例えば、俺が普通の人間だったなら。
例えば、俺が彼女に出会わなければ。
全てうまく行ったのかもしれない。こんな醜い争いを起こさなかったのかもしれない。
俺が普通なら。彼女に出会わなければ。
そんなこと何度も何度も考えた。けど、それはただの夢物語。とうの昔にわかっていたことなのに。


「ーーーーー!」


泣き叫ぶ君の顔が、頭から離れなかった。


△▼△▼△▼△▼


二日後、この港を発つ。

入江を拠点としていた父親がそう告げに来た。

この国に残った海賊も、海鈴、ジャック、そして俺達だけになっていた。他の海賊たちがどうなったか。そんなこと考えずともわかる。
今後、どう行動するかを決めるために今日は二人を俺の船に招いていた。
俺的にはすっかり綺麗になった船長室に、ジャックと海鈴と彼の部下であるウェイク。それに後からやって来た情報屋の二人と副船長であるフィーネで話をしていた時だ。突然扉が開いて、オレンジ頭が顔を出したのだった。

顔にははっきりと“これ以上ここにいてたまるか”と書かれている。気ままに自由に海を旅することが好きな彼が、いつまでもこの閉鎖された空間にいるとは思ってもいなかった。突然そう告げられ、少しは動揺したもののよく今日まで耐えたなとどこか感心する。もっと早く、行動に出ると思っていた。ここを出なかったのはこの時期を待っていたのだろう。

「…ここを発つと言っても、周りには海軍の軍艦。どう足掻いてもこの海域からは出られないと思うぜ?」

煌青さんの言葉にいち早く反応したのは、軍との情報を駆け引きしてくれている情報屋の嬢さんだ。
彼女の言う通り、この港を中心とした海域には海軍の軍艦が居座っている。俺達がここから離れるために使う航路は全て抑えられているわけだ。この港から逃げようと船を出したところで、軍艦に捕まって全員仲良く海に沈められる。だからといって港に残ればいずれは軍に襲われてお陀仏。袋のネズミという奴だ。
だけど、俺達もそう簡単に殺されるつもりはない。

「…情報屋のおじょーちゃんにはわかんねぇかもな」
「あ?」

挑発的に言ってのけた煌青さんに、情報屋の嬢さんが片眉を上げた。相変わらずこの二人は仲が悪い。煌青さんはそのまま、何も言わずに出ていってしまった。本当、自分が言いたいことだけ言ってさっさと去るなんて。自由人なところは相変わらずだ。
出ていった煌青さんに向かってか、扉に舌を出して続けて舌打ちをする嬢さん。そんな彼女に苦笑を零すと、嬢さんがこちらに顔を向けた。

「ここから出れる根拠を教えろよ。根拠もなくあの馬鹿カワウソが出ていくなんて言ってるわけじゃねぇんだろ」
「教えてもいい。だがーー交換だ」

部屋にいた海鈴が煙草に火を付けながら言った。白煙が部屋に広がる。
交換内容はもちろん、軍の情報だ。彼女達が出したゲームなのだ。言わずともわかるだろう。
観念したかのようにため息をついた嬢さんは、後ろに控えていたサングラスの男から紙を受け取った。
パサリ。
俺の前に紙が置かれる。

「…軍内部の情報だ」

短く一言、そう言った。その紙をいち早く手にとったのは海鈴だ。さっと素早く紙に目を通して、眉間にシワを寄せる。

「あの女が死んだのか」
「あの女?」
「……エレオノーレ准将」

側にひかえていたウェイクが問えば、海鈴は眉間のシワはそのままで答えた。
エレオノーレ准将といえば、軍内部でかなり信頼された人物ではなかったか。女にしてその剣の腕前はなかなかのもので頭も切れる。そして何より、正義に忠実だった。

「まともな奴が減ったな」

ぼそりと、俺の後ろでフィーネが呟いたのが聞こえた。全くだと思う。
もし、軍の中の誰かがこの戦争を終わらせようと言い出したならば…終わらせることができる人物がいたとしたら、間違いなく彼女だったろう。
彼女が死んだことによって、話し合いという甘い解決策は海の泡となったのだ。

