海賊には、10個の掟がある。
その一。
乗務員は全員、船長の命令には従わなければならない。

その二。
脱走を企てたり、仲間に秘密を持ったりしたものはすべて、弾薬1瓶、水1瓶、小火気1丁および弾丸を与えて孤島に置き去りにするものとする。

その三。
仲間のものを盗んだり、1ピース・オブ・エイト以上の金額の賭事をしたものは、孤島に置き去りにするか、銃殺刑に処する。

その四。
われらが他の海賊に出会った場合、われらの乗組員が仲間の同意なく当該海賊の掟に署名したときは、船長及び仲間が適切と考える処罰を当該人に課するものとする。

その五。
本掟が効力ある間に仲間を殴ったものは、裸の背に40回の鞭打ちを課するものとする。

その六。
船倉で銃の撃鉄を上げたり、パイプに覆いをかけずに煙草を吸ったり、または火のついたままの蝋燭をカンテラに入れずに持ち歩いたものには、前条と同じ処罰を課すものとする。

その七。
常に戦闘に使えるように武器の手入れをすることを怠ったり任務を怠ったものは、分け前を減じ、また船長および仲間が適切と考える処罰を課す。

その八。
戦闘で関節を失った乗務員には400ピース・オブ・エイトを与える。四股の一つを失ったものは800ピース・オブ・エイトを与える。

その九。
思慮分別ある女と会った場合、当該人の同意なしに手出しをしようとしたものは即刻死刑に処すものとする。


そしてその十。
乗組員で海軍又は陸軍の者達と深く関わった者は40回の鞭打ち及び孤島に置き去りにする。


あたしの海賊船はそこまで掟には厳しくはないけども(蒼兄の慈悲である)、その十だけは違った。軍に関わればそれはその海賊船全体が危険に晒されるのだ。軍と色濃い沙汰なんて言語道断。蒼兄と長年一緒にいたあたしでも、きっと殺される。
だけど、気がついた時には遅かったのだ。
あたしは、確かに彼に恋をした。あたしが好きなのはあの人なのに。あの人以上の何かをあたしはあいつに感じたのだった。











硝煙の香りが鼻をつく。嗅ぎ慣れたそれに、アイリーンは表情一つ動かさなかった。襲ってきた軍の男を簡単に双剣で切り裂く。全く迷いのないその攻撃に、軍は少し後退りした。冷たい表情を送るアイリーンは、ただただ海賊だったのだ。
後ろで部下たちが誇らしげに彼女の後をついてくる。それを背中で感じながら、この現状を少しばかり楽しむ自分がいるのに気がついた。
腐っても海賊。物心ついた時にはあの忌まわしい場所にいて、それからすぐに海賊になった。戦場こそが、海の上こそが、アイリーンという存在が生きられる場所なのだ。
剣を一度大きく振って血を払う。と、そこへ誰かが襲いかかってきた。突然の襲撃に、しかし、アイリーンはさほど驚かずにそれを受け止める。ギャッと嫌な音がその場に響いた。
襲ってきたのは男だった。止められたとわかった瞬間、ひらりとアイリーンと距離をとった。
相手は彼女と同じ双剣だった。銀色の髪をした青年だ。青年はどうやら、片腕が動かないようだった。肩から止めどなく血が流れている。誰かにやられたのだろう。そんな状態で、あたしに勝てるわけがないのに。アイリーンは心の中でつぶやいた。

「はぁっ…!はぁっ!」
「……、」

荒い息遣いの青年に刀を向ける。
彼女は海賊だ。敵に情けは無用。そう教えられたのだった。
青年はフラフラだった。そんな状態で立っていることがおかしいくらいだ。それでも、青年はアイリーンに立ち向かうかのように地を蹴った。ブレブレの斬撃を軽々とかわし、青年の腹を斬りつける。浅い。どうやら瞬発力はあるみたいだ。咄嗟に体を捻って避けたらしい。
再度、距離を取る。
青年は地面に突っ伏して起き上がれないでいた。それでも、睨みつけるかのようにアイリーンを見つめてくる。青年のその深緑の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。
彼はどうしてあんなにボロボロなのに、未だああしてあたしを睨むのか。どうして立ち上がろうとするのか。もう、もういいじゃないか。

