獣姦未遂編 01


その時、私たち三人は一匹の大きな獣と向かい合っていた。地を這うような唸り声が洞窟中に響く。唸り声に反応したのか、今まで洞窟のあちこちに散らばっていた非力そうなモンスターの姿は一斉に消え失せていた。身の危険を感じ取り、すこしでも安全な場所に隠れたのだろう。

牙を剥き出す獣の毛は黒く逆立っている。四つ足の犬のような外見に、赤い目が爛々と輝いていた。歯ぎしりを繰り返す口からは唾液が垂れ、地面に跡を残している。大きな獣で、立ち上がればマスルールを越すだろう。

不吉な気配に満ちていた。今回の迷宮攻略は、この獣に出会うまであまりにも順調すぎた。以前の攻略者たちが残してくれた道しるべは正しい道を示していたし、秘板に記されていた謎もあっけなく解けた。

「これでは攻略しがいがないな」

シンがそう零すほど簡単に進んだ。そうして薄暗い道を歩き続けていた私たちの前に現れたがこの獣だ。歩き続けた先にあったのは広場だった。光を蓄えた石が壁中に埋もれていて、場を明るくしている。久方に見る明るい色と、息苦しさを感じない開けた場所に安堵の息を吐き出した時、黒い影が飛び込んできたのだった。
突如表れた黒い影に戦闘の体勢を取る。シンを背後に守る形に、マスルールと共に一歩前に出て、対象を睨みつけた。目の前の獣が手強いことは見ただけで知れた。横目で洞窟内に視線を巡らせると、白い骨と薄汚れた布切れが散らばっているのが目に止まった。獣へと視線を戻す。その刹那、赤い目と視線がかち合った。ぞわり、と肌が粟立つ。獣が口の端を歪め、笑ったように見えた。ねばついた、嫌な空気が身を包み込む。振り払うようにして気を引き締め、袖に隠している武器を力強く握り込めた。

一瞬の出来事だった。獣がこちらへ向かってきたと思った瞬間、強い衝動が襲いかかり、体が吹き飛ばされた。明らかに私を狙っていた。体勢を整える間なく堅い岩肌へ叩きつけられる。強かに打ち付けた体が痛む。上手く呼吸が出来ず、喉を喘がせた。獣は地面に崩れ落ちた私の目の前に立っている。赤い目が私を見下し、一歩、近づいてきた。獣の後ろに立つシンは険しい顔で剣を構えている。マスルールもいつでも駆け出せるように構えていた。

体は痺れて指一本動かせない、唸る獣が近づいてくる、そんな場面ではあったが、私は落ち着いていた。怪我をし、足手まといになってしまうことは後で嫌というほど私を苦しめるだろうが、それは生きていなければ出来ないことだ。シンならばきっと私を助けてくれる。その信頼が私の心を穏やかにしていた。シンが足を踏み出したのと、獣が私の胸に前脚を掛けたのはほぼ同じだった。

シンの足が止まる。獣は大きく口を開け、私の首に牙を押し当てた。心臓が冷える。首の肉を押す、鋭い牙の感触。ひとつ息を吐き出せば、それが合図になるのではないか。死の予感に呼吸すらままならない。だが、いつまで経っても獣の牙が首にのめり込むことはなかった。まるでいつでも殺せると見せつけるように押し当てているだけだ。獣の吐き出す生暖かい息が頬を撫で、嫌悪感に震えた。唾液が服を湿らせる。

獣はしばらくそうしていたが、シンとマスルールが手を出してこないのを確認したのか、首から牙を浮かせた。安堵するのもつかの間、大きく口を開け、私の胴体を銜える。地面から体が浮く。力加減を知っているのか、牙が突き刺さることはなかった。一体、何を目的にしているのだろう。体中に不安が満ちる。シンが助けてくれるとは言え、不安は私の体に張りつき、心臓はばくばくと激しく鳴り続けた。死にたくない。シンと過ごした時間はあまりにも短い。まだ一緒にいたい。傍にいて、誰よりも力になれるよう努めたい。与えてくれた幸福に報いる働きを、私はまだしていない。決別の予感に泣き出しそうになる。だが、そんな悲しみより、また手間を掛けさせてしまうことの方が切なかった。

獣の足は速く、あっという間にその場から離れていく。薄暗い横道に連れ込まれると、途端に不安と恐怖が大きくなった。それでも唯一動かせる眼球を周囲に巡らせる。光りに満ちた広場はもう遠くに点として見えるばかりで、シンの姿もマスルールの姿も認識出来なかった。シンは助けに来てくれるだろう。いっそ見捨ててくれないかと願う気持とは別に、やはり助けを求める気持もある。申し訳ありません……、その言葉だけ呟き、私は意識を落とした。

