その日、ダイアナは夜になっても帰ってこなかった。
最初こそは、きっと車が遅れているんだろうとか、きっと久々の家だから中々帰してもらえないんだろうとか考えていた。でも、もう直ぐ日を跨ぐような時間になっても一向に戻ってこない。
流石にこれはおかしいと、俺は高継と共に軍施設の入り口にいるわけだが。

「なんでお前らまでいるんだよ」
「いいじゃない!私達だって心配なの!」

頬を膨らませた初瀬の言葉に、後ろに立っていた仕事中のはずの浅緋が頷いた。流石に、時間に厳しい空遥の姿はない。
真っ暗な空には分厚い雲が掛かっていた。暗くて足元も危険だな。そう思うも、真っ暗な軍施設の向こうからダイアナが現れる気配はなかった。

「心当たりとかはないのー?ダイアナさんが行きそうなところとか」
「そんなこと言われてもなぁ」

俺達だって、ダイアナの全部を知っているわけではないんだ。ダイアナが行きそうな所なんて………、

「あ!!」

高継が何かを思い出したかのように声を上げた。

「一か所だけあるじゃん、ダイアナが行きそうなところ!」
「は?………あ……!」

高継くんの言葉に、脳裏にある風景が浮かび上がる。だけど、まさか。何故ダイアナがそこに行く必要があるんだ?

「実家で、何かあったとしたら……」
「あいつは間違いなく、あそこに行く……」
「え?なに?どうしたの?心当たりとかあるの!?」

食いつくようにして声をあげた初瀬を尻目に、俺と高継は走り出していた。背中に二人の声が届くも、振り返っていられない。もし、本当にダイアナがあそこに居るんだとしたら、何かあったに違いないからだ。

そう、ダイアナが何かあればすぐに行くところ。

―――あいつの、父親の墓……!







気がついた時にはあたりは真っ暗だった。少し寒い気がするも、それすら今の私にはどうでも良かった。お父様のお墓の前で、小さく蹲る。
ふと、お父様の口癖を思い出した。
泣き虫だった私に、お父様が言い続けた口癖。

『心に一つ、ダイアモンドを持ち続けなさい。ダイアモンドのように美しく、そして固い意志を』

「………もう、無理ですよ。お父様………」

溢れ出しそうになる涙を堪えて、腕をきつく抱き締めた。手首に痛々しく遺る傷跡が、先程起こったことを嫌でも理解させてくる。
頬の痛みが後からやってきた。でもあの時は痛みなんて考える間もなかった。とにかく逃げ出すのに必死だった。あのまま、何も出来なかったらと考えたら、恐怖で体の震えが止まらない。

「………ダイアナ」

静かに、その場に声が響き渡った。聞き慣れた声だ。私がなかなか帰らないから、迎えに来てくれたのかな。だけど――

「…帰ろうぜ、ダイアナ」

伽北くんが、なるべく優しく声をかけてくれる。でも、でも私は、

「………駄目ですよ。帰れません」

ゆっくりと立ち上がって振り返る。私の姿が、月明かりで照らされた。自嘲気味に笑う私を見て、二人が息を呑んだ。
体中傷だらけだった。頬は殴られた後があるし、タイツは破れてしまっていて所々血が滲んでいる。
伽北くんが、血相を変えて声を出した。

「そ、の怪我!どうしたんだよ!?」
「………何ともないです。放っておいてください」
「ダイアナ!!」

伽北くんが名前を叫ぶけれど、今の私はそれを何とも思うことができなかった。
返事をしない私に、今度は高継くんが声を出した。

「何があったんだ」
「………」
「ダイアナ。言ってくれないと分からない」

高継くんの真っ直ぐな視線に貫かれて、私は小さく声を出した。

「………もう、信じられないんです」

とっても小さい絞り出した声だったけれど、周りの静けさも相まって二人にはしっかり届いていたようだ。

「どういう事だよ?」

伽北くんが声を出した。
それに、私は笑いながら答える。

「そのままの意味ですよ。もう、何も誰も信じられないんです」
「…何があったんだ」

高継くんが、先程と同じ言葉を口にした。もう、私は止まらなかった。思っていたことが次々と口から出ていく。

「信じていたんです、あの人を。たとえ私のことが嫌いでも構わない、あの人がお父様を愛してくれているのなら、それで構わなかった!あの人も、お父様とお話するとき、とても楽しそうだったから…」

お母様を亡くして、私にしか笑顔を見せなくなったお父様。そんなお父様が、あの人の前で笑う姿を見るのが、とても嬉しかった。あの人になら、お父様を任せられるって、そう思った。

「お父様のお葬式で見せたあの人の涙も、あの人のお父様への愛も、全部全部、信じていたんです!」

だけど、それは違った。

「あの人は初めから、家の財産が目当てだったんです!お父様のことなんて何とも思っていなかった!私のここも、ただの商売道具としてしか見ていなかったんです!」

信じていたのに、あの人が新しい母親になった瞬間から、信じていたのに。
それはいとも簡単に裏切られた。

「もう…何を信じたらいいか、わからないんです…」

ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
それほど、私はショックだったんだ。今まで信頼していたものに裏切られるということが、こんなに辛いことだなんて思ってもみなかった。
たった一度の出来事で、何もかも信じられなくなるなんて、思ってもみなかったんだ。