「何でそんなに…」
「あいつらが…、待ってるから」

ポロリと口から出た言葉を聞いたのか、青年が答えた。それはあまりにも小さくて、戦場であるここでは様々な音にかき消される。なのに、アイリーンの耳にはしっかりと、ハッキリと聞こえた。

「あいつらのために……、俺は…!」

こいつは誰かのために戦っているのか。
まるで自分を見ているかのようだった。決死に必死に、ただただあの人に恩返ししたくて。少しでもあの人の役に立ちたくて。少しでもーーあの人のそばにいたくて。
彼もそうなのだろうか。誰かを想い、思い懐い、必死に戦っているのだろうか。

ーーあたしに、こいつは殺せない

それはなけなしの慈悲か。それはちょっとした気まぐれか。それは、あまりにも彼が自分に似ていたからか。
剣をおろしたアイリーンに、部下が心配げに声を掛けてきた。それに振り返らないまま答える。静かに、冷酷な声で。

「放っておいてもいずれ死ぬわ。あたしが手を加えるまでもない」

感情のこもらない声に、部下は冷や汗が流れるのがわかった。『そうですよね!』と話を合わせる。彼らは恐ろしかったのだ、彼女の逆燐に触れることが。

「!?」

アイリーンが青年を放ってその場をさろうとした時だ。青白い何かが飛んできた。それが地面に触れた途端、それは一気に燃え上がり、青白い炎の壁が生まれた。壁はまるでアイリーンたちと青年を隔てるように聳え、戦場を真っ二つに割った。

ーーこれは、鬼火?

触れれば低温火傷しそうな程、冷たい色のそれに思い当たる技。だが一体誰が、その考えの答えはすぐにやってきた。

「御機嫌よう、海賊の皆様」

柔らかい声にふわりと、アイリーンの前に女がやってきた。黒いドレスに身を包み、黒い傘をさした華奢な女だ。女とともに、オレンジの髪をした長身の男が現れる。右目を眼帯で覆った男は、アイリーンが知りすぎる人物だった。

「こんばんわ、アイリーンちゃん」
「…流紋」

睨みとともに名前を呼べば、流紋は悲しげに笑った。それにズキリと胸が痛んだ。なんで。なんであんたがそんな顔するのよ。
胸の痛みを振り払うかの様に、冷たい声を出す。

「この火はあんたの仕業?」
「いいや、俺じゃない。この火はーー」
「私(わたくし)ですわ」

流紋と共にいた女が、傘を閉じながら声を出した。
女は妖艶に微笑みながら、赤い瞳をこちらへ向ける。何を考えているかわからない、全てを見透かされたような、そんな瞳だった。

「流紋様、高継をお願い致します」
「ああ、わかった」

頷くと、流紋は迷いなく鬼火の壁の中へと入っていった。どうやら味方に効果はないらしい。熱さも感じないのだろう。
流紋が壁の向こうに消えたのを確認し、女はアイリーン達の方へ向き直った。スカートの端を掴み、小さく会釈をする。まるで貴族のようなそれに、アイリーンは嫌そうに眉間にシワを寄せた。

「私、ノクターン・レディと申します。ノクティとお呼びくださいませ」

誰が呼ぶか。心の中でつぶやく。
アイリーンが反応しないことはわかっていたのか、然程気にした様子でもないノクティは微笑みながら続けた。

「貴方方はとてもお強いのですね。先程上から撤退命令が出ましたわ。ですので、私達はここで失礼させていただきます」
「逃がすと思ってるの?」

チャッと剣をノクティに向けた。ノクティは長い袖を口元に持っていき、くすくす上品に笑う。だがそれはまるで馬鹿にしているかのようだった。
イチイチ癇に障る女だなと、アイリーンは小さく舌打ちをした。

「そうですわね。ですが…深追いは禁物だと思いますわよ?」
「獲物が傷負って尻尾巻いて逃げるのよ。それを追い込み確実に始末するのが捕食者ってものでしょ」
「ふふふ…なかなかに面白いお考えを為さるのね。だけどーー」

女の後ろで揺らめく青白い炎が揺れた。音もなく燃え続けるそれに不気味さを覚える。ノクティの表情がふと、真剣なものに変わった。

「ーーこの奥で何人もの狙撃班を配備している」
「…!」
「ーーかもしれない」

アイリーンの表情が険しくなったのを見計らったかのように、ノクティが言葉を付け加えた。彼女の言葉にアイリーンは動きを止める。その隙に、ノクティは次の言葉へと進めた。

