放課後、生徒の殆どが部活に励みだす時間帯。高く聳える校舎をオレンジ色の光が照らして、窓がチカチカ輝く。体育館からはバスケ部やバレー部のものだろう、ボールの音やシューズで走り回る独特な音が聞こえてくる。グラウンドでは野球部や陸上部の声掛けに、校舎内からは微かに聞こえてくる楽器の音。学校に入ってまだ半月ほどだけど、すっかりその音に馴染んできていた。
不良が大半という兄達とは違う学校に通うあたしは、どの部活にもいまいち魅力が見いだせなくて帰宅部に所属している。…所属しているってのもおかしな言い方だけど。とにかく、学校が終われば即家に帰るか、暇潰しにナンパしてきた男共の相手をするか、はたまた大好きな兄達の学校へ行って兄とイチャラブしながら帰るかだ。友達と遊ぶなんて選択肢はよっぽどのことがない限りない。みんなバイトとか部活とかで忙しいし。
そんなあたしの最近の悩み。それがーー

「何であんたがここにいるのよ」
「会いに来ちゃった」

ーーこの男。
『きもい』と一蹴するも、男は『ひどーい』と軽口を叩きながらあたしの隣を歩き始める。何気に道路側をキープするこの眼帯男の名前は流紋。町で知らない男に声をかけられた時。その気も無かったから軽口叩いて逃げようとした。だけど、男はあたしを離してくれなかった。そこを助けてくれたのがこの男だ。
それから何度も会いに来る馬鹿な男。何度も突き放す言葉を投げた、しまいには暴力も入った。それでも、こいつは飽きずにあたしに会いに来ていた。

ーーほんと、ばっかみたい

こいつがいる状態で、蒼兄やフィー兄に会いに行く訳にはいかない。変な誤解とかされたくないし。何より『また男引っ掻き回してんのかお前は!』って怒られる(主にフィー兄に)。それだけは避けたい。
ちらりと横目で男を見やれば、ヘラヘラと笑いながら歩いている。何がそんなにおかしいのよ、馬鹿?馬鹿なの?いや、馬鹿だった。

「どこまで付いてくるつもりよ」
「どこまででも」
「キモイ死ね」
「ひどい!」

いつもの会話の流れ。しくしくと泣き真似し始める流紋に苛立ちが湧いてくる。こいつ、家まで付いてくるつもりなの?

「ねぇ、あたし家に帰りたいんだけど」
「うん、確かこっち方面だったもんね」
「そうよ。だからとっとと失せて」

ええええ、とあからさまな声が上がる。何でそんな非難されなきゃなんないのよ。額に青筋が出るのでは、そう思ってしまった。
『ちょっとお邪魔させてくれたら帰る』とかふざけた事言い始めた流紋に大きな溜息をつく。なんで、あたしが、あんたを、家に招かなきゃなんないのよ。ふざけんな。
とも言いたげな視線を送りつけるも、まるで捨てられた子犬みたいな目でこっちを見てくるのだから溜まったもんではない。というか、でかい身長で眼帯で、お世辞にも細いとは言い難いがたいのいい男がそんな目してもキモいだけよ。そう、きもいだけ…キモいだけなのに。

「〜〜〜っ、わかったわよ!」

何故か、私はこの目にだけは弱かった。

△▼△▼△▼△▼

何とか当初の目的でもあったアイリーンちゃんの家へ辿り着くことができた。決してそういう考えは持ち合わせてないし、持ち合わせていないから彼女の兄弟がいないタイミングを狙ったわけでもない。ただちょーっとだけ。ちょーーーっとだけ興味があったからだ。……あったからだ!
閑散とした住宅街にポツンと存在するアパート。その二階の一番右端の部屋が、アイリーンちゃんの自宅だった。お世辞にも綺麗とは言い難い、錆の付いた階段を上がって、右に曲がって、いざ彼女の家の前へ。鞄から鍵を取り出して慣れた手つきで扉を開ける。

ーー確か、親いないんだったっけ

孤児院で育ったと、以前に聞いたことがある。その肝心な孤児院は、彼女の弟が中学に上がって直ぐに無くなってしまったらしい。行く宛のなかった彼女と弟を面倒を見ていてくれていた兄二人が必死にバイトして金をためて、このアパートを貸して貰ったのだと言う。高校入学金は、もともと孤児院の気さくなおじさんが出してくれていただとか。弟も、再来年には無事、そのおじさんのお陰で高校に進学できるのだという。

