それは唐突に起こったことだった。いや、もしかしたらずっと前から決まっていた事柄なのかもしれない。平和という不安定な基盤の元、それが永遠だと信じた者達への罰なのだろうか。それとも、今まで好きに生きてきた者達への神の鉄槌なのだろうか。そんなことは分かりもしない。
ただわかることと言えば、今、この国で戦争が起きたということだ。
軍と海賊による戦争。
それに巻き込まれるのは市民。そして、少しでも海賊と接点があったものは無遠慮に殺される。なんとも惨い命令だろうか。それでも、軍は上の命令に従うしかない。そんなこと、市民には知ったことではなかった。海賊を逃さないためと敷かれた包囲網によって、市民は国を離れることさえ許されない。ただただ、いつ自分が殺されるのか、怯えて暮らすしかできなかった。
疲弊した市民の顔など、軍にも海賊にもわからない。
部屋の窓がカタリと揺れた。その音に、虎銀の意識は浮上する。久方振りに自分の部屋で、ベッドの上で寝ていた深夜のことだった。
ゆっくりと体を起こして、窓を見やる。最初は風かと思った。だが、月明かりが仄かに照らす窓の外にふわりと紫が揺れたのを見て懐かしい来訪者が来たのだと理解した。
ベッドを降り、窓へと向かう。扉を開けば、奴がいた。三階の虎銀の部屋まで高く伸びた木の幹に腰掛けた奴が、ゆっくりと振り返る。
「こんばんわーwww」
ニコニコと微笑む友人に、虎銀は小さなため息をついた。
「レジー。何度言えばわかるんだお前は。ここはそんなに簡単に来ていい場所じゃない」
咎めるような言葉を放つも、虎銀は内心安堵していた。それを知られないよう、すっと目を細める。レジーといえば、ニコニコと微笑んでいるだけで何も言おうとはしない。月明かりを背にした彼の真っ赤な隻眼が怪しく光る。まるで全て見透かされたような気にさえなった。
帰る気配のない友人を仕方なく部屋へ招き入れた。窓を閉め、カーテンを引く。部屋の電気をつけたことろで虎銀は大きなため息をついた。なんの遠慮もなく、レジーが虎銀のベッドの上に座っていたからだ。仕方なく、虎銀は椅子を引き寄せて座る。対面する形になってようやく、レジーが口を開いた。
「疲れてるね」
「そりゃあな」
今は戦争中なのだ。ひっきりなしに出動命令が出て戦って殺して帰ってきたら書類作業。いつもと変わらない仕事のはずなのに、いつも以上に疲れが溜まっていた。
ジュッ。小さな音とともに虎銀がタバコに火をつける。ふぅと息を吐き出すと白煙が舞った。
「だが弱音なんて吐いてる暇ねぇよ。若い衆も必死なってるんだ。それを支えてやんのが、俺達の仕事でもある」
「同じこと、エリーと大雪も言ってたよ」
会いに行ったのかという虎銀の視線を無視して、レジーはベッドの枕を引き寄せた。ぎゅーとシワができるくらいキツく抱きしめ顔を埋めた。
「タバコ臭い」
「そりゃ失礼」
悪びれもなく謝れば睨まれた。気にせずまた、空中へと白煙を吹き出す。
白煙を見ながら、レジーは静かな声で言った。
「蒼刃くんがね、パーティーを抜けたんだ」
突然出た敵の名前に、虎銀は小さく肩を揺らした。それはほんの一瞬で、レジーには気づかれていないようだ。“そうか”と声を絞り出す。
虎銀たち軍人の敵ーー海賊の蒼刃。彼はレジーが所属するパーティーに入っていた。明るい奴らばかりが集まるパーティーだと思う。責任感が強く仲間思いなトレーナーが率いる仲の良いパーティー。
奴がパーティーをぬける理由など、安易に予想できた。だが、一つ気がかりが残る。
「…葵紀は?」
蒼刃が愛した女の名前。幸い、それを知っているのは軍の中でも虎銀しかいない。レジーが僅かに視線を外しながら答えた。
