01
「シルヴィオ・ブォナロッティ!」
「ん…はい…。」
「おっはよ、シルヴィオ。…んふ、いいな、寝起きの気だるい感じがそそる。…なぁ俺と、」
「ヤらねぇ…早く鍵開けろロイド。」
「そんなツンとした態度も最高にいいな。」
ジョシュアやロイドはここにいる他の看守と違い、普通にしていれば俺たちにはとても人道的な扱いをしてくれる珍しいやつらなのだが、男色家なロイドは好きなタイプを見つければ直ぐに言い寄ってくる点には難がある。それ以外は本当にいいやつなんだけど。
いつでも待ってるぜ、と投げキスを飛ばしながら去って行くロイドにため息をひとつ零しながら、食堂へと向かうのだった。
トレイを持って座る場所を探していれば、少し離れた所からジャンが手を振ってくるのでそちらへと足を向ける。するとテーブルにはすでに先客がおり、久しぶりに見るその姿に思わず頬が緩む。
「おはよ、シルヴィオ。」
「ジャン、おはよ…ベルナルドも。」
「相変わらずだな、マイスウィーティ。」
苦笑交じりに挨拶をかえしてくるのは、幹部第二位という地位に就いているベルナルド。
幹部に上がる前から、ジャンと共によく可愛がってもらった事もあり、本来ならばそれなりの態度で接さなければならない所を本人の言葉に甘えて以前と変わることのない形で接させてもらっている。
ベルナルドの姿がここに見えるという事は、食堂に入ったときに一際目立つ体躯と髪色を持ったのはドン・グレゴレッティだろうか。
ジャンの隣に腰をおろし、今日も今日とて味の薄いスープを口に運びながら話し始める。
「しっかし、本当にここに収監されるなんて…全員もういるのか?」
「耳が早いな。あぁ、午後にはジュリオもこちらへ来るそうだ。」
「おいおい、ジュリオって幹部の、たしかナイフ使いのジュリオだよな?来るってココにか?CR:5幹部が一挙集合じゃねぇか……。」
「カヴァッリ様が入ってないだけまだマシだろ。本当に5人勢ぞろいだったら…今頃ウチはてんやわんやしてる頃だな。」
「今でも大分統率が乱れているみたいだけれどね。それでも爺様が逮捕を免れたのは幸いだった。」
「さっすが、カヴァッリ様……しかし、なんでまた全員同じ刑務所に?」
「州内の刑務所じゃ、警備はここが一番だからな。」
「って、もう既に四回も脱獄に成功してる俺の事忘れてません?」
「その結果、空いてた警備の穴は塞がれた……と保安局が判断したんだろう。」
「じゃあある種ジャンのおかげってわけだ。」
「所長俺にボーナスくれねえかなー。」
ないだろ、笑いながらパンを一切れ口に運ぶ。
やはり幹部大集合のうわさが本当だった事に驚きつつ、耳に入った現在の状況に苦みを覚えた。
こんなとき、下っ端はいつも以上に大忙しなのだ。寝る間もないほど、といったら大げさだが、俺にはそれに等しいくらい睡眠時間が削られて対応をせざる得なくなる。
咀嚼を繰り返していればベルナルドが口を開く。
「そういや、お前達ジュリオと面識はあったか?」
「いや。前に一度、ボスの屋敷ですれ違って、顔見たかどうか。明らかに得意分野、違うし。」
「んぐ…俺も。顔と噂は知ってるけど、対面した事はないよ。」
「そうか。奴がこっちにきたら、紹介してやるよ。イヴァンよりは付き合いやすいかもしれんぜ。」
「でもちょっとアブナイ奴って噂だし、別に紹介してくれなくても…。」
「でもイヴァンより付き合いやすいのは楽かもね。」
「はは、それじゃ、お先。」
話途中で席を立ったベルナルドに片手をあげて見送る。
塀の中でも変わらずにせわしなく動く兄貴分を見ていれば、なんとなく外に戻ったような、懐かしい気持ちになりながら残りの朝食を口に運んでいく。
その内にカラになった食器を片づけぼけっとしているジャンを置いて、食堂を先に出る。
外の運動場へと向かい新たな睡眠スポットを探していれば、隅の方には大きく育った、だけれども消して塀を超えぬ高さに調整をされた木が目に入る。
木の下まで行き上を見上げればなかなかにしっかりとした太い枝が目に入り、周りを確認してからそっと登ってみれば、葉っぱの影で日差しは遮られ、それでいて心地のいい風が頬にあたる。
少し上の方へと昇り進めて腰を落とせば、その心地よい環境に自然と目は閉じられて、意識は夢の中へ。
こんな気持ちの良い寝床を見つけなければ、きっとあんな事に巻き込まれずに済んだのだが、この時の俺はまだ知る由もない。
それは、木の上という誰にも邪魔されることのない絶好の睡眠スポットを見つけた数日後。
暫くお気に入りとなっている寝床へ今日も今日とて足を向け、定位置へと昇っていく。
いつものように目を閉じて、聞こえてくる葉を揺らす風の音に耳を澄ませば夢の世界へと旅立つ。
「…が…?…脱獄…?それを…たら…ボス?」
「…で正しい…」
声が聞こえる。
ここで寝ているときには基本的には人の気配も、会話もほとんどなかった。だからよかったのに。
少しづつ覚醒していく頭と比例して、どんどんと話の内容も鮮明になっていく。
「……俺は、ボスの命令に従うのみです。そして貴方が、次のボス、です。」
「……おい……あんた達がOKなら、OK……なのか?」
瞬間、パンと乾いた音が響く。
覚醒しきっていない頭は音に反応してびくりと身体を跳ねさせる。
それがまずかった。
バランスを崩した身体は傾いて、下へと落ちていく。
地面に落ちる寸前、伸ばした手が何とか枝を掴み地面と抱擁を交わす事は避けれたが、むしろそうして、意識を飛ばしてしまった方が良かったのではないかと思うくらいには現状から逃げてしまいたかった。
「んなっ!?お前…!」
「カズキ?!おい、大丈夫か!」
「おい、ベルナルドどうなってる。人払いは完全じゃなかったのか。」
「まさかこんな所に人がいるなんて思わないだろう…それより、だ。」
「……はは、タイミング最悪だった……?」
「シルヴィオ・ブォナロッティ、正直に話せ。」
どこまで聞いていた?
