男は逃げられないでいた。
男の目の前に立っているのはオレンジの髪をした女。そして男がいる部屋の唯一の出口である部屋を塞いでいるのは二人の男。女と男達は、彼の部下だった。上司として支部長としてこの支部にやってきた男は全て円滑に事を済ませてきたのだ。
それをこんなところで邪魔されるわけには行かなかった。

「私が何をしたというのだ。ただこの国のために私は」
「この国のために?よく言えたものね」

きっと女ーー和泉は男を睨みつけた。
彼女の視線にも動じず男はにやりといやらしい笑みを浮かべる。
そんな男に和泉は拳を握った。

「こんな戦争を引き起こして…多くの人を傷つけてなにがこの国のために、よ!」
「私がこの戦争を?何を馬鹿なことを。証拠でもあるのかね」

肩をすくめてみせる男に扉の前にいたルメリオが声を出した。薄暗い部屋の中、ルメリオの義眼がキラリと光る。

「証拠ならある。あんたが私利私欲のためにこの戦争を引き起こした立派な証拠がな」

ルメリオの言葉に男は片眉を上げた。
そんなはずはない。男は確信していた。この男が言っていることははったりだと。
自分がやってきたことは完璧だったと。
ガチャリと扉が開いた。扉の近くに控えていた二人はそれをちらりと見やる。入ってきたのは小柄な三人だった。
三人の姿を見ると、和泉は優しい微笑みを見せた。依然、拳は強くにぎられたままだ。

「朽葉、にちほ。ご苦労様」
「いっいえ!」

和泉の言葉に朽葉とにちほが首をふる。ともに来ていた浅緋は今の状況を何とか理解している様子だった。不安げにそばに立っているにちほの服を握っている。
朽葉が和泉と男に近寄った。腕には何らかの資料を抱えている。
まさか、と男は冷や汗を流した。
朽葉が資料を和泉に手渡す。それを受け取って和泉は目を細めた。
カッと音を鳴らして男と真正面から向き合う。パサリ、男の机に資料を置いた。

「これは近日、本部からの命令をデータ化したものよ。そしてこっちは、貴方の直轄の部下たちの動きを表したもの」
「これがなんだって言うんだ」

資料には目もくれず、男は和泉を見やる。その瞳は動揺からか揺れていた。それを見逃す和泉ではない。追い打ちとばかりに言ってやる。

「おかしいのよね。ここしばらくの間、本部から命令なんて下ってないわ。ましてや海賊殲滅の命令なんて、ね。それに貴方の部下の動き、妙よね。何故貴方の部下達は戦場ではなくこの三人を追っているの?」

三人と言いつつ、和泉は机に三枚の写真を置いた。そこには今病室で眠っている高継、行方不明になっているノクティと流紋の姿が映し出されていた。写真を見た時、男は明らかに目を見開いた。

「一見、なんの繋がりもないこの三人。高槻とルメリオによーーく調べてもらったわ。そしてひとつの共通点があった。それは、人体実験の被害者」

過去に軍で行われていたという人体実験。三人はその実験の被害者だった。その三人を男の部下が追っている。同時に戦争が起こった。そして戦争の命令は上から降っていない。

「あんたはこの戦争を引き起こした。勝利して実験の被験者達のおかげだと吹聴してもう一度人体実験を始めさせるために。この三人を追っていたのはいらない事を吹き込まれないよう始末するため。そして神居さんを本部に送ったのは邪魔をされないため。……エリーを殺したのも、彼女に邪魔をされないため」

エレオノーレを殺害した、その言葉に朽葉たちは驚いた。彼らには彼女は流れ弾にあたったとしか知らされていなかったのだ。だが、今更隠す必要もない。友の顔を思い浮かべ、彼女を愛した男を思い浮かべて和泉は爪が食いこむことも気にせず拳を握る。
怒りで今すぐこの男を殺してやりたかった。だがそんな事は許されない。この男にはしっかり罰を受けてもらわなければならないのだ。

「…ただの憶測に過ぎん!だいたい本部から命令が下ってないだと?そんな馬鹿なことがあるか!本部に直接確認したのか?」
「ほ、本部の回線から得た情報です!」
「間違いの可能性だってある!言い掛かりはよしてくれ!」