ーーすごいお兄さんだよなー

おじさんもすごい気がするが、やはり部屋一つを借りて尚かつ生活費まで稼いでいるお兄さんはすごいと思う。確か、歳は俺と同じ。高校の三年だった気がする。長男は地元で有名な不良三人組の一人、通称『鮫』だったっけ。次男もそれなりに有名な不良で『鷹』とか呼ばれてた気がする。……今思えばよく不良がバイトってすごいな。
頭の中にあった情報を取り出した所で、アイリーンちゃんの視線に気がついた。

「入んないなら帰れば」

冷たい彼女の視線に、俺は慌てて『お邪魔します』と靴をぬいだ。
中は思っていたよりも綺麗だった。正直、男所帯でもあるわけだから汚いかと思っていた。キョロキョロと部屋を見回していた俺に気がついたのか、アイリーンちゃんが教えてくれた。

「フィー兄が綺麗好きなの」
「あっ、だからか。すごい綺麗だなって……、……」

綺麗な部屋の一角、なんだあれ。物凄くものがごっちゃ返してる。本が積まれてると思えばすぐそばにノートが落ちてたり着替えらしきものが落ちている。そこだけが汚いように感じた。『…蒼兄は片付け苦手だから…』そう言ったアイリーンちゃんは少しだけ視線を外している。あの山から。
活字でお見せできないのが残念だと思えるほど、いやむしろこれでよかったなと思えるほど、その一角は穢かった。片付けが苦手ってレベルじゃない気がする。その言葉はなんとか飲み込んだ。
シンプルなテーブルの周りに敷かれていた座布団に座らされる。『着替えてくるから待ってて』と言われ、頷いた。隣の部屋へ消えていった彼女を覗いてもいいけど、多分バレた時に命の保証ができないからやめておく。

「お待たせ」

隣の部屋から出てきたアイリーンちゃんは、もちろんの事だが私服だった。肩幅が大胆に開いたピンクのオフショルダーに、青色の短パン。スラリとした長い足がこれでもかと見せつけてくる。

「…何よ」
「いやぁ…可愛いなぁって」

素直に感想を述べれば真っ赤な顔で『馬鹿じゃないの!』って騒いできた。素直に喜べばいいのに。ほんわかと顔が緩んだのがバレたのか。顔面に座布団が飛んできた。それを俺は見事に顔面キャッチする。
バタバタとアイリーンちゃんは急いでキッチンの方へと走っていった。なんだかんだでお茶を入れてくれる気はあるらしい。ゆっくりと立ち上がり、彼女の後を追う。そう遠くはないキッチンから、彼女の声が聞こえてきた。

「今日は蒼兄もフィー兄もバイトないからすぐ帰ってくるだろうし、お茶飲んだらさっさと帰ってよ」
「うん。そうするよ」
「はぁ、なんであたしがあんたなんかにお茶をーーって、え!?」

にゅっとアイリーンちゃんの腰に手を回す。びっくりしたかの様にこちらを向いたと思えば、彼女の顔がみるみる赤くなっていった。あ、可愛い。そう思った瞬間、俺の腕からアイリーンちゃんは離れていく。

「ばばばば!ばっかじゃないの!?何してーーわっ」

つるり。そんな擬音語がはまりそうなほど綺麗に、アイリーンちゃんの体が傾いた。このまま転んで頭でも打ったら大変だ。離れていく彼女の腕を掴む。びくりと小さく体が揺れたけれど、気にしない。引っ張ればアイリーンちゃんの体は俺の方へと吸い寄せられた。それをきっちり抱擁することで支えた。

「大丈夫?」

声をかけるも、返事が帰ってこない。おや?と胸の中にある彼女を見下ろせば、顔こそ見えなかったが耳が真っ赤になっていることがわかった。背中にはアイリーンちゃんの腕。まるで恋人同士が抱き合っているかのような、そんな状態。あ、と声が漏れた。離さなきゃ、離さなきゃまた怒られる。きつく抱擁していた腕を外そうとすると、逆に背中に回った腕に力が込められた。えっ、小さく声が漏れてしまった。俺の胸に顔を埋めるアイリーンちゃんが、小さく声を出したのがわかった。それは、くぐもった声だったけど、俺にははっきり聞こえた。

