扉が開かれし時02


* * *

「遊馬くーん!」
 これが女だったら何度いいと思ったことだろう。声変わりが終わってすっかり低くなった声に甘ったるく呼ばれても、全くときめかない。呼びかけを無視して次の講義を行う教室に早歩きで向かったが、彼の歩幅は予想以上に広かったらしい。ぽんと肩に手を置かれる。手を置かれた方の肩から相手を窺おうと振り返ると、人差し指でぷにっと頬を押された。
「わーい引っ掛かった」
「……ノート絶対貸さねえからな」
「はあ!? さっき俺が昼飯奢ったばっかじゃねぇかよ」
「それも元は俺がお前のテスト勉強手伝ったお礼だろうが」
「なんだよー、遊馬のケチ!」
「ケチで結構」
 ぶりっ子している男性の手を払って再度教室へと足を進める。後ろから着いてきていたのを感じてはいたが、同じ講義を受けるから仕方がない。有城遊馬はそのまま藤尾晴と一緒に次の講義へと向かった。

 自身の力を封じてから、有城の周りには自然と人が溢れるようになっていた。寄ってくる人とは飲み会くらいなら普通に行く間柄であるから、一応友達と呼ぶことは出来るのだろう。
 そんな中でも、藤尾は一番仲の良い友達であった。いつ出会ったのか、どうしてこのタイプの男性と仲良くなってしまったのか、今では思い出すことも出来ない。
 しかし、有城はまだ「魂によって選ばれた友」と呼ぶことの出来る人間には出会えていない。
 いつか会える、いつか作ることが出来る。
 そう二十年間信じながらずるずると心の傷を引きずって来た。いつか痛みを分かち合える友達が出来ると信じて。
 だが、未だに世界は有城に優しくない。
「遊馬?」
「なんだ藤尾」
「講義始まってる、ノート取らなくて大丈夫か?」
 藤尾の言葉で前方を窺うと、教壇で教授が黒板に甲骨文字のような、有城には読むことも出来ないような文字を白いチョークで書き綴り始められていた。だが机にはノートどころか筆記用具さえも準備されていない。
「──あ、やべ」
 椅子の下に置いていた鞄から、急いで書き取りに必要な道具を取り出す。有城はルーズリーフよりノート派だ。講義毎にノートの色は変えており、今受けている講義のノートの表紙は黒。光に当てて色が間違っていないことをしっかり確認してから机の上に広げた。
「……おい遊馬、それ」
 藤尾は講義を受ける気がさらさら無いらしい。有城のノートをまじまじと見つめていた。その視線に釣られるように、有城も自分の広げたノートを見直す。
「…………………………嘘」
 黒の鉛筆でびっしりと書かれていたのは、講義の内容ではなく──小さな脳みそで考えられた、自分では一度も操ることの出来なかった魔術。
「それってもしかして、まほ──ぶっ」
 いくらひそひそ声で話されたとしても恥ずかしいものは恥ずかしい。開いていたノートで思いきり藤尾の顔をパァンと引っ叩いた。教室内には予想以上に音が響き渡り、講義を受けている学生の視線は黒板から二人へと移動する。視線を受けていたたまれない気持ちになっていると、教壇の向こうからしゃがれた声で問いかけられた。
「どうしたね」
「彼の顔に虫が止まっていたものですから。つい」
「ついじゃない」横から小声で反論されるが、有城は隣に目もくれずに続けてくださいと教授に促した。教授が再び教団に目を落とすと、何事も無かったかのように講義が再開される。
 隣で口を尖らせている藤尾に「ノートちゃんと見せるから」と詫びを入れてノートを仕舞う。代わりになるノートを使おうとしたが、生憎全て一ページしか空白がなかった。諦めてもう一度黒いノートを取り出そうとすると、横から紙を差し出される。
「ルーズリーフだけど、無いよりマシだろ」
 正直ルーズリーフは好きではなかったが、有り難く頂戴する。貸し一な、と言われたときは腹が立ったが、頷いて黒板に集中する。緑色の背景に書かれていた白い文字は大分消されていて読むことが不可能だった。

「あー、美味かった! ありがとう、遊馬くん」
 語尾にハートマークが付きそうな勢いで夕食の礼を言われる。藤尾のノリにはいつまで経っても着いていけない。有城は目で軽くあしらった。
 満足したのか足取りの軽かった藤尾だったが、何かを思い出したのか不意に足を止めた。不自然に思った有城も足を止める。
「どうした?」
「ノート、見せてくれる約束だろ?」
「ノートって……今日忘れたの知ってんだろ。明日持ってくるからよ」
「明日じゃダメだ、今日じゃないと」
 普段は見せない真剣な表情に有城の心は少しばかり揺らいだ。しかし現実を考えると、藤尾の願いを叶えることが出来ない。
「けど、俺の家遠いし……今から取りに行っても、渡すの真夜中になるぜ?」
「だったらお前の家に行くよ」
「はあ!? 俺とお前の家、真逆だろう!」
「そんなに俺を家に呼びたくないのか?」
「ちがっ……」
 いつものノリにも着いていけないが、今のようなノリにも着いていくことは出来ない。扱い慣れていない分、状況は圧倒的に不利である。
 有城は半ば諦めたかのように深い溜め息を吐いた。
「分かったよ、家に来い」
「――やった、サンキュー!」
 張り詰めていた空気が一気に砕け散る。先程まで静かなオーラを漂わせていた藤尾は、目の前で満面の笑みを浮かべて有城を見つめている。
 今のも、きっとノリの一つなのだろう。
 そう考えて、有城は今までの藤尾のノリを忘れることにした。



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