「…それ、軍の被害状況みたいなもの?」
「ああ、最近死んだ奴の名前がびっしりだ。それから、今後の配置予定とーー」
「かして」

珍しく切羽詰まったように、ジャックが海鈴の手から紙をひったくった。何時もは書類などあまり見ようともしないというのに珍しい。いやーー、軍の被害状況となれば彼がそれを見たがるのは当たり前のことなのかもしれない。
一文字も逃がさないようにと、必死に紙に目をやるジャックに、俺は目を細めた。この戦争は、こいつにも酷なものだな。いや、こいつだけじゃない。他の奴らだってもう精神的にぼろぼろだ。
暫く紙とにらめっこしていたジャックが、安心したかのように息をつき、紙を机に投げ捨てた。『よかった』と空を見上げて呟いている。何人かは彼のその様子に付いて行けず頭に疑問符を浮かべていた。
俺と海鈴だけは、ただ何も言わずジャックを見つめた。ジャックは視線に気がつくと罰が悪そうな顔して俯いてしまう。そんな彼の様子に、俺と海鈴はお互い顔を見合わせ、小さくため息をつくのであった。
机の上に投げ出された紙を手に取る。正直、軍の被害状況などどうでもいい。冷たい話だが誰が死のうと、俺には全く関係ないのだから。次頁に書かれた今後の軍の配置予定に目を通していると、嬢さんの声が聞こえてきた。きっと海鈴が対応してくれるだろうから黙って聞き流す。

「俺が今出せる情報はそれだけだ」
「…いいだろう」

海鈴が小さく息を吐くのがわかった。部屋にまた、白煙が舞う。

「簡単な話、嵐が来るんだよ」

その嵐に紛れて包囲網を突破するということだ。なんとも簡単で単調な作戦だと、考えた自分達でも苦笑が漏れる。だが、あの包囲網を抜けるにはこれしかなかった。

「いくら海軍でも、俺達とは潜ってきた嵐の場数が違う。今回の嵐は相当でかいらしいが、俺達なら簡単に抜けられる」

海上での移動ならば、海軍よりも優っている自信がある。現に、俺達は何度も海の上で海軍に襲われたがその度に逃げおおせてきたのだ。
その説明を受けて、嬢さんは目を丸くしていた。

「嵐が来るかどうかなんてわからねぇだろ。それをーー」
「わかるんだよ、それが」

嬢さんの言葉を遮って、俺の後ろにいたフィーネが声を出した。
確かに一般人からしたらいつ嵐が来るかなんてわからないだろう。だが、うちにはそれがわかる優秀な航海士がいた。と、いっても数多くの海域を航海していればそのうち身につくものだが。

「嵐が来る前、僅かにだが風と潮の流れが変わる。ほんとに僅かだけどな。それを感じ取って、嵐が来るか来ないかがわかるんだよ。一般人にはわかんねぇだろうけどな」

『一般人』呼ばわりされ、嬢さんが眉間にシワを寄せた。が、それは直ぐに不敵な笑みへと変わる。

「俺にそんなこと教えていいのか?軍にこのこというかも知れないのに」
「そこは、取引だ」

すかさず言葉を放った海鈴に、嬢さんは冷たい視線を送った。それを気にすることもなく、海鈴は短くなった煙草を持ってきていた小型の灰皿にもみ消す。以前までは当たり前のように地面に捨てて足で火を消していたのだが、それを見たフィーネに激怒されて以来、こうして灰皿を持ってくるようになった。
海鈴の言葉に、嬢さんは冷たい目を興味深そうな視線へと一変させた。今だ、とばかりに俺は声を出す。

「ここにある本、好きなの持ってっていいぜ」
「は?」
「その代わり、あんたが軍に伝えるであろう情報は今から話す事だけにして欲しい」

部屋に無造作に(何時もはもっと散らかっているから、今はかなり整頓された方だ)置かれている本達を指差しながら言えば、嬢さんの目がまた丸くなった。
陸地の情報屋からすれば、海賊の持つ『海の情報』というのは喉から手が出るほど欲しいものだろう。ましてや、ここにある本達は、海に古くから伝わる伝承をはじめ、とある海賊の航海日誌や海の怪物達の物語、語られることのなかった無名の同士達の話や今や伝説となった海賊の話まで、数多くのことが記されている。きっと彼女が欲している情報も、この中にある事だろう。
俺の言葉が真実だとわかるや否や、嬢さんは諦めたかのように息をついた。その後、後ろに控えていたサングラスに何か耳打ちすると、サングラスは一礼してから俺の部屋にある本をあさり始めた。といっても、傷を付けないよう心底丁寧に扱ってくれている。でかい割に気の利く男のようだ。
嬢さんは座っていた椅子の背もたれに体を深く預けて、俺達を見やった。

「わかったよ、取引成立。お前らが望む情報だけを奴らに伝える」
「助かる」
「で?その伝えてもいい情報ってのは?」
「ああ。二日後、南海岸で暴れる」

なんでもない顔で言えば、嬢さんはまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。かと思えばバンっと机を思い切り叩いて怒鳴り始める。まぁ当たり前な反応だよな。

「お前ら馬鹿にしてんのか!!?二日後逃げるとか言ってたくせに暴れる!?」
「憂さ晴らしだよ、憂さ晴らし。あいつ等には目にもの見せてやらなきゃ気がすまないーーって、この人達が」

