勝負姉弟08


 耳元で囁かれていた心地よい歌声で目を覚ます。目を開けると、優しい音色が私の身体を包んだ。抗わずに身を預けていると、真っ白だった世界がだんだん開けてきた。歌に合わせて踊るきらめき、流れるように遊ぶ輝き。その光は音色と一緒に私を包み込む。
 私の語威力じゃとても表しきれなくて、ただ流れ込んできたものを受け入れることしか出来なかった。
 隣を見ると、そこには満足げな顔をしてこちらを見つめている優がいた。
「これ……もしかして」
「もしかしなくても、これ、俺が作ったんだ」
「あんたが?」
「そう。これが一番最近ので、他にもいくつかあるけどね。全部本気で作ったけど、これが一番出来がいいんだ」
 聞こえていた音色は遠くに消えて行き、きらめき達がその後を追う。
 私は彼らに別れを告げると、元の世界に戻った。
 優はもう一度再生ボタンをクリックし、動画を一時的に停止させる。
「俺はまだこんなのしか作れないけど、これでも凄い方なんだぜ?」
 再生ウィンドウからコメントウィンドウに切り替えると、そこにはびっしりと文字が書き込まれていた。
『素敵です!』『この三人がコラボするの待ってました、俺得トリオ!』『憂さんセンスの塊すぎて泣ける』『歌も絵も動画も綺麗』『かっけええええええええ』
 最後には『GJ』や『88888888』と言ったコメントが書き込まれていた。
「な?」と同意を求められたが、この世界がさっぱり分からない私が返せる言葉は無かった。
 ただ、言える事は一つだけ。
「すごい……とでも言うと思った?」
「え、何それ持ち上げといて落とすの?」
「冗談よ。すごいすごい」
「えー、なんかそれ投げやりっぽくて褒められてる気がしない……」
 口を尖らせている優を見て、今度は私が吹き出した。
「笑うなよ!」
「だってあんた、子供っぽいっていうか昔みたいで可愛い……」
 そこまで言って、根本的な所が解決してないことに気が付いた。
「姉ちゃん?」
「ねえ、何であんた、学校に行かなくなったの」
 力なく投げたストレートは、捕手の前でへろへろと落球した。けれど彼は、ちゃんとその球を拾い上げた。
「……知ってる? 姉ちゃんって、すんげえ人なんだぜ」
 明後日の方向に飛んだ返球を、私は急いで取りに行く。
「例えば?」
「小学校、中学校共に無遅刻無欠席皆勤賞。しかも中学校では地域ボランティアにも全て参加して、一年生で生徒会副会長、二年生で会長。おまけに一度も学年一位の座を明け渡したことがないくらい成績優秀。先生達からは生徒の鏡と呼ばれて、生徒からは憧れの的になって。絵に描いたような優等生だった」
 無気力から始まったキャッチボールは、徐々に形を成していった。
「間違ってはいないね、先生からそんな風に呼ばれてるなんて知らなかったけど」
「本当、姉ちゃんはすごかったんだ。卒業した今でもすごい人だって噂になってるんだから」
「何で学校行ってないあんたがそんな情報持ってるのよ」
「友達とは連絡取ってるからね。その友達うちの学年で主席らしいんだけど、よく言ってるよ。お前の姉ちゃんやっぱすげえなって、いつか越してやろうと思ったけど、いる場所が違いすぎるって」
「ふーん。で、何であんたは学校行かないのよ」
 ようやくノーバウンドで投げられるようになったのに、優はキャッチすることを放棄していた。
「……優?」
「でもね、俺は澪姉とは違うんだ」
 優はボールの握り方を直したり、宙に放り投げたりしてしばらく弄んでいたが、しばらくしてぎゅっと握り締めた。
「去ったものが残すものって、残酷なんだ」
 握り締められたボールを力いっぱいに投げたが、先程のようにうまくミットに収まりはしなかった。
「俺だって小学校の頃は優等生だった。ちょっとやんちゃだとは言われたけど、小学生だから元気が有り余ってるから仕方がないなって見逃されたしね。だけど姉ちゃんが中学校に行ってからは、周りからの目が変わったんだ。皆が皆、『お前の姉ちゃんはすごいよな』『学年一位だって、すごいなお前の姉ちゃんは』その頃から、俺ちょっと辛くなって。ほら、俺学校行かなくなっただろ? けどその後、ちょっとだけだったけど学校に行って、皆と笑顔で卒業できたんだ。中学校でも頑張ろうなって。でも、中学校は違ったんだ。なんていうか、成績重視、っていうのが色んなところから伝わってきて。俺、入学してから一週間後に先生に呼ばれたんだ。何もしてないのにだよ? しかも職員室。先生の目が飛び交う中で、俺、なんて言われたと思う?」
 私が受け損ねていたボールを、わざわざ優は取りに来た。そして私は、彼がどんな球を投げるのか、ただ呆然と見つめていた。
「『成績優秀な姉ちゃんみたいに、頑張ってくれよ』」
 優しかった声音が、一瞬にして奪われてしまった。
「嘘……でしょ」
「嘘じゃないよ、本当だ。だってまだ、俺の脳裏に焼きついてるんだもん。まだあるよ? 『相良さんの弟だもんね』『姉ちゃんみたいに頭いいんだろう?』『期待してるよ、相良の弟』……姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃんの嵐」
「嫌だ、もうやめてっ」
「何で? 姉ちゃんは悪くないじゃん。悪いのは先生達の期待に応えようとしなかった俺だもん。でもさ……誰も、俺を――相良優を見てくれなかった。見てたのは『相良澪の弟』」
「お願い、やめて……」
「俺だって姉ちゃんを尊敬してるよ。でもさ、いくらなんでもあんまりだろ。いくら姉ちゃんがすごいからって、俺をすごい人間だと思うなよ。みんな違ってみんないいじゃないのかよ」
「優ッ!」
 居たたまれなくなって、私はやせ細った彼の両腕を掴み上げた。けれど、彼の優しい声色は戻ってこない。
「それと、姉ちゃんは俺にとっても遠すぎた」
「え……?」
「俺は姉ちゃんを尊敬してる。小さい頃からずっと。小学校を卒業するとき、俺も姉ちゃんみたいに学年主席をとってやるって思った。でもそれを叶える前の壁が高すぎたんだ。先生達の俺に対する理想像がね。俺はそれを越えるために必要な精神力を持ち合わせてなかった。圧力が強すぎて、俺は簡単にぺちゃんこになった」
「…………もういいよ、やめよう?」
「最後まで話させて。それで俺は逃げたんだ。俺は皆が思っているような人間にはなれない。だから、姉ちゃんにもなれない。逃げたら、皆分かってくれると思ったんだ。けど、それは無理だった。夏休みが開けて、俺は学校に行った。俺に向けられてる目は変わっていた。ああ、皆分かってくれたんだなって思った。でも違った……皆、落胆した目で俺を見てたんだ」
 自分のことではないのに、心が抉られているような感触がした。一体誰の所為でこの子はこんな目に会わなければいけなくなったのだろう。答えは、私か。
「『相良の弟なのに不登校なんて』『お姉ちゃんは一回も休まずに学校に来たのに』俺が姉ちゃんと比較されることは、もう変えることの出来ない事実でさ。それで……学校に行くのが辛くなった。行かなくても生きていけるってことは学校に行かなかった時期で十分思い知らされたから、引きこもってネットサーフィンして。弱いよなあ、俺」
「そんなことない!」
 腕に自然と力が入る。痛そうな顔をしているのは、どちらにせよ私の所為だ。
「あんたは弱くなんかない、だって私の知ってる相良優は何事に対しても好奇心旺盛で、どんな危険も顧みずに道を真っ直ぐに駆けていって、それで……」
「ありがとう姉ちゃん。そんな優しい姉ちゃんに、一つ聞いていい?」
 傷ついた顔で、優は私の目を見つめた。

