勝負姉弟06


「ただいまー」
 靴を脱いで、いい匂いのするリビングに駆け足で辿り着くと、そこには先客がいた。
「おかえり、姉ちゃん」
「……お父さんとお母さんは?」
「あー、二人とも飲み会だって。こんな暑い中で仕事なんかやれるかーっ、だって」
 そう、とか何とか小さく返事をしながら、椅子の背もたれに鞄をかける。二人は気まずかったが、お腹の虫は正直者だった。目の前に出された夕食に、「いただきます」と一言かけてから、口いっぱいに頬張った。
「美味しい、ね」
「そう? ならよかった」
 人の気持ちも知らないで、弟は本当に嬉しそうに笑った。つい口を滑らせてしまったが、料理が美味しかったことは事実だ。引きこもり生活を送っているからかどうかは分からないが、栄養バランスもそこそこ取れているし、何しろ彩がいい。男の癖に。若干僻みながら、私はおかずに箸を伸ばした。
 何も考えずに味を堪能していると、前から声をかけられる。
「姉ちゃん、動画はどう?」
 無言で進んでいた箸が動きを止める。
「……何でそんなこと」
「だって、姉ちゃん俺のサイト見てたぐらいだから。もしかして、自分じゃどうしようもないくらい追い詰められてるんじゃないかなぁと思って」
 何故人よりコミュニケーションを取っていないのに、人の心を読むことが出来るのだろうか。普通はありえない、それ以前に、それ以上の人間でも不可能なことだ。
 イライラ。美味しさでいっぱいだった頭が、怒りで上書きされていた。
「別に、あんたには関係ないでしょう」
 投げやりに言葉を放ち、止めていた手を再びおかずへと伸ばす。先程まで美味と感じていた野菜炒めは、全く味がしなかった。
「関係なくはないだろ、使える道具は使えばいいだろ」
「あんた、自分で自分のこと道具呼ばわり?」
「逆に聞くけど、こんな近くに動画について知ってる人がいるのに、聞かないのは何で?」
「だから、あんたには関係ないでしょう。私のことなんだからほっときなさいよ」
「私、じゃなくて、クラスのことなんだから私達だろ?」
 発した言葉に訂正を加えられて、私のイライラはそろそろ頂に達しようとしていた。どうして私は、ここまで弟に言われなきゃならないのだろう。
「どうしたいのか俺には分からないけど、ちゃんと分からないところ聞かないで後悔するのは姉ちゃんだろ?」
「――――さい」
「え?」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!」
 もう限界だ。リミッターが外れたかのように、私は思ったことを全て吐き出した。
「そりゃあんたは私より動画作ってるかもしれないけど、その時間はもともと勉強にあてられるはずの時間でしょ? 学校で社会に出るために勉強するための時間でしょ? 無駄に動画作りに時間を費やしてそんなに楽しい? そりゃそうだろうね、あんたはただ、親の脛かじってただパソコンにかじりついてるだけだもんね。私が他人からの圧力に押しつぶされそうになっている間に、家で誰にも関わらないで、何の役にも立たないような、誰の役にも立たないような、無駄でしょうがないことをさ! どの口がそんな偉そうなこと言えるの? 負け犬の癖にさ、どうしてそんなに堂々と生きられるの? 私、そんなあんたが恥ずかしくて仕方がないの、人生の汚点なの。もう関わらないでよ、あんたなんか弟じゃないから」
「澪姉」
「うるさいって言ってんのよ負け犬!」
 そこまで言って、自分がどれだけ汚い言葉を使っていたのか思い知る。何に対しても飽きれて、お気に入りの箸を床に思い切り投げ捨てた。「ごちそう様」とは告げて、私は部屋から逃げ出そうとする。だけど、それは許されなかった。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、自分が勝ち組だからって何言っていいとでも思ってんの?」
 とっくのとうに声変わりを終えた声が、私の動きを封じる。それでも、懸命に口を動かした。
「……何か間違ってる?」
「間違ってるだろ、何もかも。まず、俺を知らないくせに俺を語るな」
「じゃあ、私を知らないくせに私を心配しないで。知ったような口を利かないで」
「それが間違ってるんだよ。姉ちゃんが今どういう状況に陥っているかぐらい、察せられる」
「本人にも確認しないで?」
「姉ちゃんは分かりやすいからな。どうなってるか当ててやろうか?」
「出来るもんならやってみなさいよ」
 もう会話でさえ、面倒くさい。早く部屋に戻りたいのに。
「クラスメイトに何かの動画を作れと言われたけれど、パソコンにある編集ソフトじゃ自分が思っているクオリティの動画は作れない。かといって、今更無理だなんて言えない。そこで、無料で動画作ってくれる人がいると知って頼んでみようかと思ったけど、それが俺で、俺に頼るのは一番嫌だからまた振り出しに戻った。……こんなところ?」
「……さあ?」
「図星か。相変わらず分かりやすいな」
 また弟のくせに上から目線。そんなことも気にならないぐらいに、私は体力と精神力を削られていた。
「ねえ、もういい? 私部屋に戻りたいんだけど」
「……いいよ、俺も行くから」
 言葉の意図を尋ねることも出来ずに、私は強引に手を引っ張られる。振り解く力も残っていない。私は流れに身を任せた。
 階段を上って、優は勝手に電気をつけて部屋に入り込む。けれどその部屋は私の部屋ではなく、優の部屋だった。
「……私、こっちじゃないんだけど」
「いいから」
 整えられたベッドに座ることを促され、大人しくその指示に従う。
 彼が棚の中を漁っている間、私は疲労感に負けてそのまま横たわった。最近調べ物で忙しかった私の部屋よりくつろぎやすいとはどういうことだ。簡単なことを考えることも面倒くさい。重たくなってきた瞼をそのまま閉じて、私は夢の中へ――
「まだ寝るなよ」
 むにぃっ、と頬をつねられて、私の眠気は少しだけ吹き飛んだ。
「で、何よ。私寝たいんだけど」
「駄々っ子かよ……とりあえず、姉ちゃんの誤った先入観を正そうと思って」
 そう言って目の前に置かれた本で、私の眠気は完全に吹っ飛んだ。
「これ……」
「ああ、姉ちゃんのお下がりだよ」
 次々と積まれる参考書の山、山、山。全てが使い込まれていて、カバーはぼろぼろになっている。
「何で、」
「何でって、俺が受験生だからだろ」
「そうだけど、だってあんた学校、」
「学校に行かなくても、別に勉強は出来るだろ。学校で先生に教えてもらう方が時間の無駄だ」
「これも見る?」と渡されたノートには、私と同様に、いやそれ以上に文字がびっしりと書き込まれていた。しかも、ほとんどが丸で囲まれている。
「あんたこれ、いつの間に」
「姉ちゃんが学校に行っている間に」


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