呆れた表情で答えたのはウェイクだった。それに同調したのは後ろに控えているフィーネ。盛大な溜息とともに諦めた表情を零しているのが、背中越しにでもわかった。ついでに痛いほどの視線も感じるが無視だ。振り向けばきっと不機嫌極まりない顔の副船長が立っていることだろう。

「ったく。馬鹿な奴等だと思ってたがここまでとはな。わかったよ、その事だけ伝えてやる」
「どーも」
「苦労かけるな」

呆れ顔の二人から労いの言葉を貰うと、嬢さんは肩をすくめる。『情報屋やってりゃこーゆー客もたまにいるさ』と言いながら、足を組んだ。
と、そこへ先ほど本をあさっていたサングラスが嬢さんに耳打ちする。『わかった』と短く返事をしたかと思えば、サングラスの男が嬢さんを抱き上げた。彼の片手には古びた、赤い背表紙の本。確かあの本はーー

「フランシス・ドレークの航海日誌に興味があるのかい、嬢さん?」
「…、なんでもくれるって言ったのはお前だぜ、鮫の坊っちゃん」
「別に持ってくなって言ってるわけじゃあねぇよ。そいつは中々に面白いぜ。楽しみにしてなよ」

すっと嬢さんの目が細められた。まるで何かを汲み取らんとするその目線にも、俺は真っ向から受け止める。暫く続いた無言の戦い。それを先に切り上げたのは嬢さんだった。ふい、と俺から目をそらして、『じゃあな』の一言。それを残して去っていった。
情報屋がいなくなった部屋に、暫しの沈黙が流れた。どこか居たたまれない、緊張感が一気にました部屋の中で、一番最初に口を開いたのはジャックだった。


「…よかったのか、蒼刃」
「なにが」
「本」

短い言葉を交わす。彼の言葉に、嗚呼と小さく声を漏らした。
どの本を持っていかれようと関係はない。フランシス・ドレークの航海日誌は中々に貴重で、探すのにも苦労したが今となっては地面に転がるだけの存在になってしまっていた。使ってもらえるところにいた方が、本も嬉しいだろう。
それに、全て覚えているから。

「全部頭(ここ)に入ってる。問題ねぇよ」
「相変わらず気持ち悪いな、お前の記憶力は」
「お褒めの言葉どーも。………、今はそんな事よりも、だ」

すっ、と視線をジャックから海鈴へと移した。先ほど違って難しい表情をしている海鈴は、俺の視線に気がつくとすっと目を細めた。そして、消え入りそうな声で一言、『すまない』と謝罪する。隣にいるウェイクも、小さく頭を下げた。

「同盟仲間を助けるのは当たり前だろ。気にすんな」

小さく微笑んでいったジャックに同調する。
今、海鈴達の仲間ーー副船長さんが軍に捕まっているのだ。今日集まったのは、彼を助ける作戦を練るためでもあった。といっても、作戦は既に情報屋の嬢さんが来る前から決めていたのだが。
確認するように、ジャックが声をだした。

「南海岸で暴れている隙に、別働隊が霧牙を救出。あらかじめ用意したボートで船まで連れ帰る…でいいんだよね、ウェイク」
「…、あぁ」

作戦を考えたウェイクが小さく頷く。ここまでは何ら問題もなく決まった。問題なのは、誰が副船長さんを助けに行くかだ。
海岸で暴れる役は決まっていた。
相手により南海岸への警戒心を強め、そちらに兵を与え、さらにはその兵力に耐えうる戦闘能力を持つものが、南海岸を担当する。
全てに値するのは、俺とジャック、そして海鈴の船長だけだった。
予定としては俺達三人と部下数名で暴れまわることになっている。

船長がいた方が、奴らはこちらを警戒してくるだろう。そして、潜入する側への注意を大幅に逸らすことができる。そうなれば、より副船長さんを救出することに尽力を尽くせそうだ。
そう考えたのは、ウェイクではなく俺達三人だった。
ウェイクとしては大切な船長と兄貴を戦場へ送りたくはないはずだ。それを二人が言い包めたのだが。

さて、そこで問題に戻るわけだが。
誰が副船長さんを助けに行くか。
妥当な相手が出てこず、頭を悩ませていた時だ。コンコンと控えめに扉をノックする音が響いた。
ガチャリと扉が開かれ、ピンク色の頭と青色の頭が現れる。
アイリーンとレオだ。二人の登場に全員目を丸くしていたが、次の言葉でさらに目を回すことになった。

「霧牙さんの救出、あたし達が行く」


(刻一刻とそれが迫る)

血戦戦争9




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