11時を過ぎたくらいで、雷が家まで送ってくれることになった。一人でも大丈夫と言いたいところだけど、昨日の今日であの林の中一人で帰るのは無理そうだ。雷の言葉に甘えさせてもらって、林の中を歩いていく。
空は真っ青で雲一つない晴天だった。太陽の光が葉っぱの隙間から漏れてキラキラ光っている。綺麗だなぁ、なんて呑気なことを考えていたら、急に止まったらしい雷の背中に鼻をぶつけた。
「な、なに!?どうし――」
「しっ!」
前にいる雷が片手をあげてあたしの言葉をとめた。それから訝しげにあたりを見回して″誰かいる″と呟いた。それにあたしにも緊張が走る。昨日のあいつ等なのか?自然と体が震えるのがわかった。雷がゆっくりと目線を上げた。あたしもそれに習って視線をあげる。
「そこにいるんだろ?出てこい」
「ふん、流石は狼といったところか」
どこかからか女の人の声がした。すっと、あたしが見上げていた木の幹に女の子が姿を現した。緑の髪をツインテールにしていて、青い瞳であたしたちを見下ろしてくる。
雷が面倒くさそうに舌打ちをした。
「何か用?」
「特に用と言うほどではないが、人間の匂いがしたからな。来てみただけだ」
クスクスと笑いながら女の子は幹に座る。青い瞳をあたしに向けてきた。その表情はどこか挑発的だ。
「その人間はなんだ?」
「あんたには関係ないでしょ」
雷が刺々しい声で言った。表情は見えないけど、きっと眉間にしわを寄せてるんだろうなということはわかる。
″いこ、6″と名前を呼ばれはっとした。うん、と返事を返しながら歩き始めた雷の背中を追いかける。
「ほぉ?この人間がジャックのお気に入りか」
楽しそうな声とともにあたしの目の前に女の子が降り立った。いきなりのことだったのであたしは少し後ずさる。こうしてみたら身長があたしより低い。女の子が伏せていた顔を上げた。
――あれ?
さっきは青い瞳だったのに。なんで今は赤いんだろう?
そんなことを考えた瞬間、体が動かなくなった。何でなんてわからない。赤い瞳から目を離せない。
「6!」
あたしの横から何かが突撃してきて、目の前が一転した。見えるのは空の青。それから視界の端に金色。雷が突っ込んできたのか。なんとか起きあがると、雷が大丈夫かと心配してくれる。それに頷いて、女の子をみた。青い瞳に戻ってる。
「葵紀!何の仕業だ!」
雷が女の子――葵紀というらしい――を怒鳴りつけた。葵紀さんは腕を組んでふん、と鼻を鳴らす。
「この林に人間は必要ない。だから私が石に変えてやろうと思ったのだ」
「石?」
葵紀さんが言ったことを聞き返すと、雷が教えてくれた。
「あいつはメドゥーサで、目があった奴を石に変える力があるんだ」
ぞっとした。もしかしてあたし、石にされかけた?
葵紀さんが腕を組んだまま、まるでゴミを見るような目をあたしに向けてきた。
「人間など信用ならない。このまま生かして返すのは危険だ。仲間を呼んで皆殺される」
「そんなこと……!」
「しないというのか?信じられんな。嘘は人間の十八番だ」
呆れたように言ってのける葵紀さんを雷が睨みつけた。
「いい加減にしなよ、葵紀!」
「いい加減にするのはお前の方だ。同族が人間と仲良くお散歩か?反吐がでる!」
″ヴヴヴ″と獣のうめき声が聞こえた。それが雷から発せられるものだってすぐにわかった。だって、彼の影があの時みたいになっているから。大きな狼の形。これがきっと雷の本当の姿なんだ。葵紀さんはそんな雷を見て笑った。
「私とやるつもりか?その人間の前で私を八つ裂きにして食うつもりなのか?」
まるで挑発するような発言だったけど、雷には効果抜群らしい。影がいつもの人の形に戻っていった。
「情けないな」
気がつけば、雷が飛ばされていた。雷がいた場所には葵紀さんがいて、あたしを冷たい視線で見下ろしてくる。少し離れたところで雷のうめき声が聞こえた。あたしは極力目の前の女の子の顔を見ないように視線を下げる。
「許せないな、この林に人間が入り込むなんて。今ここで八つ裂きにして体中から血を抜いて、あのひ弱な吸血鬼の屋敷に頭を飾ってやろうか。ふふ、きっと見物だぞ」
本当に楽しそうに話すものだから、あたしは背中にいやな汗が流れるのがわかった。でもなんで?
「なんでそんなに、人間が嫌いなの?」
そんな言葉が口からポロリとでた。あたしの問いに葵紀さんは目を丸くして、でもすぐに挑戦的な笑みを浮かべてきた。ずいっ、と身を乗り出してきてあたしと視線をあわせてくる。とっさにあたしは視線をずらした。
「嫌いなのではない。憎いのさ」
「憎、い?」
″あぁそうさ″そう言って葵紀さんがあたしから視線を外した。手を広げて、まるで自嘲気味に笑ってみせる。
「人間は私の愛したものを容赦なく殺した。あの人は自分の領域と、そこに住む同族たちを守っただけなのに。人間は自分の欲望と都合のためだけにあの人を殺した。だから許せない、憎いのだ。私が、この手で人間を一人残らず!石にして!八つ裂きにして!血を抜いて!恐怖をあたえながら殺してやるのだ!」
言い切って、葵紀さんは″だから″と呟いた。
「人間と親しくする同族も許せない。ジャックがなんだ。奴の力などもう残ってはいない」
クスクスと笑いながら葵紀さんがあたしに近づいてくる。やばい、逃げなきゃ。でも足が動かない。それこそ、石みたいに固まっちゃっていて一ミリも動けなかった。体がふるえる。寒くもないのに歯が噛み合わなくてガチガチとなった。
葵紀さんがあたしのすぐ目の前で止まった。
「見せしめに、まずお前を殺してやろうか」
手が伸ばされる。やばい!動け、動け動け動け!
「さようなら」
葵紀さんの笑みが見えた。
頬に彼女の手があたり、鮮血が舞った。