雨はやみ始めていた。それでも飛び交う銃弾や怒号が止まることはない。
視界が悪く、人数も圧倒的な数で押され海賊たちはまさに絶体絶命というものだった。

「蒼刃、無事か」
「海鈴こそ、無事みたいだな」

よかったと笑った蒼刃は雨でも流しきれないほど血だらけだった。彼の様子を見るに恐らく殆どが返り血だろう。
鮫という異名は伊達ではないと海鈴は頭の済で考える。相手が動かなくなるまで、自分が動かなくなるまで目の前の獲物に喰らいつく。それがこの野蛮で獰猛な鮫だった。
すっと未だ波の高い海を見る。合図である照明弾はまだ上がっていない。それは海軍を相手にしている組が手こずっているのを表している。

「…長いな」

海鈴のその呟きが聞こえたのだろう、蒼刃がブンっと手にしていた槍を一振りした。
そうして目の前を見据える鮫の表情に変わる。

「まだなら待つまで。あいつ等を信じるだけだ」

敵陣に突っ込んでいった鮫に海鈴はため息をついた。まったく持ってその通りだよと笑ってから蒼刃の背中を追いかける。蒼刃が前だけ見れるようにあの副船長に代わり後ろを守ってやるのだ。

「世話の焼ける奴らだ」

そう言いつつも寛大な鯨の表情はどこか楽しげでもあった。
途端、遠くで大砲の音がした。次いで陸地へ砲弾が降り注いでくる。砲弾が被弾した場所はどれも軍人たちを狙っていた。
大砲の音と爆発音に動きを止めた皆の目に海の向こうからやってくる船が入った。
黒いジョリーロジャーは他でもない。海賊の印だ。
その中に蒼刃と海鈴は見覚えのある船を見つけた。

「あれは…」
「船長ーーー!! みんなーー!!」

少女の叫び声が微かに聞こえる。その声を聞いて確信した。あの船は海鈴の船だ。合図があったあと蒼刃達を救出に来る予定だった待機船なのだ。
顔を見合わせた二人の船長はあわてて船に走って戻っていった。

「鯨さん、鮫さん!」
「船長!」

船に近づけば、ソフィアとフィリップが目に涙を浮かべながら飛び降りてきた。
抱きついてきたフィリップに海鈴が問いかける。

「フィリップ、お前何でここに…!」
「そ、それがーー」
「俺達が連れてきたんだよ」

ざばざばと水をかき分けて、二人の男が歩み寄ってきた。
長い赤い髪の男と義足の男だ。二人は男達の顔を知っていた。当然だ。彼らは二人より前の世代の海賊達なのだから。

「高千帆さん、ゼルさん…」
「よ、久しぶりだな二人共」

思わず名前を呟けば高千帆がにっと笑って手を上げた。
なぜ二人がここにいるのか混乱していると、様子を見たゼルが頭を掻いた。

「蒼刃、お前さんの親父に頼まれたんだよ」
「は…? え? 煌青さんが?」

彼はすでにこの海域を出たはずだ。この混乱に乗じて脱出するなど、あの海賊であれば簡単だろう。
更に混乱した蒼刃に高千帆が笑いながら経緯を話してくれた。

「俺達もここに取り残されててさ、どうしよっかなーって時にあいつが来たんだよ。吃驚したぜ。突然あの軽い頭下げて頼んでくるんだからよ。お前らのこと助けてやってくれって」
「あいつに借りを作るのも悪くねぇと思ってな。話に乗ったわけだ」
「そうそう。俺達もこっから出れるし一石二鳥だなーって」

ニヤリと笑う二人の船長に蒼刃と海鈴は苦笑を浮かべた。しかし、これでこの死地から抜け出せる。この二人が来てくれたということは、きっとフィーネ達のもとには煌青自らが向かってくれたのだろう。
二人に礼を伝え、海鈴が声を上げた。

「撤退だ!! 船に戻れ!!」

彼の声はよく通る。鯨の鳴き声は銃弾飛び交う中でも仲間たちに伝わった。
撤退だと叫びながら仲間たちがどんどん海鈴の船に乗り込んでいく。
最後の一人がやって来たところで兵士達の道を海鈴が波乗りで作った津波に凍てつく氷を当て、氷の壁を築き、塞いだ。これで時間稼ぎは出来るはずだ。
その様子を見て踵を返した蒼刃にソフィアが抱きついた。

「船長は……、私達の船長は!?」
「落ち着け嬢さん」

宥めるためにソフィアの頭を優しく撫でる。
ジャックは今あの軍人と戦闘中だ。そろそろ決着は着いただろう。迎えに行かなければ。振り返って後ろにいた海鈴を見やった。小さく頷く彼にはきっと蒼刃の考えが筒抜けなのだろう。
ソフィアを海鈴に任せ、蒼刃はジャックがいるであろう元へと急いだ。

**********

「俺の勝ち、だな」

剣の切っ先を尻餅をついたエストハイムに向ける。彼の剣は遠く離れたところで地面に深く突き刺さっていた。向けられた切っ先を見つめるエストハイムの表情は至って涼しかった。

「実力の差は分かっていた。早く殺せ」

こちらを見据えて言うエストハイムは、覚悟を決めた瞳だった。
ジャックは小さく笑う。こんなに真っ直ぐ彼が自分を見たのは恐らく初めてだろう。それが嬉しくも悲しくもあった。
持っていた剣を捨てる。驚き目を見開くエストハイムにジャックが笑いかけた。