「俺、澪姉が好きだった昔の俺から、成長できた?」

「――ッ!?」
「ねぇ澪姉……嘘つかないで正直に答えてよ……澪姉」
 開いた古傷は、自分の足腰では支えきれないくらい痛いものだったらしい。私の前で跪き、両腕を差し出した。殺すなら殺してくれ、そう言っているようだった。
「優……一つ、聞いてもいい?」
「……俺が答えられることなら、いくらでも」
 また、私は彼を傷つけてしまうことになってしまうのだろうか。それでも。
 この答えを聞かなければ、判断は下せなかった。
「優は、どうして勉強してるの?」
「え……?」
「期待に押しつぶされた今も、勉強してるの?」
「…………それは、夢を叶える為だよ」
「夢って、どんな夢?」
「だから、いろんな人が感動するような、歌と絵を生かせる動画が作りた――」
「どうしてその夢は、勉強しなくちゃ叶えられないの?」
「……CGとかモーショングラフィックについて扱っている大学に行くには、デッサン以外にはセンターで合格するしかないから」
 そこまで聞いて、答えは、出た。
「あんたは、成長したよ」
 私に縋りついていた優が、一筋の光を見つけたかのように顔を上げた。けれどその顔は、すぐに暗くなってしまった。
「姉ちゃんは、優しいね。わざわざ嘘までついてくれて」
「嘘じゃない、というか、あんたにそこまでいわれる筋合いないでしょ。馬鹿にしないで」
 私は彼の腕を掴んだまま、彼と目線を合わせる為に両膝をついた。光を失った瞳を、じっと見つめて、大きく口を開く。
「私が好きだった頃のあんたから成長できたかって聞いたわよね。その答えは『成長した』。それは間違いない。だって、たくさんの圧力を撥ね退けて、自分の夢に突き進もうとしてるもの」
「でも、俺は結局逃げてるだけで」
「そう思ってるならそう思えばいい。確かにあんたは学校に行ってない。けど、今日あんたに対しても誤った先入観を正して、やっと気付いたわ」

 別に中学校なんか行かなくても、人生問題ないわよ。

「姉ちゃん、それ極論じゃね……?」
「まあ高校行くには問題が生じちゃうかもしれないけどね。センターで行くなら、高校卒業すれば何とかなるし」
 言い切った私が見つめた先の瞳は輝きを取り戻し、きょとんとしてこちらを見つめている。
「さっきまでの姉ちゃんどこ行ったのさ……」
「誤解が解ければ考え方も改まるでしょ?」
「いやいや早いって」
「それに、もし夢が叶わなくても、中学校に行ってない間にあんたが身に付けたスキルは将来役に立つでしょ? 家事全般にコミュニケーション、加えて読心術」
「ど、読心術は姉ちゃんにしか使えないと思うよ……」
 ツッコミが出来るようになったということは、大分心も落ち着いてきたのだろう。やせ細っている腕を離して、手のひらを握った。そして後ろに重心をかけて無理やりに立たせる。
「まとめると、とりあえず今からでも間に合うから学校に行きなさい」
「え、さっきまで中学校行かなくてもいいって」
「あんた自分で極論だって言ったじゃない。成績がないと高校には通えないし、それに何より、今まであんたを見下してきた奴を見返したくないの?」
「いや見下されたわけじゃ……」
「同じ様なものじゃない。今のあんたなら学年一位なんて目じゃないでしょ?」
 私にしては何気ない提案だったが、学校に行くことを拒んでいた優にとっては結構な問題だったらしい。加えて買い物の時以外まともに家を出ていなかったのだから、周りの目も気になるだろう。
 優が結論を出すまで、いくらか時間がかかった。
「……うっし、学校行くわ」
「よく言った!」
「姉ちゃん、キャラぶれてるよ?」
「あれ、私もともとこんなんじゃなかったっけ?」
「もっとおしとやかに育ってるかと思ってた」
「意外と失礼な……」
 なんだ、普通に仲直り出来たじゃん。
 気付いたらいつの間にか離れていて、どちらとも言わず、なんとなくその関係を維持していた。生活に支障はきたさなかったけど、どこか空気は悪かった。悪くなった空気を浄化するには、それほどの代償が必要で、その代償はあまりにも重かったけれども。
 こんなにあっさり仲直りできるなんて。
「さて、仲直りしたところで私から提案があります」
「俺ら喧嘩してたのか、初めて知った」
「茶化さないでよ。せっかく仲直りしたんだし……」
 恥ずかしさはあったけれども、言ってしまった事は取り返しが付かない。
「二人で何か思い出作りをしませんか?」
 言ってしまった。特別な感情は特に抱いてはいないがそこらにいるバカップルしか言わないような言葉を使ってしまった。
「俺らはカップルなのか、初めて知った」
 それに普通に返してしまう弟も弟だ。
「言われると思ったけどやめて」
「いいよ。それで、どうやって思い出作りするの?」
 まさか承諾してくれるだなんて思ってもいなかった。
 断られた時用の返事しか考えていなかったので、返す言葉がなかなか見つからなかった。だから見つかった言葉があまりにも安直だったことは否めない。
「私と一緒に動画を作ってください!」
「最初からそう言えばいいのに」
 返答はあまりにも早すぎた。
「……いいの?」
「だって俺最初から言ってたじゃん」
「言ってないわよ、私の怒りを買ってしかなかった」
「その代わり、条件が一個だけある」
「何?」
「俺の指導は、結構厳しいよ?」
「――上等、どうぞ手厳しくご指導ください」
 その時、やっと仲直りが出来たような、そんな気がした。



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