◇◇◇

目覚めたのは、放り出された衝撃からだった。衝撃とはいえ、さほど乱暴に投げ出された訳ではない。

「……う」

ちいさく呻き、体を起こそうとしたが力が入らない。何度か起き上がれないものかと努力してみたが無駄だった。目だけを動かし、自分の置かれた状況を探る。薄暗い洞穴の中だ。私の体は草の上に放り出されている。こんな日の当たらないところに草が生えているものなのだろうか。だが、ここは迷宮内だ。地上の動植物と一緒にしてはいけない。不思議と青々した草の合間に、抜け落ちたのだろう獣の黒い毛が数本散っている。獣が草を寝台として使っているのは間違いがなかった。

どうしてこんなところへ、そう疑問に思っていると、獣が近づいてきた。口を開き、舌を伸ばす。私の頬を舐める大きな舌はざらざらしていて、すこし痛かった。頬が唾液にまみれ、首筋へと伝う。嫌悪に体が震えた。

逃げ道はないかと視線を巡らせる。私が放り出されたのは洞穴の奥の方で、背後は固い岩肌だけだ。入り口は獣が塞いでいる。獣は私を喰うつもりも、殺すつもりもないようだった。今はもう唸ってもいない。一体なんのために、と考えている私の目に、布切れが飛び込んできた。鋭い刃で切り裂かれたような布切れ。骨はない。布の種類は一種類ではなかった。薄汚れた安っぽい布地もあったが、華やかな色合いの布地も紛れている。壊れた髪飾りを見つけた瞬間、ひとつの考えが浮かび、全身から血の気が引く。心臓が大きく鐘を打ったかと思えば、激しく鳴り始め、背中に冷たい汗が流れた。目の前の獣はただ静かに私を見つめている。

迷宮攻略者には女性もいた筈だ。攻略者でなかったとしても、奴隷として、部下として付いてきた(もしくは無理矢理連れて来られた)者もいるだろう。おそらく彼女たちもこのねぐらに連れてこられ、それから。

獣は変わらずこちらを見下ろしている。まるで私が状況を理解するのを待っているかのように。息を飲む。彼女たちはどうなったのだろう。嫌な想像ばかりが脳裏を巡る。いっそ喰われた方がマシだ。死ぬ訳にはいかないから喰われるのは困るが、それにしたってこれから起こるだろう出来事が想像通りであれば、死んだ方がマシだという目に合わされるのは間違いない。

その想像は間違っていないと決定づけたのは獣の股ぐらに隆起した一物だった。はっ、はっ、と息を吐き出し、獣が近づいてくる。顔が歪む。拒絶の言葉は喉に張りついて出てこなかった。出てきたところで言葉が通じるとは思えないから、無意味だろう。それでも首を振るい、動かない体を叱咤し、獣から逃げだそうと足掻く。どれも無駄な努力で、獣は私に覆い被さると、先ほどと同じように首に牙を押し当てた。動けばすぐに噛み砕くと示すように。

それだけで私は身動きがとれなくなった。出来ることといえば、シンを信じ、助けを待つことだけだ。一体私はどれほどシンに迷惑を掛けるのだろう。スライムが体内へ入ってきた時だって、触手に捕まった時だって迷惑を掛けたというのに。自分があまりにも情けなくて涙が滲む。それでも、唇を噛みしめ、諦めてはいけないと気を強く持つ。どんな目に合ったって、私は生きていたい。生きて、ずっとシンの傍にいるのだ。そうすることが私の喜びであり、願いなのだから。

獣の前脚が私の胸に押しつけられた。鋭い爪が服に掛けられ、そのまま切り裂かれる。

「――ッ!」

皮膚に燃えるような痛みを感じ、視線を落とせば、鎖骨から腹に掛けて一本の傷が走っていた。痛みとは裏腹に、それほど深くはないようでかすり傷のようなものだ。血の玉が浮かぶ。力加減を間違えたのだろう。ここに連れてこられたのだろう彼女たちのことを思った。どんな目に合ったのか。逃げ出せた者はいるのか。いや、逃げ出せたとしても彼女たちはこの迷宮で力尽きたに違いない。

迷宮が残っている、それは誰も迷宮を攻略出来なかったということで、誰もここから出て行った者はいないということだ。どこかで生きているとも思えなかった。せめて安らかな終わりが彼女たちにあればと思う。いや、ここに連れてこられる前に息絶えていればいいとすら願った。

獣は、ゆっくりと牙を浮かせた。舌を伸ばし、傷に沿わせる。ざらざらとした肉厚の舌が、傷ごと私の体を舐めた。獣は何度も何度も傷を舐め、唾液を塗り込める。舌が這うたびに、傷から熱が忍び込んできた。

「あ、あ……っ」

この感覚は知っていた。別の迷宮で触手に捕らわれた時のことだ。体を這う触手が纏う粘液は皮膚から忍び込み、無理矢理に体の熱を呼び起こした。ぞっとする。爪で傷を残したのは、決して力加減を間違えたからではない。唾液を直接塗り込めるためだ。

「……いや、いや……」

無駄だと理解していても、震える声で懇願する。ざらざらした舌の感触が肌を滑るたびに痺れが全身に走った。頭が熱で上手く働かなくなる。呼吸が荒くなり、胸が上下する。唾液を塗り込める作業は済んだのか、獣の舌は乳房を舐め上げ、舌先を巻き付けてきた。

