嗚呼、泣かないでくれ。
お前を残していく俺をどうか許してくれ。お前の優しさに触れて、お前の強さに触れて、俺は何年ぶりかに人の暖かさに触れられたんだ。
お前は俺にとって、大切で大切でーー愛しい存在だ。

嗚呼、どうか泣かないでくれ。

ーー。愛してるよ。だからこそ、前を向いて歩いてくれ。


彼の言葉を聞いて、私の頬に涙が伝った。



▼△▼△▼△▼△▼△▼


その話を聞いて、ヒラカタは耳を疑った。
少将である虎銀が、地下牢に入れられたのだという。軍内部では優秀なスナイパーでもある彼が地下牢に幽閉され、さらにはそれを行ったのが支部のトップだと聞いて、混乱するしかなかった。
彼をよく慕っていた狙撃班の初瀬がショックで倒れてしまったことも、新しい情報だった。
それまでに神経を擦り減らすような任務ばかり受けて、今回の件がとどめを刺す形になったのだろうと、アリシアが教えてくれた。
皆が皆、口を揃えて言った。
“何故、虎銀さんが”と。
ヒラカタも同じだった。すぐに上司でもあるアトスや、軍の情報を多く持つシオンに問いかけに行った。
そして知ったのは、“情報の隠蔽”だった。
海賊ーー黒海の鮫に関わるパーティーを知っていたにもかかわらず、それを報告しなかったことが幽閉の理由らしい。
最初はなんで報告しなかったんだと思った。だけど、そのパーティーにレジーという男が所属していることで合点がいったと、シオンが教えてくれた。

「虎銀少将とそのレジーって人、昔馴染なの。巻き込みたくなかったのね、きっと」

たとえそれが、こんな結果になろうとも。では、件(くだん)のパーティーが危ないのではと、ヒラカタが言った。

「軍勢が押し寄せて、殺されてしまうんじゃ…」
「それが、そのパーティーね。どこにも居ないんですって。既に逃げたか、隠れているのか」

どのみち、虎銀としては有り難いことだろう。…もしかしたら、これも想定内のことだったのかもしれない。

エレオノーレ、竜錠に続いて、虎銀までもが前線から離れ、軍内部は大きく揺れていた。
そんな中、一つの情報が入る。

『二日後、海賊達が南海岸を占領する』

嗚呼、次の戦いで全てが決まるのだろうと、誰もがそう思った。




▼△▼△▼△▼△▼

「何かわかったことはあった?」
「それはもう、たくさんあったッスよ」

和泉の言葉に、高槻が声を発した。その表情はいつものように戯けてこそいるが、心はそうでは無いのだろう。声が若干、いつもより低かった。いつもチャラチャラとおどけてみせるこの男までもが、此度の戦争で精神をすり減らしているのかと、和泉は小さく舌打ちを打った。

「和泉さんの言う通り調べてきたが…あいつらは黒だ。真っ黒だね」

キラリと右目の義眼を光らせながらルメリオが持っていた紙の束を和泉に手渡した。紙面に踊る文字を一通り見てから、和泉は唇を噛む。思っていた通りの内容に悔しさを通り越して悲しいとさえ思える。
だが部下の前だ。いつまでもそんな態度をしていられない。“ありがとう”と手短に礼を言うと、紙を懐にしまった。

「…和泉さん」

控えめに名前を呼ばれ、振り返った。ルメリオが不安げに瞳をゆらしながらこちらを見ている。どうしたの、と声をかける必要もない。彼が聞きたいことはわかっているから。

「ルカなら無事よ。つい最近行った任務で怪我をしたみたいだけど…大事はないわ」
「そう…ですか」

明らかに安心したかのように息をついたルメリオ。恋人を一度失っている身だ。こんな戦争でも起これば不安にもなるだろう。また、恋人を失ってしまうかもしれないと。諜報員の彼らは前線に立つことはない。だから前線の者達の生死が全くわからない状態なのだ。

「二人共、ご苦労だったわね。ゆっくり休んで。高槻、フレジエが心配していたわよ」
「えっ、まじっすか?今日は甘やかした方がいいんすかねぇ」

少し声が弾んだのを聞いて、安心した。とにかく、今二人にはゆっくり休んでもらおう。仕事は、まだ残っているのだから。

「…虎銀が牢屋に入れられたのは予想外ね」

どんどんと仲間が消えていく。竜錠は一体どこに行ったのだろう、虎銀をどう助けよう、嗚呼エリー、あなたが居てくれたら。
考えているだけ時間の無駄だ。とにかく、今は私にできることをしよう。カツンと大げさにヒールを鳴らして、和泉はその部屋を後にしようとした。だが、