「あの子は強いからね。すぐに蒼刃くんが離れる理由を察して、認めたよ。もともと、あの子達は生きる世界が違っていたのかもしれない。それでも、葵紀ちゃんは蒼刃くんを信じてる。生きて帰ってくるってね。死んでしまってもーーあの子はきっと受け入れるんだろう」
悲しいね。最後に呟いた言葉は、きっと誰に向けられたものでもないのだろう。長い髪を垂らして、レジーは瞼を伏せた。虎銀は黙って、手を組んで話を聞くことしかできない。彼らにそんな運命を叩きつけてしまったのは、紛れもない。自分たち軍なのだ。
「虎銀は」
名前を呼ばれ顔を上げた。ベッドの上に座ったレジーが瞳だけこちらに向ける。
「また、一人で全部抱え込んでるんでしょ」
やっぱりかと思う。こいつは本当に、何でもかんでもお見通しなのだと。
答えない代わりに、レジーが続けた。
「蒼刃くんと俺たちが繋がってるのを知ってるのは軍の中でも虎銀だけなんでしょ?それをバレないように情報を操作してくれてる。バレちゃったら、俺達みんな殺されちゃうから。違う?」
無言の肯定。
その通りだというように、虎銀は赤い目で目の前の男を見据えた。自分を見据える友人に、レジーは小さくため息をついた。次いで、口元を綻ばせる。
「馬鹿だなぁ本当に」
「これは俺が勝手にやっていることだ。馬鹿呼ばわりされる筋合いはないぞ」
「あはは、ごめんね」
クスクス笑ったレジーに、虎銀は舌打ちをして二本目のタバコを口に含んだ。
“だけど”、声がしてレジーを見る。すると、彼は真面目な顔で虎銀の瞳を真っ直ぐに見た。赤い瞳がゆっくりと細くなる。
「それはいつまでも続かない。続けられない。情報はいずれ漏洩する。その時、隠していた虎銀は罰を受けることになるし、俺達のところには軍が押し寄せる。そうなったら、俺はあの子達を守るために戦うよ」
たとえそれが虎銀だったとしても、俺は戦って、そして殺す。
真剣な顔でそうはっきりと伝えたレジーに、虎銀は一瞬動けなかった。そうなる未来が、この先待っているのかもしれない。そうなる運命とでも言うのだろうか。
「その時は、全力で殺り合うか」
告げれる言葉が、それしか見つからなかった。お互いの癖や動きは分かっている。殺り合えば相打ちの可能性も高いだろう。それを知ってか、レジーは楽しそうにほくそ笑んだ。
そろそろ帰るよとベッドから降りて窓へと向かう。途中、振り返るとレジーは軍にとって危険視している男の名を出した。
「煌青のおじ様だけど、今は戦争に出る気はないらしいよ」
煌青。海賊蒼刃の義父であり、神出鬼没で有名な海賊だ。彼の剣の腕前はきっと軍の中でもトップレベルのものだと聞く。頭も冴えて海戦では負けなし、神を味方につけているなどという噂も流れるほどだ。
そんな彼が戦争に出る気はないと来た。それは軍にとって好都合である。
「それはこっちとしては助かるな。あいつを相手にするのは骨が折れる」
「だけど、蒼刃くんを殺したり深手を追わせたら、おじ様は必ず出てくるだろうね。案外息子想いだから。そうなったら、軍は大きく揺れる」
あまり彼らを甘く見ないことだよ。一言添えて、レジーは窓の外へと消えていった。
開けっ放しの窓から冷気が入り込んでくる。それを閉めて、虎銀は拳を握った。ベッドの脇に立てかけてあるライフルを見やる。きっと、次にあった時は殺し合う時だろう。
すっかり起きてしまった頭をかいて、虎銀は三本目のタバコを取り出すのだった。
(次に会う時は)
最期の会話を楽しもうと、心に決めた
血戦戦争3
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