「…もう少し……」

ーーもう少し、このままで

やばい。
普段見せないデレが、こんなところで発揮されるとは。顔に熱が集まるのがわかった。今までたくさんの女の子と関わったり声かけたりしてきたけど、この子は他のどの娘よりも俺に対する扱いがひどくて、暴力的だった。ツンばっかり見てきた訳だから、突然のこのデレの破壊力は言葉で言い表せるものではない。そう、あれだ。言葉にできない。

「…アイリーンちゃん」
「っ…」

名前を呼べば、肩を僅かに震わせた。なんだ。なんだこれは。なんだこの雰囲気は。
顔を上げた彼女は、少し涙目で真っ赤で俺を見る。

「流紋」

名前を呼ばれる。ぴたりと体が止まった。まてまてやめろ、童貞じゃあるまいしこんな反応。
腕を外して、彼女のむき出しになった肩に手を置く。答えるかのように、アイリーンちゃんがゆっくりとかかとを上げていった。
近づくお互いの顔。目を閉じたら負けだと言うかのように、お互いの目をしっかり見ながら、ゆっくり、だけど確実に迫る彼女の真っ赤な顔。唇と唇が、あと数センチで触れる。あと…少しーー

「ゴラァァァアアア!!!!!」

凄まじい怒声にばっと体を離した。玄関の方へと目をやれば、いつの間に帰ってきていたのか、アイリーンちゃんのお兄さんたちがそこに立っていた。その中の赤い髪のジャージ姿のお兄さんーーきっと次男のフィーネだろうーーが、靴を脱ぎ捨てて俺達のもとに走り寄ってくる。俺とアイリーンちゃんの間に入ったかと思えば、軽く人一人殺せるんじゃないかって目で睨んできた。

「てめぇ、何人の妹に手ェ出してんだ!」
「ちょっ、フィー兄!」

おおっと?これはまずいぞ?フィーネお兄さんはかなりお怒りのようだ。

「えっ、いやそんな。手を出そうとなんてしてませんよ」

年下なのはわかっているが自然と敬語になってしまう。両手を上げて笑って言えば、フィーネお兄さんがきっと睨みつけてきた。

「嘘つくんじゃねぇよ!!玄関からでも丸見えなんだよ!お前がアイリーンを抱き締めてたことくらい!!」

その一言はどうやら俺よりアイリーンちゃんにダメージを与えたらしい。真っ赤な顔でやめてぇ!と騒いでいる。そんな妹には気にする様子もないフィーネお兄さんは、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。確かに俺も喧嘩なら多少は腕に自信がある。でもここは人様の家なわけだから暴れる訳にはいかない。どうしたかなと考えていると、思わぬところから助け舟が出た。

「まぁまぁフィーネ。そんな怒鳴るなよ。近所迷惑だろ」

長男だ。苦笑しながらこちらに歩いてくる。噂に聞いていた不良とはかけ離れたその爽やかな印象に、俺はポカンと彼を見ていた。長男はフィーネお兄さんを言い包めて、『すみませんね』と俺に謝った。いえいえと頭を下げながら返す。どうやら今日はもうお暇したほうが良さそうだ。荷物を持って、失礼しますと玄関で靴を履いている時だった。すっと、後ろに誰か立った気配がした。ゆっくりと振り返れば、爽やかな笑顔ーーのはずなんだが、どこか恐ろしい笑顔をした長男。

「あまり、うちの妹にちょっかい出さねぇよう、おねがいしますね」
「…うす…」

あまりの迫力に自分らしくない声が漏れる。仕方ない、あれはきっと仕方ない。
外に出て、小さく息を付いた。
あの時、あの瞬間。あのアイリーンちゃんの表情。あのまま、お兄さんたちが帰ってこなかったらきっと今頃は。そう思うとかっと体が熱くなるのがわかった。それを紛らわすために走り出す。錆び付いた階段を降りて、住宅街を走り抜けていく。
あの時、アイリーンちゃんは自分から動いた。自分から、やろうとした。それってつまり、

ーー脈はありって思って、いいんだよな

夕日に染まっていたはずの空は今や、うっすらと紺色に変わろうとしていた。



(ハローハロー、ことは順調ですか?)

流紋さん→←(?)アイリーン
なお話でした…
誕プレがこんなんでごめんよ…!!ぶたちゃん!

まずは第一歩って事で!




|
- ナノ -