「だからと言って、貴方方がここに居るよりも、すぐに引くことをオススメしますわ」
「なにを…」
「そこの岩陰に伏兵が潜んでいる」
「!」
「ーーかもしれない」

反射的に目指できる距離にある岩達に目を向けた。とたんにまた出された言葉に、アイリーンはカッとなってノクティを睨んだ。剣を構え、戦闘態勢に入る。いつでも襲える形になっても、ノクティはただくすりと笑うだけだった。

「貴方より、私の方が遥かに強い」

ーーかもしれない。

かもしれないかもしれないかもしれない。それは確実とは言い難い言葉。アイリーンは女の真意が分からず、苛ついた。

「有りもしないこと言ってんじゃないわよ!」

剣を勢い良く振るうと、水の玉が浮かび上がった。水色のそれはふわふわと注に浮かんでいると思えば、途端、ノクティに向かって飛んだ。それは弾丸のようで、水だと思い甘く見ればそれこそ命に関わるだろう。
水鉄砲。アイリーン達水タイプが得意とする技だ。水鉄砲は真っ直ぐにノクティに向かう。だが、それが彼女に当たることはなかった。

「なっ…」

岩をも砕く水鉄砲だ。それをいとも簡単に目の前の女は手にしていた傘を開いて防いだのだ。傘を動かした拍子に見えた彼女の微笑みはゾッとするものだった。鳥肌が立つ。
ノクティは傘を肩にかけてクルクルと楽しげに回した。『驚いていますわね』とくすくす笑った。

「私の傘は特別性ですの。そう簡単に破れたり壊れたり、溶けたりしないですわ」

『だから酸性雨が降っても平気なのですよ』と、ニコニコ微笑む。
この女は強いと、アイリーンは確信した。この女と戦えば、体力を消費している自分が不利になるだろう。
女の『かもしれない』が真実かどうかもわからない今、無闇に動くべきでは無いかもしれない。

ーーあたしは、あの人に部下を任されてるんだから

部下を無駄死にさせるわけにはいかなかった。渋々ながら刀を納め、後ろで不安そうに一部始終を見ていた部下に言う。

「撤退よ。今すぐ船に戻りなさい」

有無を言わさぬ言葉に、部下は慌てて返事をし大声で『撤退だ』と叫びつつ船へと向かった。
ノクティはその様子に満足げに微笑んでいる。アイリーンは溜まらず大きな舌打ちを漏らした。

「ノクティ、撤退完了した。あとは俺達だけだ」
「ありがとうございます、流紋様」

青白い壁の向こうから、流紋が出てきた。彼の言葉を聞き、ノクティは丁寧に礼を言う。ふと、流紋と目があった。とても悲しげに細められた隻眼。それに、アイリーンはまた、胸が締め付けられるのがわかった。それを振り払うかの様に目の前の男を睨みつけた。

「流紋…あんたは絶対、あたしが殺す。首洗って待ってなさい!」
「…、ああ。待ってるよ」
「………、あんたのそういう所ーー嫌いよ」

二人に背を向け、船へと向かった。振り返らず走る。背中にはまだ、二人の視線が残っていた。

ーー馬鹿じゃないの

あたしもあいつも。馬鹿だ。大馬鹿者だ。
あたしは確かに、あいつに特別な感情を抱きつつある。あの人に失恋したところにやってきた優しくしてくれた男があいつ。あたしも現金なやつだと思う。でも、確かに、あたしはあいつが好きだったんだ。
離れていく陸地を見て、心が痛んだ。ダメだ、ダメよ泣いてはダメ。蒼兄に心配をかけさせちゃうじゃない。
溢れそうになる涙を必死に耐え、アイリーンは空を見上げた。瞬く星が空いっぱいに広がる。
立場も何もかも捨ててしまえたら、どれだけ楽になれるか。

ーーでも、そんな事出来ないのよ

あたしは、海賊。あいつは、軍人。
決して変わることのない変えることのできない事実。
来るであろう未来を予想して、アイリーンは静かに目を閉じた。




(あなたが、好き“だった”)





▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



2210(フタフタイチマル)少将、高継が重傷を負い意識不明のため戦線離脱。

軍にはじめの衝撃が走った。



血戦戦争5




|


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -