彼を煽るように言い放った。
そして、今の彼にはその煽りは効果抜群だったようだ。嫉妬と歯痒さとが入り交じったクチャクチャの表情でバッと席を立ち、何も言わず強引に私も席から立たせると、沢山着込んでいる自身の上着を脱ぎ出した。汚れたパーカーやら、くたびれたマフラーやらで下半身をぐるぐる巻きにされ、瞬く間に皆の目に入るスカートの面積は 0 になった。
「もうスカートは禁止だ!!」
フンッと憤りを感じる彼の鼻息に、呆気に取られていた意識がハッ戻る。
「あの、ナンバさん?これじゃ動けな……「動かなくていい!今日、なまえはここから動くんじゃねえぞ!?」
グイグイと私の背中を押し、詰め込むようにボックス席の壁際へと追いやる。彼は2人並んで座るには少しばかり狭いソファの通路側にドカリと陣取ると、自分の獲物を取られまいと威嚇をする獣のように、鋭く目を光らせていた。
そんな必死な威嚇の効果で、彼にギュッと握られた私の手が2人の間で押し隠されていることは、きっと皆にバレてはいないだろう。