木から手を放して地面に足をつければ、普段とは違う冷たい緑の瞳が俺を見つめた。
瞬間、ぞくりと体が震える。
そこにはいつものベルナルドではなく、CR:5幹部ベルナルド・オルトラーニとしての姿があった。
思わず出た声が震えるが、それを必死に抑え込んで目の前の人物に正直に告げる。
「ちゃ、んと……言葉として認識したのは、ドン・ボンドーネがジャンに次のボスだと、そう言っている所です。」
「ちゃんと?」
「俺、この上で寝ていて…話し声が聞こえて、さっき目が覚めたので……。」
「おっ前、最近見ないと思ったら…こんな所で寝てたのかよ!」
「それ以外は?何か聞こえたか?」
「……単語になりますが、脱獄、と。……あの、こちらを出られるので?」
瞬間、体躯の大きな赤い髪をした人物がこちらを睨むように目線を向けるが、直ぐに幹部位のみで話し始める。
「おい、どうするベルナルド。ここまで聞かれてるぞ。」
「どうするもこうするも、こうなったら選択肢は一つしかないだろう。」
「shit.マジかよ…。」
「でも、確かにそれが一番、リスクが無い……。」
「それでいいな?……ジャン、一人増えても問題はないか?」
これは…まさか、もしかして。
嫌な予感がして話を振られたジャンの方を見れば、肩をポンとたたき笑って見せた。
「んなもん、拒否権なんてねぇだろ。」
「なら決まりだな。……さ、俺たちをボスの所まで連れて行ってくれ、ジャン。そしてお前が新しいボスになるんだ。」
「俺達五人を連れて脱獄に成功する見込みはあるのか?悠長にやってる暇はないぞ?」
「任せてくれよ。俺は昔から、運のいい男でね。」
「失敗したらお互い破滅だ!死にたくなけりゃあ、ウワサに聞くお前の幸運ってヤツを見せて見ろよ犬ッコロ。」
「信じています。貴方はただの犬じゃない……『LUCKY DOG』。」
口をはさむ間もなく、会話が成立していく。
おいおい、そんな、うそだろマジかよ。脱獄なんて、そんな大それたこと。
驚きに何も言えなくなっていればいつの間にか解散をしていたようで、体を揺さぶられる感覚に意識を戻す。
「おーい、シルヴィオ、大丈夫け?」
「……うん、いや、ダメかも。」
「すまないシルヴィオ。だが、」
「いや、うん、俺のタイミングが悪かっただけだから…話、詳しく聞いてもいい?」
そうしてようやく、事のあらましがつかめた。
全てはボス・アレッサンドロからの一枚の手紙から始まった。
カヴァッリ様が退位、その後継はジャンに譲られて、ジャンは晴れて幹部の仲間入りを果たした事。
そしてその手紙にはまだ続きがあって、幹部全員を連れて脱獄を成功させる事、それに成功すればジャンが次期頭領となる事が綴られていたという。
いくらジャンが脱獄を半ば趣味にしているとはいえ、それは流石にきついのではないかとも思ったが、成功すればビッグボスというそれはそれは魅力的な報酬に乗ったのだ。この幼馴染は。
昔からこいつの賭けごとに対する勝率は100%、負ける所なんて一度だって見た事はない。きっと、おそらく今回も。なんて、変な予感を胸にしながら溜息をついた。
「はあ……うん、でもなにはともあれ、宜しく頼んだ『LUCKY DOG』。」
「おう、任せとけ。」
「あー……なんか、ほっとしたら眠くなってきた。」
「おいおい、もうすぐ点呼だぜ?」
「変な目覚め方だったし、寝足りない。」
「やれやれ、手間のかかる子ほど愛おしいね。」
くああ、と漏れ出る欠伸を我慢せずにいれば笑いながら手を差し伸べたのはベルナルド。
有難くその手を取って、引かれるままに房へと戻る道を歩く。
驚きこそしたものの、人生は成るようにしかならないのだ。
隣を歩く勝率100パーセントの男に賭けてみようじゃないか、とふわふわした頭の片隅でそんな事を考えながら、明日から少なくなるであろう睡眠時間の事を思って今日のうちに寝だめを決めるのであった。