「俺がお前を殺せるかよ」
「なっ…!?」

情けだと思われただろうか。違うといえば嘘になる。しかし、ジャックは殺せないのだ。この真っ直ぐな青年を。それは、彼がエストハイムを愛してしまったから。
殺せない。愛している。だがもう、会うことはないだろう。ここから無事逃げ出せたとしても、もうこの島に来ることはできないのだから。ジャックは船長だ。自分の恋路よりも、船員を優先する。そう、思っている。
見開く彼の綺麗な瞳を見つめる。真っすぐ逸らさないように。

「エスト、好きだぜ。もう二度と会えないとしても俺はお前がーー」
「ジャックッッッ!!!!」

聞き覚えのある声がジャックの言葉を塞いだ。振り返った途端視界の端に青色が映る。それに押され、ジャックは地面へと転がった。

「ぐぇっ! そ、蒼刃お前…!」

自分の上にのしかかってきた男に罵声を浴びせる。
起き上がって、転んだ拍子にずれたバンダナを手で直す。

「え…?」

べトリとジャックの白いバンダナに赤が咲いた。見れば真っ赤な血が手を覆っている。自分の血ではない。ならば誰の…?

「は…? え…? そ、は…?」

自分の上に未だのしかかっている男を起こした。彼の胸には赤黒い穴が空いていた。それが何を意味するかなど、すぐにわかった。わかりすぎた。
突然のことでジャックは動揺を隠せないでいた。撃たれた、蒼刃が撃たれた。どこからの射撃かわからない。わかるのは、自分を庇って蒼刃が撃たれたのだ。

「くそっ…!」

着ていた上着を脱いで傷口をきつく縛る。血はそれでも止まらない。
エストハイムはその様子をただ呆然と見ていた。今目の前で起こっている様子はまるで、話で聞いたエレオノーレの死に際と同じだからだ。周りを見渡す。遠い向こう、離れていく一人の軍人の後ろ姿が見えた。それはまるで異質の存在だった。周りの軍人達は逃げ出した海賊を追ってこの場から離れたのだ。上司たちの命令によって。
それをあの軍人は命令に従わず、ただ彼処で待っていたのだ。ジャックに隙が生まれるのを。
遠距離からの射撃、エレオノーレの時と酷似している、軍人が撃った弾、軍人の裏切り、命令違反。

ーーまさか、奴らが…?

思い当たる者達が頭に浮かんだ。奴らならば、奴らの手先ならば打点がつく。
ならばこの戦争もと考え始めたところで、蒼刃が血を吐いた。その音でエストハイムは我に返る。
見ればジャックが涙を浮かべながら蒼刃を抱き起こしているところだった。彼の赤いまっすぐ光を放つ目は今はもう既に曇ってしまっている。

「蒼刃! 蒼刃!!」
「聞こえ…てるよ…」

弱々しく笑う蒼刃の体からどんどん暖かさが失われていく。その感覚が恐ろしくて、ジャックはさらに涙を浮かべた。
焦点の合わない目で蒼刃が言葉を並べる。それはいつもの聞き取りやすい通った声ではなく、掠れた聞き取るのがやっとの声だった。

「あいつ等に…フィーネに…伝えてくれ…、悪いな…って」
「嫌だ! 自分で伝えろよ!」
「それが、出来ねぇから…頼むんだろ…」

馬鹿かお前と笑う。その笑顔がいつもの笑顔でしかしやはりどこか力がなくて、嗚呼彼はきっとここで死ぬんだと頭の端で理解してしまった。

「死なせねぇ、絶対死なせないからな!!」

蒼刃の腕を掴んで肩を貸す。ずりずりと船の方向へ進んでいく。歩いた後に血の道ができていった。
エストハイムは何も言わず、彼の行動を見守った。きっとこれが最後の会話になるだろう。弾は左胸を貫いていた。今ああやって話せていること自体が奇跡に近いのだ。
ひゅっひゅっと細い息をする蒼刃が、小さく笑った。嗚呼、自分は友に恵まれたなと。

「き…の、りに…」
「え?」

聞こえた彼の恋人の名前にジャックの動きが止まる。

「葵紀に…伝えてくれ…、今から言うことを…」
「っ…!」

そんなもの自分で会って伝えろ、そう怒鳴りたかった。しかし、蒼刃の胸から止めどなく流れ続ける血は彼の死をあらわしている。もう、助からない。助けられない。
わかったと小さく答えて蒼刃をその場に寝かせる。微かに笑った蒼刃がぼそぼそとか細い声を出した。一言一句、聞き逃さぬようジャックは耳を澄ませる。
蒼刃が話終わった。彼の言葉をしっかりどこかで待っている彼女へ届けよう。ジャックは蒼刃をしっかりと見据えた。

「ちゃんと…、ちゃんと伝えっから。安心しろよ」
「おぅ…頼りに、してるぜ…親友…」

にっと笑って蒼刃が震える腕を持ち上げた。ジャックはその腕にそっと自分の腕を当てる。

「力で…奪え」
「情けは無用」

蒼刃の腕がだらりと落ちる。その言葉を最期に一匹の鮫が命を落とした。眠るように目を閉じた鮫を鯱が涙を流しながら、それでも笑って見送ったというーー

その直後だった。
中将神居が戦場に現れ、終戦を宣告した。

戦争が終わった。
多くの犠牲を払って、何も得ず、ただ悲しい争いが幕を閉じた。


(終戦宣告)

血戦戦争20




|


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -