近頃巷を騒がせている若い女の絵描き。新聞記者を勤めている私が今追っている人物だ。彼女は水彩の風景画を主に活動しているのだが、昨今世間の注目を集めるようになったのはなんと人物画だ。色彩豊かで繊細な筆遣いの風景画がこれまでの彼女の特徴であったのだが、ある時一枚の絵が世間に晒されたことによりそれまでの印象とは一変し、瞬く間に人々の注目を集めることとなる。
その絵というのが墨で描かれた男の人物画。それまでの色鮮やかさも細やかな筆遣いもない、どこか熱情を孕んだ荒々しいタッチで描かれた白と黒だけの世界。その中に悠然と佇む男。その表情は絶妙なポージングの為に見えないが覗く唇や首筋は酷く艷めきそれでいてどこか清廉な、墨一つで描かれたとは思えない美しさを醸し出していた。
そうして強烈な墨絵で世間を騒がせたその後も彼女は主体である風景画を描く傍らで息抜きのように時たま男の人物画を出した。画風はこだわらずある時は得意とする繊細な水彩画、またある時は大胆な油絵と様々であったが描かれる人物は決まって顔を見せず、そしてどれも同一と思える男であった。

謎の男の人物画で人気を博したその女絵師。世間では専らその絵画の男についての話題で持ちきりである。特に女性からの支持が高く様々な噂が飛び交っている。あの絵の男は絵師の恋人なのか、実物はどれほどの色男なのか、抑実在するのか。
しかしその真相はこれまで明かされていない。何故なら当の本人が世間に出るのを拒んでいるからだ。謎の女絵師、そして謎の絵画の中の男。人々の興味は惹かれるばかりである。

だからこそ私は知りたい。記者として、いや、あの絵に魅了されたただの一人として。どうしても話を聞きたかったのだ。
そこで私は女絵師の元へ文を出した。この熱意を汲み取ってほしいと、長きに渡り根比べを続けた。
そして今日、遂に私は女絵師との接触を果たすこととなる。待ち合わせた物静かな喫茶店。その一番奥の席に静かに佇む女を見つけた。

「初めまして、でしょうか。お手紙をずっと頂いてたから何だか以前からの知り合いのようですね」

私に気付いた彼女は柔らかな笑みを浮かべてゆるりと会釈をしてみせた。華やかさはないが平凡ながらも小綺麗で彼女が主体としている風景画のイメージに良く合っている。

「あなたの熱意には負けてしまいましたが、お話出来ることはきっと少ないですよ」

ティーカップに口を付けながら朗らかに笑う彼女に私は少しばかり緊張していた体から力を抜いた。あれほどの注目を浴びながらも鼻に掛けた風でもなく、あまりにも普通の娘だったからだ。穏やかに佇む目の前の女に、取り出した愛用の手帳を片手に私は一つ頷いて見せると早速質問を繰り出した。

「貴女は何故世間への露出を避けるのでしょう」
「それは、たいした理由ではありません。ただ、作者が謎だと絵に面白味が出るかと思いましてね」

私の質問にしかともないでしょうと照れて話す彼女に途端出鼻を挫かれたような気分になるも表に出さぬよう曖昧に笑う。確かにもっと何かしらの理由があるものだと思った。しかしこの現状を見るにその企みは成功を治めているようだ。案外とあざとい人なのかもしれない。

「では…あの人物画の男性は、実在するのでしょうか」

ごくりと生唾を呑み込む。私は握り込む筆に汗を滲ませながら視線を僅かにさ迷わせ返答を言い淀む彼女を見つめた。切り出すのが早すぎただろうか。じいっと答えを待ち続ける私にやがて観念したのか彼女は小さなため息を吐くと苦笑混じりに首を縦に振った。

「ええ、実在しますよ」
「…それは、どのような方なのでしょう」
「詳しいことは何もお答え出来ませんが、そうですね、わたしの画力では到底表せない綺麗な人です。…本当に、純白で、この世で一番わたしの目に美しく見える」

やや緊張した声を震わせ畳み掛けた質問に、彼女はそれまでとは違う笑みを見せた。うっとりと愛しそうにきっとその脳裏に浮かべているであろう人物を見詰めて、まるで花が綻ぶように。

「本当は彼を描いているときが一番楽しいんです。無我夢中で彼だけを見詰めて筆を走らせて。どうすればあの強さを、白さを、激情を、表現出来るのか。時が経つのも忘れてそればかりを只管求めて。…まあ、そのせいで彼にはいつも怒られてしまって滅多に描かせては貰えないのですけど、」

彼女の中の日常が嬉々として語られて行く中、私は察してしまった。この女絵師にとって、あの人物画はきっと。

「…有難う御座いました。取材はこれまでにしておきます」
「あら、ふふ、お喋りが過ぎてしまいましたか」
「いえ。ですがお聞きしたかったことはもう十分に分かりました」
「そうですか」

手帳を閉じて私はそっと立ち上がる。こちらを見てくすりと笑った彼女が悪びれた様子もなく「ごめんなさいね」と肩を竦めた。

「知らない方が情緒があって良いこともあるのですよ」
「いやいや、面白い話を聞けて良かったです。記事には…あまり出来ないかもしれませんが」

私が苦笑して見せると彼女はそうだろうと愉快そうに笑った。そろそろ帰ろう、そう踵を返し、ふと思い付いたことを最後に彼女に問うた。

「顔を、特に目元を描かないのは、やはり個人の特定を避けるためですか」
「…それもありますが、一番は彼のあの視線をひとり占めしていたいだけなのかもしれません」

悪戯っぽく笑ってみせた彼女に私もとうとう堪えきれずに笑った。軽い会釈をして早々に店を出る。さて、どうしたものか。こんなことを記事にしたところで果たして誰が喜ぶものか。膨れた気がする腹を擦りながらもうあの女絵師を追うことはないだろうと、空を見上げて笑うのであった。



ただのおのろけ話。
時代は大正から昭和初期って感じでしょうか…?
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