「ジャックの仲間に手を出した馬鹿がいたんだと」

ぼそりと蒼刃が呟いた。真っ暗な船内では彼の表情を伺うことはできなかったが、非情に楽しげだということは声音でわかった。
そうかよ、俺は小さく返事をする。
ジャックという鯱は普段は温厚だ。だが皮を剥がせば奴もただの獰猛な生き物に過ぎない。鯱は身を潜めて一気に陸地に上がり、アザラシやアシカを襲う。ジャックは温厚を纏い身を潜め、敵を油断させて一気に叩く。まさに鯱のような狩りをするのだ、あの男は。
仲間を第一に考え、仲間を傷つけられれば奴は皮を剥がして捕食者へと変貌する。

「あいつを怒らせるなんて馬鹿だよな。あいつが本気になれば――俺なんか一瞬で殺される」

海の食物連鎖の頂点である鯱の異名は確かなのだと、蒼刃は笑いながらも言った。
鮫なんてものは魚の中じゃ最強かもしれない、けれど海を相手にすれば小さい存在だ、と彼は昔言っていた。自分を卑下するのではなく、上を目指したいという彼の思いからその言葉が出たのだと思う。現に『鮫』という異名は気に入っているらしい。
俺からすれば、お前だって十分恐ろしい存在だけどな。心の中で思う。
こいつも、鯱も、鯨も、恋人であるあの狼でさえも。鷹にとってはただの脅威だ。

「その馬鹿、前の評議会に参加してたやつらしいぞ」
「あの初参加の奴か?あー、なら知らなくても仕方ねぇな」

俺の声に暗闇の向こうにいるあいつが反応した。くすくすといつものように笑っている声なのに、この場の雰囲気でかかなり恐ろしいものになっている。
嗚呼、そろそろこの血生臭い船蔵から出たい気分だ。シャワーでも浴びてさっぱりして自室で羽を伸ばしたい。だが、それはきっと叶わないだろう。
チャリン、とあいつの耳についているイヤリングが揺れる音がした。月明かりが船内に差し込んで、ゆっくりとあいつの姿を照らしていく。外は嫌に静かだ。先ほどまでの騒音は一つも聞こえない。ゆっくりと耳に波の音が届く。

「なぁフィーネ」

声をかけられた。
俺じゃなかったらきっと仲間でも、弟や妹であっても裸足で逃げ出すほどの、冷たい声。
なんだ、と短く返事を返す。

「まだ残ってたっけ」

何が、とは聞かない。

「もっと奥に逃げ込んだ奴がいるって、報告は受けてる」

誰が、とは言わない。

聞かずとも言わずともわかっている。
月明かりに照らされた俺達を見れば、弟や妹でも恐怖に顔を歪めるだろう。
だんだんと乾いてきた赤黒いそれを忌々し気に見つめる。俺の髪よりも黒い汚い色の赤は船内一面に広がっていた。倒れる人だったものを一瞥して、同じく赤黒いそれに染まった蒼刃に声をかける。

「もう行こうぜ。さっさと殺って帰りたい」
「そうだな。悪い」

立ち上がった音。ぐちゃりと鳴る嫌な音。
暗闇から現れた真っ赤な瞳の男に、一瞬。ほんの一瞬畏れを感じた。まるで獲物を探す飢えた獰猛な生物。きっと、俺も同じ目をしてるんだろうけども。
行こう。
ドアを開いて先に進んだ蒼刃は、誰よりも何よりも鮫だ。獰猛に貪欲に戦いを好み、豪快に盛大に敵をかみ砕く。その名にふさわしい。

――下手をすれば俺だって噛みつかれる。こいつらみたいに

さぁ、夜はまだまだ長い。赤黒く変色した部屋を後にして、船長の背中を追った。
早く終わらせて、シャワー浴びてさっぱりして自室で羽を伸ばそう。



(鮫と鷹)



鮫と鷹






|
- ナノ -