小説 | ナノ





目の前で、彼が傷ついた。彼が…あの人が、私の、大好きな人がーー


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遠くで火柱が上がっている。月明かりだけのこの暗い林をレジーさんの炎が明るく照らしてくれていた。そのお陰で私は今、虎銀さんを安全な場所に連れていけるのだ。
安全な場所ーーと言ったものの、それがどこかは私自身わかっていない。とにかく今は、あの悪魔から遠く離れないと。

悪魔がこの林を襲ったという話は知っている。私はまだまだ幼かったから、そんなに覚えていないけど…虎銀さんや他の住人から話を聞いたことがある。
レジーさんは小さい頃から私とよく遊んでくれた人だったからハッキリ覚えていた。いつしか見なくなって、他の住人に彼がどこに行ったのか、聞いたことがあった。すると、みんな同じようにこう言った。

私達のこと、体を張って守ってくれた。今は休憩中なんだよ。

と。
数百年ぶりの再会だったのに。ゆっくり話す時も無いだなんて。
でも頼まれたからには彼を…虎銀さんをしっかり守らないと。

「少しいいかい」
「!!?」

声が聞こえて辺りを警戒した。人魚である私は、陸上ではあまり力を出すことができない。いざとなれば、逃げるしかできないのだ。何時でも逃げられる状態になって、辺りを見回す。

「そんなに警戒しないでくれ」

苦笑の混じった声だった。暗い木々の向こうから、青い髪の男の人が出てきた。ひどく整った顔をしているその人の背中には、真っ黒な翼。

「悪魔…!?」
「あぁ。俺は“色欲”の悪魔、蒼刃だ」

“色欲”の悪魔。聞いたことがある。特別強い七人の悪魔のうち一人だ。“蒼刃”と名乗った悪魔は、一歩こちらに足を踏み出した。私は合わせるように一歩、後退る。

「嬢さんに頼みがあるんだ」
「頼み…?」

悪魔の頼みなんて、きっとろくでもない事だ。無視して進めばいいのに。なのに、私はその場を動けないでいた。彼から、目を離せないでいた。それは、彼が色欲の悪魔で私までそれに感化されたからか、はたまた、彼がとてもーー悲しそうな顔をしていたからか。
悪魔は悲しげな顔のまま、こちらに手を伸ばした。反射的に体が震えたのは仕方ないと思う。

「そこの狼の兄さんが首につけてるのが欲しいんだ」

指差したのは、虎銀さん。虎銀さんの首につけてるものって…このネックレスの事?
それと、と悪魔が続けた。

「あんたの涙」
「……」

なんだが一気にきざな男の人に見えてついつい無言で睨んでしまった。悪魔は“やっぱそーゆー反応になるよな”と苦笑しているだけで、気にしている様子でも無い。でも、なんで虎銀さんのネックレスと、私の涙なんかが必要なんだろう。
私の視線で言いたいことに気がついたのか、悪魔がゆっくりと口を開いた。

「詳しいことは言えない。だけど、俺達にはそれが必要なんだ。ーーそれを狙って、違う悪魔があんた達を襲いに来る。その前にーー」
「ーー色欲がどうしてこんな所にいるのかな?」

突如聞こえた声に振り返った。でもそこには誰もいない。ばさり、大きな翼をはためかす音に空を見上げる。そこに居たのは、真っ黒な翼にニヤニヤとこちらを見下ろしている、悪魔だ。

「……随分来るのが早いな、“傲慢”」
「その名前で呼ぶのは辞めてくれないかな?僕にはハルトマンって名前があるんだから」
「嗚呼、そいつは悪かったな、傲慢」

ハルトマンと名乗った悪魔に、挑発を返す色欲の悪魔。何?仲間割れ……?
困惑の表情を浮かべた私と、地面に降り立った傲慢の悪魔に色欲の悪魔が入り込む。まるで…私達を庇うかのように。
色欲の悪魔……蒼刃さんの行動が気に喰わなかったのか、傲慢の悪魔が片眉を上げた。

「邪魔する気?」
「…」

答えない蒼刃さんに、傲慢の悪魔が小さく舌打ちする。かと思いきや、突然襲いかかってきた。長く伸びた鋭い爪を私達に向けて付き出してくる。
私は慌てて水を出してそれをガードしようとした。が、

ーーギィイイン!