言い逃れするかの如く喚き散らす支部長に和泉の怒りは頂点に達しかけていた。なぜこんな男が生きているのか。なぜこんな男が自分達の上にいるのか。なぜ、エレオノーレはこんな男に殺されたのか。
腰のホルスターから拳銃を抜き取り、男の額に向けた。拳銃を向けられた途端、男はひぃっと情けない悲鳴を上げる。

「き、貴様!何をするつもりだ!?私は支部長だぞ!」
「私から見たらただの腐った狸野郎よ」

怒りで手が震える。いまこいつをここで撃ち殺してやりたい。
止め金に指を触れたところで、和泉は誰かに腕を掴まれた。
驚き振り返るとそこには軍服の男。出口にいる高槻とルメリオではない。男は和泉の腕をゆっくりと下ろした。和泉はそれに従うように一歩、また一歩と後ろに下がる。
たぬきが男を見て目を見開いた。震える指で男を指差す。なぜ、呟いたのが聞こえた。

「なぜ貴様がここにいる!!!?中将、神居!!」
「ただいま戻りましたよ、支部長殿」

にやりと、中将神居は笑った。
神居は本部に移行になったはずだった。いや、移行になったのだ。そう命令したのは他でもない、このたぬきだった。
神居は支部長の目をしっかりと見ながら肩をすくめた。

「まったく、驚きましたよ。本部に着いたらお前を呼んだ覚えはないって言われますし。それにーー支部が勝手に戦争を始めてますしね」

キラリと神居の隻眼が光った。
本部にいた神居が戻ってきた、それは狸の化けの皮を剥がすには十分すぎたようだ。男は冷や汗をぐっしょりかいて声を出せずにいた。この状況に頭が付いてこないのだろう。
神居はにっと笑った。同時、部屋の外から本部の人間と思わしき男が数名入ってくる。

「支部長殿」

神居の冷たい声が聞こえた。
その場にいた皆が神居のこんなにも冷たい声を聞いたことがなかった。優しい笑みの下、彼の腸がどれだけ煮えくり返っていたかがわかる。
冷たい声と冷たい瞳を向けられ、支部長はこの時完全に逃げ場を失っていた。言い逃れすることも出来ない。完全の敗北がこの瞬間に決まっていた。

「アンタを軍法会議にかける。せいぜい残りの軍人生活を楽しむんですね。まぁ、牢屋の中で、ですけど」
「ま、待ってくれ…」
「アンタは俺の部下を傷つけ、殺した。本当は俺自身がアンタを殺してやりたい。ですが、アンタはしっかり罪を償ってそして、この軍の世界から消えてもらいます」

やってきた男達が支部長ーーいや、狸男を連れて行く。男は絶望しきった顔で部屋から消えた。
その場に立ち込めていた緊張が一気にほぐれた。それを見計らってか、突然現れた上司に浅緋がおそるおそる声をかけた。

「本当に、神居…さん?」
「あぁ…。みんな、遅くなってしまってごめんな。エレオノーレのことも…。すぐに助けに来れずすまなかった」

その言葉はまるでこの戦争は終わるぞ、と言ってくれているかのようだった。浅緋が朽葉がにちほが、瞳に涙を溜める。終わるのだ、戦争が。この悲しい争いをこの人が終わらせてくれるのだ。

「神居さん」
「和泉。みんなを支えてくれてありがとうな」
「いいえ…、みんながしっかりしてくれたお陰です」

力なく微笑んだ和泉の頭を神居がぽんっと優しく撫でる。そして笑顔を見せた。その笑顔にどれだけ救われるか。今まで溜めてきたものが溢れかえってくる。ポロポロと涙を零す和泉に神居は優しく頭をなで続けた。そしてそのまま、出口にいた高槻とルメリオに視線を向ける。

「あと戦場はひとつ残ってたな」
「ええ…南海岸ッス」
「多くの軍人と海賊がそこで」
「わかった。車を用意してくれ」

二人は頷いてすぐに部屋を後にした。
部屋に残された者達を安心させるかのように神居は笑って言った。

「さぁ。この戦争を終わらせるぞ」

それはどんな言葉より救いの言葉となった。

(終戦への道)

血戦戦争18




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