01


「なんで隣に寝てるんですか!」

私を心地よい眠りから叩き起こしたのはそんな怒鳴り声だった。まだ眠りの世界で過ごしていたい私は、枕を持ち上げ、その下へと頭を突っ込んだ。防音である。そんなささやかな抵抗を枕を取り上げることで打ち壊したジャーファル殿は、説明しろ!とうるさく喚き散らしている。仕方なく起き上がり、ジャーファル殿を見つめた。

「な、なんですか」
「朝からうるさい」

呟くと、うぐ、と黙り込んだ。

「昨晩のことはどこまで覚えていますか?」
「どちらが長椅子で寝るか、です」
「その後、私はジャーファル殿に酒を勧めました。そして酔っぱらったジャーファル殿に絡まれ、あなたはそのまま私に寄りかかり眠ってしまいました。なので、私が寝台まで運んだ次第であります」
「……長椅子に放っておいてくだされば良かったのに……」
「娶ったばかりの嫁を長椅子に放置して寝るほど情のない男ではないつもりでありますが?」
「じゃあ、あなたが長椅子で眠れば良かったのに」
「なんと……情のない」
「あなたにどう思われようとかまいません。……今晩からはきちんと決めて寝ましょう」
「承諾しかねます」
「どうしてですか」
「私とジャーファル殿が夫婦だからです」
「ふっ、夫婦なんかじゃない!」
「結婚したではありませんか」
「け、結婚したけど、夫婦ではありません!」
「形式だけの結婚をした男女は夫婦と呼ぶに値しない、ということでありますか?」
「そうです!そういうことです。だから、夫婦じゃない!」
「わかりました」

おとなしく頷けば、そうです、そういうことです、とまた繰り返した。

「……では、夫婦となるべく頑張りましょう、ジャーファル殿!」

拳を握りしめ、笑顔で言ってやる。ジャーファル殿はきょとんと目を見開いた後、ぎゅーっと眉間に皺を寄せた。

「どうしてそんな話になるんですか」
「あなたは結婚してもシンドバッド王のため働きたい。そう言いましたね?私は快く承諾いたしました。そして、私からもお願いをしました」
「……人前では仲睦まじくしてればいいんでしょう。容易いことです」
「そのような態度で仲睦まじい振りなど到底無理では?」
「無理ではありません。……今は人目がないんですから、仲睦まじくする振りなど不要です」
「いいえ!信憑性がありません!朝から夫を責めたてる女が人前で仲睦まじい振りが出来るのですか!」
「出来ますったら!」
「わかりました。……今ここで、ジャーファル殿が考える仲睦まじい夫婦の姿を、私に提示していただきましょう」
「……嫌です。人前じゃありませんし……」

はあああ、と盛大に息を吐き出す。ジャーファル殿がイラッとしたように顔を歪めた。

「やっぱり出来ないのでありますね?」
「出来ます」
「でも、示してはくださらないではありませんか」
「…………やれば、いいんでしょ」

ふてくされた顔をするジャーファル殿を見て、笑顔を浮かべると手を伸ばし、腕を抓ってきた。痛い。ジャーファル殿はふてくされた表情のまま、私の隣に移動し、ぺたりとくっついてきた。私の腕に両腕を絡ませ、しがみつくようにして体を寄せる。……痛い。あまりにきつく絡ませてくるせいで、血管の流れが止まりそうだ。痛みは多少我慢するとして、これからどうするのかと黙って見ていたら、何もしなかった。ジャーファル殿は私にくっついているだけである。

「こうしてくっついて、笑顔でも浮かべていればいいんでしょう?」

と、何故か得意げな笑顔を見せた。

「……ジャーファル殿は、何もわかっておられないようでありますね」
「なっ、どこが悪いんですか!」
「ただくっついているだけで夫婦に見える訳がありません!大事なのはふたりから醸し出される空気であります!端から見ていて、あのふたりは仲睦まじい夫婦なんだなあ、と思われるような、そんな雰囲気がジャーファル殿からは微塵も感じられません!」
「じゃあ、どうしろって言うんです!」
「ですから、寝食を共にし、ふたりきりの時でも仲睦まじくする訓練をするのでありますッ!」
「……嫌」

本当に可愛くない嫁である。苦虫を噛み潰し、その苦虫が目の前にいるような顔をして、私を見ている。本当に可愛くない。

「大体、あなただってそんなことをするのは苦痛でしょうが。……まったく、結婚式が終わって、私が果たすべき義務は終わったと思ったのに」
「苦痛ではありません」
「……は?」
「苦痛ではないと言ったのです。……ジャーファル殿」

真面目な顔を作り、ジャーファル殿の顔を覗き込む。不可解そうに私を見ていたが、やがて何かを察したのか、ものすごい勢いで私から離れ、寝台を降りると、壁に背を張りつかせた。……ちょっとおもしろい。

「な、なにを言ってるんですか?!気持悪いこと言わないでください!」
「気持悪いことなど言ってはいません」

にじりよじりとジャーファル殿に近づく。ジャーファル殿は、壁に背を預けたまま、私からじりじりと逃げる。その顔は恐怖と困惑が混じり合い、実に楽しい気分にさせた。

「折角夫婦となった訳でありますから、私はあなたを愛おしく思いたいのであります……」
「思わなくていいです!……近づくな、いいからそれ以上私に近づくな!」
「いえいえ、夫婦でありますから」
「離縁すれば夫婦ではありません!」
「……そのようなことをすれば、シンドバッド王がどれほど悲しむか、誰よりもあなたがわかっているはず。あんなにもあなたの結婚を喜んでいたシンドバッド王を悲しませるようなことを、まさか他ならぬあなたが、勢いでおっしゃるなど」
「卑怯な……!」
「私は事実を述べているだけでありますが?」

うぐぐ、と唸るジャーファル殿を見るのは実に楽しいことである。今日一日頑張ろう、とそんな気持になってくる。

「……わかりました」

ぽつり、と声を落とした。

「夫が死ねば、私は晴れて未亡人。自由の身です」

いつの間にか武器を握り込め、私を睨みつけている。一瞬にして血の気が引いた。どうやらやりすぎたらしい。

「シンだって、私が独り身に戻っても仕方ないと思ってくれるはず……だって夫は不慮の事故で亡くなってしまったのですから……」
「お、落ち着いてください、ジャーファル殿!それもまたシンドバッド王を悲しませることではありませんか!」
「あなたが私を置いて死んでしまったせいです。あなたのせい。私はシンが悲しむことなどしていません」
「いや、しようとしているではありませんか!」
「安心してください。暗殺は得意です!」
「得意ですじゃねぇよ!……わかりました、落ち着きましょうジャーファル殿。支度をせねば、仕事に遅れてしまうのでは?」

そう言われて窓の外を見たジャーファル殿は、素直に武器を収めた。窓の外は朝の光に満ちている。さわやかな小鳥の囀りも聞こえた。外の景色から視線を戻したジャーファル殿は、実に心残りだという顔をして、じとっと私を見つめている。今後は細心の注意をしながら、ジャーファル殿にちょっかいを出そうと思う。殺されては出世も何もあったもんじゃねえ。