「私にはもう…信じれるものなんて何もないんです…」

私は、一人だから。

月明かりに照らされた墓場に、沈黙が走る。いたたまれなくなって、私は視線を落とした。
嗚呼、呆れられたかな。
そう思った時だった。その声は簡単に沈黙を破った。

「そんなの、簡単じゃん」
「え?」

思わず顔を上げれば、そこには何でもないような顔をしてたっている二人。
高継くんに続いて、伽北くんがニッと笑いながら言った。

「俺たちを信じればいいだろ」

伽北くんの言葉が、ストンと、私の中に落ちてきた。

「俺たちだけじゃない。初瀬も浅緋も空遥だっている」
「もちろん、虎銀さんや朽葉さん、エリーさんに大雪さん、ソフィさんだって。あーあと、ちょっと信用ならねぇけどディル大佐も」
「いやお前、信用ならないって。わからなくもないけども」

軍にいる人たちの名前を上げてから、『ほかにもまだまだいる』って伽北くんは笑う。
言葉を失っている私に、今度は高継くんが笑いかけてくれた。

「少なくとも、俺たちはお前を裏切ったりしねぇよ」
「――!」

まっすぐ過ぎて、眩しいくらいのその瞳。その言葉は、私が最も欲しかったもので。それをこんなに簡単に、当たり前のように言ってのけてくれる。

そうだ、なんで私はこんな簡単なことに気がつかなかったんだ。
彼らは、いつも私の隣にいてくれたじゃないか。
いつも、私に笑顔を見せてくれたじゃないか。
いつもいつも、私を、支えてくれたじゃないか。

溜めていたものが、一気に溢れ出してきた。抑えていた嗚咽が、喉を付いて出てくる。いつの間にか、近くまで来ていた二人が、私の頭を優しく撫でてくれた。

「っぅ…!」

思わず、目の前にある高継くんの胸に飛び込んでしまった。『おわっ』なんて声が漏れたが、気にしない。胸の中で、大きな声で泣く私を彼は一拍おいてから優しく背中をさすってくれた。隣では伽北くんが頭を撫でていてくれる。

私は、この人たちを信じていいんだと、その夜改めて思えることができた。
どれだけ世界が色を変えても、道がわからなくなっても、彼らが居てくれれば、進める。彼らを、仲間を信じれば、私は前に進める気がした。

私が泣き止むまで、何も言わずふたりはただ私のそばにいてくれた。






「ダイアナーー!!」
「わっ…は、初瀬ちゃん…!?」

軍施設まで戻ると同時、初瀬ちゃんが抱きついてきた。
初瀬ちゃんの体はとても冷たくて、ずっと外で待っていてくれたんだと直ぐにわかった。
体を離して、がっと肩を掴まれる。

「もう!心配したんだからね!!」
「すみません…ご心配おかけしちゃって…」

申し訳なくなって視線を落として言えば、初瀬ちゃんがブンブンと首を振った。それからまたきつく抱きしめられる。

「謝らないでよぉ!無事に帰ってきて本当によかった!」
「…ありがとうございます」

自然と笑みがこぼれた。そうだ、私にはこんなに心配してくれる友達もいる。
ふと、目に浅緋ちゃんが映った。浅緋ちゃんもうんうんとうなづいて微笑んでくれている。

「初瀬ちゃん、浅緋ちゃん。待っていてくれてありがとうございます」
「大丈夫大丈夫!それより、怪我してるじゃない…!」
「え?あ!本当だ…!どうしたの!?」
「何ともないですよ。後でしっかり手当もします」

ニッコリと笑って言えば、二人は心配そうな顔をしたけれどすぐに『絶対手当するんだよ』と釘を刺して、それ以上は言ってこなかった。二人の優しさに、また涙が溢れそうになる。

「つーか浅緋、お前仕事途中だったんじゃねぇの」
「あ…う、うーん、でもまあ朽葉さんがやってくれるでしょ」
「お前のその朽葉さん使う癖どうにかしろよなー」
「そのうち朽葉さん、過労死で死んじゃうよ」