「っ、誰!?」

振り返ると同時に銃口を向ける。確かに誰かの気配を感じた。それは高槻やルメリオのものじゃない。背中に冷や汗が流れる。銃を構えたまま、暗い部屋の中へと声を投げた。

「居るのはわかってるのよ。出てきなさい」

きっと暗闇を睨みつけた。そこにいる、誰かの気配。だが誰だかわからない、これほど不気味なことはない。
暫くして、かつっと床を踏む音が聞こえた。そちらにすぐさま銃を向ける。

「……、あなたは…」

現れた男に、和泉は息を飲み込んだ。








海賊が南海岸を襲う宣言をしてから丁度2日が経った。今日は海賊達が暴れると皆ピリピリしていて朝から慌ただしく動いていた。多くの軍勢が南海岸へ向かって、軍内部にいるのはごく数名だ。
そんな中、重く淀んだ空気が、その場を包んでいた。いつもは明るい職場で、上司の小言を聞きつつ仕事をしていたと思う。それが今やどうだ。上司は牢屋に入れられ、この重苦しい空気を必死に耐えていた。

ーーなにか会話したほうがいいのかな

浅緋の頭にぽんっと考えが浮かぶ。
ちらりと横を見ると、いつも以上に頼りな下げな朽葉が仮眠をとっていった。仮眠をと言うより値落ちというのが正しいだろう。パソコンの電源は落としていて、何かを書いている途中ばたりと倒れたのだ。珍しく優しい浅緋が肩に毛布をかけてやったのだった。
部屋には浅緋と朽葉の他に、もう一人いた。それは極度の人見知りであるにちほだ。そんな彼女がなぜここにいるかと言うと、朽葉から情報を聞き出しに来たのだという。なんでも、和泉に頼まれただとか。
だが肝心の朽葉が眠ってしまっていて、部屋で彼が起きるのを待つことにしたのだ。
次々と起こった事件によって、それでなくとも軍内の空気が重かったのが、この部屋で口下手な彼女と(しかも異様にテンションが低いようだ)何も話すことなく同じ空間にいることがどうも重苦しかった。
嗚呼、何を話したらいいんだろう。
浅緋が必死に何かを話そうと考えていた時だ。にちほの方から口を開いた。

「そんなに…気を使わなくてもいいですよ」
「えっ、あっ…はい…」

つい敬語になってしまうのは仕方ない。というより、階級はにちほの方が上だから、敬語であっているのか。
浅緋がふと、疑問に思ったことを口にした。

「朽葉さんに何を聞きに来たんですか?」

純粋な質問だ。和泉に頼まれたと言っていたから、きっと重要なことだろうとは分かっていたが。気になったら聞いてしまう。それが浅緋の性分だった。
にちほは少しだけ顔を歪ませ、だがしっかりと答えてくれた。

「軍の…本部の情報。おかしい所はないかって…今回の戦いで、わからないところが多いから」

わからないこと?と浅緋が首を傾げた。それに対し、にちほは小さく頭を振ると口をつぐんだ。話したくないか、はたまた話さないほうがいいと思ったのか。どちらにせよ、また重苦しい空気が広がってしまった。これは、と浅緋が焦る。自然と周りが明るい人達だったからか、浅緋は先程のような重い空気が苦手だ。焦ってつい朽葉の頭を叩いてしまった。条件反射というか、いつも癖とは怖い。おかげで朽葉が飛び起きたわけだが。

「えっ!?な、なんで今叩いたの!?」
「すいません、つい癖で」
「癖にしないで!?」

朽葉の叫びも浅緋は軽々と返すだけだった。いつもの光景なわけだが、それを知らないにちほは目を点にして二人を見守る。階級で言えば朽葉のほうが上なはずなのに、これ程まで気を許せる相手なのかと思えば、微笑ましい。
朽葉がにちほに気がついた。すぐに彼女がいる理由を察したのか、自分のデスクをあたふたと漁り始める。そして見つけて取り出したのは紙の束だった。びっしりと文字が詰まっていて、所々に写真らしきものが添付されている。紙の上の方には分かりやすいようにシールが貼られていた。
端の空いた空間にはあとから書き込んだのだろう。少しかすれた文字が踊っている。
その束をにちほに手渡した。にちほは無言でそれを受け取る。