「着替えるので出て行ってください」
「……はい」

あまり追いつめると命が危ない、気をつけよう。そう心に刻みながら寝室から出て行こうとすると、「……夏黄文殿?」と呼び止められた。

「まだなにか」
「……寝間着が昨晩と違うのですが……?」
「酒を溢して、寝間着が濡れてしまったので」
「あなたが着替えを?」
「はい」

ジャーファル殿はしばらく考え込むようにして俯いた後、おそるおそる問いかけてきた。

「……見ましたか」

何を、とは愚問であろう。昨晩着替えさせる時に見た、白い肌を脳裏に浮かべる。ささやかな膨らみの乳房も。私も男である。女の乳房を思い浮かべると、すこし頬が緩む。

「見てはおりません」

ジャーファル殿の眉間に皺が寄る。

「勝手に見てはいけないと思い、気を配って着替えさせたので、ジャーファル殿の貧相な乳房など見てはおりません!」

改めて言い切ると、ピキッと頬が引き吊り上がった。思わず口走ってしまった言葉に、部屋の空気がぴりぴりし始める。どうやら貧相であることを気にしていたようだ。大丈夫であります。男に揉んでもらえば大きくなるという話もあります。

「……多少は仕方ないことかと。なにせ着替えでありますから。それに、ちらっと膨らみを目にしただけで、全体は見ていません」
「それが一体、どんな慰めになると……?」
「じゃあ、全体的に見ました」
「じゃあってなんですか!……ああっ、もういいです。はやく出て行け」

いらいらと息を吐き出すジャーファル殿から逃げるようにして寝室を出る。と、扉を叩く音が耳に届いた。扉を開けると、シンドリア国の侍女が立っていた。朝食を持って来てくれたようで、手早く準備をすると、またすぐに出て行った。

侍女を見送って部屋に戻ると、丁度ジャーファル殿が着替えを済ませて寝室から出てきたところだった。入れ違いに寝室へ行き、着替えを済ますと、普段通りの官服に身を包んだジャーファル殿と朝食を取る。会話は、もちろんない。ジャーファル殿は黙々と粛々と朝食を口に運び、茶を飲むと、さっさと立ち上がった。

「朝議があるので失礼します。……今日のあなたのご予定は」
「姫君が買い物をしたいと言っておりましたから、街の方へ」
「そうですか。では、私の方から憲兵へ話をしておきましょう。……ピスティにも話をしておきましょうか?」

八人将のひとりであるピスティ殿が紅玉姫君に話しかけてきたのは、シンドリアに留学してから数週間後のことだった。煌帝国の流行の衣装を見たい、という理由だった。同じ年代の女子に話しかけられることのなかった姫君はそれはもう動揺し、けれど嬉しげに承諾をした。

紅玉姫君の部屋に招かれたピスティ殿の後ろには何故かジャーファル殿が控えていた。次に動揺したのは私だ。何故この女がいるんだ、と。主な理由は他国の姫君によからぬことを吹き込まないかと心配してのことだったらしい。おかげで顔を合わせる機会が多くなり、いつの間にか色恋沙汰の噂を流され、シンドバッド王の耳にまで届き、こんなことになってしまったのだ。

「ああ、それは姫君もお喜びになるかと」
「では、後ほど詳細な予定を伝えていただけますか」
「わかりました。後ほど」

ジャーファル殿の後へ続き、部屋を出ていく。ジャーファル殿は白羊塔、私は緑射塔へ、それぞれの場所へと歩いてゆく。ジャーファル殿から離れ、ひとり歩いていると開放感から体が軽くなった。さあ今日も一日頑張ろう、そう思いながら意気揚々と姫君の元へ赴くと、変な顔をされた。

「どうしてここにいるの?」
「どうして、とは。私は紅玉姫君の従者でありますから……」

姫君の傍に仕えているのは当たり前ではなかろうか。

「何言ってるのよぉ。新婚でしょう?一緒にいなきゃだめじゃないの!」
「いえ、そんな、私もジャーファル殿も気にしませんから……」
「いいのよ、わたくしは大丈夫。夏黄文がいないのは寂しいけど、他にも従者はいるし、たまにはゆっくりなさいな」

姫君はにこにこと笑っている。

「さ、ほら。はやく傍に行ってあげて」

と、私の背中を押し、追い返す始末である。仕方なく他の従者に姫君が街へ行くことと、ピスティ殿も同行することを伝えて、とぼとぼと部屋に戻った。

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