今夜も渋谷駅のスクランブル交差点は人でごった返していた。
歩くことも困難なのではと思えるほど人人人。それを自分の部屋から見下ろした。人とは本当に退屈な生き物だと思う。食って働いて食ってそして寝る。それの繰り返し。この世界の奴隷なんじゃねぇのとさえ思える。
あいつが言ってたっけ。
“世界は死体で満ちている”
金髪の同業者のことを思い浮かべる。いつもは、馬鹿みたいに笑うくせにあいつは時たまそういう暗いことを言うんだ。
まぁ、そのとおりだとは思うけど。
人は自分が息をしていることすら分かってないんじゃないだろうか。
そんなのただの動く死体だ。まるで。

「また見てるのか、しじみを」

声がかかって振り返れば、同業者であり同居人でもある男ーーセシルが微笑んだ。
脇においたしじみがぽこっと音を立てて泡を吹く。

「今日はしじみじゃなくて人を見てた」
「へぇ、珍しい」

セシルから視線を外してまた交差点へと目を向ける。あんなに沢山わらわらと居て、しかもそれが決められた事に対して動くだけの死体だと思うと興味も薄れる。
そっ、と後ろから腕が伸びてきて抱きしめられた。特に気にせず、そのままにさせる。肩にセシルの顎が乗ったのがわかった。

「何かあったか」
「なんで」
「人嫌いのお前が人を眺めてるから」

優しい声音が耳をくすぐる。別にと素っ気ない態度を取ればそうかとだけ返された。ただぼうっと人の群れを眺めてから、なぁと背後の男に声をかける。

「人もしじみみたいにわかり易かったらいいのにな」
「何が?」
「呼吸がだよ」

人もしじみみたいに呼吸しているのが見て取れれば、もう少し生きている実感があるんじゃねぇかな。行き交う人がぷくぷくと呼吸を見せていたら暴力もふるえないだろうなって。
それに呼吸が見えたら生きてるんだって実感できるだろ?

「人間、生きてるんだって実感できるのは痛みと快感ぐらいだろ。なら、人もしじみ見たいに呼吸が見えてるほうがいい」

ぷくぷくぷくぷくと呼吸が見えたら、あのうじゃうじゃいる奴らも少しはまともに見えてくるだろう。

「まぁそのしじみも俺は食べちまうわけだけど」

遠いところを見ながら言えば、回された腕に力が加わった。それを無視してただ人が行き交う交差点を見つめる。
やがてセシルの腕と体温が離れていった。

「仕事か」

振り向かずに尋ねる。
短く“あぁ”という返事が帰ってきた。そこでようやく、俺は視線を交差点から外した。振り返ってセシルを見る。少し悲しげな表情のセシルに俺は仕事の内容がどんなものか瞬時に察した。でも、一応聞いておく。

「仕事の内容は?」
「今夜、お前一人。……一家の皆殺しだ」
「ふぅん」

予想通りの内容だった。まぁ内容なんてどうでもいいけど。誰が死のうと誰を殺そうと俺にはなんの関係もない。
立ち上がってコートをとりに衣装棚へ向かう。扉を開けたところでまた後ろから抱きつかれた。自然とため息が出たのは多分仕方ないことだ。
振り返らないで、目の前にまわった腕を軽く掴む。

「なんだよ」
「子供もいるんだ」

どこに、なんて聞かなくてもわかる。

「まだ小学生で…そりゃ悪ガキらしいけど。まだ子供なんだ」
「それで」

そんなこと話して何になるんだよ。セシルの腕の力が強くなった。

「子供も殺すのか」
「そういう依頼だろ」
「でもーー」
「セシル」

名前を呼べばセシルは言葉を止めた。俺に何を言っても無駄って、いつになったらこいつは分かってくれるんだろうな。
俺は殺す相手が女だろうがガキだろうが関係ない。他のやつらは女もガキも殺せないって言っているが、逆に俺はそれがなんでかわからない。なんで女やガキが殺せないんだよ。あいつらも人間じゃねぇか。猫や犬を殺すのを嫌がるのはわかるけどよ。

「依頼は依頼だ。そんなんだからいつまで経ってもまともな依頼を受けられねぇんだよ」
「仕方ねぇだろ…、まだ慣れないんだから」
「ーーお前も馬鹿だよな」

態々自分からこの世界に入り込んでくるだなんて。馬鹿にもほどがあるぜ。
海鈴が好きな何たらって歌手も言っていたか。“同じ場所に置かれた物は腐る”。俺といればお前まで腐っちまうかもしれねぇのにな。

「そいつ、政治家かなんかだろ」
「あぁ…」
「ならよくあることだ。慣れろ」

んな無茶言うなよと項垂れたセシルの肩を叩く。しっかりしろと言うように。
叩かれた場所を撫でながら、セシルが呟いた。

「…なんでこういう仕事は政治家ばかりなんだろうな」
「邪魔と思う奴が多いんだろ」
「でもあいつ等は国を動かす奴だろ?そう思われるってのはーー」
「セシル、それは違うぜ」

コートをばさりと羽織って振り返った。情けない顔の男を見て笑ってやる。

「“本当に国を導く人間は、政治家の格好をしては現れない”、だ」

意味がわからないと首を傾げたセシルに、“海鈴の受け売り”と言葉を投げた。
玄関でブーツを履いて獲物である銃を確認する。もちろんしっかりサイレンサー付きだ。バイクの鍵を取ったところでセシルに声をかけられた。なんだと振り返ると、額にキスが降ってくる。

「うまい飯作って待ってる」
「……あぁ」

赤くなりそうな顔を伏せて外に出た。空を見上げれば今にも雪が降り出しそうな雲。息を吐くと白くなって溶けた。

「(あ、今しじみみたいだ)」

そっか、冬になれば人間もしじみみたいに呼吸がわかるんだな。それが夏でも春でも秋でもわかればいいのにと思いながら、俺は仕事に向かうのだった。


(政治家に目を光らせろ、さもなければ、明日には歌も取り上げられる)

by.ジャック・クリスピン




蜆の呼吸法




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