「それが今回調べたことだよ」
「ありがとうございます…」
「?それ、何の資料なんですか?」

純粋な質問だった。だが言葉を濁した二人に、『聞いてはいけないことだったのか』と直感で浅緋は考えた。そうだ、さっきにちほが言い淀んでいたではないか。
それでも、彼女が謝るよりも早く、言い淀んでいたはずのにちほが口を開いた。

「さっき言った、おかしいことを調べてもらってたの。和泉さんのお願いなんだけど…」
「おかしいことって?」

聞いてしまうのは性格上仕方がない。首を傾げながら聞けば、いつか言わなければならないと思ったのか、今度は朽葉が口を開いた。

「海賊の殲滅命令が、上から出たって話は知ってるよね」
「知ってますよ、馬鹿にしてるんですか」
「しっ、してないよ!…その命令がさ、本部から出てないんだ」
「え?」

聞いた話では命令は本部が直接この支部に送ったと聞いている。それなのに、本部は命令を送っていない?なら誰が?

「調べてわかったんだ。この命令、支部長が出してるって」

支部長といえば最近やってきた妙にきな臭い狸のことだ。なるほど、と浅緋が頷いた。だが、何故そんなことをしたのだろうかと、また頭を傾げた。
海賊達を根絶やしにして手柄を自分のものにしようとした?だが今回の戦いは一般人にも大きな被害が出ている。手柄どころか軽くても退職ものだ。なら一体なぜ?

「……実験」

にちほがふいに声を漏らした。
言葉の意味を理解出来なかった浅緋が、え?と聞き返す。

「実験?なんの?」
「人体実験」
「っ!?」

思っていた以上にハードな言葉に、息が詰まった。人体実験、読んで字の如くとはこのことだ。人を使った実験。今では禁止されているそれ。
まさかそんな言葉が出てくるとは思っても見なかった。にちほが続ける。

「支部長は、軍で人体実験をまた再開させようとしてる。目的は優秀で強力な生物兵器」
「海賊や一般人を傷つけてるのは、その全てを実験に関わった人達のせいにするため。力に目がない上層部は、それを必要としてまた、人体実験を再開するかもしれないんだよ」

眉根を下げて、にほに続き朽葉が説明してくれた。
そんなことが、この戦争の舞台裏にあったとは。思いもしないことに浅緋は全身から力が抜けたのがわかった。
そして、ふと思ったことを口にする。

「まさか、神威さんが本部に移行になったのも、虎銀さんが捕まったのも、二人が邪魔だっから……と、か……」

言わなきゃよかった。
言い終わってからそう思った。
だって、二人の表情に深刻さが増したのだから。
そして、浅緋はその二人の表情からあるもう一つの可能性を思い浮かべてしまった。

「まさか、エリーさんも…居なくなった竜錠さんも…?」
「二人も多分…」

言い淀みながら、朽葉が答えてくれた。悔しげに唇を噛みしめるその姿は初めて見るかもしれない。そんな、と浅緋が絶望の入り混じった声を漏らした。信じていたものに裏切られた気分だ。まさか、自分より上の人達がそんなことをしでかす人達だったなんて。
絶望で体が支配されている中、にちほがすっと立ち上がった。

「この資料…和泉さんに届けなきゃ」
「うん、気をつけーー」

ドォオオオオオン!!!!!

朽葉の言葉を遮って、爆音が響き渡った。同時、部屋全体が大きく揺れ始める。

「な、なに!?」

あまりにも激しい揺れに、三人の体は地面に投げ出された。揺れと音がやんだと思えば、今度は軍内部全体に警報が鳴り響く。

『敵襲、敵襲!総員直ちに西門へ迎え!』

警報とともに流れ出るアナウンスに浅緋達の体は地面に投げ出されたまま凍りついてしまった。















壊された西門を見て、アイリーンは盛大なため息をついた。隣のレオはキラキラと顔を輝かせている。

「すげーッス!さすがフィー兄ッス!的中ッス!」
「いくらなんでもやりすぎ…」

船からの砲撃で侵入、という作戦は聞いてはいたのだがいくらか派手すぎやしないか。
とにかくすぐに動かなければ。隣でまだ騒いでいる弟の頭を殴りつける。腰に挿していた双剣を抜いて、門の中へと入っていった。

「いてて……あっ、待ってッスーー!!」
「離れるんじゃないわよ、レオ」

一言言い聞かせてから、ふたりは警報の鳴り響く敵陣へと入り込んでいった。

門の中へと入る少女を男が静かに見つめていた。その瞳は悲しげな色をしている。少女が中に入ったのを見届けるように、男はその場を去っていった。



(終わりへの輪舞曲)



血戦戦争10




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