傲慢の攻撃を受け止めたのは、私でも気絶している虎銀さんでもなかった。目の前の青い髪の悪魔が、槍で傲慢の攻撃を受け止めたのだ。
なんで、どうして私を助けるの?仲間じゃないの……?
もう何がなんだか分からなくなって、瞳が揺らぐ。泣きたくなってきたよ、レジーさん……虎銀さん。目の前で繰り広げられる戦いに、頭がくらくらする。何がどうなってるんだ、混乱しすぎて目頭が熱くなったのがわかった。

「人魚の嬢さん!」

突然声をかけられて肩を揺らした。えっ、と蒼刃さんの方を見れば、彼は傲慢の攻撃を防ぎながら声を張り上げる。背中で、必死に、彼は私に言った。

「あんたの泉に行け!そこに仲間がいる、そいつに……ネックレスとあんたの涙を渡してくれ!!」

こいつは俺が足止めする。
あまりにも必死な彼の様子に、私は混乱する頭で声を絞り出した。どうして?どうして、そんなに必死なの。傲慢は貴方の仲間なんじゃないの?どうして、どうして?

「なんで……?」
「…、俺達はあの人の意思を貫きたいんだよ」

そう一言、蒼刃さんは言った。悲しそうに微笑んで…でもその赤い瞳は決意の色に満ちている。体が固まった。悪魔は、こんな目をする生き物だったのか。私の知っている、聞いている悪魔はこんなにも、こんなにも澄んだ瞳だったか。

「余計なこと言うな!」
「っ!?」

蒼刃さんの体が突然傾いた。地面に膝をついて、忌々しそうに空を見上げる。蒼刃さんの周りに浮かぶ魔法陣に見覚えがあった。あれは、重力の魔法だ。傲慢が空から重力の魔法で蒼刃さんを地面へと戒めていた。

「あの人の意思なんて関係ない。俺達は全員揃ってないといけないんだよ!そうじゃないと、力の半分も出せない!他のクズな奴らと同じだなんて、考えたくもない!」

荒れた口調で喚き散らす傲慢に、蒼刃さんが小さく舌打ちしたのが聞こえた。
あの人って誰よ…。もう、何もわからない。早くこの場から離れたい。離れたいのに、傲慢がそれを許さなかった。私達の頭上に現れた魔法陣。ゆっくりゆっくりと、体が重くなっていく。

「じわじわ潰してーーそれから奪うことにするよ。だから、いい声で苦しんでよ」

ひどく歪んだ表情で、彼は言ってのける。
重い、鉛のように重くなる体に足が震えた。もう立ってられない…膝が崩れそうになった時だった。

「…あ…」

体が軽くなった。驚いて周りを見渡せば、青い水のベールが私達を守るかのように囲んでいる。私のベールよりも、もっと強力な魔力で作られた、どこか安心するそれ。これは、と目を丸くしていると、ベールが大きくうねって水流となり傲慢を襲った。咄嗟に避けた際、私たちに掛かっていた魔法が解ける。水流はそのまま、先程まで地面に膝をついていた蒼刃さんの元へ戻っていった。いつの間にか立ち上がっていた蒼刃さんの瞳が、傲慢に向けられた。ひどく冷たい、先ほどまでの瞳が嘘かのような、獲物を見つけた赤い瞳。

