しのびこむ


ある夜、仕事を終えて自室に帰ると人の気配がした。侵入者がいるというのに慌てもせず、警戒もしなかったのは、その気配が感じ慣れたものだったからだ。はたしてあの大きな体をどこに隠したものだろう。不自然でない程度に部屋を見回すと、家具の位置が普段と違った。家具と家具の合間に隙間を作り、そこに隠れているようだ。わざわざ移動させてまで部屋に忍び込んで隠れるなんて一体何を考えているのか。
ここ数週間のマスルールの言動はおかしくて理由も原因もまったくわからなかったが、今回はさらに理解不能だった。あれからも幾度かシンに相談しているだが、お前を見ていたいのだろうとか、そのままにしておけだとか、そのうちにわかるよだとか、そんな役に立たない返事ばかりが返ってきて問題を解消する糸口は見えてこない。何故私を見ていたいのだろうか。何か訴えたいことはないのだろうか。構って欲しい、甘えさせて欲しい、頼りたい、そういうことであれば、私はなんだってしてあげるのに。
視線には慣れたが、やはり疑問は尽きないし、心配だってしている。はたしてこのまま放置していていいものだろうか。ため息だって相変わらずだし、以前ほど食欲がない。このままでは心の病を患って大変なことになってしまうのではないか。
そんなことを考えてしまうとたまらない気持になる。そもそも私は理解できない事柄があまり好きではないし、問題を放置しているのも好まない。正直言えば苛々するし、気になって集中力が欠ける。だから本当は目的を問いただしたい。けれど、物陰に隠れながら私を見つめるマスルールは、近づくと逃げる。さすがにファナリスの全力疾走には追いつけない。一歩近づけば最後、あっという間に逃げ出し、遠くに行ってしまう。ならばと、近くにいる時に「私に言いたいことない?」と聞いても不思議そうな顔で見つめてくるばかり。一度、「どうして私の後をつけるの?」と単刀直入に聞いたことがある。
「なんっ、のことっすか」
とぎこちなくすっとぼけた。動揺を滲ませた嘘を深く追求しなかったのは、マスルールが可愛かったからだ。目が泳ぎ、視線を逸らし、落ち着き悪くそわそわする様は悪戯をした子犬がバレないように取り繕っているように見えた。その仕草は私の胸をきゅんっと締めつけるには十分すぎた。だから私はそれ以上のことを何も言えなかった。結局のところ、マスルールが不可解な行動を続けているのは、私が甘やかしているせいだろう。
問題を放置し続けるのは本来ならば苛立つのだが、この問題に関しては解決しない代わりにマスルールが可愛いという利点があった。だが、己の利益ばかりを考えて問題を放置し続けることは双方にとって良いことではない。普段と違う行動を起こしたということは、変化を求めているが故ではないだろうか。
明日はなにがなんでも話を聞こう、そう決意して部屋の扉を閉めた。今すぐ問いただしても構わないのだが、折角家具を移動させてまで隠れているのに暴いてしまうのは可哀想だ。明日話を聞くと決めたはいいが、こういう場合はどうすればいいのだろうか。自室で明日の仕事の準備をしてから休もうと思っていたけれど、そうするとマスルールが部屋から出ていけなくなる。ずっと隠れているのは窮屈だろうし、疲れるだろう。
「今日は、疲れたなあ」
独り言にしてはすこし大きい声で呟いてみる。
「もう寝ようかな」
わざとらしい独り言を呟いた気恥ずかしさをごまかすように寝室へと引っ込む。寝台に腰掛けて、どうするつもりかなあ、とマスルールに思いを馳せる。だがすぐに考えても仕方ないかと横たわった。寝そべったまま被り布を外し、傍らに置く。マスルールが部屋から出て行ったら仕事の準備をするつもりだから官服はそのままで目を閉じた。寝た振りをしている間に部屋を出て行ってくれるといいんだけど。
横になり、頭の中で仕事の段取りを考える。難民が増えたから予算の割り振りを考え直さなくてはならない。空から黄金でも降ってこないものだろうか。海底に財宝が沈んでいるのでも構わない。そんなことを考えながら現実的に計算を繰り返す。そのうちにうつらうつらしてきた。マスルールに動く気配はない。寝ている振りをしているだけだと分かっているのかもしれなかった。あくびを零し、身じろぎする。すこし眠ろう。