四人の会話に思わずクスクス笑ってしまった。だって、さっきまでのが嘘みたいだったから。
トッと肩に腕が回ってきた。高継くんだ。

「なーに笑ってんだよ、今から全員で説教受けに行くんだぞ」
「なっ、説教ですか!?」

私の驚いた声に、浅緋ちゃんが『当たり前でしょー』と肩をすくめた。

「消灯時間を過ぎてるのに勝手に抜け出すわ、時間までに帰ってこないわ、仕事をほっぽり出すわで受ける説教はたくさんだよ」
「最後はお前だけだけどな」

伽北くんの突っ込みに、浅緋ちゃんは『何よー!』と声を出していた。それを見て笑った高継くんを見て、初瀬ちゃんが声を出す。

「高継だって笑ってられないよ。君たち三人は空遥にも説教してもらうんだから」
「え!?」

三人の声がきれいに重なる。
まさか、空遥さんからも説教があるとは思っていなかった。嗚呼、私の精神は持つだろうか。

「空遥さん、時間を縫って何回かダイアナさんのこと心配してここに来てくれてたんだよ」

浅緋ちゃんが言ったことに、私は驚いてしまった。時間に厳しく、他のことには基本的に無頓着な彼女が、私を心配して――?
なんだか、胸が暖かくなった気がした。彼女にも、私は仲間だと思ってもらえてるのかな。

「さ、帰りましょー。虎銀さんにしっかり説教してもらいに」

踵を返しながら言った浅緋ちゃんに、案の定、初瀬ちゃんが食いついた。バッと髪の毛を抑えて、少し先に行ってしまった浅緋ちゃんを追いかける。

「え!説教って虎銀さんがするの!?わ、私髪型変じゃない!?大丈夫!?」
「いつもどおりだよ」
「髪型整えてから行こ…」

先に行ってしまった二人の背中を見つめる。向こうには軍の施設。帰ってきたのか、そう実感できた。
ポンっと、背中を叩かれる。振り返ると、伽北くんが笑っていた。

「おかえり、ダイアナ」
「…うぇ…」

また溢れてきた涙を見て、伽北くんが一気に焦った表情になった。それを見た高継くんが、素早く茶々を入れてくる。『なーかしたー』なんて言ってる高継くんを殴る気配がした。顔を上げればやっぱり。頭を押さえてる高継くんがいた。そんな姿に涙はすっかり引っ込んで、笑みがこぼれた。

「ほら、行こうぜ」
「はい!」

歩き出した二人を追いかけるために、足を前に出した時だ。

「うわぁ!」

感嘆の声が、前の方から聞こえてきた。見れば、初瀬ちゃんと浅緋ちゃんが空を見上げていた。なんだろうと、三人揃って空を見上げる。

「綺麗…」

分厚い雲はなくなっていて、空いっぱいに流れ星が落ちていた。暗い空を覆い尽くすような数の流れ星、流星群だ。

「今週中にあるって聞いてたけど、今夜だったんだな」

感嘆のため息と共に、伽北くんが言った。
流星群はとどまることを知らず、空を横断していく。それを見て、私はそうだ、と胸の前で手を組んだ。
そんな私の様子を見て、高継くんがどうしたのかと聞いてくる。目を閉じながら、それに応えた。

「お願いをしているんです」
「お願い?」

みんなが、ずっと一緒に居れるように。降り出したあの流星群に、私の願いを明日の私たちに届けてもらうんだ。どんなに離れていても、私たちが繋がってられるように。

「叶うといいな」

そう笑った伽北くんに、『じゃあ俺も願っとこう!』と言って私を同じポーズをする高継くん。同じように空を見上げて、目を輝かせている初瀬ちゃんに浅緋ちゃん。
この人達がいるから、私は笑っていられる。
仲間がいるから、私はもっと強くなれる。
すっと、伽北くんの手を取った。またビクリと揺れて、「えっ」と声を漏らしている。高継くんの手も取って、二人に笑ってみせた。

「叶いますよ!」

大きな二人の手を力一杯握り締める。まるで絆を確かめるみたいに。

「信じていれば、奇跡だって起こせるんですから」

にっと笑って言って見せれば、二人はキョトンとしたあと、そうだな、と笑ってくれた。
繋がった手をそっと離す。もう、無理に掴むことはない。手をつなげていなくても、私たちはきっとずっと、繋がっているから。

「この、同じ空の下で。私達はずっと一緒ですよね」
「ばーか」
「当たり前だろ!」

笑った彼らに釣られて、私も笑顔をこぼした。
空を覆う流星群の向こう、微かに空が白んできていた。
胸に手を当てる。一つの輝くダイアモンドを思いうけべながら、空を見上げた。


『ダイアモンドのように、美しく固い意思を持ちなさい』

――お父様、私、今なら大丈夫です

「ダイアナ、そろそろ行くぞ!」
「早く来いよー!」
「ダイアナ、虎銀さんだよ虎銀さん!早く早く!」
「今から説教されに行くのに元気だねぇ…」

遠くから私を呼ぶ声がする。振り返れば、私の仲間達が手を振っていた。
見てくれていますか、お父様。私、友達が、仲間ができたんですよ。
明るくなった空が、優しく私を照らしてくれる。
さぁ、顔を上げて。信じられる仲間のもとへ。

「今行きます!」

大きな声で、笑顔で返事をして走り出した。



お父様、私はもう大丈夫。だって、だって私は――


「――ひとりじゃないから!」




(夜明けの流星群)


夜明けの流星群2




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