「嬢さん、行ってくれ」

私の方を見ないで、彼はそういった。感情のこもらない声。これ以上ここにいたら、彼らの戦いに巻き込まれるかもしれない。いや、確実に巻き込まれるだろう。私は急いで、その場を後にすることにした。虎銀さんを支えなおして、足早にだけど後ろを警戒しつつ――悪魔たちから逃げ出した。背後で蒼刃さんが何かを叫んでいたけれど、それは聞き取ることが出来なかった。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

「はぁっ…はぁ…」

泉にたどり着いたときには息も切れ切れだった。水辺に虎銀さんを横にして、自分は急いで泉の中へと入りこむ。乾いた体が一気に潤った。下半身が魚のそれに変わる。これが本来の私の姿だ。

「虎銀さん…」

泉の中から、顔をだして虎銀さんの毛皮で覆われた頭をなでる。
変わらず虫の息だったけれど、死んではいない。まだ生きている。安心すれば涙があふれてきた。さっきまで見えていた火柱がもう今は見えない。レジーさんはどうなったんだろう。あの悪魔たちは一体何なんだろう。
もう、いろいろありすぎて頭が混乱している。ぽろぽろと零れる涙が、ぱたぱたと地面に零れ落ちて吸い込まれていく。それを眺めていると、そっと誰かの手が頬に触れた。涙をぬぐうように動いたその手に一瞬反応できなかった。ばっと勢いよく顔を上げれば、そこにいたのは長身の男の人。剣を腰にさしているから騎士だろうか。無表情で、男の人は指についた私の涙を小さな小瓶に入れた。それを懐にしまってそれから――

「!待って!何するの!?」

虎銀さんに触ろうとしたのだ。
男の人はじっと私を見つめてくる。その意図がわ

からず、私は睨みつけることしかできない。
男の人がすっとその細くて長い指で、虎銀さんの

首元を指さした。そこには毛皮に埋もれたネック

レス。もしかして、彼は――

「悪魔…?」

ふと浮かんだ考えを口に出せば、男の人は小さく

頷く。彼が、蒼刃さんが言っていた仲間だろうか

。ネックレスが欲しいという、私の涙が必要とい

う――

――俺たちは、あの人の意志に従いたい

蒼刃さんの言葉が脳裏に浮かんだ。それがどうい

った意味かわからない。いい意味なのか悪い意味なのか、私には到底理解できるわけがなかった。
だけど、今私が彼らにこれらを渡すことを拒めなかった。だから――

虎銀さんの首から、ネックレスをとり彼に渡す。これは虎銀さんの大切なものなのかな。あとでちゃんと謝らないと。
男の人は、ネックレスを受け取ると静かにその場から姿を消した。
いなくなった男の人を見つめて、静かに目を逸らした。空を見上げれば満天の星空。明るく照らされる月。目を閉じれば、聞こえる狼の遠吠え、明るく照らす彼のランタン。
次目を覚ませば、また同じ生活がやってくる。私がいて、レジーさんがいて、大好きな彼がいる生活が。

そう、思いたかった。だけどそれは聞こえた翼の音にかき消されたんだ。

「わかったんだよ。みんな殺してやればいいんだ」

私の腹に何かが突き刺さる。驚きはしなかった。なんだか、こうなりそうな気がしていたから。それは、いつからだろう。あの悪魔が現れてからか、はたまた、レジーさんの火柱が消えてからか。
口からこぼれる血が地面に吸い込まれる。彼を見た。もう、息をしていない。嗚呼、魔力が尽きてて回復が追い付かなかったのかな。でもよかったと思う。だって、こんな痛い思いして死んで欲しくないもの。
目を閉じる。瞼の裏にみんなで笑っていたあの頃。
もしも今度生まれ変われたなら、またみんなで笑えるのかな。

私の意識はそこで完全に途絶えた。



泉が赤く染まっていく。人魚は息絶えた狼を庇うかのように、その上に覆いかぶさっていた。静かになったその林を――月の眩い光だけが照らしていた。
狼を愛した人魚は、愛する林にまた生まれることを祈って眠りに落ちる。

(愛し続けた人魚の話)

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