「っ、あ、……ああ!」

意志とは無関係に声が零れる。せめて体が動けばと思うが、一向に動かせない。腕の力は弛緩して、武器を握り込めることすらできなかった。獣の舌は、首も胸も、腹も、露出してる部分すべてを蹂躙し、おかげで上半身はほとんど唾液にまみれている。その唾液が触れる部分から新たに熱が生み出され、思考を狂わせた。
体が熱い。舌の感触だけでは物足りない。自分に覆い被さる獣が愛おしくてたまらなくなる。黒い毛は艶やかだし、鋭い牙も獲物を喰らうのには最適だろう。赤い目は宝石のように美しく輝いているし、前脚も後ろ脚もがっちりとたくましい。もし、こんな獣と子を為せたならばどんなにすばらしいか。浮かび上がった考えにうっとりと息を吐き出す。子が欲しい。この力強く美しい獣の子が。

私の願いを感じ取ったのだろうか、獣は私の体に爪を引っ掛け、優しく俯せにさせる。舌がくるぶしに触れ、そこから脹ら脛へ流れた。腰布の中に舌が忍び込み、足の間の秘部をつつく。

「ふぁ、っ、あ、……んん」

舌先だけが焦らすように軽く触れては離れた。もどかしさに腰が揺れる。舌が中へと入り込む。ぬめった分厚い舌で中を刺激され、見悶える。分泌される粘液を舐めとった舌はまた滑り込み、中を掻き乱した。それをひたすら繰り返される。与えられる快感に狂いそうになる。気持良さに悶えながらも、切なさに喘いだ。欲しいものは舌ではない。これじゃない。もっと大きくて固いもの。まるで女を蹂躙するために存在しているかのような、あの物が欲しい。先ほど見た、隆起した獣の一物を思い出す。何故、あの時の私は、あれが恐ろしく見えたのだろう。今はただあれが欲しくてたまらないというのに。

獣の一物は大きくそそり立っていた。突き立てられれば、裂け、壊れるのではないかと思えるほどに立派だった。だからこそ、先に舌で入り口をやわらげようとしているのではないのだろうか。笑みが零れる。たくましく力強く、美しく、それでいて心優しい。気にせずとも良いのに。例え、裂けようが壊れようが、望むならばそうしてくれていいのに。いや、そうされたいのに。獣の舌が抜かれた。予感に体が震える。わずか、体の自由が戻ってきたようで、安堵し、膝を立てた。足は震えているが、すぐさま獣が支えてくれることだろう。膣口に熱い塊が押し当てられる。期待のあまり、涙が零れる。

「ジャーファル!」

熱に浮かされていた頭に飛び込んできた声に、一瞬、冷静さが戻る。だが、思考が巡らない。自分が何をしているのか、それがわからない。こうするのは正しいことで、なにより私自身が望んでいることなのに迷いが生まれた。私は、一体何のためにここにいるのか。

獣が私の体から退き、声の方へと顔を向けた。怒っているのか、唸り、牙を剥きだしている。獣の前にいるのは、シンだ。姿を認めた瞬間、頭から熱が剥がれ落ちた。こんなことをしている場合ではない。まだ熱の残る体を奮い立たせ、立ち上がる。

「大丈夫か」

獣から視線を外さぬまま、シンが問いかける。

「……大丈夫、です」

口を開くことすら億劫でたまらなかったが、声を絞り出し、安否を伝えた。そうか、と安堵を滲ませる声に体中あたたかい気持が満ちる。やはりシンは助けに来てくれるのだ。

獣はシンに視線を据えたまま、背後に気を配っている様子はなかった。大したことは出来ないと侮っているのだろう。舐めてもらっては困る。袖の中に隠した武器を握り込める。四肢に力を込めることは難しいが、隙を作ることはできるだろう。狙いを定め、紐を投げつける。赤い紐は獣の後ろ脚に巻き付いた。
連れ帰った獲物が反撃するなど考えもしなかったのだろう。獣が振り向く。隙はそれだけで十分だった。シンの足が地を蹴り、獣の額に両手のひらを押しつけた。獣は振り払うように首を左右に揺らすが、シンはすでに獣から離れ、脇を通り抜け、私の傍まで走り寄っていた。

「走れるか?」
「……残念ながら、そこまでの体力は」

申し訳ありません、と頭を垂れる私の頭を軽く撫でると、

「ならば、仕方ない」

と言うがはやいか横抱きに抱え上げた。予想はついていたから、おとなしくシンの首に腕を回して抱きつく。絶対に離さないと意志を伝えるようにシンは強く私を抱き寄せ、駆け出す隙を見計らっていた。

獣は、唸りながら体を反転させようとして、いきなり倒れた。大きな体が倒れたことで空気が揺れる。シンはもう走り出していた。たん、たん、たん、と小気味よい音を立て、あっという間に洞穴から離れる。遠ざかる洞穴を見つめ、ちいさく息を吐き出した。獣が追ってくる気配はなかった。


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