思いの外深い眠りから覚醒したのは、近くに感じた気配からだった。緊張したのは、その気配があまりにも間近だったからで、片目を薄く開けてみると目の前にあったのはたくましい腕だった。……覆い被さっている。状況を理解すると、心臓が早鐘を打ち始めた。頭の中で色々な考えが浮かんでは打ち消され、そして混乱させる。
もし覆い被さっているのがそこら辺の男であるならば、すぐさま起き上がり「一体、どういうつもりだ」と怒るだろう。寝込みを襲うなんて男として最低だときつく詰り、一発や二発殴ってしまうかもしれない。けれどマスルールがそういうことをするなんて到底考えられない。だから私はどうするべきなのか全く分からなくて、眠っている振りを続けるしかなかった。
大体ここで起き上がっては気まずい思いをする。その居たたまれない空気を想像すると逃げ出したくなった。目を閉じたまま必死に理由を探してみると、人恋しさが原因なのではないかとの考えに行き着いた。立派な青年となった今、子供のように甘えたくても甘えられず、言い出すこともできず、それでも諦めきれずに私に無言で訴えていたのかもしれない。きっとそうだ。そう思うと切なさと愛しさが溢れて胸が締めつけられた。しばらく寝た振りを続けてあげよう。
マスルールは私の首筋に顔を埋めて、くんくん匂いを嗅いでいる。匂いはしないが、そうすることに意味があるのだろう。今度は頬をすりすりと寄せてきた。犬みたいだ。しばらく頬をすり寄せたり、髪を梳いたり、鼻を頬に押しつけたりしていたが、十分に満足したのか、体を離した。存分に甘えたのならば、明日からは後をつけたり、物言いたげに見つめて来たりはしなくなるだろう。すこしばかり寂しい気持になりながら、問題が解決したことに安堵した。
けれどマスルールの気配はまだ部屋にあった。不思議に思っていると、カチャ、パタン、と音が聞こえた。どうやら箪笥を開けたらしい。かすかに衣擦れの音がした後、今度は閉まる音が聞こえた。箪笥の中から服を取り出したのだろうと見当をつける。おそらく疲れて官服のまま寝てしまった私の着替えをしてくれるつもりだろう。……こんなことならちゃんと着替えて横になればよかった!
焦る私の気持など気にもせず、マスルールの手が伸びてきて腰帯を解く。しゅるしゅるっと解ける音は夜の寝室にやたら響いて緊張を煽った。身動きなりして起きそうな風に装った方がいいだろうか。マスルールは良い子で、私の寝込みを襲うなんてこと有り得ない。けれど夜の寝室にふたりきりで、今まさに服を剥かれてようしているなんて、他意はなくとも焦ってしまう。
どうするべきか必死に考えている間にもマスルールの手は止まらず、上衣を脱がし、細い帯を外し、としていたが不意に動きが止まった。ふぅ、とひとつ息を吐き出し、また手を伸ばしてくる。脱がすべき服の残りはごくわずかだ。意を決して声を出すべきだと決意した私の唇から結局声が出ることはなかった。
いつまで経っても服に触れる手がない。不思議に思っておそるおそる薄目で様子を窺うと、思い切り顔を反らして手を伸ばしているマスルールがいた。裸を見ないようにしていると気付いた瞬間の私のときめきを想像できるだろうか。なんて良い子なんだろう……、胸いっぱいに広がるのはいっそ感動とも呼べるものだった。
だから私は改めて口を閉じた。ここで起きたらマスルールが恥ずかしい思いをする。こんな可愛くて良い子にそんな思いはさせられない、そう決意して着替えが済むのを待つことにした。時間は掛かったが、着替えは無事に終わった。顔を反らしているせいで、指が胸に触れたり、腰や尻の辺りを触れるか触れないかのところで手が移動して落ち着かない気持にはなかったが、裸を見るまいと決めた故の結果だから仕方ない。 着替えを終わらせたマスルールは、ふぅ、と安堵の息を吐き出し、私も心の中で安堵の息を吐き出した。これであとはマスルールが部屋から出て行くだけだ。出て行った後に仕事をするつもりだったが、ひどく疲れたからこのまま眠ってしまおう。一段落ついた安堵から気を緩ませた時、唇に触れるものがあった。最初は理解出来ず、口づけされたのだと思い至った時にはマスルールは寝室の窓から外へ出て行ってしまった後だった。


:着替え途中から見えないから指が当たるの仕方ない…と触りがちになっててもいい。

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